【ハコを作るだけがまちづくりではない⠀】
さてさて。
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今日は仕事帰りに何となく気になっていた新長田へ歩いて行く。
13000歩ほど歩いてみました。
綺麗に区画整理された道。
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こちらは震災当時焼け野原でした。
駅前に行きますと
高層ビルが立ち並ぶ。
仕事先のJR尼崎駅のよう。
ただ、大きな違いは
真新しい商業ビルの中に入っていくと、驚くことにシャッターを閉じたままの場所が目立つ。店舗スペースが大量に売れ残り、商店街を訪れる客もほとんどすれ違うこともない。
調べてみると、 震災後の神戸市はこの街を復興させようと、総事業費2,700億円の巨大開発計画、新長田駅南再開発事業考案。被災地を商業ビルや高層マンションなど44棟が建ち並ぶ「神戸の西の副都心」再開発計画を焼け野原の新長田で実行した。
幼少期に祖父母に連れて行ってもらった新長田は、高度成長期の経済をけん引した川崎製鉄(当時)や川崎重工、三菱重工などの大工場が隣接し、その下請けなどの町工場や住居、商店街が混在。神戸と言えば長田の靴と言われるように、靴が非常に盛んだった。商店街も活気があって、人と人のつながりのあるエネルギッシュな下町というイメージしかなかっただけに、このギャップにはいささか納得いかなかった。
震災後プレハブでも良いからお店を出したいという店主たちに対し、防災が大事と大きなハコを作ってしまった神戸市。
政令指定都市神戸市の人口減少理解出来た。
尼崎商店街に行くとお店の人とお話しながら買い物をする。顔が見える関係。
そう思って行ったものの、顔が見えた関係は、商店街の八百屋さんと回転焼きを買ったお店だけだった。
アーケードが高くなったわ、家賃もねっ
と、笑いながら言ってくれたお店の方。
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だんだん人とのコミニュケーションがなくなってきたのかもしれない。