先日お邪魔した「吉野神宮」でのこと。
鳥居の前に立ってスマホで写真を撮ろうと
構えたとたん、いきなりスマホ画面が
サンドストームに。
あれ〜?と思いホームボタンを押して
初期画面に戻し、カメラをタップすると
キチンと風景を捉えています。
▲サンドストーム
「なんだったんだろぅ?」と
改めて撮影を始めると
またまた同じ症状になります。
まさか故障か💦💦
と次にシャットダウンして少し時間を置くと
正常に戻りました。
こういうことが起こる時は経験上
なんらかのメッセージが発せられていて
無理に事を進めないほうが良かったりします。
なので写真は諦めて静かに境内を
歩くことにしました。
すると
山門をくぐるや否や
気持ちの良い風が吹いてきて
歓迎してもらっていることが
すぐに伝わってきました。
なるほど
写真は後にして早くおいで!
ということだったようです。
鳥居を出たあと撮影しましたが
何の問題もなく
キレイな写真を撮ることができました。
▲吉野神宮の狛犬
つづいて
天川村の早朝散歩時のこと。
薄暗い朝6時台なので
普通だと村人や観光客に出会うことは
まずありません。
なのに数十メートル先では
落ちた毬栗を踏ん付けて一所懸命に
実を取り出そうてしている
「おじさん」がいます。
そのあまりの懸命な様子に
前を横切るのは忍びないと思い
分岐から別の道に進みかけた時。
おじさんの居る方向に
押すチカラ→
をカラダに感じました。
アレアレ?と思い
益々分岐から離れるよう
歩きだすと今度はおじさん方向に
引っ張るチカラ←
が働きます。
こんな時は逆らわず
チカラのまま進むことがヨシとされるはず。
あえておじさんから少し距離をおきながら
遠回りに通り過ぎようとした時
「あんた!どこからきたんや?」
と声を掛けられました。
「あっ、広島からです」
「ほー遠くからご苦労様ぢゃな」
話しを伺ってみると
天河神社の鳥居近くで
オーガニックカフェ「naya」を
経営されているオーナーさんで
天川村の昔の様子など教えてもらいました。
所謂、修験の末裔の方とのことで
ご先祖はご利益のある弁財天のお札を
普及させるべく全国を行脚されていたそうです。
広島県の中山間地出身の義母が幼い頃には
月一程度で修験の方がお札を持って
玄関先で螺貝を吹いていたと
聞いたばかりだったので
なるほどおじさんの話しと合致し
納得した次第です。
▲naya
▲天川村韋駄天社から日の出を臨む
修験道は明治7年に廃止令が出され
表向きは絶滅危惧種となったものの
古くからの民間信仰が戦前までは
当たり前のように生きていたことを知ると
改めて日本人の信仰心の逞しさに
感動を覚えます。
神道や仏教、修験など違いを争うのではなく
民間レベルではありがたい存在として
混合していたのだと思います。
日本の厳しい気候風土には
この曖昧さこそが自然と同化するための
智慧だったのではないかと思います。
▲武田邦彦教授
科学者の武田邦彦先生は
日本人の信仰の根底には
形の整った教義に縛られるのではなく
先祖と自然に対する畏怖と崇拝
があると言われています。
全くその通りだと思います。
エビデンスを求める
科学的な手法を大切にしながらも
理屈を超えた不思議なことが
当たり前にあるのだと思って生きると
ずいぶんと楽に生きていけるのでは
ないでしょうか。
吉野という土地はそんな
大切なことを思い出させてくれる
フシギなチカラが溢れた場所です。
近々にまた
訪れてみたいと思っています。
鳥居の前に立ってスマホで写真を撮ろうと
構えたとたん、いきなりスマホ画面が
サンドストームに。
あれ〜?と思いホームボタンを押して
初期画面に戻し、カメラをタップすると
キチンと風景を捉えています。
▲サンドストーム
「なんだったんだろぅ?」と
改めて撮影を始めると
またまた同じ症状になります。
まさか故障か💦💦
と次にシャットダウンして少し時間を置くと
正常に戻りました。
こういうことが起こる時は経験上
なんらかのメッセージが発せられていて
無理に事を進めないほうが良かったりします。
なので写真は諦めて静かに境内を
歩くことにしました。
すると
山門をくぐるや否や
気持ちの良い風が吹いてきて
歓迎してもらっていることが
すぐに伝わってきました。
なるほど
写真は後にして早くおいで!
ということだったようです。
鳥居を出たあと撮影しましたが
何の問題もなく
キレイな写真を撮ることができました。
▲吉野神宮の狛犬
つづいて
天川村の早朝散歩時のこと。
薄暗い朝6時台なので
普通だと村人や観光客に出会うことは
まずありません。
なのに数十メートル先では
落ちた毬栗を踏ん付けて一所懸命に
実を取り出そうてしている
「おじさん」がいます。
そのあまりの懸命な様子に
前を横切るのは忍びないと思い
分岐から別の道に進みかけた時。
おじさんの居る方向に
押すチカラ→
をカラダに感じました。
アレアレ?と思い
益々分岐から離れるよう
歩きだすと今度はおじさん方向に
引っ張るチカラ←
が働きます。
こんな時は逆らわず
チカラのまま進むことがヨシとされるはず。
あえておじさんから少し距離をおきながら
遠回りに通り過ぎようとした時
「あんた!どこからきたんや?」
と声を掛けられました。
「あっ、広島からです」
「ほー遠くからご苦労様ぢゃな」
話しを伺ってみると
天河神社の鳥居近くで
オーガニックカフェ「naya」を
経営されているオーナーさんで
天川村の昔の様子など教えてもらいました。
所謂、修験の末裔の方とのことで
ご先祖はご利益のある弁財天のお札を
普及させるべく全国を行脚されていたそうです。
広島県の中山間地出身の義母が幼い頃には
月一程度で修験の方がお札を持って
玄関先で螺貝を吹いていたと
聞いたばかりだったので
なるほどおじさんの話しと合致し
納得した次第です。
▲naya
▲天川村韋駄天社から日の出を臨む
修験道は明治7年に廃止令が出され
表向きは絶滅危惧種となったものの
古くからの民間信仰が戦前までは
当たり前のように生きていたことを知ると
改めて日本人の信仰心の逞しさに
感動を覚えます。
神道や仏教、修験など違いを争うのではなく
民間レベルではありがたい存在として
混合していたのだと思います。
日本の厳しい気候風土には
この曖昧さこそが自然と同化するための
智慧だったのではないかと思います。
▲武田邦彦教授
科学者の武田邦彦先生は
日本人の信仰の根底には
形の整った教義に縛られるのではなく
先祖と自然に対する畏怖と崇拝
があると言われています。
全くその通りだと思います。
エビデンスを求める
科学的な手法を大切にしながらも
理屈を超えた不思議なことが
当たり前にあるのだと思って生きると
ずいぶんと楽に生きていけるのでは
ないでしょうか。
吉野という土地はそんな
大切なことを思い出させてくれる
フシギなチカラが溢れた場所です。
近々にまた
訪れてみたいと思っています。