久しぶりに岡山県に行ってきました。
GoogleMapの「行きたい場所」には、岡山県も何か所か登録してあるんですが、日帰りするにはちょっと距離が遠くて、なかなか行けていませんでした。
今回は「備中松山城」を撮りに出かけました。
広島市からは山陽道→岡山道で約3時間。高速料金は休日割引で3000円弱。
普段下道ばかり利用してる身からすると、高速道路は退屈で仕方ない。
ACCを90km/hにセットしてると、ほぼすることがない。
ナビで「城まちステーション」を目指して進むが、国道からは結構狭い道が続く。
駐車場係の方が案内をしてくれて、二輪用駐車場の奥の車用の駐車場に停めました。
ここには土産物屋やトイレがあり、シャトルバスの乗降場所になっています。
往復500円を払い、バスで7~8分登ると「ふいご峠」の駐車場に着きます。
平日はここまで車で登ってくることができますが、駐車台数は十数台分しかありません。
自販機がここより上にはないので、ここで飲み物を準備しておくのが良いでしょう。
登り口には杖になる棒が置いてあり、レンタルすることができます。
ここから、大手門→三の丸→二の丸→本丸→天守 とひたすら登っていきます。
道は、まるで「登山」という感じで、このような道が続きます。
途中の案内板を見ながら、自分を励まします。
途中、「あわてず、ゆっくり進むべし」とか「この先 足元悪しきにつき 気を付けて歩むべし」など城主からのアドバイスが書かれた立札がありました。
大手門が見えてきました。
三の丸。
敵から身を守りながら、鉄砲や弓矢を使うための穴。
二の丸。
ベンチがあり、城下を見下ろせるため、弁当を食べたりするのに良い。
これは飾り物のネコ。
本丸に入ると迎えてくれるネコ城主「さんじゅーろー」。
定位置の座布団の上は暑いので、日よけの下にいた。
ここまで来るのに、約30分。もっとかかったような気もするが、こんな山道では敵も疲れ果てるであろう。
500円を払って、天守へ。
築城は鎌倉時代(1240年ころ)。
城までの道があまりにも過酷なため、平時、城主はふもとに居住していたようです。
その後いろいろと城主が変わり、明治6(1873)年に廃城令が出され、全国の多くの城で天守や建物が取り壊されました。御根小屋(藩主の居宅)は破壊されましたが、天守や櫓(やぐら)、門などは不便な山の上にあったことが幸いし、そのまま放置されたということです。
「石落し」。攻め来る敵に石を落として応戦。
「武者窓」。正方形の角材の角を外側に向けて並べることにより、外からは内が見えにくく、内からは広角に敵を見ることができる。
食事や暖房用の「囲炉裏」。天守閣の中に囲炉裏があるのは、全国でも珍しい。
「装束の間」。天守の最上階にあり、城主一家の居室で床下に石が敷かれており、忍びの者でも侵入が困難とされています。
戦に敗れ落城の折には、城主一家の死に場所になるそうな。
廃城令や先の大戦から逃れたこの城も、昭和、平成と修復や復元をされています。
昭和14年の復元時には、地元の小中学生や女学生が2万枚の瓦を山頂まで担いで登ったらしい。
若い頃には城なんて興味すらなかったのですが、年を取ると、築城からの変遷や当時の人々のを思いを想像するのが楽しくもあります。
ご覧いただきありがとうございます。
夕菅(ゆうすげ)