🍀念じたのに運が来ない人🍀
「念じたのに、ちっとも運がこないんです」
という人も、なかにはいるでしょう。
きっとそれは、運がこないというよりも
「念じたのに、願いが叶わない」
という意味でしょう。
でも、念じたことがいつもすべて叶うことが、いいことかと言えば、
それはまた別の問題です。
叶わないことがむしろいい、ということはあるのではないでしょうか。
つまりそれが、願いに対する答え。
私は
「ある一定以上の欲は深追いはしないほうがいいですよ」
と申し上げたいいのです。
すると、
「ある一定って、どのくらいですか?」
と知りたくなるでしょうが、
それは人それぞれ。
「やるだけやってごらんなさい。
もう自分のなかで、
『ここまでだな』と、諦める時があるはずですよ」
ということです。
私はよく
「成果主義にならないようにしましょう」
と申し上げています。
仮に試験に合格するという現世的な結果を出せず、
一生を勉強で終えたとしても、幸せの価値観はまた別です。
「最後まで勉強した人生は幸せだった」
と思えるなら、それでいいのではありませんか。
それが責任主体の生き方です。
自分で責任を負えるならば、目標を変えようが、ずっと追い続けようが、その人の人生。
よく司法試験など、難関と呼ばれる資格試験の勉強を何年も続けている人がいます。
年齢制限などがあって諦める場合もあるでしょうが、
それがなく、たとえ一生受験し続け、勉強し続けることがあっても、
それは悪いことではありません。
ただし、現世ですから食べていかねばなりません。
勉強を続けながら食べていけないというのなら、
それもひとつの判断材料ではないでしょうか。
また、資格試験の勉強や大学受験など、ある程度続けていれば、
点数がどれくらい取れていて、自分の実力がどの程度、及ばないのか、自分でもわかってくるはずです。
先輩や先生の話など客観的な意見を聞くのも大事でしょう。
そうすると、勉強の仕方を変えれば何とかなるのか、
それとも、「これ以上はやっぱり無理だな」というのも、見えてくるのでは?
すると、
「もしかして自分は資格という結果にこだわっているだけかもしれない」
「この学校に入ることにこだわりすぎていたけれど、
ほかの学校でもしたい勉強はできるな」
などと、方向転換することもできるのです。
絵が好きで、どうしても芸術系の大学に入りたいと何年もチャレンジする人がいますが、
「本当に絵が好きだったら、その大学にこだわらなくてもいいのでは?」
と思うケースもあります。
「学費のことを考えて、絶対に国立ではないとダメなんです」
という場合もあるでしょうが、
「絵を学びたいの? それともその学校に入りたいの? 」
と尋ねたくなくなる場合も。
こだわるのが悪いとは言いませんが、
ただ念を込めるだけではなく、
自分がなんのために挑戦し続けているのかを、
よく分析して、見つめ直してみることは大事でしょう。
(「運命を知る」江原啓之さんより)
「念じたのに、ちっとも運がこないんです」
という人も、なかにはいるでしょう。
きっとそれは、運がこないというよりも
「念じたのに、願いが叶わない」
という意味でしょう。
でも、念じたことがいつもすべて叶うことが、いいことかと言えば、
それはまた別の問題です。
叶わないことがむしろいい、ということはあるのではないでしょうか。
つまりそれが、願いに対する答え。
私は
「ある一定以上の欲は深追いはしないほうがいいですよ」
と申し上げたいいのです。
すると、
「ある一定って、どのくらいですか?」
と知りたくなるでしょうが、
それは人それぞれ。
「やるだけやってごらんなさい。
もう自分のなかで、
『ここまでだな』と、諦める時があるはずですよ」
ということです。
私はよく
「成果主義にならないようにしましょう」
と申し上げています。
仮に試験に合格するという現世的な結果を出せず、
一生を勉強で終えたとしても、幸せの価値観はまた別です。
「最後まで勉強した人生は幸せだった」
と思えるなら、それでいいのではありませんか。
それが責任主体の生き方です。
自分で責任を負えるならば、目標を変えようが、ずっと追い続けようが、その人の人生。
よく司法試験など、難関と呼ばれる資格試験の勉強を何年も続けている人がいます。
年齢制限などがあって諦める場合もあるでしょうが、
それがなく、たとえ一生受験し続け、勉強し続けることがあっても、
それは悪いことではありません。
ただし、現世ですから食べていかねばなりません。
勉強を続けながら食べていけないというのなら、
それもひとつの判断材料ではないでしょうか。
また、資格試験の勉強や大学受験など、ある程度続けていれば、
点数がどれくらい取れていて、自分の実力がどの程度、及ばないのか、自分でもわかってくるはずです。
先輩や先生の話など客観的な意見を聞くのも大事でしょう。
そうすると、勉強の仕方を変えれば何とかなるのか、
それとも、「これ以上はやっぱり無理だな」というのも、見えてくるのでは?
すると、
「もしかして自分は資格という結果にこだわっているだけかもしれない」
「この学校に入ることにこだわりすぎていたけれど、
ほかの学校でもしたい勉強はできるな」
などと、方向転換することもできるのです。
絵が好きで、どうしても芸術系の大学に入りたいと何年もチャレンジする人がいますが、
「本当に絵が好きだったら、その大学にこだわらなくてもいいのでは?」
と思うケースもあります。
「学費のことを考えて、絶対に国立ではないとダメなんです」
という場合もあるでしょうが、
「絵を学びたいの? それともその学校に入りたいの? 」
と尋ねたくなくなる場合も。
こだわるのが悪いとは言いませんが、
ただ念を込めるだけではなく、
自分がなんのために挑戦し続けているのかを、
よく分析して、見つめ直してみることは大事でしょう。
(「運命を知る」江原啓之さんより)