来たものです。
父が死んでから、38年。
命日は覚えていません。
中2の2学期の中間試験、その一日目の朝に逝ったことだけを覚えています。
享年40歳。
余りにも早い死でした。
その時の中間試験、私は初めて赤点というものを摂りました。
父の死のせいではありません。
父が入院し、母が看病で不在なのを良いことに家で遊び呆けていたからです。
確かに、父の病気がそれ程深刻であるとは思いもしませんでした。
しかし、私は父が苦しんでいた時、確かに、遊び呆けていたのです。
また、父が逝った時も私は深い悲しみを感じませんでした。
母と娘が父の病室の前で泣きながら抱き合っていた時も、心は冷めていました。
告別式に来てくれた友達の話では、式場から出てきた私の表情にあまりにも悲しみがなかったので、びっくりしたそうです。
その後、父のことを思い出して涙することもありましたが、それは自分がつらい状況に陥った時、救いを求めてでした。
死の床に臥せっていた父の抱いていた悔しさ、苦しさ、そして父の思い出に思いを馳せてのものではありませんでした。
父が逝くまで私は、自分自身がそこそこ真っ当な心を持った、どちらかと言えば、良い性格なのではないかと思っていました。
しかし、父の死後、私のその思いは疑問符で満たされたままです。
私は一体何者なのか?
どういう人間なのか?
答えのない問を時折繰り返しては、途方に暮れています。
父の死後、はっきりとしたことがあります。
絶対正義の神などというものは存在しないという思いと、正義を名乗る人々への嫌悪感です。
絶対という言葉を発する人、正義を名乗る人を、私は信用しません。
本当に、思えば遠くへ来たものです。
父が死んだ年齢からすでに私は一回り長生きしています。
この先私はどこまで行くのでしょう?
今日の小さな幸せ:週初め、なんとか出勤できました。
父が死んでから、38年。
命日は覚えていません。
中2の2学期の中間試験、その一日目の朝に逝ったことだけを覚えています。
享年40歳。
余りにも早い死でした。
その時の中間試験、私は初めて赤点というものを摂りました。
父の死のせいではありません。
父が入院し、母が看病で不在なのを良いことに家で遊び呆けていたからです。
確かに、父の病気がそれ程深刻であるとは思いもしませんでした。
しかし、私は父が苦しんでいた時、確かに、遊び呆けていたのです。
また、父が逝った時も私は深い悲しみを感じませんでした。
母と娘が父の病室の前で泣きながら抱き合っていた時も、心は冷めていました。
告別式に来てくれた友達の話では、式場から出てきた私の表情にあまりにも悲しみがなかったので、びっくりしたそうです。
その後、父のことを思い出して涙することもありましたが、それは自分がつらい状況に陥った時、救いを求めてでした。
死の床に臥せっていた父の抱いていた悔しさ、苦しさ、そして父の思い出に思いを馳せてのものではありませんでした。
父が逝くまで私は、自分自身がそこそこ真っ当な心を持った、どちらかと言えば、良い性格なのではないかと思っていました。
しかし、父の死後、私のその思いは疑問符で満たされたままです。
私は一体何者なのか?
どういう人間なのか?
答えのない問を時折繰り返しては、途方に暮れています。
父の死後、はっきりとしたことがあります。
絶対正義の神などというものは存在しないという思いと、正義を名乗る人々への嫌悪感です。
絶対という言葉を発する人、正義を名乗る人を、私は信用しません。
本当に、思えば遠くへ来たものです。
父が死んだ年齢からすでに私は一回り長生きしています。
この先私はどこまで行くのでしょう?
今日の小さな幸せ:週初め、なんとか出勤できました。