大阪東教会礼拝説教ブログ

~日本基督教団大阪東教会の説教を掲載しています~

使徒言行録第23章12~35節

2021-04-18 13:03:24 | 使徒言行録

2021年4月18日大阪東教会主日礼拝説教「試練を突き抜ける 」吉浦玲子  

  【説教】  

<宗教的熱狂ではない>  

 パウロは逮捕され自由を奪われていました。そもそもパウロはエルサレムが自分にとって危険な町であることを覚悟の上でエルサレムにやってきました。エルサレムの教会に各地の教会から集めた献金を捧げるためでした。そのエルサレムでパウロは、やはり、捕らわれの身となってしまいました。エルサレムの神殿で騒動が起き、ユダヤ人たちから半殺しの目に遭いましたが、ローマの兵によって助け出されました。パウロはエルサレムのユダヤ人たちに弁明をしましたが、むしろさらに騒ぎが大きくなりました。そこでふたたびローマ兵によってパウロは人々から引き離されました。ローマ兵はパウロを拷問にかけて自白させようとしましたが、パウロはローマの市民権を持っていたので、免れました。その後、今度はユダヤの権力者たちを集めて最高法院で裁判が開かれましたが、パウロの巧みな誘導でファリサイ派とサドカイ派の間に対立が起こり、激しい論争となり、パウロはユダヤ人たちから引き離されました。これが今日の聖書箇所の場面に至る前の経緯です。 

 パウロは兵営に連れて行かれ、外界との接触は遮断されていました。そんなパウロがうかがい知ることのできないところで、パウロを殺害しようとする者たちの策略が進んでいました。40人以上の者たちが、パウロを殺すまで飲み食いしないという誓いを立てたというのです。飲み食いしないという誓いと聞いても、あまりピンとこられないかもしれません。彼らは本気になってパウロを殺そうと企てていたのです。パウロは今、ローマの管理下にあります。そのパウロを再度、最高法院に審議の名目で呼び出し、最高法院への途上でパウロを殺そうとしたのです。当然、パウロにはローマ兵の護衛がついています。そのなかでパウロを襲うというのは、命懸けのことです。ローマに逆らうことでもあります。場合によっては、ローマからユダヤ人に対して激しい懲罰がくだりかねないことです。しかしなお、40人のユダヤ人たちは自分の命と全ユダヤを危険にさらしてもパウロを殺そうとしたのです。彼らにとって、それこそが、神に仕えることだったからです。イエスなどという者を救い主だと言い、律法を守ることではなくイエスを信じることによって救われるなどと語るなど、神と律法への冒涜だと考えたからです。しかも、パウロは救いはユダヤ人のみならず異邦人にも開かれているといって、異邦人にも教えを広めていました。自分たちこそが神の民と思っていたユダヤ人にとっては、到底、許しがたいことでした。パウロを殺そうとしている40人は宗教的熱狂に取りつかれていたと言えます。 

 この世界には、宗教嫌いの人が多くいます。ことに日本には多いように思います。繰り返される宗教の名を借りた戦争や紛争を見て、宗教こそがもめ事の源と考える人は多いのです。実際、宗教的熱狂に陥った時、それは排他的な攻撃を生みます。キリスト教の暦の中でも残念ながら、そのようなことは繰り返されてきました。しかし、本来、福音を信じるということは、キリストの十字架と復活によって、罪赦され、自由に愛に生きるということです。自分自身が赦された罪人であり、自由にされた者である以上、他者の罪をく勇断したり、自由を奪うことは福音に生きる生き方ではありません。 

<神の計画は進む> 

 しかし、宗教的熱狂に駆られた人々はなりふり構わずパウロを殺そうとします。しかし、不思議なことに、パウロの殺害計画は外界と遮断されていたはずのパウロの耳に入ります。その殺害計画をパウロの甥が聞きつけたのです。このあたりの事情ははっきりとはわかりません。かなりリスクのある企てですから、簡単に外部に漏れるような形で殺害計画が練られていたわけではないはずです。このパウロの甥について詳細は分かりませんが、クリスチャンではなく、むしろ熱心なユダヤ教徒であったのではないかと考えられます。そもそもパウロ自身、もともとはファリサイ派のエリート教育を受けたユダヤ教徒で、キリスト者を迫害していたくらいですから、パウロの親族がキリストの福音に反発をしたとしても不思議ではありません。甥は殺害計画をしていたユダヤ人側にいて殺害計画を知ったのでしょう。しかし、親族の情としておじであるパウロへ危険を知らせたのでしょう。そしてまたその計画はローマの千人隊長の耳にも入れられます。そして即座にパウロはカイサリアへ移送されることとなりました。 

 この一連の流れは、パウロが運よく難を逃れたということではなく、まさしく、神がそのように導かれたといえます。今日の聖書箇所の前のところ11節で神はパウロに対して「ローマで証しをしなければならない」と語られました。まさにそのローマへの道が着々と整えられているのです。この流れの中でパウロがなしたことといえば、甥から聞いたことを千人隊長に伝えさせただけです。パウロは囚われの身であって、それ以上のことは何もできなかったのです。しかし、パウロの無力にもかかわらず、神の計画は着々と進んで行きました。パウロの先祖がローマの市民権を得たこと、そしてファリサイ派の教育を受けさせることのできる家に育ったことを含めて、パウロがこの世に生まれてくる前から、既にその計画は始まっていたのです。 

 それにしても、パウロを護送するのに、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名が準備されたというのはたいへんものものしい状況です。自らの命を顧みず襲ってくる、40名の熱狂的なテロ集団を迎え撃つためにはローマとしてもこのくらいの人員が必要であると千人隊長は判断したのでしょう。そしてそれは実際に妥当であったと思います。しかし同時にこれは、神ご自身が、ローマを使って、パウロを守られたともいえます。丸腰の囚人一人にたいして500人の守りを神がつけられたのです。神ご自身が、パウロをローマへ送るというご計画を進めるためになされたことです。 

 昨年、新型コロナ感染症のため、教会は大きな試練に見舞われました。ご存知のように、いまもまだ試練は続いています。コロナ以前のように集会を行うことができず、主日礼拝すら、非公開で行ったときもありました。教会の宣教活動にも打撃でしたし、財政面でも大きな試練でした。しかしまた、その試練の中で、3名の受洗者が与えられました。教会学校にも新しい生徒さんが与えられました。この一年、私たちがしゃかりきに伝道をしたわけではありません。むしろ大幅に教会の活動は制限を受けていました。にもかからず、神の業は進んでいました。 

 さて、千人隊長はカイサリアにいる総督に手紙を送ります。その手紙において、千人隊長は自分に都合の良いことを伝えています。ローマ市民権を持っていたパウロがユダヤ人たちから殺されそうになっていたのを自分が救い出した、と冒頭書かれていることは嘘です。そもそも千人隊長はパウロがローマ市民権を持っていることを知らず拷問しようとしていたのです。かつ、パウロが告発されているのはユダヤ人の律法に関することであって、死刑や投獄に値することはないと分かったとも書いてあります。しかし、この者への陰謀があるという報告を受けたのでそちらに移送しますと書かれています。要するに、この手紙から分かりますことは千人隊長は自己保身をしているということです。自分を良く見せて、なおかつ、自分が責任を問われるような事態を避けるため、面倒な囚人であるパウロをさっさと自分の管轄地域でないところに送ろうとしたのです。しかしまたこの千人隊長のいかにも小役人的な考えをも神は用いられたのです。 

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 そしてパウロはカイサリアに送られます。カイサリアはエルサレムから80キロほど離れたところにあります。カイサリアとは「カイサルの町」という意味です。カイサル、つまりローマ皇帝にちなんだ名がつけられていることからも分かるように、ローマにおもねって作られたローマ風の町でした。かつて主イエスがお生まれになった時、ベツレヘムの子供たちを殺害したヘロデ大王が建設した町でした。パウロが移送された当時、ローマの総督はカイサリアに住んでおり、カイサリアは、イスラエルの政治的、軍事的な中心地でした。パウロはヘロデの官邸にとどめられます。これはヘロデ大王が作った宮殿で、ローマ総督が住んでいたようです。 

 総督はパウロにごく短い質問をした後、裁きの公平性を保つため、パウロを告発する者たちが到着するまでは、パウロ側から事情聴取はしませんでした。公平性を保つためといっても、総督もまた先の千人隊長と同様、特にパウロに対して同情的でも正義にあふれた人物でもありませんでした。今日の聖書箇所のあとのところを読むと、結局、パウロはここに二年間留め置かれることになります。総督はパウロからお金をもらおうとしてパウロを呼び出していたともあります。 

 パウロは、ある意味、孤独でした。パウロの周りにはパウロを理解し、支える人はいませんでした。パウロのことを憎み命を狙う者、自分の保身だけを図る人物、利益を得ようとする者ばかりがいました。そもそもパウロが逮捕される直接的な原因となった神殿での儀式をさせたエルサレムの教会の人々から支援が来たとはどこにも書かれていません。パウロが命をかけて献金を届けた教会の人々も冷たかったのです。うんざりするような状況です。そして、さきほど、ローマへとパウロを導く神の計画が始まったと申しましたが、ヘロデの官邸に留め置かれて、その計画は中断されたようにも思います。 

 しかし、このカイサリアのヘロデの官邸でパウロは書簡を書いたと言われています。その書簡のひとつはフィリピの信徒への手紙であったと言われます。フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と言われます。監禁状態の中、パウロはなおキリストの愛を語りました。パウロはフィリピの信徒への手紙のなかでこう語ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。(フィリピ3:12)」大伝道者パウロが、既にそれを得たわけではない、自分は完全ではない、と語っていることに、少しほっとします。試練の中で、パウロが完全な者だから平気でいられたというわけではないのです。ただ、キリストが自分を捕らえてくださっている。だから、試練の中をまっすぐに突き抜けて歩んでいけるのです。神の計画はとん挫して見えながら、2000年のちの人々に愛と勇気を与える手紙がこの時期に書かれました。それもまた神のご計画でした。キリストによって捕らえられ、励まされ、勇気を与えられたパウロの言葉が今日も響きます。私たちもまたキリストに捕らえられた者として神のご計画の中を信頼して歩んでいきます。 

 



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