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「江戸幕府、最後の闘い-幕末の「文武」改革―」を国立公文書館で見てきました。
所蔵の江戸幕府公文書である「多門櫓文書(たもんやぐらぶんしょ)」を中心に、ペリー来航の前くらいから王政復古の後までの幕末期の江戸幕府の「文武」改革について取り上げてます。
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「重訂解体新書」、杉田玄白らが翻訳した「解体新書」の誤訳の訂正と用語集や学説を追加してます。
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徳川慶喜の大政奉還上表の拡大です。「慶喜」とはっきり書かれています。
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朝廷は各藩及び民間から有能な人材を集め、「朝臣」と呼びました。しかし、それだけでは足りず旧幕府からも人材を集めました。上の文書は旧幕臣が朝廷につかえると「朝臣」とする文書です。徳川亀之助は慶喜が15代目を隠居した後の徳川宗家16代目の当主です。
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徳川慶喜が静岡へ転居する時に一緒に移動した家臣の名簿です。左から4人目が勝安房(海舟)、となりが山岡鉄太郎(鉄舟)です。
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「平成」クリアファイルです。
ここに来る度に思うことは、昔の人は記録をきちんと残しているです。歴史で習った出来事の記録が残っていることです。消された記録もあるかもしれませんが、重要なものは残されていると思います。
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