日々、様々な事象に遭遇しながら
その都度
「良し悪し」
が浮かんでは消え
一時もそこから離れることができないのは
なぜなのでしょうか。
目を閉じて
ひとり部屋のなかで
ポツンと坐ってみると
外から聞こえてくるのは
鳥の声や人の足音。
それ以外は何もない。
ややあって
テレビをつけると
コロナ禍の報道ばかり。
不気味なBGMとともに
いかにも不安になりそうな
話題ばかりが流れてくる。
まるで
世間にはその問題しかないと
いわんばかりの勢いで
キャスターはしゃべっています。
あるいは
ともかく将来に不安があるため
今はひたすた耐え忍ぶべきだ
などという悲観論で取り囲み
人々の行動を制限してきます。
たいがい
ネガティブな感情の根底には
「許さない」
という下地が散見されます。
つまり
自らの価値観に照らし合わせると
「ありえない」
という思いが存在しているのでしょう。
しかし
事はただそうであるだけで
価値観は人それぞれで異なります。
したがって
昨今のコロナ禍報道については
恐れは感じつつも
壁壁とした感があるという方も
少なくないと思います。
目や耳から入る様々な情報は
そのこと自体に問題があるわけではありません。
情報に関して
自らがどう思い、どう感じたのか。
価値観に照らし合わせて
許せるのか許せないのか
好きか嫌いか
などのジャッジが
瞬間的に起こっているだけです。
すべては
自らの思いの中にあります。
様々な感情に囚われながらも
ちょっと一息いれてみると
さっきまでの尖った思いが
嘘のように消えてなくなることがあります。
そこにはただ
鳥のさえずりだけがあったと
気づかされる瞬間です。
五月晴れとは
梅雨時の晴れ間のことだそうです。
久しぶりの穏やかな朝。
テレビもスマホも手放して
ただボーとしている時間を
味わっています。