先日、短い講演の中で『景轍玄蘇』(けいてつげんそ)という名前が
出ていました。黒田官兵衛の墓石の字を書いた人、だったかな?
それでちょっと調べてみたら、福岡県福津市の西郷の出で、文禄
慶長の役でも活躍した外交僧だったそうです。
さらにおもしろいのは、彼は河津民部少輔隆業の次男とありました。
河津?どこかで聞いた名前でしょ?そうです、元は伊豆の河津の出で、
隆業の親の名は興光、え、興光?どこかで聞いた?そうです!
なまずの背中に乗って命を助けられたあの興光さんだったのです。
官兵衛の曾祖父と同じ船岡山の戦場で戦っていた彼だったとは、
写真は
神湊(こうのみなと)から
見た鐘崎
雨の後は
良く見えます。
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