海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

快晴でした!

2014年08月22日 | インポート

Img_4385 ずっと

雨と雷だった

けど、

今日は

見事に

晴れました

Img_4381 ちょっと

草取り

しただけで

大汗かいて

くたびれました

(^^;;

今日初めて聞きましたけど、福津の鯛茶づけフェアは1万食を

達成したそうです。去年6万8千食だそうですから、すごいですネ!

いい加減、食べあきましたけどね(^^;


菊姫と色姫・山田地蔵さんの話

2014年08月21日 | インポート

Img_4375 そろそろ

秋の気配

かな?

Img_4366

立花城古図の

見取り図を

見つけました。

これなら

よくわかりますね!

(^^/

中央の松前嶽城は、立花道雪の側室として(実は人質として)やってきた、

色姫(当時25歳)に与えられた、と言われています。

それで、色姫は『松前殿』とよばれたそうです。

ただ、戦時中以外は、城にはいないので、青柳村に住んでいたらしい。

西郷300町(旧福間町)は、その時の化粧料として贈られました。

☆         ☆          ☆

色姫は、宗像一族最後の大宮司、氏貞の妹です。

氏貞と色姫は、実は第二夫人(照葉)の子だったので、

第一夫人(山田)との間で、相続争いに巻き込まれます。

☆        ☆         ☆

陶晴賢(すえはるかた)のバックアップで、

氏貞色姫組は、勝った!

けれども、勝ち方が悪かったよー (;一_一)

本妻とその娘(菊姫)とおつきの計6人を 惨殺だって (T_T)

   ☆          ☆         ☆

こわーい たたりが つぎつぎと・・・

☆       ☆         ☆

7回忌のとき、母照葉とかるたをしていた色姫は、

突然髪ふり乱して、母の咽笛にかみついた!

『ワレハ、ヤマダノ オンリョウナリ』と言ったとか!            

ひえ~!こわいよ~

☆       ☆         ☆

氏貞は、6地蔵を祀ったり、お寺をいっぱい建てたり

そりゃあ、もう大変だったらしい。

宗像地区では、いまでも山田の地蔵さん参りがあり、

現代でも、この地区では祟りがあると言われている

そうです。

☆       ☆         ☆

・・・・・・ どう?

 


立花城古図について

2014年08月20日 | インポート

Img_4365 新宮町発行の

案内パンフに

『立花城古図』

(柳川古文書館所蔵)

というのがあったので

拡大してみましたが、

みずらいです(^^;

中央が井楼山の本城跡、

右に松尾嶽城跡

その右に白嶽城跡と

読み取ることが出来ます。

☆     ☆     ☆

松尾嶽から下って来たところに『独鈷寺』があります。ここは、天台宗を広めた

最澄が建てたと由来があります。中国から持ち帰った『独鈷』と鏡が寺宝となっている

そうです。(実物はみたことないのですよ)

最澄は、その時世話になった源四郎に、持ってきた法火を授け、横大路と名乗るように

姓も授けたそうで、横大路家では、法火を大事に消すことなく千年も続いたということで、

『千年家』と言われてきたそうです。

☆     ☆     ☆

4~5年前に見に行きましたら、おばあさんが竈(かまど)にまきをどんどんくべていました。

家は、国の重要文化財指定で、リフォームされており、『冬は前より寒くなった』とこぼして

ましたが、今日、新宮町の社会教育課の話では、そのおばあさんもお亡くなりになり、

火を守ることもかなわなくて、大宰府のみょうこう寺(漢字はあとで調べます)へ

お預けになっているらしい、とのことでした。

☆     ☆     ☆

最澄は、この火を使い、信心をなまけなければ、子孫は長く続くだろう、と教えた、と

書いてありますが、火を預けざるをえなかった、ご子孫も、さぞつらかったでしょうね。

☆     ☆     ☆

それにしても、千年続く法火と『源四郎』という名前とは、出来過ぎですね。

源四郎・・げんしろう・・原子炉・・(^^;キャー


鯛のしおから?

2014年08月19日 | インポート

Img_4353 今日の

朝焼け。

Img_4359

☆     ☆     ☆

先日の博物館でもうひとつ気になっていたことが、ありました。

それは、黒田の書簡の中に、鯛のしおからがあったとかいう話です。

今、あるとすれば、腸や玉子、白子がありそうですが、この時代には

ちょっと想像がしにくいですね。(一杯やれたら、つまみにうまそう!)

平城京の長屋王邸宅発掘現場から出た、木簡には、

宗像氏から贈られた中に、『鯛の醤(ひしお)』と『鮒鮨』が

あったようです。(天平年間のころです)

醤(ひしお)は、大豆を原料にした液状のもの。というから醤油

の原型みたいなもののことでしょう。

いずれも壺か甕に詰めて、木簡をつけて送られてきたのでしょう。

というわけで、鯛の塩からについては“わかりません”(^^;

誰か、わかる人、教えてください(^^/