カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

2016/01/16 07:00全国最低気温

2016年01月16日 10時21分20秒 | 科学(気象)

寒くなってきました。こんなとき、来週から東京へ出かけなければならないとは、トホホホ・・・・。当然のことながらブログの更新は2月初旬以降となります。

例によって、気象庁から得たデータを自作の1セル1都道府県地図に書き込んでみました。

都道府県庁所在地の最低気温が氷点下になったところの数が、寒くなったかどうかの、一つの目安です。

0℃ぎりぎりのところが5~6ヶ所あるようですが

一応18ヶ所というのが8時現在の全国最低気温です。まだ最低気温を記録する可能性はありますが、本日はまずまずこのあたりに落ち着きそうです。

最近の地球温暖化ですが

この100年で1℃上がったからといって、どんどん暖かくなっているわけではなさそうで、去年より寒い日が多いかもしれませんが、平均して去年より少し暖かくなっているに過ぎません。

そういう目で御覧になっていただきたいのですが、ちょうど1年前 2015/01/03 12時現在の全国最低気温 の図がありましたので、御覧下さい。この日の12時現在で最低気温が氷点下になっているのは32ヶ所ですね。

私には私なりの見方があったとしても、最終的にこれをどうとらえるかは、皆様のお考えしだいです。私としては、ここではデータを提供するだけ、にしておきます。


イスラム圏の醜聞06 宗教対立

2016年01月16日 04時36分37秒 | 海外

いま宗教対立と言えば、キリスト教とイスラム教の対立しか、考えられません。

しかし

  • テロ被害を受けつづけている「キリスト教徒」も
  • テロ加害者を出し続けている「イスラム教徒」も

宗教対立ではない、とがんばるかも知れませんが・・・・。ただしイスラム過激派だけは、明確に「宗教戦争」と位置付けているようですが。

宗教対立そのものではなく、宗教対立から派生した「嫌悪感を前提とする、縄張り争い(権力闘争)、政治経済的争い」が紛争の直接原因だと、したいからでしょうか。

または「宗教対立」と認めてしまえば、イスラム過激派のように、もう取り返しがつかない紛争へ発展する恐怖を感じているからでしょうか。実は、その恐怖が、根源的な問題を内蔵しているのでした。

ここでは、紛争を宗教対立としてとらえています。

中東や北アフリカからのイスラム教徒が移民・難民としてEU諸国へ渡り、その地域での比率がどんどん大きくなって、対立をおこしています。

最近になって

ほとんどの穏健なイスラム教徒たち」が「自分たちもテロ事件の被害者だ」と積極的に発信するようになり始め、徐々に自らが視野を広げつつあるようです。

イスラム教徒も

今までのように、テロ事件が起こると「ますます警戒される」ために「ますますイスラム社会の内部に閉じこもる」、わけにはいかなくなったのでしょう。閉鎖的になればなるほど、ますます警戒され差別される、と気付いたのかも知れません。

もともと

どんな宗教であれ、その宗教に対して「従順」であることを求めるものです。

さてEU各地に住むイスラム教宗教指導者たちが、何に対して「従順」を求めようとするのか、どうやってこの対立を乗り越えるよう「指導」できるか、その腕にかかっています。

本来なら、一般の信者に、それを期待するのが筋でしょうが・・・・・・。

私の考えですが

  • 引きこもるのではなく、「積極的に本来のイスラム教の良さを発信する努力が必要」との主張には、なるほどと納得できる面があると同時に、「そういう努力をすればするほど宗教対立に行き着く」、という心配があります。
  • つまり、同じような兄弟宗教ともいえるキリスト教とイスラム教ゆえに、日本と同じように「多宗教併存」が可能だと思われがちですが、もしもヨーロッパ人に「二律背反をほっておけない思考」が残っているとするなら「多宗教併存」は実現しそうにありません。矛盾を矛盾として取り込める寛容性・大らかさ・無関心、が必要なのでした。

はっきり言えば

キリスト教徒とイスラム教徒両方に、歩み寄る姿勢があるかどうか」です。この場合、「両方」が必要であり、「片方」だけでは、だめでしょう。それは・・・・

  • キリスト教・イスラム教の双方で、その宗教色を薄める努力が必要だと思うのです。双方が「自分こそ正しい」、としていては解決は遠のくばかりでしょう。
  • イスラム教圏からキリスト教圏への移民・難民だから「片方」の歩み寄りだけでいい、としていては解決は遠のくばかりでしょう。
  • キリスト教国が、自分たちがしたくない汚れ仕事を移民・難民にまかせるという前提で難民の受け入れを「歓迎」しているなら、解決は遠のくばかりでしょう。
  • イスラム圏で誕生すればイスラム教徒であることをやめることができないとする宗教観、宗教としての結婚に関する男性と女性の違い〔男性は非イスラム教徒の女性と結婚できるが、女性の場合は相手の男性がイスラム教へ改宗する必要があるらしい、などなど〕を放置しイスラム教徒のままキリスト教国へ難民として渡り初めて異教徒の存在を知り「宗教対立」「宗教差別」を経験した、としていては解決は遠のくばかりでしょう。
  • 「紛争」へ発展する「恐怖」を恐れて、「宗教対立」を否定してはいけないでしょう。ISとは何の関係がなくても、これは「宗教対立」なのだと認める勇気が必要で、根本から解決しようという気構えがないと、解決は遠のくばかりでしょう。
  • ただしマスメディアは「宗教対立」をおもしろおかしく報道することでしょう。しかしそれを乗り越えなければ、解決は遠のくばかりでしょう。

と思います。きっと異論続出でしょうが(笑)。

せめて私が「解決は遠のくばかりでしょう。」と表現したところに苦労の跡をくみ取っていただきたいと思うのですが(笑)。

日本で、「初等教育機関の規則」が多すぎるのにがまんできず

誘惑にかまけて、たちの悪い犯罪組織へ踏み込んでしまった若い人たちが、初等教育機関の規則」よりもっと細かく厳しい組織内の規則を知り、うんざりし始めたけれども、深く関与し過ぎてもう足を洗えなくなった

というのに、重要な教訓が含まれています。

同じように、少し前、1~2年前ごろでしょうか

「EU諸国の社会ではじかれた」と感じたためか、シリアやイラクの過激派組織IS(イスラミック・ステート)へ参加しようとして渡航した若い人たちが、「はじかれたEU諸国の社会」よりもっとひどい非人道的な扱いを受け、うんざりし始めたけれども、深く関与し過ぎてもう足を洗えなくなった

のにも、重要な教訓が含まれています。

まるで選択肢が2つしかないようにとられてしまうのはつらいのですが

  1. キリスト教徒とイスラム教徒が宗教色を薄めながら互いに歩み寄る
  2. それができなければ、両方の宗教をキッパリとやめる

これしか、他に解決手段がなさそうに思われます。

宗教で金儲けをして、それなりの地位を獲得している人たちは、なんだかんだと屁理屈をつけて、この案に猛反対するでしょうが・・・・。

すでに、対立がない「世界平和」を唱える宗教さえ、見られます。

しかし対立があるから宗教なのであって、対立するからこそそれを乗り越えて初めて「よりまともな組織になる」余地があります。

もともと対立がない組織が「宗教」を名乗ることは無理だと思います。

私がもしもイスラム過激派に言うとしたら、

  • 自分たちイスラム教(らしき宗教?)の主張に反するからという理由で暴力的な内戦をおこし難民を続出させておきながら
  • その難民にテロリストをしのばせてEUへ放ってまで自分たちの主義主張を貫く

という手法は、あまりにも陰湿ではないか、と思います。

私がもしもイスラム教の宗教指導者に言うとしたら

小さな宗派単位の抗争に明け暮れているか、国の運営に満足しきっていて、ただ異宗派や異教徒を排除しておけばいい、自分の主義主張が一番正しい、では「まとも」な宗教家とは言えず、単なる権力願望・金儲けに走る宗教屋かも・・・・。

  • 難民を出さないようにするにはどうしたらいいか」を考えること。
  • イスラム教の宗派間の争いをなくすにはどうすればいいか」を考えること。
  • 自分たちのイスラム教が一番正しいという洗脳教育をやめること」。

これらは、宗教上の細かい内容を熟知してイスラム教徒を導くことより、もっともっと大切でありかつ困難な作業であって、よっぽど知的レベルの高い人でなければ無理でしょう。普通は、自分の宗派の利益になることしか考えないのですから。

もしも

外部に敵を作って内部の結束を高める目的で「キリスト教との差別をはかる」

なら、皮肉なことですが「イスラム教の派閥闘争がいっそう激しくなる」こと必定です。

私がもしもキリスト教の宗教指導者に言うとしたら

  • キリスト教が一番正しいという洗脳教育をやめること」がまず先決。
  • 「社会からはじかれた」と思っている人たちが異教徒を攻撃しないような社会をつくること。

実際は宗教対立であるのに

「いやこれは宗教対立ではない」とがんばるのは、いかがなものでしょう。はっきりと「宗教対立」だと認めたうえで、相互の対立を、たとえ解消できなくても、少しでも緩和する努力が、いま必要なんです。

まぁこんな風に考えましたが、どんなもんでしょうか。

宗教について語ることは、とても大変なことです。

どうしても、どこかの宗教の肩をもつような意見が普通なので、それでは広く共感を得られないからでしょう。

その対立を少しでも緩和できれば、と思って、書きました。それだけです。他意はありません。