Gメモリーズブログ

有限会社クリエイティブデザイン羽沢組

ゴジラヘッドお遊び写真

2015年06月11日 | 羽沢組的怪獣見聞録
お遊び気分で撮ってみた
ゴジラヘッド写真!!


すっかり東京・新宿のランドマークとなった新宿東宝ビル8階のカフェテラスにあるゴジラヘッド。ちょっとお遊び気分で、へそ曲がりな(?)写真を撮ってみました。



 すでにたくさんの方が写真を撮られてネットにアップしているゴジラヘッド写真。ウェブサイト、雑誌などでもたくさん掲載されています。定番の外の通りから見上げて撮られた写真をはじめ、ヘッドのすぐ近くでのものなど数多く見られます。
 ほとんどは似たようなアングルではありますが、カッコ良く撮られて紹介しているのも多数あります。ゴジラファン以外の方も含めて皆さん楽しんでおられるみたいですね。
 なので今日はこんな撮り方もたまにはおもしろいかも(ちょっとだけね)……な写真を撮ってみました。

 ちなみに、未だこのゴジラヘッドのすぐそばには一般の方が近づけないと勘違いされている方も多いようです。そんな事はありません。ビル内のホテルグレイスリー側のエレベーターを利用して8階に上がることができます。8階のカフェ利用であれば、ホテル宿泊客以外にもすぐそばまで行く事ができます。


 真下から!


 背びれ!


 ツメ!


 のどちんこ!


 写真中央の皮膚に触ると吼えてくれるよ!


 これがあるのはテラス右奥の下の方。見逃すな!


 夕方遅い時間だと影になってシルエット風に!


 ガラスにもしっかり写る!


 カフェのゴジラケーキ!


 他のメニュー!


 定番アングルだけど、夜7時になるとこれ!!

【他の定番写真も撮ってますのでこちらもどうぞ!】
●4月11日の記事
 オープニングセレモニー
●電撃ホビーウェブ
 同、紹介記事

TM&(C)TOHO CO., LTD.

初代ゴジラ見聞録・8

2014年12月02日 | 羽沢組的怪獣見聞録




8 奥が深い初代ゴジラ

 調べれば調べる程、初代ゴジラについては謎も発見も出てきます。それによっていろいろな推測も立てられて、楽しかったりじれったかったり……。資料なども限られているし、60年の歳月が流れているので、まだまだ奥が深いゴジラです。
 今回私自身も待ちに待った「初代ゴジラ」のソフビ化でしたので、いつもに増していろんな書籍を読みあさり、映像も何度も見返しました。デフォルメであってもやはりしっかり調べたい。むしろ、デフォルメなので強調すべき部分は確実に押さえなくてはならないと思ったのです。他社さんのソフビやガレキもいくつか持っていますが、失礼ながら「(いつものように)他人の造形を参考にしちゃダメ! (当たり前ですが)自分の判断だけで作らなきゃ!!」というのはいつもより強く思っての事でした。

 余談になりますが、今年発売された書籍「初代ゴジラ研究読本」(洋泉社)は、久しぶりにゴジラ本で感激した本です。『ゴジラ(1954)』についての発見もいろいろあります。おすすめです。奥付に私の名前があるのは、Gメモリーズの「初代ゴジラ」の原型が終わり、金型制作中ではありましたが、造形について担当の方と情報交換させていただいたためです(感謝!)。初代ゴジラが好きな人には嬉しい本です。

 造形や色などの部分を中心に、いつもソフビ新造形の度にいろいろそのゴジラについて調べるわけですが、今回の初代ゴジラについては今もまだまだもっと知りたい気持ちです。ファンの皆さんの中にもそう思っておられる方は多いと思います。
 早く『デジタルリマスター版』のBD化を待ちたい所です。各シーンをゆっくり見直す事でまた新発見があると思います。
 もしかしたら今回の「見聞録」での疑問や推測の一部が解決する所があるかもしれません。楽しみです!!

初代ゴジラ見聞録・7

2014年12月01日 | 羽沢組的怪獣見聞録




7 水かきと足の親指

 意外と知らないという方がいらっしゃるみたいなのが、初代ゴジラの手には水かきがあるという事です。親指と人差し指にあたる指の間にあります。
 1号スーツでは比較的しっかりとついていますが、2号スーツではそれに比べて控えめについています。劇中のセリフにあるように、水棲生物と陸上動物の中間に当たる存在としての怪獣ですのでそういった意図から付けられたのでしょう。ひな形には明確についていないので、スーツ作成時に付けるように考えられたと思われます。
 ただ、劇中映像ではシーンによってその水かきがついてないないんじゃないかと思える所もあるので、撮影の段階で取れてしまったりすり減ってしまったりしていた事も考えられますね。

 初代ゴジラの足の指は左右各4本ずつですが、撮影途中で親指にあたる内側側面の指が切断されています。2号スーツです。砲台前の有名スチールでは3本指です。
 あまり気にとめていなかったのですが、春にある方から言われて「いつからそうなっていたんだろう?」と気になり出しました。
 切断された時期や理由が明確に記載されている書物は今の所ないようです。関係者の方々も覚えておられる方はいないようなのです。
 1号スーツの第一カットの時に動き辛く転倒したエピソードからもわかるように、2号スーツでも少しでも動きやすくするためなどの理由である事は想像できるのですが、はたしてどのタイミングだったのか詳細が未だ気になる所です。
 劇中シーンでも、残っている多くの写真でも、スーツの足下が写っている箇所は少ないので、どのシーンが4本なのか、3本なのかは不確定。足のアップは切断された1号スーツと思われるので、ますますわかりにくいわけです。すでに3本指の各スチール写真が撮られたのは、傷み具合から推測して割と早い段階と思われるので、劇中シーンでも3本の状態の方が多かったのではないかと考えられます。
 と、すれば「初代ゴジラの足の指は各3本」の方が本来は自然なのかもしれませんね。

初代ゴジラ見聞録・6

2014年11月30日 | 羽沢組的怪獣見聞録




6 ゴジラの色

 初代ゴジラのスーツの色は何色なのか? ファンの皆さんはもちろんの事、特にフィギュアメーカーにとっては実に悩ます問題です。
 映像ではモノクロですし、カラー写真はありません。ポスターも人工着色しているものですから。現在はモノクロ写真や映像をカラーに再現できる技術もありますが、高価なので簡単にはできません。(『ウルトラQ』のようにカラー化してほしい気持ちもありますが、このままモノクロのままであってほしい気もあるので、個人的には何とも言えません)
 となれば、当時の関係者の証言に頼るしかないわけです。

 以前書きましたようにスーツの表面には制作過程でゴムが重ね塗りされていたとの事。何度かの「焼き」が入って硬化させて完成されたそうです。そのゴムの色はほとんど白に近いものだったらしく、でき上がってから着色されました。
 その塗料も書籍での証言には食い違いがあります。しっかり塗り固めるために油性ものと証言しているものもあれば、証明の反射を押さえるために艶が出ないように水性だったというのもあります。色も「黒」というのもあれば「青味がかかっていた」や「真っ黒ではなく黒に白を混ぜた灰色」もあります。書籍での発言が取材当時の証言通りに書かれたとしても、同じ方で時間の経過で証言が違う事もあるのです。古い記憶ですし、失礼ながら皆様ご高齢ですので記憶が明確ではない事も推測できます。
 映像や写真で明らかに黒であるもの(髪の毛や夜のシーンでの影など)と比較して見ると、ゴジラの全身は真っ黒ではない事は想像できます。モノクロ映画である事は前提としてわかっていたのですから、フィルムになった時にどう写るかが大事で、全身の色へのこだわりはほとんどなく彩色されたものであるだろうとは容易に想像できます。
 モノクロ映画ですから、陰影の表現は充分に考慮はされていたと思います。いくらライティングや演出で調整しても真っ黒であればそれが難しいと思われるので、シンプルな黒ではないと思われます。

 弊社は日頃「色」を扱う事の多い仕事です。ゴジラ関連のお仕事をさせていただく事も増えた近年では、たくさんのゴジラの写真を目にします。編集やデザイン業務でモノクロページに掲載するために、カラー写真をモノクロ(グレースケール)にする作業が多々あり、逆の見方で(あくまで感覚ですが)モノクロ写真の元の色がどの程度の彩度、濃さだったのかは想像はできます。
 そこから各写真だけを見て想像するに、全身はやや濃いめのグレー、足下や尻尾の下部分はおそらく何か、埃や汚れなどで何か別の色がついてしまっているように感じます。背びれの先端などは白系だったのが汚れなどで色がついてしまっていたりしたように見えますし、ツメなども真っ白ではないと推測しています。

 ビジネスとして成立するだろう事は予測されるので、もしかしたらいつかカラー化された『ゴジラ』(1954デジタルリマスター・カラーバージョン)が作られるかもしれません。その時までどんな色なのか想像できる時間があるのだ、それはそれで楽しいじゃないかと思う私です。

初代ゴジラ見聞録・5

2014年11月29日 | 羽沢組的怪獣見聞録




5 ゴジラの黒目はどっち向き!?

 ゴジラの眼球は卵状の形で木製で作られたそうです。
 1号スーツの黒目は正面を向き、2号スーツの黒目は下向き。ほとんどの写真や映像ではそのように見られます。下向きになった理由としては「人間を見下ろす……」云々と講釈が書かれているものもありますが、明らかに後年の書籍ライターさんの後付け。事実はわかりません。
 2号スーツに関しては、目の開閉ができるようになっており、糸で開米氏が操演をされていたそうです。1号スーツもおそらくそうなっていたと思われますが、完全なスーツ状態で使用されているシーンは少ないので、それらを示すものは見つけられませんでした。ただし、1号スーツは2号スーツ制作時には上下に分割されたのは前にも書きましたが、上半身ではさらに首からも切断され、頭部のアップ用に目だけではなく、口の開閉のギミックが仕込まれて使われています。

 2号スーツの黒目が下向きなのは今では初代ゴジラの定番なので、今では何の不思議もありませんが、よくよく考えると正常に(?)正面を向いている1号スーツを基準に作ったわけですから、不自然です。なぜこうなったのでしょう!?
 やはり当時のギミックの装着技術というのが一番の原因ではないでしょうか。各写真や映像で確認すると、同じ黒目が下を向いているように見えつつも微妙に黒目の位置は違う事がわかります。やや前向き……やや後ろ向き……と。初めの段階でやや下向きに付けられてしまったのではないかと推定できます。
 もちろん、ミニチュアセットでもわかる通り、当時はゴジラより大きい建物は少なく、見下ろすシーンが多くなるだろう事を考えてあえてそうしたとも考えられます。数少ない正面向きや見上げるシーンでは、1号スーツの頭部だけのものや別に作られているギニョール(皆さんご承知の通り顔の作りが大きく違うもの)を使用すればいいわけですから。スーツが全身写っていたり、引きの絵ではほとんど目の開閉はほとんどないようです。
 また、当時のスーツのクオリティを考えれば、撮影中に眼球が振動や衝撃で動いてしまったりは多々あったでしょうし、固定すら難しかったと思われます。自然に黒目が回り込んで下向きになったのも不思議ではありません。

 ただし、数少ない2号スーツがちゃんと正面に黒目が向いている写真も残っています。宝田さんや河内さんと写っている宣材用のスチールなどでは黒目は正面を向いているものがあります。おそらくこれは宣材用に手で動かして位置を調整したのではないかと推測しているのですが、(モノクロなので不確かではありますが)、スーツの傷み具合から考えて撮影前半の時期ではないかと思います。だとすれば、まだ眼球位置がある程度自由に調整できる時期だったのかもしれません。
 いずれにしても円谷監督や当時のスタッフの証言の中にも、黒目の位置に関する記述は残されていないようですので、どの程度までこだわっていたのか、意図はあったのかは推測でしか探るしかないようです。

初代ゴジラ見聞録・4

2014年11月28日 | 羽沢組的怪獣見聞録




4 背びれの開きの謎

 写真でも多くの劇中映像でもそうですが、初代ゴジラの背びれにはその後のゴジラに比べて大きな特徴があります。
 上から2つ目と3つ目が大きく開いています。いろいろ調べていくうちにそれが解決しました。
 1号スーツの制作写真はいくつか残っており、そこでは背びれの開きはありません。均等に並んでいます。皆さんご承知の通り、1号スーツは重くて使い辛いために途中で上下に分割され、下半身は足のアップなどのシーンに多用されています。上半身だけのものは下半身に比べて使用頻度が少なかったと思われ(首の部分で切断されて頭部は口の開閉などのギミックが仕込まれアップ用に使用されました)、分割後の写真や資料などはかなり少ないようです。ですからこの時の背びれの状態がわかるものはほとんどありません。

 一方の2号スーツ。少しばかりですが、制作時の写真がいくつかあります。はっきりと背びれだけが写っている写真はないのですが、斜めやシルエットなどから判断して、ここでも背びれは均等の並びで作られているようです。
 前に書いた開米栄三さんが入った2号スーツゴジラのスチール写真では、後ろや横のアングルはないのですが、斜めからの推定と、他のオフショット風の開米さんか入ったと推測されるスチールでは、2番目と3番目の背びれに開きは感じられないのです。
 ではなぜ多くの写真などで背びれがそのようになってしまっているのか。
 それは中島さんの身長が原因であると思うのです。
 ゴジラのスーツの中、足の下には板が入っており、鼻緒がついて下駄状になっており、それで歩いたりしていたそうですが、重量のせいで相当な運動量だったそうです。しかも尻尾は後年のゴジラとは違い、吊って操演で動かしていた事はほとんどなかったそうです。制作の過程でもわかる通り、あの長さと太さでは尻尾だけでも相当重かったはず。中島さんが装着している風景写真や、2号スーツを脱いだ状態の写真でも尻尾だけは形をとどめてあるのがわかる事からも尻尾の重さは感じられますし、特にお尻の下、尻尾の付け根部分は太く芯もしっかりしてあるはずですので、それらは推定できます。その尻尾を引きずるわけですから、歩くだけでも重心が下や後ろに引っ張られて大変だった事でしょう。
 中島さんの身長からして、2号スーツではお腹から腰、膝から足首までの間にしわやたるみが出やすくなっている事がわかります。人が入っていない状態での2号スーツの写真でもそれらはわかります。つまり背中で言うと、3番目の背びれの高さから下なのです。
 重くて引きずるしかない尻尾、動かしにくい下半身を中島さんの運動量で無理矢理的に動かしていた事を考えれば、常に腰から下の部分が強引に引っ張られた状態になるのは必然。3番目以降の背びれがどんどん下に向くわけなのです。なので2番目と3番目の背びれが開いていくのは当然と言えるでしょう。明らかに意図的ではなく、イレギュラーでそうなってしまっているというわけです。

 この謎がわかっただけではなく、この検証だけでも、中島さんが実に大変な仕事をされたのかというのもよくわかります。あらためて尊敬してしまいます。

初代ゴジラ見聞録・3

2014年11月27日 | 羽沢組的怪獣見聞録


3 2号スーツのいろいろ

 ゴジラを演じていたのは手塚勝巳さんと中島春雄さん。
 ベテランの手塚さんが入ったゴジラが国会記事堂を破壊するシーンが、撮影時のゴジラの第一カットだったらしい事は語られていますが、スーツが重く最初は失敗だったそうです。後にあまりやりたがらず、若手だった中島さんがゴジラのメイン所を多く担当されるようになったのはよく知られています。
 お二方がどのシーンの時にゴジラに入っていたか、中島さんが覚えてらっしゃる所は間違いないと思いますが、曖昧な記憶の所は中島さんだったのか、手塚さんだったのかは体型による差で出ていただろうスーツのしわやたるみで判断するしかないようです。小柄な中島さんとがっちり体型の手塚さんで当然違いがあるからです。

 2号スーツは入る人の体型で大きな差がわかる例としては、スチール写真があります(その点、1号スーツよりも2号スーツの方が柔らかかった事の証明でもあります)。
 当時の役者さんの契約条件では撮影時とスチールとは別だったらしく、スチールでの写真は基本的にスタッフが入っていたとされています。誰もが知っている砲台の前に立つゴジラのスチールは、当時造形助手だった開米栄三氏。開米さんは身長が180cm以上あったそうです。160cm代だった中島さんとは大きな差があります。そのため、劇中とは違い、同じ2号スーツでも皮膚の張りが全然違う事がわかります。他のスチールでも河内桃子さんとゴジラが並んだものや、宝田明さんたちと一緒の写真もスーツの張り具合から見て開米さんではないかと推測しています。
 これも不確かなので私の推測ですが、劇中でも開米さんじゃないかと思える2号スーツの張り具合があるので、もしかしたら可能性はあるんじゃないかと勝手に思っております。
 また、シーンによって当然スーツは傷んだり、傷つくたびに修復するわけです。ゴムを重ね塗りして塗装も足して……。近年の着ぐるみよりも技術的にも材料的にも元の形にするのは容易ではない事が想像されます。同じ2号スーツ、同じ中身の中島さんだったとしても、シーンによってしわやたるみの差は出ているはずです。それを探りながら見るのもまた『ゴジラ』を観る楽しみの一つにしてもいいかもしれませんね。

初代ゴジラ見聞録・2

2014年11月26日 | 羽沢組的怪獣見聞録



▲「初代ゴジラ スタンダードカラー」(完売)

2 1号スーツと2号スーツ

 ご承知の通り「初代ゴジラ」のスーツは2つ作られています。通称で1号スーツ、2号スーツと呼ばれています。古い書籍では1号スーツが重すぎて使えなくて急きょ2号スーツを作ったと記載されている物がありますが、それは間違いで、初めから2つ作られるのは予定通りだったのは近年の書籍で語られています。
 ただ、1号スーツが重すぎたのというのは今でも語られている通り。正確に重さを量った事はないと思われ、人によってそのおよその数字がまちまちの記憶です。多くは100kgぐらいとされています。
 1号スーツの反省を活かして作られた2号スーツはいくらか軽くはなったとされていますが、この2号スーツの重さについては1号スーツより人によって数値が違いすぎるようです。2号スーツが100kgという方もいらっしゃるので。

 1号スーツと2号スーツは、体型の細部、顔一つ見ても違いはわかりますので、ここではその違いについては触れませんが、それらの特徴の差よりも顕著に違うのは皮膚感である事がわかります。早い話が「たるみ」や「しわ」のつき方です。
 これは作る過程での違いにあるようです。
 書籍によると、針金や竹などで骨組みを作り、それに和紙を貼り、布を貼って芯を作ります。それにゴムを重ね塗りして、芯を抜いてから焼き、さらにまたゴムを塗って……と繰り返して形を作られたようです。
 なにしろ本格的な怪獣映画の着ぐるみを作るのは当時おそらく初めての事。ノウハウがありません。試行錯誤を重ねての制作であった事は多くの方々が語られています。厚くゴムで塗られた上にモールドを加えられているので、そのため、堅く動きにくく、なおかつ重い。
 2号スーツでは不要な行程は省き、皮膚の重ね具合も1号より減らされたと思われます。そのため多少は1号スーツより柔らかくなり、しわがつきやすくなるのです。必然的に場所によってはたるみも出ます。
 そしてさらに、これらの2号スーツのしわやたるみは、中に入るスーツアクターによっても大きく差が出ている事がわかりました。

 続きはまた明日。

初代ゴジラ見聞録・1

2014年11月25日 | 羽沢組的怪獣見聞録



▲「初代ゴジラ プラックバージョン」(完売)

1 まだまだある「初代ゴジラ」の発見

 この夏Gメモリーズセレクションで発売した「初代ゴジラ」2つのカラーについては、いつもと違い特に大きな告知や宣伝はしていませんでした。弊社がゴジライベントやゴジラ関連の書籍の業務で忙しかったせいもありますが、いつものようにこだわった所や商品詳細をしたかったのですが、それらをここで紹介する前に完売してしまったため後回しにしてしまいました。
 新規造形商品は、そのこだわりや詳細の前にはそのキャラクターについての「見聞録」として弊社なりの調べてわかった事や独自の解釈を書いてきましたので、今日から数回に分けて「初代ゴジラ」についての「見聞録」を書きたいと思います。


 今回、Gメモリーズで新規造形商品として発売するにあたって、粘土原型制作の前に、いつものように映像はもちろん、いろいろな書籍などで造形に関する物を調べてみました。もちろんソフビ造形のためなので、造形に関する物中心です。

 今から60年も前です。書籍にしてもどこまで信じていいのかは疑問が多々あります。書籍などで語られている当時のスタッフ、関係者の方々のコメントや記事は、100%事実とは限りません。時間がだいぶ経っていますから、間違って記憶されていた事もあるでしょうし、誤った解釈でライターさんが書かれただろうものもあります。ましてや失礼ながら、ご高齢の方も多いのでアバウトに答えられているかも……と思われるものもあるわけです。
 それらをふまえて映像と照らし合わせていくつかわかったこともありました。
 ひとつひとつ「この本のこの記事、文章は明らかに違う!」をあげるつもりはありません。それは皆さんで判断していただければと思います。

 残念だったのは、タイミングとして粘土原型が完成する前に「デジタルリマスター版」を観る事ができなかったことです。結果的に特にそれによって造形を変更する部分は見当たりませんでしたが、個人的なモチベーションが違っていただろうなぁという点。変更する部分が見当たらないというのはあくまでデフォルメだからです。もしリアルタイプの商品造形でしたら間違いなく後悔していました。Gメモリーズのデフォルメで強調する程ではないものの、細かな特徴のいくつかを見つけられたので。
 そういう意味では、今回の商品がデフォルメで救われたと言う事でした。

 続きはまた明日。

モスゴジと名古屋城 その3

2013年07月11日 | 羽沢組的怪獣見聞録


3.今とは違う当時の名古屋城

大きな違いは屋根の色
『モスラ対ゴジラ』に登場した名古屋城。再建されて現在に至るまで何度か改修されています。今現在見られる名古屋城は『モスラ対ゴジラ』に登場した頃のものとは実はだいぶおもむきが違う事がわかります。

 一番目についたのはゴジラが破壊した天守の屋根の色。現在はきれいなライトブルーで、名古屋城と言えばそれが当たり前のような印象を持っておられる方も多いと思います。
 いつくか調べてみた所、1959年の再建当時の屋根の色は赤茶色のような色だったようで、やや地味な感じの印象です。
 ですから『モスラ対ゴジラ』に登場した名古屋城は現在のものとは違い当時の色、屋根がライトブルーではないのです。気がつかれなかった方は今度その辺も注目してみて下さい。
 また後の『ゴジラVSモスラ』でも名古屋城は登場しますので、城の様子や周りの風景の違いを楽しむのも時代の流れを感じて楽しいかもしれません。
 現在は本丸御殿を再建中との事らしいので、それが完成したらまた次の怪獣映画に登場するかもしれませんね。

 余談ですが先日作ったイメージ画像での名古屋城は近年のもので、かなり加工処理をしています。屋根の色も劇中当時の色をイメージして作り替えています。なかなか古い写真、ないんですもの(笑)。
 なかなか名古屋方面にいく機会がないのですが、いつかいくチャンスがあればしっかり現在の名古屋城を観察してこようと思います。
 もう一つ余談。昔バンダイの食玩モスゴジを買った時、それに合わせて作ろうと思って名古屋城のプラモを買った事があります。未だに作っていない私でした(泣)。

モスゴジと名古屋城 その2

2013年07月10日 | 羽沢組的怪獣見聞録


2.ゴジラの破壊シーン

名古屋城破壊シーンのエピソード
『モスラ対ゴジラ』でゴジラが名古屋城を破壊するシーンは、リハーサルにない予定外の撮影エピソードがあったのはファンの間でも知られています。
 ゴジラ(中島春雄さん)と操演とのタイミングが悪く、ゴジラが寄りかかるように名古屋城の天守にぶつかってしまったのは劇中シーンでも見られます。足を滑らせるシーンとゴジラが暴れるように天守を破壊するシーンは別に撮り、それを編集で上手くつなぎあわせた円谷監督の演出で一連の流れに見せているのです。このエピソードは中島さんの自伝「怪獣人生」でも書かれています。
 イレギュラーであってもゴジラ映画の名場面として今でも語られるのですから、円谷特撮の面白さと素晴らしさがよくわかります。

 劇中でゴジラは名古屋市内を蹂躙した後に名古屋城に向かいます。エキストラによる避難シーンも登場しますから、いくつか名古屋城やその付近での撮影ロケをしている事がわかります。
 ゴジラが名古屋城付近に現れ、近づいて、足を掘りに滑らせて天守にぶつかる…。
 カットのつなぎで自然に見えていても、ゴジラの進む方向が不自然に見えました。これは先日のイメージ画像を作るためにいくつか名古屋城の写真や配置を調べてみて感じた事です。名古屋城の天守の近くにゴジラの頭が見えるカット(本物の名古屋城とゴジラ合成)から、足を滑らせて倒れるカット(ミニチュア)につなぐとしたらわざわざゴジラは回り込んでからそうした事になるのではないでしょうか? 建物の配置、城全体の配置を考えても「あれ?」と思ってしまいました。
 すでに気がつかれていたゴジラマニアの方や当時の名古屋城をよく知る方々はいらっしゃるかもしれませんが、私は長年何度も作品を見てきて初めて気がついた事でした。
 知ったかぶっていくつか書いておりますが、私は城には詳しくはありませんし、名古屋城にも行った事はありません。だから私のような名古屋城に行った事のない者にとっては編集の上手さで気がつかなかったのでしょう。
 また、方向のおかしさを指摘するのは私の間違いかもしれません。
 現在の名古屋城と当時の名古屋城の各建物の違いや見え方、風景に詳しい方がいらっしゃいましたらぜひ教えて下さいませ。

モスゴジと名古屋城 その1

2013年07月09日 | 羽沢組的怪獣見聞録


1.ゴジラと名古屋城の関係

 先日日ここで掲載した「モスゴジ グリーンバージョン」のイメージ画像
『モスラ対ゴジラ』でゴジラが名古屋城を破壊するのは有名なシーンなのですが、その破壊直前をイメージして作ったのがあの画像です。
 作成前に何度かこのシーンを確認するために映像を見たのですが、気になった事がいくつかありましたので、そんな話を少し。


ゴジラはどうしてに名古屋城を破壊したのか?
 なぜ『モスラ対ゴジラ』では名古屋城破壊シーンがあったのか…。
 勝手な推測ですが、いくつかその辺を並べてみます。
 倉田浜から出現したゴジラが移動の過程で東海地区を席巻するのですが、東海地区の大都市は名古屋。名古屋市内はもちろん、その中でも名所である名古屋城を入れようと考えたのは自然と思われます。
 最初の『ゴジラ』の舞台は主に東京。次の『ゴジラの逆襲』は主に大阪です。『キングコング対ゴジラ』では東京~富士山麓~熱海と舞台を変えて物語は展開しています。次の大きな都市としてチョイスされたのが名古屋というのは意図的だったのかとすら思えます。
 つまり名古屋を通過させるためにゴジラの出現地を倉田浜にしたのではないかとすら思ってしまいました。

 もう一つの大きな理由として、当時としては全国的に名古屋城が注目されていたと思われるからです。
 戦中は空襲などで名古屋城はほとんど全壊とも言える状況だったそうです。
 文化財産として、名古屋のシンボルとして再建を望む動きがあり、再建されたのが1959年。つまり『モスラ対ゴジラ』公開のわずか5年前。
 名城でもあったことだし、城としての規模も大掛かりだったこともあって全国的に注目されていたであろう事は想像できます。
 国内のタイムリーな注目スポットを怪獣が破壊する…このパターンは後々の平成の時代になっても受け継がれていた事を思えば、このゴジラと名古屋城の関係はゴジラ映画の歴史の中では大きなポイントのひとつかもしれません。
 まあ、理屈抜きに怪獣がハデに大きな建物をぶっ壊すのは見ていて気持ちいいですものね(笑)。

75ゴジラ見聞録3

2013年04月15日 | 羽沢組的怪獣見聞録


3.その他の違いと特徴

 今日は頭部以外の部分の前2作のゴジラとの違いや特徴について。


▲画像は「75ゴジラ」の原型です。

ボディと背びれについて
 頭部以外は基本的に前作「74ゴジラ」の劇中スーツをそのまま流用していると思われます。
 ボティ全体は、前2作でかなり対戦怪獣と格闘していますし、ビームやらミサイルやら光線を浴びてたくさん被弾しているので、何度も皮膚のモールドは撮影中、撮影前には修理したと思われます。が、その損傷はかなり激しいようで、映像ではわかりにくいのですが、写真で見る限り「75ゴジラ」の時にはかなり表面全体が痛んでいるのがわかります。ゴジラの皮膚の特徴であるボコボコのモールドが崩れた感じの所があるし、はがれているのもわかります。
 全体のフォルムも「74ゴジラ」に比べてややたるんだ感じに見えるケースもありました。映像で「メガロゴジラ」と比べていただければ、「メガロゴジラ」の体の張りが「75ゴジラ」と違うのにお気づきになると思います。(弊社商品ではその表現はしていません。かわいそうで…笑)

 個人的に気になったのは背びれです。
 新規造形された「メガロゴジラ」スーツの背びれの大きな4枚は、順番を変えられて「74ゴジラ」に付け替えられました(理由は単純な間違いが有力な説)。「75ゴジラ」はそのまま「74ゴジラ」の順番のままで付けられています。
 ですからそのまま前作同じと思っていた「75ゴジラ」の背びれですが、映像で見るとどうしても太くなっているように思えてなりません。流用スーツではあるものの、撮影前には当然表面の補修はすると思われ、その際に細かな凹凸部分は付け足されたのではないかと思うのです。もしかしたら全く同じ可能性もあるのですが、太く見えたその感覚を信じて弊社商品では若干太く新規造型しました。
 よろしければそれぞれで映像で見比べて違いを探してみて下さい。

 商品としての「75ゴジラ」のこだわりは近日改めて書きたいと思います。
 すでに発売している「メガロゴジラ」「74ゴジラ」と比べてみるのも楽しさの一つと考えておりますので、あまり違い等に詳しくなかった方々には昭和シリーズ後期流用スーツ3作を揃えていただいて、ぜひご自身で楽しんでいただければ嬉しく思います。

メガロゴジラ 「ブラックバージョン」「グリーンバージョン」発売中!!
74ゴジラ 「ダークブルー」発売中!!

75ゴジラ見聞録2

2013年04月14日 | 羽沢組的怪獣見聞録


2.頭部の違いについて

 流用3作の劇中スーツの「メガロゴジラ」「74ゴジラ」「75ゴジラ」の違いについては、以前「見聞録」に書いているので、今日は少しだけ補足です。


▲左から「メガロゴジラ」「74ゴジラ」「75ゴジラ」の頭部パーツ。いずれも原型です。

前作より雄々しく、ちょっぴり恐くなった顔
 これまで何度か書いてきましたが、「メガロゴジラ」(『ゴジラ対メガロ』1973年)は、新規造形の劇中スーツゴジラです。それを一部改修して作られたのが「74ゴジラ」(『ゴジラ対メカゴジラ』1974年)。さらにそれを改修・流用して作られたのが「75ゴジラ」です。
 ゴジラ昭和シリーズ後期3作のこの3つのゴジラは、良く似ているし、造形的に誤解されている箇所も多々あります。
 これらにつきましては以前「見聞録」(2011年12月10~21日掲載)に、この3つのゴジラの違いも含めて書いておりますので、そちらをご覧下さい。

 ●「見聞録」その1 ●「見聞録」その2
 ●「見聞録」その3 ●「見聞録」その4
 ●「見聞録」その5 ●「見聞録」その6
 ●「見聞録」その7 ●「見聞録」その8
 ●「見聞録」その9 ●「見聞録」その10

 前作の「74ゴジラ」は愛嬌のある親しみやすい顔のゴジラでした。一転「75ゴジラ」では雄々しく、やや恐い顔になるように新たに頭部パーツを新規造形して、前作のゴジラスーツに付け替えられています。
 前作で頭部パーツの損傷が激しかったので変えざるを得なかったのか、前作がかわいすぎたので恐くしたのか、理由は諸説あって書籍等でも明確には記載されていません。
「メガロゴジラ」と「74ゴジラ」はかなり似ているので、違いがわからず同じと誤解されている方が多かったのに対して、「75ゴジラ」ははっきりと違いがわかる造型になっているので、こちらは間違える方は少ないようです。ただ、『メカゴジラの逆襲』公開前のマスコミ用のスチール写真では前作の「74ゴジラ」がそのまま使われているので(その点からすると頭部損傷のために変えられたという説は否定できるでしょう)、そこで混乱されている方はいらっしゃるようです。
 今回、こうして「75ゴジラ」を商品化させていただくので、頭部パーツを比べた原型の写真を並べてみました。ディフォルメとはいえ、それぞれの違いや特徴は表現したつもりですので、見比べていただければ幸いです。

75ゴジラ見聞録1

2013年04月13日 | 羽沢組的怪獣見聞録


1.ゴジラの名称について

 4月28日発売予定の「75ゴジラ」を控えておりますので、今日から少し「75ゴジラ」についての事を書きたいと思います。購入する上での楽しみのプラスアルファになっていただければ幸いです。


▲画像は監修中の原型です。

あなたは何と呼びますか?
 この『メカゴジラの逆襲』(1975年)に登場したゴジラを、弊社では「75(ななご)ゴジラ」と呼称しています。これは版元の正式名称ではなく、東宝様に許諾いただいたGメモリーズセレクションの商品名です。
 皆さんはこれまで、この『メカゴジラの逆襲』に登場したゴジラを何と呼んでいたでしょうか?
 弊社商品「74ゴジラ」や「メガロゴジラ」を発売した際に、お求めいただいたお客樣方にこの「75ゴジラ」のリクエストを何度かいただきました。が、その際のこのゴジラの呼び方が実に様々。
「75年のゴジラ」「メカゴジラの逆襲のゴジラ」「メカ逆ゴジ」「メカゴジラ2と戦ったゴジラ」「チタゴジ」「ゴジラ1975」…etc。あまりにも違うので、ネットの個人サイト等で語られるのをいくつか見たのですが、ここでも人によって違うのです。
 他のゴジラに比べて愛称の統一感がまるでないゴジラである事がわかります。ゴジラの中では珍しい方かもしれません。

 元々「初ゴジ」「キンゴジ」「モスゴジ」といった略称は、それぞれの作品に出てくるゴジラではなく、古いファンが作品そのものを略して呼称していたのが始まりのようです。
 推測ですが「○○ゴジ」「○○ゴジラ」などの言い方は、VSシリーズがヒットし、続けて作品が作られるようになってから過去の作品も含めて、ゴジラがどの作品のものであるかわかりやすいように、各ゴジラを略したりなどしてファンが呼称し始めたのではないかと思うのです。
 さらに、後発の弊社もそうなのですが、ガレージキットメーカー(&個人ディーラー)、ソフビメーカーがそう言った名前でゴジラ商品を発売したため、そのような愛称が広く知れ渡るようになったのではないかと思うのです。
 ただ、そういった呼称付けの始まりの頃はまだ『メカゴジラの逆襲』が高い評価を受けていなかったため、この時のゴジラを愛称で呼ぶ機会が少なく、ファンの呼び方も様々になってしまったのではなかろうかと推測しています。

 もちろん、絶対にこの名前!! と決めつけるつもりはありませんので、ファンが好きなように呼べば良い訳です。
 が、弊社商品をお求めいただく際は「75(ななご)ゴジラ」とおっしゃっていただければ混乱がなく用意できますので、その点はご協力の程お願い致します。