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🍀この一道に生きる🍀①

2018-03-09 12:51:44 | お話
🍀この一道に生きる🍀①


🔹鳥羽、越智さん、久しぶりですね。

🔸越智、ほんまに。もう何年ぶりでしょうね。
しかし、鳥羽さんもますますお元気そうで何よりだ。

🔹鳥羽、いやいや、元気そうな格好してるだけです(笑)。越智さんはおいくつになったんですか?

🔸越智、僕は78歳になりました。確か鳥羽さんは… 。

🔹鳥羽、僕はね、ちょうど80歳になったんですよ。
それにしても何十年前なんだろう、我々経営者仲間で会っていたのは。もう30年くらいになりますかね?

🔸越智、そうですな。異人種交流会って言いよったね。

🔹鳥羽、そう。変わった人間ばっかりっていう意味でね。

🔸越智、全員が自分はまともやと思うていたけど(笑)。

🔹鳥羽、イエローハットの鍵山さんや、ハウス オブ ローゼの川原さんなど、10人くらいで毎月一回集まってた。

その頃は、まだみんな上場してなかったんですが、後に6〜7人が上場しましたね。

🔸越智、みんな若かったし、夢に燃えてバリバリやりよったもん。

🔹鳥羽、あの頃はエネルギーがあったんですね。

🔸越智、いまでもありますやろう(笑)。
やっぱり鳥羽さんは昔から熱量が違う。

僕よりも熱量が強かった。
それはもう勝てんと思っとったよ。

鳥羽さんの話に感動して涙を流したことが何回もある。

せやけどね、僕は鳥羽さんのこと少女のような人だと思ったの。

商売の話になると、「一杯のコーヒーでお客様に安らぎと活力を提供するんだ」ってね、

夢を語りながら自分の言葉に酔うとるわけ。

ハワイに農園を買うた時も…。

🔹鳥羽、楽園を作るんだ、天国をつくるんだってね。

ブーゲンビリアのトンネルをつくって、そこを男女2人で歩けるくらいの大きさにして、

トンネルを抜けたら噴水があって、ハワイの海がザーッと見えるんだという夢を話した。

🔸越智、それを感情込めて言うもんやから、まるで少女みたい。

🔹鳥羽、確かに息子にも「うちの親父は乙女だ」って言われます(笑)。

🔸越智、鳥羽さんがすごいのはその夢を現実にした。

🔹鳥羽、そうですね。常に「夢を見、夢を追い、夢を叶える」っていうことで、

とにかく誰彼構わず自分の夢を語る。

「俺はこうやるんだ」って。

そういう言葉は夢を引き寄せるんじゃないかと思います。

越智さんも当時から靴下への情熱は並大抵ではなかったですよ。

いつも越智さんに会うと、もう全生命を靴下一筋に懸けている、靴下の気違いって感じてた。

🔸越智、事実、そうやったね。仕事以外に趣味も何もあらへん。

🔹鳥羽、それと、越智さんをずっと尊敬しているのは、漢文をよく勉強している。

で、いろんな言葉の節々に漢文が出てくるんですね。

それを聞くびに、この人には敵わないって気持ちがありました。

ですから、対談の依頼を受けた時も、越智さんには会いたいけど、

越智さんの知識にはとても負けるので嫌だなと正直思ったんです。


🔹鳥羽、越智さんの会社は創業してどれくらいになりますか?

🔸越智、ちょうど今年で50年を迎えました。

この間、50年誌を書いてて思ったのは、わしの人生は神様の計画やったんかなと。

大いなる者の計画に引っ張られてきたような気がしてなりまへんのや。

🔹鳥羽、僕もね、やっぱり神様がついてるんじゃないかと思うことが時々ありますね。

自分の意に反して物事がうまくいっちゃう。

あれ、これは神様の仕業かなと。

🔸越智、たぶん鳥羽さんも運がよかったって言うと思うの。

それは説明できんからでしょう。

僕もそう。いろんな苦労や失敗もあったけど、

全部乗り越えられたっていうのは神様の計画だからじゃないかな。

🔹鳥羽、なんだか同じようなことを考えてる(笑)。

僕が24歳でドトールコーヒーを創業した時は、お金も後ろ盾もありませんでしたが、

昨年55周年を迎え、売上高は1,200億円で業界二位、国内の総店舗数は1,346店で業界トップに立っています。

なんで自分がここまでやって来れたんだろうかって振り返ってみると、

我欲がなかったからだと思うんですね。

🔸越智、ああ、我欲がなかった。

🔹鳥羽、会社を立ち上げる前から、給料をもっと余分にもらいたいと思ったことは一度もないですし、

もちろん地位を求めたことも一切ありません。

目の前の仕事を真剣にやっていると、自然に物事がうまく展開していく。

地元の高校を3ヶ月で中退し、着の身着のまま上京しましてね。

17歳の時にある飲食店に勤めていたんですけど、半年しか働かなかったにもかかわらず、

20歳の時にその飲食店の社長から手紙が来て、「ブラジルへ来い」と誘われまして、海を渡ったわけです。

移民船で42日間かけてブラジルに行き、コーヒー農園で3年間働きました。

そうしたら、今度はブラジルに渡る直前に勤めていた日本のコーヒー卸会社の社長から電話がかかってきて、

「船賃全部出すから帰ってきてくれ」と。

そういう形で、一つひとつの出来事を振り返ると、

我欲がなく、見返りを求めず、真剣に無心に没頭してやってきたことが、自分を運んでくれたように感じます。

🔸越智、全く同感です。僕は中国古典の影響から、ただひたすら追い求めたのは、正義と理想でしたわ。

🔹鳥羽、正義と理想。

🔸越智、この2つがキーワードやったね。

僕が創業した50年前は、靴下問屋だけで690もありましたよ。

それがぼんぼん潰れてしもうて、いまじゃ数えるほどしかない。

🔹鳥羽、中国に押されてね。

🔸越智、そうそう。中国に押される前から量販店にやられてしもた。

斜陽産業といわれて久しい繊維業界の中でも、特に靴下業界は淘汰が酷いんです。

安かったらええということで、商品の質がどんどん落ちて行ったんですけど、

そんなことは許さない、私は商売人の前に男でないといかんと。

中国産の安い製品が市場を席巻していくのに対して、メイド・イン・ジャパンに徹底的にこだわり、

お客様の足に優しくフィットし、かつ簡単に破れない強さがある履きやすい靴下を追求し続けてきましたな。

お客様がうちの靴下を履いた時に喜んでくれる、

これええなって笑顔になることを夢見てつくりましたんや。

そういう僕の正義と理想にみんながついてきてしとるんやと思うな。

それと、卸売りだった当社が34年前から小売を始めたのは、大きな専門店がこぞって量販店と同じような販売形態に転換してしもうたから。

それでおうちは靴下のため、伝統を残すために、「靴下屋」をはじめとする靴下専門店をやり出したんですわ。

🔹鳥羽、いま何店舗あるんですか?

🔸越智、国内に276店舗、海外に7店舗ありますね。

🔹鳥羽、幅広く商品を扱っているならまだしも、靴下一筋で店を成り立たせて、

しかもGINZA SIXや六本木ヒルズをはじめ、一流どころに出店できるっていうのはすごいことですよ。

🔸越智、もう靴下ばかり追いかけているようなバカはおらんようになったわ。

みんな頭がええもんやから、いろんな事業を手掛けてね。

🔹鳥羽、まさに正義と理想に燃えてこられたわけですね。


(つづく)

(「致知」3月号 鳥羽博道さん越智直正さん対談より)