松本春男の綾瀬市レポート(日本共産党元市議会議員)

2023年4月の綾瀬市議選で福田くみ子さんに
バトンタッチしました。

熊本県高森町長は、JRの列車事故について報告すべきと思います。

2023年11月17日 | 日記

 9日にJR豊肥線の踏切内で、前の車が動かず自分の車に列車が当たり事故になったのに公表していません。
 高森町長は、南阿蘇鉄道の社長を行っている人物で、自分が起こした列車事故については公表すべきと思います。
 踏切で前の車が動かないので事故になったと述べていますが、前の車が踏切を離れてから踏切に入るのに、列車事故については前の車がどいてないのに踏切に入ったと思われます。
 公務外の事故としても。自分が南阿曽鉄道の社長という立場からも自ら公表すべき事故だったと思います。
 列車の運行妨害とJRに対しての列車の破損事故と運行を遅らせた民事補償の問題が有りますので、ご自身の進退について対応が求められます。


国連安保理、戦闘中断を初決議

2023年11月17日 | 日記

 決議案はマルタが提出し、アメリカ、イギリス、ロシアが棄権して、日本やフランスなど12か国が賛成して可決しました。
 ガザへの人道支援物資を届けるため十分な日数の戦闘中断と人道回廊の設置を要求、ハマスになどの組織に拘束されている人質、特に子どもを即時かつ無条件で解放するよう求めています。
 安保理決議には法的拘束力があるため、違反には制裁が科せらる可能性があります。


独立戦争から4年後のバングラディシュの治安は最悪

2023年11月17日 | 日記

 村で知り合った男子中学生の話では、家に強盗団が15回来たとのこと、お金は穴を掘って埋めて、姉は夜になると離れた場所にある小さな小屋に母親と隠れて寝ている。
 夜間学校の運営状況を離れたいる集落を徒歩で回る時には、俺たちは日本人だと叫びながら歩きました。強盗団から日本人はマシンガンを持って移動しているので襲ったら大変と思われていたようです。
 寝泊まりをしていた家の大家さんの殺害を目的にライフルを持って強盗団が来たり、道端で人が刺されているのに誰も助けない、モーターボートで移動中、私の1m程の所に若い女性の水死体が有っても叫んでも船を止めるのではなく何事もないように船は進み、私も警察に届ける事をしていません。
 事務所から100m程離れた所でコレラで数人亡くなったときには、村人が今は行くなと言われました。
 フェーリーの沈没事故で新聞に掲載されるのは、数百人が水死した時で数十人単位での報道されないと聞いています。
 私の経験では、人が死んでいても警察に通報もしないで放置されていました。それが戦争の傷跡です。

 


50年前の約1年間のバングラディシュの活動

2023年11月17日 | 日記

 東西パキスタンの独立戦争、西パキスタンから東パキスタンが独立するための戦争から、4年後にバングラディシュ(東パキスタン)に民間のボランテイア団体の海外協力に興味を持ち接触しました。
 その団体は若者が集まって行動していますが、財政力の組織力もないが熱量だけは感じました。事務所もなくボランテイ団体が共同で使用する部屋にピン円のクの公衆電話が有るだけの活動です。
 綾瀬市に例えると、ボランテイセンターに公衆電話が有ってそこに不定期に集まっている状態です。
 収入は新宿の街頭でカンパを訴えているだけでしたが、バングラディシュに事務所を設けるとの話が持ち上がり、往復の交通費と滞在費が確保出来る人が活動する事になりました。
 私も4年間の工場勤務で蓄えた貯金で、バングラディシュ行くことになりましたが、当時円の力は弱いのでドルへの両替が必要ですが、1人のドルへの両替は1000ドル(36万円)しか認められていなかったので、知人などにパスポートを取得して両替をお願いして渡りました。(今考えると法律違反と思います)


スルメほしさに出征兵士に旗振った

2023年11月17日 | 赤旗記事より

 黒柳徹子さんが、続 窓際のトットちゃん」で戦争時代の反省など書いたと事を赤旗日曜版の取材で答えています。
 東京大空襲後、青森に疎開し、寒いし、眠いし、おなかがすいたが口癖だった。1日の食料は大豆15粒だけ。本当にそれしかないんです。朝、母から「水をおなかいっぱい飲むのよ」と炒った大豆を渡されました。やがて大豆も配給されなくなり、味も栄養もない海藻麺ばかりになりました。栄養失調で体中におできができ、何本も爪の間が膿んで、ズキズキ本当に痛かった。
 泣いて歩いていると、警官に「おい、こら」と呼ばれました。「おまえは恥ずかしくないのか。戦地の兵隊さんのことを考えてみろ」って、戦争って泣いてもいけないんだと思いました。
 駅で出征兵士にバンザイをするとお駄賃にスルメの脚を1本くれました。それからバンザイを聞くと走って行って旗を振りました。おとなになり、そのことを悔やみました。
 (赤旗日曜版11月19日記事の抜粋)