日本での政界は「だましあいの世界」ですね。
なんでも一般化する愚を避けるなら、どの国でもそうであるかどうか私には分からないとするしかありませんが、日本の有権者は、日本の政界が「だましあいの世界」であることを知っており、しょせん政治家は、
「平然と心にもないことを言わねばならない」
これを喝破(かっぱ)しているようです。
2017/10/22の衆議院選挙では
- 「排除」したはずの 「希望の党」が敗れ
- 「排除」されたはずの「立憲民主党」が勝った
ようですが、たまたま今回の選挙結果がそうなっただけのことで、次の選挙でどうなるか、まったく分かりませんが・・・・・・。
選ばれる側としては
- 自分の判断の正しさを有権者に訴え「浮動票をいかに集めるか」が大切
選ぶ側としては
- 立候補者たちが「野合と排除」にほんろうされるのを見届け
- 有権者自身が「選挙直前にみられるあやしげなフェイク・ニュース」にほんろうされるのを見届け
それでもその地域で立候補した人たちの中から選ばねばならない「悲哀」を匂わせています。
希望の党が、「野合」と言われるのを避けようとして
民進党からの一部を排除しようとしましたが、狙い通りにはいかず、「民進党から希望の党へ入る選別時に、いままでの自説をくつがえし踏み絵に応じた」人があらわれたのです。
つまり
「野合」を避けようとしたのに「野合」を招いた
というわけです。これが希望の党が野合集団と指摘されるゆえんです。
この手のことはよくみられますね。
- 上司の「君のためだから・・・・・・せよ」に従ったとしても、結局は「自分のため」にはならないでしょう。というのは、上司のその言葉も、その人の人生観からでたものに過ぎないので、「君のため」に従ったとしても「自分のため」にならないことが多いのです。
- 野球やサッカーのコーチが、「それではプロで通用しない」として自分の理想通りにさせようとしても、それでうまくいく人は限られているでしょう。なぜなら「そういう人生観に従って得られた理想」なんですから、「プロで通用する」手法が「プロで通用しない手法」となることが多いのです。
選挙民も、やはり
「選別」を「排除」とみなし、「なぜ野合(共闘)をしないのだ」とするフェイク・ニュースに踊らされたのかどうか分かりませんが、「排除された側を支持した」ようです。つまり
「野合」≒「共闘」
ととらえたということでしょうか。
「なぜ野合しないのか」≒「なぜ共闘しないのか」
とすれば意味がよく分りますね。
結果的に
- 「野合」したかに見えた希望の党が今回敗れ
- 「共闘」したかに見えた立憲民主党が勝って野党第一党になった
ようですが
もちろんこれがずっと続くことなど誰も保証できません。
また、本当に希望の党が野合したのか、本当に立憲民主党が共闘したのか、これも分かりません。
それぞれの支持者が、泣き笑いを演じたことだけは、事実のようです。
そういえば
- 都議選での小池も敵失(自民党のエラー)で勝てた
- 衆院選での枝野も敵失(小池のエラー)で勝てた
- この分でいくと、いつの選挙になるか分かりませんが、次は枝野がエラーで自滅する番なのでしょうか(笑)。
こういった話は、ワイドショー好みの話題ですから、今週あたりきっと賑やかなことでしょう。
さて目をその他に向けるなら、これまた多くの排除が見られます。
【パリ=三井美奈】スペイン東部カタルーニャ自治州の州都バルセロナで8日、州政府による独立宣言に反対するデモが行われた。中央政府のラホイ首相は7日、全国紙パイス(電子版)のインタビューで、独立阻止のため「どんな措置も排除しない」として同州の自治権剥奪も辞さない構えを示し、州政府への圧力を強めた。:産経新聞2017.10.8
スペイン東部のカタルーニャ州独立問題で
スペインの首相は「(カタルーニャ州の)独立阻止のためどんな措置も排除しない」としました。
アジアなど遠くの人にとって「おもしろい」のかも知れませんが、スペインやカタルーニャ関係者にとっては、人ごとではありませんね。
この逆で、きっとヨーロッパからすれば朝鮮半島の南北問題など大したことがないと思っている人が多いのか、平気で中国に肩入れし、市場の大きさにだまされていると見る人が出て来るのでしょうが、アジアにある日本からすれば人ごとではありません。
美宇、佳純アウト、中国卓球が日本選手排除する理由:日刊スポーツ2017/10/5
中国の卓球界が、閉鎖的になり始めました。
外国人の受け入れに積極的だったはずの中国卓球界でしたが、いつものように中国共産党の声がかかったのでしょうか、一斉に日本人も排除し始めまたのです。
最近の中国トップ選手に若手日本人が勝ち始めたのは看過できない「異常」事態だとみた中国共産党は、3年後に開催される2020年の東京五輪を想定して、弾圧で引き締めなければならなかったようです。
なんでも勝手に決められる文字通りの朝令暮改(ちょうれいぼかい)は、独裁国の特徴で、楽ちん楽ちん!
去年2016年に台湾の卓球選手と結婚した日本の卓球選手福原愛は、以前この中国卓球界のスーパーリーグに参加していたようですが、その時から中国卓球界の何らかの前兆を感じとっていたのでしょうか。
米政府、ロシアのカスペルスキー製品排除へ:CNN 2017.09.17
トランプの弾劾も迫っており
ロシア製品の排除がどれほど効果があるか分りません。中国製品の排除もしているアメリカですから、それまでのアメリカ製の商品も又、アヤシイと言わざるを得ません。
というのはPC心臓部に関してはアメリカメーカーが世界を牛耳っているからです。
アメリカが世界の警察官を演じることはなくなったのかも知れませんが、重要なことに関しては依然としてアメリカ製が世界を牛耳らねばならないと考えているようです。
記者排除は「報道の自由を侵害」 沖縄タイムス社が抗議声明:沖縄タイムス 2016年8月23日
シリアでみられたように
ISは住民に紛れ込んで姿を消して攻撃から逃れようとします。
「沖縄タイムスの社員証を見せ、記者であることを訴えたにもかかわらず」「機動隊に強制排除された」だけしか伝えない沖縄タイムスなどですから、住民にまぎれて攻撃から逃れようとはしていない報道であることを記事にしておらず、私はなんとも言えません。
北朝鮮の外交官が、外交官特権と称して不法な行動に走っていたのではないかとされますが、これとは同じではないと証明することができるかどうか、私には分かりません。
普段の「報道機関としての取材をし判断を読者に委ねる」手法ではなく、むしろ「自らキャンペーンをはっている」沖縄紙だけに、それだけしっかりと立場を説明しなければならないと思います。
そういえば沖縄紙が
「中国で憲法で保障された自由がいかに侵害されているか」について報道したことがあっただろうかも、ひっかかるところです。
翁長知事が中国へ行っても、頭をなでなでしてもらいニコニコするだけで何も言えないのを見聞きしていると、翁長にとって知事の荷は重すぎると思われます。
日本国にありながら日本政府を排除しようとする沖縄タイムスが
報道の自由を侵害するとして記者排除を非難するのは、落語のようにおもしろいですね。日本の法律を干渉だとみなしているようですね。
地方交付額をもっと上げろというのと、外部の干渉を排除したい欲望と、記者排除を批判するのと、どんな関係になるのでしょうね。関係ありませんか。
もしも自分の利益になるかどうかだけの判断でものごとを決めるのならば、まるで韓国・中国そっくりです。
先日の衆議院選挙でも4区ある沖縄で、1~3は翁長知事がヨイショする集団ですが、八重山を含む4区だけで自民党が勝ち、かつての勢いを取り戻したようですが・・・・・・。
「All沖縄」ではなく「Oar沖縄」に過ぎないのでしょうか。そう「all」も「oar」も「オール」であり、沖縄といえば「ハーリー(ハーレ-)」ですから、oar(ろ・かい・オール)は欠かせません。
翁長の言う「オール沖縄」は「ろ・沖縄」だったのでしょうか。そういえばここ石垣島でも「ろ」ナンバーの車を、ときどき見ます(笑)。
学校の問題でも、いまなにより必要なのは、問題児や問題教師も含めて、異質なものをかかえこむことであって、それを排除しながら「国際化」を唱えると言うのは矛盾している。「みんな仲間」であることではなく、「仲間はずれ」の許容されることが重要なのである。:森毅 毎日新聞 1986.12.6夕刊
日本ではだいぶんよくなってきているはずですが、まだまだ問題があるようです。
この点で、矛盾一杯の国が、ご存じ韓国。この際、中国や北朝鮮は論外ですが。
そもそも韓国では
森のいう「異質を許容しない」がひどすぎ、しかも法律が矛盾だらけで、元来のうぬぼれ体質、儒教の序列意識などがからんで、もうにっちもさっちもいかない状況なのです。歴代の大統領が職を辞した後で不幸な老後を迎えるのが定番になっていることからも、よくお分かりだと思います。
とにかく「改善」を禁じられた韓国の儒教社会ですから、法体系を見直すなんてことはどだい無理なことですが、そんな韓国にさえ私は、幸あれと祈らずにはいられません。 ←祈ってばかりですね ←もう言い飽きたからですかね
韓国では、排除・差別から離れることはできず、左翼と右翼が交互に政権を取り合って、中国と同じで前の政権を全否定し報復するのが常識でした。
それで忙しいため外交なんかどうでもいいのですね。THAADミサイル配備で「環境問題」もちだしたのがその典型で、自分の主張を達成するために「環境問題」を持ち出すところなど、沖縄そっくり。いや沖縄が韓国そっくりと言うべきでしょうか(笑)。
免疫とは、一度病気にかかれば二度と病気にかからなくなる(かかっても軽くてすむ)現象をさしていたのだが、今は、体内に異物が侵入してきたときに、その異物を排除しようとする生体防御反応一般を指すようになっている。:P.116 精神と物質 利根川進・立花隆の対談集 文芸春秋 1990
生物には、もともと異物を排除しようとするところがある、ようです。
それでもって、なんとか自分自身が存続できるような仕組みができあがっているのでしょう。
サル集団を投げ与えると、ケンカをするように自分だけエサを取り、ほかの相手には与えないような行動に走るのをみても、よく分りますね。
ただし人間社会では
歴史が古いだけで「だましあい社会の中国」、および人間以外の動物、などをのぞけば、「法律」なるものを制定しその範囲内での自由を認めるようになってきました。これがほかの生物との違いですね。霊長類研究所や中国ウオッチャーの価値は、きっとそこにあるのでしょう。
今、中国が例外であると申し上げましたが、それは中国では「法が機能しておらず、ただ飾りとして外国人を取り締まるだけのもの」に成り下がっているところが見られるからです。
外国が「中国人に対する中国政府の対応を非難」すると「内政干渉だ」として受け付けず、国内弾圧でことを済ませております。もう論外なのがお分かりでしょうか。
こんな国へまだ進出しようとしている企業があるのには、驚きを越えて、何か不自然な作為を感じてしまいます。
干渉してくる外国人のために法律があり、内国人に対しては弾圧がまかり通りその代償としてワイロを要求できるのですね。
支那には家ありて国なく、支那人には孝ありて忠なし(徳富 蘇峰 とくとみ そほう 1863-1957):(その1 その2)
中国では、私ごとだけがあり、公の概念がない、という意味であり、それは100年前も今も、なんら変わりがありません。
私腹を肥やすという中国人の普遍的な生き方を見直さないまま、「汚職を使って汚職を撲滅する」なんて芸当は、まずできないでしょう。
文字の介在も原因の1つでしょうが、自分が食べるぶんだけではなく、ほかの人にも分け隔てなくエサが行き渡るように振る舞うのが、いかにも人間らしいところです。
しかし人間社会で、このルールが広く普及し始めたのは、つい最近のことであり、その勢いを凌ぐほどの人口増大が見られ、人類はいつまで経過しても食糧難から逃れられないようです。
政界は、どの国であれ、野合で成り立っているのでしょう。
「野合」を避けて「排除」しようとすると、信念を曲げて「野合」に走る人がでます。
奇妙なことですが「排除」が「野合」を生むのですね。
人は、まるで自分の欠点を洗いざらい告白するかの如く「野合批判」や「排除批判」に走りたくなるようです。
小池(こいけ)百合子は
まさか「排除が野合を生む」とは考えていなかったようで、だましあいの政界の内幕を知ったことでしょう。
「排除」がきつすぎる言葉だった、とされていますが、実は政界は「だましあいの世界」なのであり、これを婉曲に言ったのが「きつすぎる言葉だった」にあらわれているように思います。
「おいけ(小池)にはまって、さあたいへん」(こちら)でしょうか。
時と共に大きく変わる人の「変節」の例を少し挙げてみましょうか。
- トランプ:アメリカ改革党→民主党→共和党と変遷し、大統領に就任して9ヶ月の今、所属する共和党の重鎮を敵に回しています。
- 翁長雄志:自由民主党→自由民主党離党→無所属→沖縄県知事。翁長の説を支持する日本共産党や社民党という「斜陽」政党も沖縄では「まだ」元気です。うわさでは過激派や韓国からの騒ぎ屋もまた翁長を支持しているようで、いずれこれらを「排除」する必要に迫られることでしょう。
- 渡辺恒雄:日本共産党員→日本共産党除名→読売新聞社→その後の「独裁者を自負する」動きは皆様ご存じの通り
記事が長すぎたようで
いくつかにわけるべきだったのを、そうせずに1本の記事にしてしまったことを、お詫びする次第です。
さてさて、皆様はどう思われますか。