☀️神様に愛される人☀️
(四国の石鎚山に登ってるとき)
ここの神様は当然、山岳系神様で、とっても強くて大きな神様です。
たまたま、その日の朝に、読者の方から来た質問があったので聞いてみました。
「神様に愛される人ってどういう人でしょうか?」
「その質問は、神に愛される人と、愛されない人がいるみたいな言い方だな」
と笑いながら、答えが返ってきました。
神様は、えこひいきをしないので、
愛を与える人と、与えない人の2種類がいるわけではない、
と言っていました。
(悪いことをしない普通の人の場合です)
人間側の受け取る能力によって、どう感じるかが違うのだそうです。
受け取れる人は、歓迎の印や恩恵など、たくさんのサインを感じることができます。
それによって
「嬉しい」「楽しい」
「ありがたい」
という気持ちになります。
それは神様からの愛情を魂が感じた反応とも言えるのです。
受け取る力が弱い人は、神様のほうは同じように与えているのに、
それがわかりませんから、良くない出来事と結びつけて、
「自分は愛されていない」
とか
「歓迎されていない」
と考えてしまうのです。(感じるのではありません)
「となると…、1番必要なのは、その神様を信じるという信仰心ですね?」
私が確認するその言葉を聞いていた大天狗さんが、クックックッと笑います。
お前が言うか? みたいなニュアンスです。
神様を信じてなくて傘やカッパを買ったり、
大天狗さんが山頂までいけると言った言葉を信じられなくて引き返している私です。
うふふ、確かに、私が言うかこの言葉、ですねと思いました。
神様が言うには、神様のほうからは与えているので、
人間が自分で壁を作ってはいかん、とのことです。
「自分には霊感がないからわからない」
と考えることも壁になります。
意地悪をしたり、よこしまなことを考えたりすると、
自分で真っ黒い煙幕を作ってしまいます。
それが自分を厚く覆ってしまうので神様からの光が届きません。
そのような煙幕を作らないことも大事です。
それが愛されている実感を得るコツです。
冬山なのに蝶がそばをひらひらと飛んでいました。
「ああ、そうですね、そういうことなんですよね」
と思いました。
蝶は霊的な虫ですから、神様の意向をくんで歓迎のサインとなってくれます。
蝶なんてどこにでもいるし、たまたま飛んでいるんじゃないの? と思ってしまえば、
神様の愛情は、その人には届かない、ということです。
神様と話す能力…、これは超古代の人はみんな持っていたそうです。
みんなが神様と繋がれ、声を聞くことができました。
人間は本来その能力を持っているのです。
目で見る、耳で聞くのと同じく、神仏アンテナで話ができるのです。
その証拠に人間には第六感というものがあります。
能力を封印、もしくは退化させたのは人間自身です。
その能力を思い出す、活性化させる努力をすればいいだけです。
この日の雪景色には歓迎の意味がありました。
私はそれまで霧氷を見たことがなく、生まれて初めて見せてもらいました。
霧氷は葉はがない木の枝に付着した、幅数センチの氷です。
すべての枝にそのような氷がついていますから、白い花が満開に咲いているように見えます。
とても美しかったです。
さらに、強い風が吹くと、その氷が空中に飛び散って、
氷の花びらがキラキラと舞うように見えました。
自然の中にはこのような美しい世界があったのだなぁ、と感慨無量でした。
2日前に剣山で、白銀の霧の登山体験をした私が感激したことを聞き(剣山の大天狗さんから)、
この日は珍しい雪景色を見せてくれたようです。
しかし、あまりにたくさん積もると登れないだろう、ということで山を登れる程度の積雪だったのでした。
(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さんより)
(四国の石鎚山に登ってるとき)
ここの神様は当然、山岳系神様で、とっても強くて大きな神様です。
たまたま、その日の朝に、読者の方から来た質問があったので聞いてみました。
「神様に愛される人ってどういう人でしょうか?」
「その質問は、神に愛される人と、愛されない人がいるみたいな言い方だな」
と笑いながら、答えが返ってきました。
神様は、えこひいきをしないので、
愛を与える人と、与えない人の2種類がいるわけではない、
と言っていました。
(悪いことをしない普通の人の場合です)
人間側の受け取る能力によって、どう感じるかが違うのだそうです。
受け取れる人は、歓迎の印や恩恵など、たくさんのサインを感じることができます。
それによって
「嬉しい」「楽しい」
「ありがたい」
という気持ちになります。
それは神様からの愛情を魂が感じた反応とも言えるのです。
受け取る力が弱い人は、神様のほうは同じように与えているのに、
それがわかりませんから、良くない出来事と結びつけて、
「自分は愛されていない」
とか
「歓迎されていない」
と考えてしまうのです。(感じるのではありません)
「となると…、1番必要なのは、その神様を信じるという信仰心ですね?」
私が確認するその言葉を聞いていた大天狗さんが、クックックッと笑います。
お前が言うか? みたいなニュアンスです。
神様を信じてなくて傘やカッパを買ったり、
大天狗さんが山頂までいけると言った言葉を信じられなくて引き返している私です。
うふふ、確かに、私が言うかこの言葉、ですねと思いました。
神様が言うには、神様のほうからは与えているので、
人間が自分で壁を作ってはいかん、とのことです。
「自分には霊感がないからわからない」
と考えることも壁になります。
意地悪をしたり、よこしまなことを考えたりすると、
自分で真っ黒い煙幕を作ってしまいます。
それが自分を厚く覆ってしまうので神様からの光が届きません。
そのような煙幕を作らないことも大事です。
それが愛されている実感を得るコツです。
冬山なのに蝶がそばをひらひらと飛んでいました。
「ああ、そうですね、そういうことなんですよね」
と思いました。
蝶は霊的な虫ですから、神様の意向をくんで歓迎のサインとなってくれます。
蝶なんてどこにでもいるし、たまたま飛んでいるんじゃないの? と思ってしまえば、
神様の愛情は、その人には届かない、ということです。
神様と話す能力…、これは超古代の人はみんな持っていたそうです。
みんなが神様と繋がれ、声を聞くことができました。
人間は本来その能力を持っているのです。
目で見る、耳で聞くのと同じく、神仏アンテナで話ができるのです。
その証拠に人間には第六感というものがあります。
能力を封印、もしくは退化させたのは人間自身です。
その能力を思い出す、活性化させる努力をすればいいだけです。
この日の雪景色には歓迎の意味がありました。
私はそれまで霧氷を見たことがなく、生まれて初めて見せてもらいました。
霧氷は葉はがない木の枝に付着した、幅数センチの氷です。
すべての枝にそのような氷がついていますから、白い花が満開に咲いているように見えます。
とても美しかったです。
さらに、強い風が吹くと、その氷が空中に飛び散って、
氷の花びらがキラキラと舞うように見えました。
自然の中にはこのような美しい世界があったのだなぁ、と感慨無量でした。
2日前に剣山で、白銀の霧の登山体験をした私が感激したことを聞き(剣山の大天狗さんから)、
この日は珍しい雪景色を見せてくれたようです。
しかし、あまりにたくさん積もると登れないだろう、ということで山を登れる程度の積雪だったのでした。
(「『山の神様』からこっそりうかがった『幸運』を呼び込むツボ」桜井織子さんより)