エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

(続)聖地巡礼

2016年08月22日 | スピリチュアル日誌

▲大土山「天の岩座」画像



先のブログ

「聖地巡礼」で紹介しました

「大土山」について

知人より興味深い冊子を紹介されました。




以下の画像が

その冊子の表紙です。








元宮家の

竹田恒徳氏のお名前が刻まれています。




▼竹田恒徳氏(ウィキペディアより転載)Click!





さて

冊子を読み進めていくと

所謂

霊能者と呼ばれる佐々木聡和氏に

神様よりメッセージが降ろされたらしく

その内容がここに記されています。











最終頁に寄稿している

溝口似郎氏についてですが

明治39年に広島県北部で誕生。

幼い頃から霊感が強かったらしく

詳細が以下のウェブページに

ありましたのでシェアします。




▼故溝口似郎師(NPO法人にっぽん文明研究所)Click!





ところで

天と地を繋ぐ岩座と言われる

「天ノ岩座神宮」

(あまのいわくらじんぐう)は

広島県安芸高田市甲田町上小原大土山に

御鎮座されています。





広島市内から

車で100分程度。

車を降りて山道を30分ほどで

この岩座に到着します。








ここは

古代から文化が形成されていて

古代祭祀の聖地であったと考えられています。



まだまだ不明な点が多いようですが

何やら特別な場所であることは

間違いないと思います。




ちなみに

昭和57年7月18日に

現地で撮影された

画像には「竜神」と思しき光が

写りこんでいるようです。

冊子からシェアします。





▼金の龍と言われる「難蛇竜王大神」が写った!?





「天ノ岩座神宮」のHPを

以下に添付します。





◎感謝
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聖地巡礼

2016年08月13日 | スピリチュアル日誌


お盆ですね。




地域によって

お盆の風習は違うようですが

8月13日から15日までの3日間が

仏教でいうところの

盂蘭盆会(うらぼんえ)=お盆

にあたります。





我が家は今年初盆にあたり

本日午前中、初盆合同法要に

参列させていただきました。






さて

喪中ということもあり

方々に出歩くことは

余り好ましくないようですが

ご縁をいただいた神社仏閣に

お盆を前にしたこの時期に御参りに

行ってきました。






いわゆる

「聖地」と呼ばれる場所では

神々しい光が降り注ぎ

涼やかな風が流れてくるなど

神の息吹を感じることが

頻繁にあります。






夏の猛暑にも関わらず

日陰でもないのに

とても心地の良い冷風が流れる

場所もありました。






気持ち良い空気感や

神々しさが伝わりますでしょうか?

画像を添付しますね。




▼山口県平生町「般若寺」









▼岡山県津山市「サムハラ神社」「金比羅神社」









▼広島県安芸高田市「大土山」










いずれの場所も

空は抜けるような青空で

鳥や蝶が賑やかに舞う

自然豊かな中にあります。






なかでも

「大土山」では目の前に

大きな鹿が現れたかと思うと

鳥居を潜って

あっという間に消えていきました。





画像には

気持ちの良い場所に導かれるように

筆者が写りこんでいるものもあります。






お盆のあいだは

出歩かないで

のんびりと過ごすつもりです。


◎感謝
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鎮魂の日

2016年08月06日 | 平和日誌

▲今日(8/6)の広島平和公園正面


今日の広島は

暑い一日でした。




今年の8月6日は

オバマ大統領訪問後

最初の記念式ということもあり

注目度も高いものがありました。





大統領訪問によって

平和への道のりに

明るいものを感じるかというと

世界情勢を鑑みると

頻発するテロ行為など

決して楽観できない状況が続いています。





大統領訪問時

広島も国も

米国に謝罪は求めない

という態度でしたが



「とにかく来てくれるんだから波風たてるのはやめようよ!」


という雰囲気づくりに

どうしても違和感を感じていました。






原爆投下で亡くなった御霊の多くは

今でもその理不尽な死に方を

受け入れることができていません。

現世に生かされている

私たちの価値観によって

“謝罪を求めない”

とした政治的判断を

どうして墓前に伝えることが

できるでしょうか?






原爆投下や東京大空襲が

真珠湾奇襲攻撃と同等に

扱われるような情報操作と

戦後の「平和教育」によって

日本の戦争責任のみを

信じ込まされていることに

いまだに

多くの日本人は気づいていません。






▲慰霊碑に並ぶ列(本日)




家族が理不尽に殺されて

殺した相手に対し

恨むな、謝罪を求めるな

とは常識的ではありません。





いたずらに

怒りを肯定している訳ではなく

あくまでも一般的な意見として。





今更

謝罪を求める意味は?

という声も聞こえます。





謝罪したところで

亡くなった人々は帰ってこない

のも事実です。





しかしながら

あえて言えば

原爆や空襲で亡くなった

一般の方々とともに





徴兵により海外で亡くなった

一般の方々の遺骨が

未だに帰国できていない

という事実がある。






米国に

謝罪を求めないという態度と

海外で亡くなった御霊を

放置してしまっているという

この国の現状をみるにつけ






先の戦争の痛手を

未だに日本は引きずりながら

あわせて

本当の戦争責任とは何かを

考えずに今日まで来てしまった

といわざるを得ません。









8月6日は

亡くなられた

おひとりおひとりの御霊に

哀悼の誠を捧げるとともに






マスコミ情報や

政治的な意見に

左右されることなく






私たち

ひとりひとりの生き方や

こころの在り方を

静かに

見つめ直す日でもあります。




◎感謝
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