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地方自治の危機(追記35)…「日報」に事寄せて

2018-05-07 12:55:17 | 地方自治
 防衛省は、無いと言っていた「自衛隊イラク派遣」の日報を1年も経ってから公表した。よく公表したものだとも思うが、現地にいる隊員が書き送ってきた書類が「どこにあるか分からない」、あるいは「すぐに廃棄した」とは、国会の答弁に都合の悪い事実を隠すためであろう。
言うに事欠いて、「どこにあるか分からない」とは、自己の基本的な管理能力の無さを言っているのであって、まともな仕事をしていないことを白状しているのと同じである。命を掛けて書き送っている隊員が知れば、とてもやっていられないと思うのではないか。

ブログに「政治の話は書かない」と言っていた友人が珍しく、「日報問題で一言」という文を書いていた。メーカにいたときに、長期出張などで「日報」を書いたことがあるという。彼は日報に、自分が現地で苦労していることを書いてもオフィスからはほとんど応答が無かったか、むしろ叱られることもあった、と書く。

わたしの経験では、会社の上層部が日報を要求するのは、納品した設備をいつ客先が検収して支払いをしてくれるかを知りたいのであって、今日はどこまで仕事が進んだかかが最大関心事である。うまく行っていない時には非常に書きにくい日報であるが、一生懸命やったことを書いた。感情はかけないので、事実のみを多少は格好よく表現したことも思い出す。

 オフィスで日報を読む人間の資質にもよるが、現場の苦労に共感してやることが最低限必要である。会社などの日報は命の危険を伝えるものではないが、現場は熾烈である。いわんや命の危険を伝える自衛隊の日報においてをやだ。

私が現役時代に会社で鍛えられたことの一つに、製品開発の仕事で言えば、実験など一仕事を終えたら、報告書の形で文書を残すことを求められた。市役所には文書を残す習慣がなく、まとめ書を残さないから次の仕事が積み上がらないのだと具申したが、受け入れられなかった。
 最近は、国でも文書管理ができていない事を露呈している。市役所が文書を残さないのは、証拠を残さないためであることを国から学んでいる為かも知れない。文書を作るにはそれなりの努力を要するのに、文書を残す習慣のない所では、文書を作っても誰も褒めてくれないのだろう。なぜなら上司も同じ環境で育ったから。こうして後の施策は覇気のないものになっていく。

 私の区(町内会)の総会は、議事録に署名人制度があるが、自由意見などはまともに記録されないので、その意味が無くなっている。後に役立つ議論もなされないことのツケはボディーブローのように、目に見えない形できいてくる。
コメント
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