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大君の通貨 幕末「円ドル」戦争 を読んで

2022年07月26日 22時02分23秒 | 日記

読後感です。

個人的に考えた事であり、表題の書籍の内容を説明したものではありません。

 

幕末10年間程の為替の戦いを描いたものでした。

 

読み始める前は、幕府の為替自体が間違っていたので、

小判(金)が大量に流失して、それが国力を危うくしたと思っていた。

 

本当は、それが直接的な原因ではなく、インフレを招く決定が国内を疲弊させた。

と分かった。ある日突然物価が3~4倍になったら、定額の収入を得ている

士農工商の武士と農民が物価の高騰を受け入れざるを得ない事になる。

物価の高騰を転嫁できる手段を持つものは影響を低減できる可能性があるが、

転嫁できない武士や農民は疲弊する。武器を持つ者が疲弊すると暴動が起こる。

 

もともとは、外国の通貨と日本の通貨との交換レートの取り決めに端を発したもの。

日本側は正しいレートを述べていたが、その正しさが一部の日本人だけしか分からなかった。

 

当時、外国勢は銀「地金」を交換レート(為替)の基本としていた。1gは1g。

日本では、すでに重さに「(幕府)信用」を加えた貨幣体系であった。1g中の地金部分は1g以下であった。日本(ローカル)と欧米(グローバル)とのぶつかり合いです。

銀の金属の重さと購買力(重さと信用)とで釣り合う為替を日本側は提示していた。つまり欧米で購入できる価格と日本で購入できる価格が同じとしていた。

欧米側は、それでは、どこで購入しても同じと思ったはずだ。遅れている国(日本蔑視)の産物が欧米と同じはずがないという感情もあっただろう。また、中国(清朝)では、欧米より安かった(安くさせた)経験もあったはずだ。

当時の欧米の為替の考え方は、同種同量が基本。これは、地金の重さで決めるという事。

 

(欧米の1ドル銀)1gが(日本の1分銀貨)2から3枚になってしまう。

更に、国内では、金貨と銀貨の交換レートは異なる通貨体系だった。

つまり金貨(1両)は銀貨4枚(1分銀4枚)であって、国際的な金1:銀15のレートとは大きく違っていた。

(調べると、幕府が始まる頃は、1:13程度だったようです。小判1枚銀貨13枚)

(幕末には小判1枚銀貨4枚。見方によっては銀貨は4倍の信用が付加されたとも言える)

(4倍の部分は改鋳した幕府の利益であったのだろう)

 

これで(外国)4ドルで12枚の(日本)銀貨。12枚の銀貨は3枚の(日本)金貨。

この金貨(実際は小判だが)を国際市場に持ち出せば、(外国)銀貨15枚。

日本を経由すると、あら不思議15-4=11枚増えている。

今でいえば1万円が3万円になる事だ!

 

日本の金貨(小判)が全部海外に出てしまうのも問題だが、このレートを

金貨の品位を下げて、結果として1:15にしてしまった。

物価が、これで15÷4=3.85インフレとなる。

 

これでは、武力を持つ固定額収入者は、やけっぱちで騒乱を起こす?

 

現在の1300兆円の国債発行残高を調整するために同じ事をやったら暴動?

 

 

 

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