宝田明さん
すでに多くの方がご存知かと思いますが、俳優の宝田明さんが3月14日にご逝去されました。
宝田さんといえば第一作『ゴジラ』(1954年)の主役を務められ、その他『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『怪獣大戦争』(1965年)、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)、『ゴジラVSモスラ』(1992年)、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)にも出演されたゴジラ映画を代表する俳優さんで、多数の映画やテレビドラマ、舞台などでも活躍され、特撮ファンのみならず一般にも広く知られる俳優さんでした。
弊社としても私個人としてもイベント関連でお会いさせていただく機会があり、何度かサイン会のお手伝いをさせていただいたり、車での送迎も担当させていただいたこともあります。大変お世話になりました。
多くのファンの方がお気づきかと思いますが、ファンの方へのサインはひとりひとりフランクにお話しされ、その方に合った言葉を添えてサインされます。ほとんどが筆です。一枚一枚心がこもっているのがわかるんです。
宝田さんのすぐ横でお手伝いさせていただいた時、予定よりたくさんの方が並ばれ少しお疲れの様子を感じたので、途中で「もしよろしければ少し休みましょうか」と声をかけさせていただいたんですが、「皆さんが並んでるんだから」とずっと休まずに続けられたのが印象に残っています。
横浜で開催された大ゴジラ特撮王国の時のサイン会の終了時には、宝田さん付きの私と水野久美さん付きだった家内に宛ててサインに「夫唱婦随」の言葉を書いてくださいました。我が家の家宝です。毎年いただく筆の直筆年賀状も大切にしています。
仕事柄、インタビューなどで俳優さんや著名な方へのインタビューの機会があるので、そういった方とお会いしても緊張はほとんどしないのですが、宝田さんは別格です。第一作『ゴジラ』の主役ということもあるのですが、そばにいても大スターという目に見えない何かがあり、こちらからは気さくに声をかけられないのです。ダンディーでカッコ良く、80歳を過ぎた後でも背中や腰が曲がっている様子はなく、180cm以上の身長で姿勢も良くて本当に大スターでした。
私の車に乗っていただいた時は、流石に緊張しました。運転して緊張したのは人生でこの時が唯一です。緊張でどんな話をしたのか覚えていませんが、嬉しかったですね。車から降りられた後はすぐに宝田さんの方から手を差し伸べていただき、「ありがとう」とガッチリ握手していただきました。大切な思い出になりました。
手塚昌明監督が撮られた横浜での大ゴジラ特撮王国のウェルカム映像の撮影時には、取材を兼ねてスチールも撮らせていただいたのですが、手前味噌ですがカッコ良く宝田さんを撮らせていただいたと思っています。と、いうより宝田さんがかっこいいんですね。
お歳を取られてもずっとお元気で我々ファンの前にお姿を見せていただけれるものだと勝手に思っていたところがあります。
ゴジラの書籍のコンプリーションシリーズでは残念ながら、宝田さんの出演作の書籍はまだ作っていませんでしたから、ここでのインタビューはかないませんでした。その時が来たらぜひインタビューをとずっと思っていました。残念でなりません。
最後にお会いしたのは、日比谷でのゴジラ・フェスに登壇されたあとにご挨拶させていただいた時でした。その時もがっちり握手していただきました。
ダンディーでかっこいい宝田さんにもう一度お会いしたかったです。
大変お世話になり、素敵な作品を残していただきありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
すでに多くの方がご存知かと思いますが、俳優の宝田明さんが3月14日にご逝去されました。
宝田さんといえば第一作『ゴジラ』(1954年)の主役を務められ、その他『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『怪獣大戦争』(1965年)、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)、『ゴジラVSモスラ』(1992年)、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)にも出演されたゴジラ映画を代表する俳優さんで、多数の映画やテレビドラマ、舞台などでも活躍され、特撮ファンのみならず一般にも広く知られる俳優さんでした。
弊社としても私個人としてもイベント関連でお会いさせていただく機会があり、何度かサイン会のお手伝いをさせていただいたり、車での送迎も担当させていただいたこともあります。大変お世話になりました。
多くのファンの方がお気づきかと思いますが、ファンの方へのサインはひとりひとりフランクにお話しされ、その方に合った言葉を添えてサインされます。ほとんどが筆です。一枚一枚心がこもっているのがわかるんです。
宝田さんのすぐ横でお手伝いさせていただいた時、予定よりたくさんの方が並ばれ少しお疲れの様子を感じたので、途中で「もしよろしければ少し休みましょうか」と声をかけさせていただいたんですが、「皆さんが並んでるんだから」とずっと休まずに続けられたのが印象に残っています。
横浜で開催された大ゴジラ特撮王国の時のサイン会の終了時には、宝田さん付きの私と水野久美さん付きだった家内に宛ててサインに「夫唱婦随」の言葉を書いてくださいました。我が家の家宝です。毎年いただく筆の直筆年賀状も大切にしています。
仕事柄、インタビューなどで俳優さんや著名な方へのインタビューの機会があるので、そういった方とお会いしても緊張はほとんどしないのですが、宝田さんは別格です。第一作『ゴジラ』の主役ということもあるのですが、そばにいても大スターという目に見えない何かがあり、こちらからは気さくに声をかけられないのです。ダンディーでカッコ良く、80歳を過ぎた後でも背中や腰が曲がっている様子はなく、180cm以上の身長で姿勢も良くて本当に大スターでした。
私の車に乗っていただいた時は、流石に緊張しました。運転して緊張したのは人生でこの時が唯一です。緊張でどんな話をしたのか覚えていませんが、嬉しかったですね。車から降りられた後はすぐに宝田さんの方から手を差し伸べていただき、「ありがとう」とガッチリ握手していただきました。大切な思い出になりました。
手塚昌明監督が撮られた横浜での大ゴジラ特撮王国のウェルカム映像の撮影時には、取材を兼ねてスチールも撮らせていただいたのですが、手前味噌ですがカッコ良く宝田さんを撮らせていただいたと思っています。と、いうより宝田さんがかっこいいんですね。
お歳を取られてもずっとお元気で我々ファンの前にお姿を見せていただけれるものだと勝手に思っていたところがあります。
ゴジラの書籍のコンプリーションシリーズでは残念ながら、宝田さんの出演作の書籍はまだ作っていませんでしたから、ここでのインタビューはかないませんでした。その時が来たらぜひインタビューをとずっと思っていました。残念でなりません。
最後にお会いしたのは、日比谷でのゴジラ・フェスに登壇されたあとにご挨拶させていただいた時でした。その時もがっちり握手していただきました。
ダンディーでかっこいい宝田さんにもう一度お会いしたかったです。
大変お世話になり、素敵な作品を残していただきありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。