須田郡司さんの著書
「日本の聖なる石を訪ねて」は
2011年に祥伝社から発刊されました。
いわゆる聖地と呼ばれる場所には
大小を問わず石が祀られていることに
気付く方も多いでしょう。
神道の祝詞には
「常盤(ときわ)・堅磐(かきわ)」
という
石の力を示す言葉が使われています。
聖なる地と石の関係は
古の時代からの習わしだったようです。
人々はなぜ石を信仰するのか。
ある人は
石の持つ不思議なパワーに
石の力を示す言葉が使われています。
聖なる地と石の関係は
古の時代からの習わしだったようです。
人々はなぜ石を信仰するのか。
ある人は
石の持つ不思議なパワーに
引き寄せられるから。
またある人は
古代文明のロマンを感じるから。
「パワーストーン」と呼ばれるとおり
そのエネルギーに守られたいから。
いずれにしても
石に対してはポジティブなイメージが
強いのではないかと思います。
須田郡司さんは著書のなかで
石についてこんな風に明記されています。
まず石があって水、土があって植物がある。
だから石や水、土がなければ植物も育ちません。
そして植物があって、動物、人があるわけです。
こういう順序になっていますから僕たちの存在のいちばん根っこにあるのはやはり「石」だと。
つまり
石は地球そのものである。
またある人は
古代文明のロマンを感じるから。
「パワーストーン」と呼ばれるとおり
そのエネルギーに守られたいから。
いずれにしても
石に対してはポジティブなイメージが
強いのではないかと思います。
須田郡司さんは著書のなかで
石についてこんな風に明記されています。
まず石があって水、土があって植物がある。
だから石や水、土がなければ植物も育ちません。
そして植物があって、動物、人があるわけです。
こういう順序になっていますから僕たちの存在のいちばん根っこにあるのはやはり「石」だと。
つまり
石は地球そのものである。
石は母なる地球の原型である
というイマジネーションが
信仰や畏怖に繋がっていると
述べられています。
ちなみに
石を分類するにあたり
巨大なものを「巨石」と読んだり
ついになっているものを
「夫婦石」と呼ぶのは
一般的です。
「バランシングストーン」は
微妙なカタチで折り重なっている石の
呼び名ですが
巨大な石にも関らず
人のチカラで簡単に動いてしまう石も
あるようです。
たとえば
岡山県赤磐市の「岩神神社」にある
「ゆるぎ岩」は
5.2m×1.8m×0.9mというサイズですが
大人一人のチカラで簡単に動くそうです。
しかしながらこの石は
簡単に動くにも関らず
絶対に落ちないという事から
受験生に人気のスポットになっています。
▲赤磐市観光協会
また俄かに信じがたい石もあります。
静岡県牧之原市にある大興寺は
時の住職が亡くなるたびに
マユのカタチをした石が
近くの河岸から
まるで生まれるように
湧き出してくるそうです。
それを
「子生まれ石」
と呼んでいるそうですが
歴代の住職の墓石にはすべて
この石が使われています。
不思議を感じるのは人間だけで
地球レベルでみると
当たり前のことであって
見えないもの
聞こえないものにも
何かしらの意思が宿っていると
考えた方が合理的なのかも知れません。
須田郡司さんの
聖なる石を訪ねる旅は
今も続いています。
◎つづく
歴代の住職の墓石にはすべて
この石が使われています。
不思議を感じるのは人間だけで
地球レベルでみると
当たり前のことであって
見えないもの
聞こえないものにも
何かしらの意思が宿っていると
考えた方が合理的なのかも知れません。
須田郡司さんの
聖なる石を訪ねる旅は
今も続いています。
◎つづく