Hiroyasu-kingの体験記  裏読み思考で社会を暴く、真理不尽の違法許さず! 遊び心で一刀両断 是非に及ばず

ヒロヤスキングの穴馬指南奮戦記から、社会の真相に迫る裏読み体験談 
官僚国家の罠 国民は家畜じゃないよ!主権在民だよ!

最高裁判決「性同一性障害特例法」の要件が憲法に違反。馬鹿の壁! 日本の最高頭脳は常識以下! 日本崩壊!

2023年10月30日 10時59分23秒 | 憲法改正. 法治国家の崩壊.検察.警察の不祥事.隠蔽.職務怠慢 . 公務員改革

最高裁判決 「性同一性障害特例法」の要件が、憲法に違反

トランスジェンダーが戸籍上の性別を変えるのに、生殖能力を失わせる手術を必要とする「性同一性障害特例法」の要件が、憲法に違反するかが問われた家事審判で、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)は25日、要件は「違憲」とする決定を出した。 最高裁の裁判官15人の全員一致の判断。

裁判官 今崎幸彦   裁判官 尾島 明  「性同一性障害特例法」の要件が違憲とした裁判官の国民審査が行われるよ!

理 由

全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する豊かで活力ある社会の実現に資するため、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する基本的な事項、行政機関等及び事業者における性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等のための措置等を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

令和2年(ク)第993号 性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件

令和5年10月25日 大法廷決定    

※15人全員一致の判断とする愚行! 発言できない裁判官は資格なし! 洞察力もなければ常識にも欠ける! 公序良俗を説明せよ!

裁判官  今崎幸彦   裁判官  尾島 明   ⇐ 国民審査だ! 女の敵だ!
大多数の女性の権利を著しく侵害するものである。最高裁は犯罪防止の確証と公序良俗を守れる手段を明らかにしろ!

原決定を破棄する。本件を広島高等裁判所に差し戻す。 ⇐ 差し戻しで逃げるな! 愚か者

※ 高裁では女性の裁判官を3名(全員)にするんだね! 馬鹿な男に判断させる問題ではない! 

 

3  原審は、抗告人について、性同一性障害者であって、特例法3条1項1号から3号までにはいずれも該当するものの、本件規定に該当するものではないとした上で、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、社会に混乱を生じさせかねないなどの配慮に基づくものと解されるところ、その制約の態様等には相当性があり、憲法13条及び14条1項に違反するものとはいえないとして、本件申立てを却下すべきものとした。

なお、原審は、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」と規定する特例法3条1項5号(以下「5号規定」という。)に関する抗告人の主張、すなわち、抗告人は5号規定に該当するものであり、仮に該当するものではないとしても5号規定は憲法13条、14条1項に違反する旨の主張については、判断していない。

4  論旨は、本件規定は、憲法13条、14条1項に違反し、無効であるというものである。

 

※ ここが馬鹿の壁! 社会的影響力や公序良俗が保てるかの洞察力に欠けている。極めて未熟な表面的な判断である。無責任で思慮が浅い!

 

裁判官三浦守、同草野耕一、同宇賀克也の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官岡正晶の補足意見がある。

 

※ この異常判断を導きだした大馬鹿三羽烏 カラスは3本足と思っているようだ 八咫烏は神話の世界、俗世界では2本足が常識だよ。 

 

三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見   ⇐ 違憲無効を引き出すための反対意見 推進した馬鹿者だよ

裁判官草野耕一の反対意見は、次のとおりである。

私は、本件規定を違憲無効であるとすることについては異存ないものの、本件事案に鑑みれば、5号規定についても違憲無効であるとした上で、抗告人に対して性別の取扱いの変更を認める旨の決定をすることが相当であると考えるものである。以下、そう考える理由を述べる。。。。。

 

裁判官岡正晶の補足意見は、次のとおりである。

5号規定が有効に存続する限り、特例法3条1項に基づき性別変更審判の申立てをする者(以下「申請者」という。)が性別の取扱いの変更を受けるためには、同人の身体が5号規定の要件を充たしていなければならない。しかるに、男性から女性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、陰茎の切除と外陰部形成のための性別適合手術を受けなければならず、女性から男性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、尿道延長と陰茎形成のための性別適合手術を受けなければならない。しかるに、これらの手術はそれ自体が申請者に恐怖や苦痛を与えるものであり、加えて、これらの手術を受ける者は感染症の併発その他の生命及び身体に対する危険を甘受しなければならない。。。

※ だから、5号規定についても違憲無効であると主張

 

3  結論

以上のとおり、本件規定及び5号規定は違憲無効であり、5号規定の要件該当性について判断するまでもなく、特例法の残余の要件に照らし、抗告人の申立てには理由があるから、原決定を破棄し、原々審判を取り消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に変更する旨の決定をすべきである。

 

4  私は、1に述べたとおり、本件規定の合憲性について、現時点における判断として、平成31年決定の結論を改めるものであるが、この4年余の間にも、本件規定により重大な影響を受けた者は少なくないと考えられることに鑑み、特に付言する。 特例法の一部を改正する平成20年法律第70号は、附則3項において、性同一性障害者の性別変更審判の制度については、この法律による改正後の特例法の施行の状況を踏まえ、性同一性障害者及びその関係者の状況その他の事情を勘案し、必要に応じ、検討が加えられるものとする旨を定めていた。そして、世界保健機関等による共同声明をはじめ、本件規定等の問題に関わる国の内外の見解や、諸外国の裁判例及び立法例が見られる中で、平成31年決定は、本件規定の憲法適合性については不断の検討を要する旨を指摘した。しかし、その後を含め、上記改正以来15年以上にわたり、本件規定等に関し必要な検討が行われた上でこれらが改められることはなかった。

全ての国民は、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とするものであり、状況に応じて適切な措置を講ずることは、国の責務である。取り分け、今日、性自認や性的指向等に関係なく、あらゆる分野において平等な参加が確保されるよう、社会的な障壁を取り除き、不適切な規範や慣習に対処して、あらゆる人々が生き生きとした人生を享受することができる社会の実現が求められている。 指定された性と性自認が一致しない者の苦痛や不利益は、その尊厳と生存に関わる広範な問題を含んでいる。民主主義的なプロセスにおいて、このような少数者の権利利益が軽んじられてはならない。

※ 大多数の女性の権利を著しく侵害するものである。最高裁は犯罪防止の確証と公序良俗を守れる手段を明らかにしろ! 答えられないだろう無責任が! 

 

裁判官草野耕一の反対意見は、次のとおりである。

私は、本件規定を違憲無効であるとすることについては異存ないものの、本件事案に鑑みれば、5号規定についても違憲無効であるとした上で、抗告人に対して性別の取扱いの変更を認める旨の決定をすることが相当であると考えるものである。以下、そう考える理由を述べる。。。。。

※ 違憲無効を引き出すための反対意見 違憲無効を推進した馬鹿者だよ!

 

1  5号規定が有効に存続する限り、特例法3条1項に基づき性別変更審判の申立てをする者(以下「申請者」という。)が性別の取扱いの変更を受けるためには、同人の身体が5号規定の要件を充たしていなければならない。しかるに、男性から女性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、陰茎の切除と外陰部形成のための性別適合手術を受けなければならず、女性から男性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、尿道延長と陰茎形成のための性別適合手術を受けなければならない。しかるに、これらの手術はそれ自体が申請者に恐怖や苦痛を与えるものであり、加えて、これらの手術を受ける者は感染症の併発その他の生命及び身体に対する危険を甘受しなければならない。。。 

だから、違憲無効を引き出すための反対意見 違憲無効を推進した馬鹿者だよ!

 

 2  「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益」は、多数意見が指摘するとおり、重要な法的利益である。そうである以上、既に特例法が存在するにもかかわらず申請者がこの利益を享受するためには上記の如き手術を受けなければならないとすることは憲法13条が保障している「身体への侵襲を受けない自由」の制約に当たるといえる。したがって、5号規定が合憲であるというためには、5号規定が上記の自由を制約していることの目的(以下、単に「制約目的」という。)に正当性があり、かつ、その目的を達成するために5号規定が選択した手段が制約目的に照らして相当なものといえることが必要である。そこで、以下、これらの点について順次検討を加える。5号規定の制約目的としては、一般に、公衆浴場等で社会生活上の混乱が生じることを回避するためなどと説明されることが多いが、5号規定が申請者にもたらす不利益との比較を行うためにはこれをできる限り自然人の享受し得る具体的利益に還元した表現を用いるべきである。この点から考えると、5号規定の制約目的は「自己の意思に反して異性の性器を見せられて羞恥心や恐怖心あるいは嫌悪感を抱かされることのない利益」(以下、この利益を(読みやすさを考慮して常にかぎ括弧を付けたままで)「意思に反して異性の性器を見せられない利益」という。)を保護することにあると捉えることが適切であろう。しかるに、性器を公然と露出する行為が刑法174条の罪(公然わいせつ罪)に当たることは確立された判例となっており、一定の区域内において性器を露出することが例外的に許容されている施設の代表である公衆浴場においても公衆浴場法の委任を受けた各地方公共団体の条例が、浴室等を性別によって区別すべきことを定めてきた。これらの事実に鑑みれば、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」は尊重に値する利益であり、これを保護せんとする5号規定の制約目的には正当性が認められる。

そこで、問題は、上記の制約目的を達成するために選択した手段(5号規定)が、上記の制約目的に照らして、相当であるといえるか否かということになる(以下、いわゆる目的手段審査のうち、手段の相当性に関する問題を「相当性問題」という。)。

相当性問題についての判断を下すに当たりいかなる判断枠組みを用いるべきかについては講学上様々な見解がある。しかしながら、相当性問題の実質は、共通の指標によって大小を計ることができない関係者間の利益を比較衡量することであるところ、かかる比較衡量を普遍的ないしは類型的に行い得るような判断枠組みがアプリオリに存在するとは考え難く、相当性問題を考えるに当たって採り得る最善の思考方法は、結局のところ、判断の相当性を最も明確に示し得る視点を試行錯誤的に模索し、その結果として発見された「最善の視点」に立って問題を論じ判断を下すことであるように思える。そして、本事件において用い得る「最善の視点」は、5号規定が合憲とされる場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が合憲とされる社会」という。)と5号規定を違憲としてこれを排除した場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が違憲とされる社会」という。)を比較し、いずれの社会の方が、憲法が体現している諸理念に照らして、より善い社会であるといえるかを検討することであろう。

※ この観点に立って考えても出した判断が、5号規定を「違憲」とする考えから出た判断が、本件の最高裁の「違憲無効」だよ 高裁差し戻しで逃げたよ

 

3  最初に、5号規定が合憲とされる社会について考える。この社会においては、特例法上の性別の取扱いの変更を受けるための要件のうち5号規定の要件以外は全て充たしているが5号規定の要件は充たしていない申請者(以下「5号要件非該当者」という。)は、性別変更審判を受けることができない。したがって、5号要件非該当者は、公衆浴場等の施設において、性別によって区別されていて、自己の生物学的な性別と異なる性別の者については性器を露出したままで行動することが許容されている区域(以下「許容区域」という。)に入場することが許されず、その結果、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が5号要件非該当者によって損なわれる事態は起こり得ない。他方、5号要件非該当者が性別の取扱いの変更を確実に受けるためには性別適合手術を受けなければならないのであるから、5号要件非該当者は、身体への侵襲を受けない自由の侵害を甘受するか、あるいは、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益の享受を断念するかしかない。これを要するに、5号規定が合憲とされる社会は、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が5号要件非該当者によって損なわれることがおよそ起こり得ないという点において、たしかに静謐な社会であるといえるが、その静謐さは5号要件非該当者の自由ないし利益の恒常的な抑圧によって 購あがなわれたものにほかならない。なお、性同一性障害者はホルモン療法を相当の期間にわたって受けるなどすることによって自己の性器についても外形上顕著な変化が生ずる可能性があるところ、性別適合手術を受けずとも、このような顕著な変化をもって5号規定の要件を充足し得る場合もあるとする見解があるが、そのような変化が生ずる者がいるとしても、そうではない5号要件非該当者の自由ないし利益に対する恒常的抑圧が続くことに変わりはない。

 

4  次に、5号規定が違憲とされる社会について考える。この社会については、性別の取扱いの変更を受けた5号要件非該当者(以下、文脈上明らかである場合には、このような限定的意味で「5号要件非該当者」という言葉を用いることとす- 29 -る。)が許容区域に入場することによって当該許容区域の他の利用者が有している「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる事態が発生するのではないかとの懸念を抱く者がいるであろうことは理解し得るところである。しかしながら、ここにおいては二つの点に留意が払われなければならない。第一に留意すべきことは、公表されている調査結果等によると、我が国の全人口に占める性同一性障害者の割合は非常に低く、その中でも(身体的特徴を他の性別のものと適合させたいとの気持ちから進んで性別適合手術を受ける性同一性障害者も少なくないであろうから)5号要件非該当者に当たる者はさらに少ない上に、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が尊重されてきた我が国社会の伝統的秩序を知りながらあえて許容区域に入場し、そこで自らの性器を他の利用者に見えるように行動しようとする者はもっと少なく、存在するとしても、ごく少数にすぎないであろうという点である。この点に鑑みるならば、以下に述べる点を措いて考えたとしても、5号要件非該当者によって許容区域利用者の「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる事態が発生する可能性はそもそも極めて低い。 

※ 少ないから許されるという馬鹿な理論! 法律家か?

第二に留意すべきことは、全ての許容区域は、これを公衆の用に供することを業として行う者の管理下にあるという点である。したがって、5号規定が違憲とされる社会に直面した許容区域の管理者は、①厚生労働大臣が各地方公共団体にする技術的助言及びこれを踏まえた許容区域の性別区分を定める諸条例においていうところの「男女」の解釈(なお、現行の上記技術的助言(令和5年6月23日付薬生衛発0623第1号)は「男女」の区分は専ら身体的な特徴によってなされるべきであるとしている。)や、②当該許容区域の利用者の意見等を勘案した上で、5号要件非該当者の当該許容区域への入場を禁止するか、許容するか(日時や曜日を限って入場を許容することなども考えられる。)、あるいは、その中間的な措置を講ずるか(無償又は有償で貸与する水着を着用することを条件として入場を許容することなども考えられる。)、いずれにせよ何らかのルールを利用規則として定める必要に迫られることになるであろう。しかるに、利用者間のトラブルの発生を未然に防止しつつより多くの利用者が満足し得るサービスを提供することは、許容区域の円滑な経営や適切な運営管理という観点からも許容区域の管理者が満たすべき喫緊の要請であるはずであるから、あらゆる許容区域の管理者は、5号要件非該当者の利用に関する当該許容区域の利用規則を定めるに当たっては、利用者が有している「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれることのないよう細心の注意を払うとともに、定められた利用規則の内容を当該許容区域の利用者に周知徹底させるよう努めることが期待できる。この結果、許容区域の利用者の「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる可能性はさらに低くなるであろう。以上を要するに、5号規定が違憲とされる社会であっても、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる可能性は極めて低く、一方、この社会においては5号要件非該当者に性別適合手術を受けることなく性別の取扱いの変更を受ける利益が与えられるのであるから、同人らの自由ないし利益に対する抑圧は(許容区域への入場が無制限に認められるわけではない以上「完全に」とはいえないまでも)大幅に減少する。

なお、5号規定が違憲とされる社会においては、5号要件非該当者による許容区域の利用規則の有り様ようについての諸見解が、様々な公共空間において議論の対象となることが予想されるところ、そのような議論の結果によっては、追加的な立法措置や新たな司法判断により、5号要件非該当者とそれ以外の国民のいずれか又は双方の自由と利益に関して、上記に述べたものとは(もとより憲法上許容される限度においてではあるが)若干異なる事態が現出する可能性がないとはいえない。そして、この可能性がある点において、5号規定が違憲とされる社会は、5号規定が合憲とされる社会と比べるといささか 喧かまびすしい社会であるといえるかもしれない。しかしながら、この 喧かまびすしさは、5号要件非該当者とそれ以外の国民双方の自由と利益を十分尊重した上で、国民が享受し得る福利を最大化しようとする努力とその成果と捉え得るものである。

 

※ 民主主義は多数決の判断! 「5号要件非該当者に当たる者はさらに少ない」と言いながら大多数の国民を抑圧する馬鹿な理論 法律家ですか? 洞察力のない頭で勝っ手に決めつけるな!

 

5  以上によれば、5号規定が違憲とされる社会は、憲法が体現している諸理念に照らして、5号規定が合憲とされる社会に比べてより善い社会であるといえる。よって、5号規定の制約手段は5号規定の制約目的に照らして相当なものであるとはいえず、5号規定は本件規定と同様に違憲であると解するのが相当である。そして、抗告人が本件規定と5号規定を除く特例法上の要件を充たしていることは一件記録上明らかであるから、原決定を破棄した上で本件申立てを認める旨の決定を下すことが相当であると思料する次第である。

 

※ 違憲無効を引き出すための反対意見を更にダメ押しした馬鹿な理論 15人の裁判官が違憲無効を推進した異常者だよ! 正に、半端職人4人に馬鹿11人かな? 

 

裁判官宇賀克也の反対意見は、次のとおりである。

1  私は、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約は必要かつ合理的なものということはできず、本件規定が違憲であるとする点については、多数意見に全面的に同調する。多数意見が述べるように、現在では、生殖腺除去手術は、治療の最終段階ではなく、基本的に本人の意思に委ねられる治療の選択肢の一つにすぎなくなっているのであるから、生殖腺除去手術は、医学的観点から必要性が肯定されることに加えて、本人の真の同意がある場合に限り認められるべきといえよう。したがって、医学的必要性の有無にかかわらず、また、本人が生殖腺除去手術を受けることを望んでいるかを問わず、生殖腺除去手術を受けなければ法的性別の変更を認めない制度は、自認する性別と法的性別の不一致により多大な不利益を受けている者に、法的性別を自認する性別と一致させるために生命・身体への危険を伴う生殖腺除去手術を受けることを選択するか、危険を伴う生殖腺除去手術を回避するために自認する性別と法的性別の不一致に伴う社会生活における様々な不利益を甘受するかという過酷な二者択一を迫ることになる。そして、本件規定は、生殖腺除去手術を受けない者は真正の性同一性障害者ではないという、医学的根拠のない不合理な認識を醸成してしまうおそれがあると思われる。本件規定が設けられた主たる理由は、生殖能力を残存させたまま法的性別の変更を認めた場合、女である父、男である母が生じ得ることとなって、社会的混乱が生ずることであるが、多数意見が指摘するように、平成20年改正により、既に成人の子がいる場合には、女である父、男である母の存在が法的に認められており、同改正から15年以上を経過した今日において、そのことによって社会的混乱が生じているとは認められない。また、法的な観点とは別に、外見上は男性である者が子を出産する事態はあったとしても極めてまれであるのみならず、それは法的性別の変更如何と関わりなく生じ得る事態であり、本件規定には、かかる事態を防止する意義が認められない。さらに、性同一性障害者がホルモン療法や生殖腺除去手術の前に精子や卵子を凍結保存し、性別変更後にそれを利用して子をもうけることが医学的に可能になっているが、そのような事態は生ずるとしても極めてまれであるのみならず、本件規定によってかかる事態を防止することはできないから、その点においても、本件規定の存在意義は認められない。そもそも、性同一性障害者は、法的性別の変更によって、突然、自認する性別による生活を開始するわけではなく、ホルモン療法等によって外見上の性別が変化し、さらに家庭裁判所の許可を得て名の変更を行い、外見も名も自認する性別に合致した生活をしているのが一般的であると考えられる。したがって、外見や名からうかがわれる性別と法的性別が不一致であることの方が、社会的混乱を招くことが少なくないように思われる。

 

2  本件規定は、生殖に関する自己決定権であるリプロダクティブ・ライツの侵害という面においても重大な問題を抱える。この点については、前掲最高裁平成31年1月23日第二小法廷決定の共同補足意見においても、性別適合手術による卵巣又は精巣の摘出が、生命ないし身体に対する危険を伴うとともに、生殖機能の喪失という重大かつ不可逆的な結果をもたらすと指摘されていたところである。リプロダクティブ・ライツも、憲法13条により保障される基本的人権と解してよいと思われるところ、自認する性別と法的性別を一致させるために、自己の生殖能力を喪失させる生殖腺除去手術を不本意ながら甘受しなければならないことは、過酷な二者択一を迫るものであり、リプロダクティブ・ライツに対する過剰な制約であると考える。

リプロダクティブ・ライツについては、身体への侵襲を受けない自由とは別に保障されていると解することもできるが、身体への侵襲を受けない自由に包摂されるという理解もあり得ると思われる。すなわち、2011年(平成23年)、ドイツの連邦憲法裁判所は、性別取扱いの変更について生殖能力喪失を要件とする規定を違憲であると判示したが、そこでは、人間の生殖能力は、基本法2条2項によって保護されている身体不可侵の権利の要素であると述べられている。

 

※ 日本の最高頭脳は馬鹿だからドイツに習えだよ! 日本の裁判官は独自性に欠けて、日本民族のプライドも知能も足りないようだね ドイツが正しいか?

 

3  私見によれば、身体への侵襲を受けない自由のみならず、本件のように、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、幸福追求にとって不可欠であり、憲法13条で保障される基本的人権といえると思われる。身体への侵襲を受けない自由との関連で問題になるのは本件規定及び5号規定に限られるが、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利が憲法13条により保障された基本的人権であるとすれば、特例法3条1項の他の規定に関しても、基本的人権への制約が許されるかが問われることになる。性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利が憲法上の権利として認められるという見解は、我が国の学説において有力であるのみならず、海外においても、国際人権法上又は憲法上、かかる権利が保障されるという考え方は、相当に有力であるといってよいと思われる。すなわち、2011年(平成23年)に、ドイツの連邦憲法裁判所は、性別適合手術を性同一性障害者による法的性別の変更のための要件とすることは違憲であると判示したが、その理由として、(ⅰ)基本法2条2項によって保障される個人の身体的不可侵性に対する過剰な制約、及び(ⅱ)人間の尊厳を定める基本法1条1項及び人格の自由を定める基本法2条1項によって保障される基本的人権の過剰な制約、の2点を挙げている。後者の(ⅱ)について、ドイツ連邦憲法裁判所は、人間の尊厳は、人格の保護を求める基本的人権と結合し、自己の性自認の法的な承認を要求すると判示している。また、2017年(平成29年)に、欧州人権裁判所は、法的性別の変更に生殖不能要件を課すことは、欧州人権条約に違反するとしたが、そこにおいては、性同一性障害者の性自認に従った法的性別への変更に生殖不能要件を課すことは、身体的完全性の権利の侵害のみならず性的アイデンティティの権利の侵害についても、欧州人権条約に違反すると判示している。性自認は多様であるので、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益といっても、その外延が明確性を欠くという議論はあり得るが、特例法2条が定義する性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益に限れば、その外延は必ずしも不明確とはいえないと思われる。また、いささかでも外延が不明確であれば、憲法13条後段に基づく新しい基本的人権として認めないという考えをとれば、憲法に列挙されていない新しい基本的人権はおよそ考え難いことになる。当審がこれまで憲法13条後段に基づく新しい基本的人権として明確に認めた「みだりにその容ぼう・姿態(…)を撮影されない自由」(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁)、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」(最高裁平成2年(あ)第848号同7年12月15日第三小法廷判決・刑集49巻10号842頁)、「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」(最高裁平成19年(オ)第403号、同年(受)第454号同20年3月6日第一小法廷判決・民集62巻3号665頁)にしても、いずれも「みだりに」という不確定概念が用いられており、何が「みだりに」に当たるかは決して一義的に明確ではなく、その外延をめぐり学界で多様な議論があり、また、訴訟で争われることがあることは周知のとおりである。さらにいえば、憲法13条以外で規定された基本的人権も、表現の自由や信教の自由を考えれば明らかなとおり、決してその外延は明確ではなく、憲法学者の研究の大部分は、憲法上基本的人権として明記された権利の外延についての様々な解釈の優劣に関するものといってよいと思われる。検索エンジンやSNSの登場によって、表現の自由の外延について新たな議論が必要になったように、技術の進展等を含む社会情勢の変化に伴い、基本的人権の外延は変動の可能性を伴うのであり、変動する外延を確定していく努力は、判例や学説に委ねざるを得ないであろう。また、性自認が多様であり得ることは、日本に固有の事情ではないにもかかわらず、ドイツの連邦憲法裁判所や欧州人権裁判所が、前述のように、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利を基本的人権として承認したことも、外延を完全に明確にできないからといって基本的人権としての承認を拒むのではなく、コアの部分を基本的人権として認めた上で、その外延をより明確化する作業は、その後の判例や学説に委ねるという立場をとったものと思われる。

そして、自認する性別と生物学的な性別が一致する者が誤って自認する性別と異なる性別を戸籍に記載され、その訂正が許されず、生涯、自認する性別と異なる法的性別を甘受しなければならない状況を想像すれば、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益が人格的生存にとって不可欠であることについて、大方の賛同を得られると思われる。さらに、性別変更審判が認められた例は、累計で1万件を超えているが、それによって社会的な混乱が生じていることはうかがわれず、また、特例法に基づく法的性別の変更が記載される戸籍は、一般に公開されないものであり、通常は既に変更されている外見や名に合致した法的性別に変更するものである以上、他者の権利侵害が、性同一性障害者の法的性別の変更に伴って生ずるとは考え難い。したがって、性同一性障害者が性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益は、憲法13条によって保障されると考えてよいと思われる。

 

4  抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能が永続的に失われているような特別の事情がある場合には生殖腺除去手術なしに生殖能力が失われることによって本件規定の要件を充足する場合があり得る。5号規定についてもホルモン療法等によって手術をすることなくその要件を満たすことはあり得る。女性から男性への性別変更審判を受けた者については、そのような例が多いという調査結果も存在する。もっとも、5号規定についても、男性から女性への性別変更審判を求める者の場合には通常は手術が必要になるところ、その手術も、身体への侵襲の程度が大きく、生命・身体への危険を伴い得るものである。また、5号規定の要件を充足するための手術は不要な場合であっても、当該要件を満たすために行われるホルモン療法も、重篤な副作用が発生する危険を伴うものである。したがって、5号規定も、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利と身体への侵襲を受けない自由との過酷な二者択一を迫るものであることは、本件規定の場合と異ならないといえる。他方において、5号規定を廃止した場合に社会に生じ得る問題は、もとより慎重に考慮すべきであるが、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に示されているとおり、上記のような過酷な選択を正当化するほどのものとまではいえないように思われる。したがって、私は、5号規定も、本件規定と同様に違憲であるとする点で、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に同調する。

そして、抗告人が本件規定及び5号規定以外の特例法の要件を充たしていることは明らかであるから、原決定を破棄し、本件申立てを認める旨の自判をすべきものと考える。

 

全員一致で判断を下した15人の裁判官 裁判官罷免請求をすべきだね!

(裁判長裁判官  戸倉三郎  裁判官  山口 厚  裁判官  深山卓也  裁判官  三浦 守  裁判官  草野耕一   裁判官  宇賀克也  裁判官  林 道晴  裁判官  岡村和美  裁判官  長嶺安政  裁判官  安浪亮介  裁判官  渡 惠理子  裁判官  岡 正晶  裁判官  堺 徹  裁判官  今崎幸彦  裁判官  尾島 明)

 

この問題の多くの被害者は女性になるのに、男ばかりで決める馬鹿な裁判! 15人中女性裁判官は1人? 14人の非常識な男が女性の人権問題を歪めたよ。馬鹿な裁判官構成が違憲そのものだ!

女性問題が深刻に考えられる本件は、女性の裁判官が8人は任命されなければ公正な裁判にはならない!馬鹿な男の理論では判断してはいけない!

馬鹿の壁  日本の最高頭脳は常識以下!  日本崩壊!

 

女性差別を実行するのは最高裁!

 

2013年11月06日 12時17分28秒 | 相続問題.配偶者.実子.非摘出子.養子について

[相続問題は根が深いからね 法治国家だから法曹界の方々が一生懸命考えないとね!] 

 

相続問題は根が深いからね 法定相続があたり前とすると親との同居も親の面倒を看る子共もいなくなるね

同居人以外は、死ぬまで知らん振りしていて、生きているうちは親のすねをかじって、死んだら財産は平等でしょ!って主張するよね

この相続の実態は、日本の農業を破壊しているんだよね 同居して親の農業を引き継ぐと馬鹿を見るよ 農業後継者を守る感覚が無いんだよ

相続権は平等だけどね 相続者には親や財産に対する寄与分も権利としてあるけどね 立証が難しいから反映されていないからね

必死になって寄与分請求をしても証明出来ないものは認められないよ 評価も大雑把で大体この位って感じだよ 裁判官によるけどね

裁判の過去の判例では財産の30%位が上限の相場になってるよ これでは功労者が救われないと言う事で上限は無くなったけどね

法改正の前は50%と上限が定まっていたはずだよ したがって過去の判例では30%程度が上限の判例になっていたんだね

法律は無限に改正されたけどね 裁判官は過去の判例にこだわっているから生かされていないね 英断を下せる裁判官は極僅かだろうね

寄与分が50%認められたって判決が出たかどうかは分からないけどね 無限とは言っても100%はありえないだろうね

 

父親が先に死んで母親が生きていれば二分の一、プラス農業後継者の子供の持分で母親の意見も反映するから、後継者は田畑をかろうじて維持できる可能性があるけどね

母親が死んだときには農業は継続できなくなるよ 寄与分が認められなければ農業は衰退するね 現在の農業後継者の悩ましい問題だね

農地は耕作者の職場だからね 元来、農地は農業耕作者でなければ取得できない土地だけどね 相続法はこれを無視するからね

農業をしていない相続人も取得できるんだよ だから、日本の農家は崩壊するよ 後継者はバカバカしくて後を継がないよ 物理的に継げないんだよ

万が一母親が先に死んでたら、子供の法定相続分で分けられてしまうからね 農業を続けていくことは出来なくなるね

この法律はおかしいんだよ 母親は夫に対する相続権は二分の一でも、先に死んだら何も無いからね 夫と一緒に財産を築いた功績は母親の財産として残らないよ

 

これは、最高裁で認めた婚外子の相続分を婚内子と平等にするって判断で逆に不平等になるって事になるよ 母親の財産権は消えるからね

母親の相続分2分の一が婚内子に代襲相続されれば実質的には平等になるけどね 母親に先に死なれたら父親の財産に対する母親の相続分は消えて、実の子供の相続分に反映しないからね

父親と同居していた子供は一変に路頭に迷うね これは相続法の陰に隠れた女性の権利の侵害だと思うね 母親が生きていなければ認めないからね

現行法で同居している子供の権利を認めるのは寄与分しかないだろ 子供の親に対する扶養義務も寄与分に加算すれば同居人は救われるけどね

法定相続が平等との考えが根づいているようでは、相続は家庭破壊を助長するよ 寄与分の評価が加算されてこそ平等との考えが常識にならないとね

現行の裁判ではこの点が弱いね 何でも立証だからね 親に使った金をすべて領収書にでもして持っていないと証明できないよ

夫婦間ではそんなものが無くても夫の財産には相続権を認めているだろ 離婚での財産分与でも認めるだろ 領収書はないだろう

同居すれば無形の寄与も多いからね 精神的な負担も大きいよ これらの評価が相続時に明確に評価されなければ親と同居する子供はいなくなる

日本の家族が崩壊している要因でもあるね 家を出て親が死んだら財産は平等でしょ!って主張したほうが得するからね

 

裁判官が寄与分を簡単に認めれば良いんだよ 生活実態を確認して、財産の維持や親の面倒を看たと判断すればドンと寄与分を認めれば済む問題だよ

ところが、今までの裁判官は慎重だからね 証明書類が無いと認めないよ だから同居すると損をすることになるね 親子喧嘩もするからね

家族が生活するってことは生計を分離するのは難しいよ 特に農家や自営業は難しいからね 同居の子供は親のすねをかじってるって見られたら浮かばれないよ

親と一緒に住めなくなるよ 子供が同居してくれるから助かっているんだって考えないとね 年を取れば子供の世話になってると考えないとね

親と暮らしているから楽をしてるなんて評価されたら同居はできないよ 馬鹿馬鹿しくてやっていられないね 親の面倒を見る子はいなくなるよ

同居する子供の評価をプラスにしないと家族は崩壊するよ 財産を分けたら他人になるよ 兄弟が恨みつらみの関係になるね

刑事事件では裁判員裁判が開かれるけどね 民事では裁判員はいないからね 一般感覚が反映されないだろ 証拠主義では詐欺商売は防げないよ

裁判員裁判は民事事件の方が向いてると思うけどね 民事に一般感覚が反映されれば悪行は防げると思うね 刑事罰にできなくても賠償は認められるだろう

判決が速くなれば弱者は救われるよ 三審制だからね 法的判断は高裁で審議すれば良いだろう 民事事件ほど裁判員が必要だよ

証拠主義で過去の判例に縛られていたら、悪党には敵わないよ 裁判を見越して悪行を働くからね 時間を掛けて粘り負けさせられるよ

だから、詐欺商売が蔓延するんだよね 騙し得の世の中になるよ 正直に努力するものが評価されないとね まともな社会にならないよ

 

事の正否を判断してくれるのが裁判所と期待してもね 真実を見極めて、実態に沿った判決が下されないとね 相続問題も解決しないね

裁判官が弱虫だと言うしかないね 最も、裁判官や弁護士は長男は少ないだろ 家を出る子供が多いだろう 親との同居人は少ないと思うよ

したがって、裁判は法定相続を優先して、寄与分の判断が消えてしまうんだね 教育も寄与分を教えないからね 平等とは何かの考えが歪むよ

相続争いも少子化で自然減少はするだろうけどね 出産率が1.5人程度では争いも減るよ でもこのまま放置すれば再燃するよ

子供を沢山生みましょうなんて政策を取らないと国力が落ちるからね 子供が3人にでも増えれば相続争いが増えるね

もっとも、今の経済では親が争うほどの財産も無いって事にもなるけどね これでは国力も落ちたって事だろ 情けない国になるね

兄弟、姉妹が助け合って仲良く暮らせる環境を作るには、親の財産に対しての取り分評価が明確に分かるような判例が必要だよ

子供の貢献度が明確に評価されて、相続に反映しないとね 一般常識で理解できるようにしないと争いは無くならないよね

一般常識を育てるってことも司法の役割だと思うけどね 生きた法律の運用が為されなければ、社会を混乱させるばかりだよ

法律の専門家の考え方は嫌いだね 人間社会には良識が働かないとね 法律どおりで証拠主義ならコンピューターで判断で良いね

裁判官は要らなくなるよ 機械に人間が負けるよ 当事者の表情や言動を見て真実は何処にあるかを判断するから人間なんだろ

証拠が無ければ認めないって方針で判断してたら詐欺師は捕まらないからね 偽証罪で告訴された証人なんて聞いたことが無いね

裁判でも慣れた悪人は平然と嘘をつくよ 悪党ほど裁判に強いからね 弁護士のモラルも欠如しているよ 倫理観は感じない

裁判官の器量に掛かっているけどね 権限を持っているんだから、ビシット英断を下せると引き締まるけどね 

証明してくださいって言ってるようでは生きた判決にはならないよ 裁判官には、証拠は判断材料であって、判断は私が下しましたって言って欲しいね

 

裁判で争うと、とんでもない主張が出るよ 生前に財産の一部を貰っていると特別受益として引き算されるんだけどね

農業後継者は親の田畑を耕して生活していたんだから特別受益だと主張する弁護士が出るからね 裁判官も受け入れる馬鹿がいる

これでは農業後継者は浮かばれないだろ 親と暮らしたら特別受益を受けているって認められたら一緒には暮らせないし、農業はやらないよね

これが日本の農家の崩壊に繋がっているんだよ 法律は解釈でとんでもない不平等を生むからね 分かりやすくしないとね

 

農地には小作権ってものがあるけどね 元々農地は農業耕作者しか取得できないんだよ 他人なら小作権を認めるだろ

親子では小作権を認めないんだよ だから生活の基盤となっていた農地の優先取得権が無いんだよ 商売なら営業権が認められるからね

小作権なんて戦後の話だけどね 今では聞かなくなった権利だけどね 自作農特別処置法はこの権利の拡大処置だろう

現在の農家の財産はこの処置法によって形成されたと言ってもいいだろう それ程小作権は評価すべきものだよ 親子の使用貸借ではない

賃料相当は労力で払っているよ 農地を維持して生産することは大変なことであり、それも親の収入になっているんだろ

農業後継者の労働を評価しなければ奴隷制度と同じだからね 親子に給料制なんてないからね 家庭内の収支を明確にすることはできないよ

これらの事情を十分に評価しないで、残った財産をすべて遺産と見なしたら、農業後継者は救われないね 裁判所が家族崩壊を生み出したんだよ

法律は親子である以上、すべての権利が剥奪されるよ これこそ不平等そのものだろ 農業後継者の権利を保証するものがない 人権侵害だよ

相続で小作権を評価すれば農地は農業後継者に優先的に相続されるよね 農地は相続評価が低いから農業後継者は取得が可能になるよ

農地は管理するものがいなければ雑草地になるよ 農地の価値はなくなるよ 草をとって管理してきた後継者は農地の維持に寄与しているだろ

裁判所は寄与分をしっかりと評価すべきだよね 草をとったことも無いような奴には分からないだろうね 農地の維持は大変だよ

 

農業後継者には農地に対する権利を認めるべきだね 司法判断で明確にすべきだよ 日本の農業を崩壊させたのは裁判所だと指摘しておくよ

農地は農業後継者に優先して相続できる権利を認めるべきだね 小作権を認めるべきだよ 相続の清算は農地以外の財産と金銭でやるべきだよ

男女平等の権利と表向きは騒いでいるけどね 平等にはなっていないね 夫婦で築いた財産は平等と判断するけどね 証拠は要らないだろ

だけど、妻は先に死ねば夫の財産に対しての権利は消えてしまうからね 生きていなければ財産にならないね 夫が先に死ななければ手に入らないよ

したがって、妻は夫より先に死んだら、夫に対する財産権の二分の一を自分の子供に相続させることができないね 婚外子が有利になるよ

おかしな話だろ 最高裁はここまで考えているのかね? 気がつかないとしか思えないね これが平等かい 益々親との同居は馬鹿みたいだね

そもそも、婚外子をつくるような奴は、家族に与える心労は計り知れないものがあるよ 家族は精神的苦痛を受けているからね

婚外子自身には罪はないけどね 財産分与では婚内子の評価をプラスしないとね 母親が先に死んでいたら救われないよ

母親の相続権を代襲相続できるように法改正でもしないとこの問題はますます家庭崩壊を生むよ 女性の権利を侵害しているよ

現在では遺言証を事前に書いておくしか防衛手段が無いからね 親との仲が悪くなったら終わりだよ 農業後継者はハラハラドキドキだね

相続問題は根本から考え直さないと日本の農業は崩壊するね 日本の家族の絆を崩壊することにもなるよ 血縁を断ち切る死神だよ。。。

 

これで女性は夫より早く死ぬと夫の財産が半分貰えずに、妻の実子に相続させる夫の財産への権利が亡くなり、夫の財産は婚外子(妾の子)と実子(本妻の子)が同じになる。

改正前の、婚外子が実子の半分の相続権だった事には大きな意味があったんだろ。本妻が先に死んでも、夫への相続権が代襲相続されて実子に母親の分が保証されていたのだ。相続権は「婚外子は実子の半分になる」が平等なんだよ 表面的な不平等ではない! 

女性の権利を侵害する馬鹿には、深い意味が理解できない法改正だね! 

 

最高裁判決は本妻たる女性の夫に対する財産権を否定して、自らが得られるべき夫の財産を実子に与えることを否定されて、夫より先に死ぬと取り上げてしまった。したがって、夫より妻が早く死ぬと、妻の実子たる子供に、妻の取り分が代襲相続されず、夫の遺産に反映されず実子の相続分が増額されない為婚外子(妾の子)と実子(本妻の子)の相続分が同じになる。

女性(本妻)の権利のはく奪だろ 不平等だよ! 婚外子は不倫の勧めだよ 家を守る実子はやってられないよ

最高裁の裁判官は、洞察力が無いから、夫に対する妻の相続権を奪ってしまった憲法違反だろ!  

平等にしたと錯覚させる不平等だよ 昔の法律家の方が遥かに優秀だよ 進歩したはずの現代人が退化して馬鹿になる。

「婚外子は実子の半分になる」はいろいろと考えた結果だよ 馬鹿は理解できずに改悪した! 馬鹿の壁! 

 

11月3日  馬鹿と阿呆の絡み合い! 腐った立法、狂った司法!

朝日新聞デジタル連載社説記事より(社説)柿沢副大臣 「適材適所」があきれる

9月に就任したばかりの柿沢未途(みと)法務副大臣が辞表を提出した。4月にあった地元の東京都江東区長選で初当選した木村弥生区長の陣営に、公職選挙法で禁じられた有料ネット広告の利用を勧めていたことが明るみに出たためだ。
13年の公選法改正で、インターネットを使った選挙運動が解禁され、選挙期間中の政党や候補者のホームページやブログの更新、ツイッター(現X)やフェイスブックといったソーシャルメディアの利用が認められた。
ただ、有料ネット広告は、政党などの一部例外を除き、原則禁止とされた。
利用が過熱し、カネのかかる選挙になることを防ぐためだ。

柿沢氏は朝日新聞の取材に対し、「違法という認識はなかった」と述べた。

⇑ 法務副大臣だよ、金もバラ撒いたらしいね ありえない事だけどね 最高裁判所の裁判官も狂った果実で脳軟化症だからね 真面な判断は無理だね

法改正時、柿沢氏は衆院議員2期目で、その後も3回の当選を重ねている。選挙運動の際、何が許され、何が認められないかを把握しておくことは、政治家のイロハだろう。
本当に知らなかったのなら、国会議員としての資質にも疑問符がつく。

岸田首相は参院予算委で「任命権者としての責任を重く受け止める」と述べた。先週には、不倫が報じられた山田太郎文部科学兼復興政務官が辞職したばかりである。

 

馬鹿と阿呆の絡み合い! 何から何まで真っ暗闇さ、馬鹿がまかり通る時代でござんす!


国民よ 目覚めよ! 消費税は何故、無くせないのか? それは国民から徴収した消費税を輸出業者に、無税の利益として分配しているからである。

2023年09月15日 11時23分04秒 | アベノミクス.モラトリアム.経済対策.現金給付.財政出動.貨幣の発行.MMT

割り込み記事 11月7日

国家的詐欺! 岸田総理は道化師だ、大衆を騙して称賛を得ようとしている。国民は馬鹿ではない、ただただ笑うのみ! 

頭の悪い詐欺師なんて珍しい、馬鹿丸出しとはこの事だ! 周りの知恵袋は知恵遅れ、財務省は国民を騙す知恵しか働かない詐欺集団だ! 

主権在民国家の国家公務員としては、財務省は「特別背任罪、特別詐欺罪」だろう 国民に減税と称して「フィシング詐欺」を仕掛ける増税の罠!

岸田馬鹿僧総理を信じる国民は居ない! 国家の主導者としてこれほど愚かな人間が存在したのだろうか? 平和ボケの産物としか思えない! 

 

 

この記事は9月15日に記載したものだけどね 補足説明は何度も加えたよ

「役に立った」と言ってくれる人が70人(10月4日で)もいるってのは嬉しいね 考え直す大事な問題だからね 毒舌も効果あり!だね

 

国民よ 目覚めよ! 消費税は何故、無くせないのか? それは国民から徴収した消費税を輸出業者に、無税の利益として分配しているからである。

国民を騙すカラクリに気が付け! 財務省が仕掛けた消費税は大企業(輸出事業者)に利(消費税還付)をもたらす制度だからだ!

簡単に儲けが得られる輸出事業が消費税還付で保証されている。正に濡れ手に粟である。国民の生き血を吸う吸血商法である。

消費税増税を強要する経団連を糾弾せよ! 輸出業者の消費税還付を止めさせろ! 

 

ネット情報より転載

輸出取引の場合 

消費税はあくまでも国内での取引に課せられる税金ですので、輸出取引に消費税は課せられません。 よって、輸出事業をしている事業者は、売上に消費者から預かる消費税がないので仕入や経費で支払った消費税の還付を受けることができる。

(例) 預かった消費税0円(売上高300万円)-支払った消費税20万円(仕入高200万円)=△20万円(還付)

  損益(税抜)    消費税
売上 300万円   0円      外国なので消費税が貰えない
仕入 200万円  20万円  △20万円(消費税が還付) 還付金収入となり、実質的に消費税は免除となる
差引 100万円の利益となる   利益には日本国の法人税が掛かる

消費税還付の条件
輸出免税に該当する取引である
消費税の課税事業者である
消費税の簡易課税制度を選択していない
消費税の還付申告を行う
消費税の還付の申告を行った場合には、基本的に税務調査の対象となり、正しい処理をしていないと消費税の還付を受けることができません。

 

私の見解  消費税制度の悪用のカラクリ  輸出業者への還付制度

国内で仕入れたものを同額で国外販売した場合

 損益(税抜)     消費税
売上 200万円   0円   輸出国では消費税が貰えない
仕入 200万円  20万円  △20万円(消費税還付) 実質的に輸出業者の収入となる
差引 0万円(利益無し) 日本国の法人税はゼロになる 

税金を払わずに消費税を収入とする悪楽な手口 天下りの弊害 政官財の癒着から生まれる搾取!

外国の現地法人が200万円で仕入れて300万円で売った場合は現地法人に100万円の利益が生じる。法人税は現地の税となり、日本国に法人税は入らない。消費税の還付20万円が輸出企業の収入(無税の利益)になるのである。

消費税還付制度のカラクリで、輸出業者が儲かるようにした制度であり、国民から徴収した消費税を輸出業者の利益とするぶったくり制度である。経団連が消費税の値上げを要求する要因である。日本から儲け無しでも輸出すれば、消費税相当の儲けが生じる、国家的詐欺システムである。国民はこうして騙される。

輸出業者に消費税還付はすべきではない! 国内で支払った消費税は仕入れ原価とすべきである。儲け無しで売っても儲かるシステムは異常である。大企業の儲けを上乗せしている。さらに円安で売却益は増えている。この利益を現地法人の利益と転化し、日本国の税収にはならない利益飛ばしがおこなわれる。

 

安倍元総理は「トヨタは法人税を払って(負担)いない!」と発言したことがあった。過去には大企業だった西武も払っていなかった。トヨタは法人税をろくに払ってもいないのに受け取る消費税の還付金は約6千億円も受け取っているよ。(下記に詳細を掲載)

輸出入を繰り返す、グローバル企業は、利益飛ばしで法人税は払わない。消費税は還付金として国内産業から搾取している。国民の払った税金を搾取しているのと同じだよ。主権在民では無い!

外国企業の税務調査は物理的に不可能だからね 外資の入った企業ならなおさらだよ 海外担当の税務調査員なんて百数十名しかいないはずだよ 僅かな人数で綿密な税務調査なんて出来る訳がないだろ 接待漬けでお帰りだろう おみあげ程度の追徴金は課してもね セレモニー化してる筈だよ 税務署の天下りルートで手も足も出せない仕組みだろ 

税金なんてグローバル企業から徴収できるわけがないよ 節税、脱税の温床だよ そんな企業に消費税還付で税金を渡す(還付金)なんてね ありえない税システムだね 

売上税なら誤魔化せないけどね 税理士のテクニックもいらないよ 売り上げだけで税金が決まるからね 確実に日本国に税収が入るよ そして国民生活は豊かになるよ 国家的詐欺を止めればね!

 

消費税搾取は日本を食いつぶす、財務省と経団連の悪行である。政治家が駄目だからだ!

輸出入を繰り返すことで消費税相当の利が発生する。企業は輸出で堂々と利益を得、密輸入の輩は消費税で儲かる。輸出入を繰り返せば消費税の搾取ができる制度だ!

財務省は、国民を食いつぶす消費税増税を強行する!

財界との利害が一致しているからである。国民は馬鹿で間抜けである。この様な政官財の癒着構造から生まれる統治体制を許してはいけない!

自民党をぶっ飛ばせ! 国民よ目覚めよ! 反日左翼も駄目だ! 国民の為の真面な政治家を探せ!

国民の生き血を吸う吸血鬼を撃ち破り、自らの行動で国民生活を守れ! 真面な社会から、邪悪な政官財の輩を追い払え!


(参考)

国内取引の場合

通常の国内取引では、事業者は預かった消費税から支払った消費税を差し引いて、納める金額を計算しています。

(例) 預かった消費税30万円(売上高300万円)-支払った消費税20万円(仕入高200万円)=10万円(納付)

 損益(税抜) 消費税
売上 300万円  30万円(消費税)       国内なら10%の消費税が国に収まる
仕入  200万円  20万円(消費税支払い済み) 消費税は30万円ー20万円=10万円納付となる
差引  100万円(利益)に × 日本国の法人税 が掛かる

 

真面な国内取引なら、消費税30万円と法人税が日本国の税収となる。しかし、海外との取引は利益飛ばしがおこなわれ税収は搾取される。

日本の政官財の悪質な輩が仕掛けた罠である。国民を食い物にする政官財の税金搾取である。そして天下りが君臨する。

 

経団連とは    会長   十倉雅和  住友化学会長  

経団連は、日本の代表的な企業1,512社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体107団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(2023年4月1日現在)。

その使命は、総合経済団体として、企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することにあります。

このために、経済界が直面する内外の広範な重要課題について、経済界の意見を取りまとめ、着実かつ迅速な実現を働きかけています。同時に、政治、行政、労働組合、市民を含む幅広いステークホルダーとの対話を進めています。さらに、会員企業に対し「企業行動憲章」の遵守を働きかけ、企業への信頼の確立に努めるとともに、各国の政府・経済団体ならびに国際機関との対話を通じて、国際的な問題の解決と諸外国との経済関係の緊密化を図っています。

 

9月11日、経団連が〈令和6年度税制改正に関する提言〉を公表した。消費税が〈社会保障財源としての重要性が高く、中長期的な視点からは、その引上げは有力な選択肢の1つである〉とした。

2012年5月に発表された経団連の提言「成長戦略の実行と財政再建の断行を求める~現下の危機からの脱却を目指して~」では、財政再建などのための改革推進を訴えるなかで〈消費税率を2014年4月に8%、2015年10月に10%へ引き上げ、その後、2017~2025年度の間、税率を毎年1%ずつ引き上げ、最終的に19%とする〉という前提での試算を公表している。
「消費税19%」に達することが、経団連の求める“改革”という内容の提言だ。ちなみに同じ提言のなかでは〈法人実効税率を、2016~2025年度にかけて毎年1%ずつ引下げ、最終的には25%にする〉という「法人税減税」も書き込まれていることは見逃せない。

 

何とも図々しい奴らだ! 消費税が社会保障財源と大義を掲げて、その消費税が大企業の収入となる仕組みだ!

国内で生産したものを国外に持ちだせば「消費税19%」を収入とすることができる。国に替わって消費税を搾取する。その上、法人税を25%に減税させる企てだ! 

地場産業を壊滅させて、国民生活を疲弊させる政官財の癒着は日本国を滅ぼす。無国籍企業と変身する大企業は日本国民を奴隷化する元凶である。

江戸時代の幕政、藩政にも劣る愚かな統治社会は是正されなければならない! 自営業を営む多くの国民は激怒しなければならない! 

公平な自由主義国家ではない! 公平な税負担を求めるなら売上税に変えろ! 日本国で商売するなら所場代(売上税)を払え! これなら企業の国籍を問わない。

これなら国民の為の税収となる! 中曽根康弘元総理は売上税5%を提言して潰されたけどね 強行したら殺されたかもね?

 

経団連とは 、国民生活を圧迫して、楽して利する搾取団体であり、やってることは悪徳商人の強奪である。

法人税は利益飛ばしで軽減し、消費税は搾取するモンスター企業である。国民の為に遣われるべき消費税はこれらの企業の収入となる。

輸出を繰り返すことによって利益が得られる。消費税制度は、国に替わって通行料を取る関所事業となっている。

国民は馬鹿で阿保で間抜けである。大義のない国民に未来はない!

正に家畜として飼われている存在であり、政財官の奴隷としてのみ生存が許されているということだ!

目覚めよ! 国民! 大義ある政党を選べ! 邪悪な政官を排除しろ!

 

 

23日 

藤井聡さんが消費税のカラクリを暴きだしたぞ! 消費税は大企業に搾取させるシステムだ!

国に代わって国民から消費税と言う名目で儲けているシステムだ! 濡れ手に粟とはこのことだ! 

法治国家の為すことではない! 輸出業者が受ける消費税還付は仕入れ業者等に遡って還付されるべきものであり、還付金搾取だ! 

還付されるべき仕入れ業者等の消費税を独り占めすることが搾取である。泥棒と同じで不法行為である。

官僚と財界が仕組んだ国家的詐欺である。騙した奴が罪人として処分されるべきだ! 

財務省は国民を不平等に弾圧する国家反逆であり、輸出業者は仕入れ業者等に還付されるべき消費税を搾取する政財官癒着の国家的詐欺である。

糾弾せよ! 財務省を解体せよ! 大企業には売上税を掛けろ! 年商5千万円以下は売上税を非課税にすれば良い!

中小零細たる地場産業を保護しなければならない!

経団連会長   十倉雅和( 住友化学会長)は墓穴を掘った! 消費税増税を騒いで、搾取のカラクリをあぶりだしてしまった。

雇われ社長の浅墓な一面だよ 財界のダメージは大きくなるね 政財官の癒着構造は国民の大きな怒りとなるだろう

上記の放送は23日だったけど、収録は14日との事なので、藤井先生は消費税のカラクリを知っていたということだろう この事をバラスのは勇気のいることだからね

【東京ホンマもん教室】“消費増税”でカネ儲け!~経団連の腹黒い思惑とは?~9月23日 放送
TOKYO MX   チャンネル登録者数 36.8万人 26万 回視聴   10月10日時点
【東京ホンマもん教室オフィシャルHP】 https://s.mxtv.jp/variety/honmamon/

全国商工団体連合会の記事には、 輸出還付金の合計額は、およそ6兆6千億円になる。22年度消費税収予算26兆円の25.4%に相当。消費税収の4分の1が主に輸出大企業に還付され国庫に入らない。と発信されているよ 

これを語る藤井聡さんは凄いね! 財界から目の敵にされるからね 国民の力で守らないと潰されるよ 国民の声が必要だよ 

不公正な消費税還付をやめろ! 国民苛めの消費税を撤廃しろ! 

3%の罠から始まって、法制化すれば、目標は19%だからね そして、大企業は無税の利益を19%も下請け苛めで手にする事ができるよ 濡れ手に粟だよ 

 

経済学者の高橋洋一郎も語らないだろうね 制度的には公平な税制に見えるけどね 消費税分を値引きさせて下請けいじめが起きるからね 事実上の値引きだよ

そしてその対価が消費税還付分として大企業にもたらされる仕組みだよ 下請けいじめのみかじめ料が、消費税還付と言う大義名分で輸出業者(大企業)に利益をもたらす。

手品のようなカラクリで税金搾取がおこなわれるよ 消費税の総額は26兆円位だそうだけどね 輸出業者には総額で4分の1程度の6兆6千億円程度が還付されているそうだ!

大企業が国民から消費税として6兆6千億円徴収しているのと同じだよ まるで大企業に徴税権を与えたようなもんだよ 国民は奴属させられているよ

 

やはり、俺のブログには邪魔が入っていたらしい。編集画面に入れない等の事態が起きたが、回復している。

財界は国民の敵である。国民の生き血を国に代わってチューチューする吸血鬼である。

税金は国家が徴収するものである。国民の為に運用されるものだ! 大企業が間接的に国民から税収を搾取することは許されない! 国民は大企業に統治権を与えてはいない!

税金たる消費税を大企業の収入とすることは許されない! 還付金詐欺だ! 還付金の独り占めは許されない!

大企業が税金を直接収入とする制度は徴税権を大企業に与えていることになる。主権在民を覆す憲法違反だ! 即刻、輸出業者の消費税還付制度を廃止しろ! 

税金の搾取だ!

国民を奴隷化する政官財の癒着構造を叩きつぶせ!

 

※27日に追記

輸出業者の消費税還付制度のカラクリが分からない、理解できない人がいるようだから、この不公正な問題が理解されないようだね 

国民が気が付かないから大企業(経団連等)にとっては美味しい還付金制度になるんだよ 

消費税を内税で考えて取引をすれば良く分かるよ

製造元が消費税込みで110万円で売却しようと考えた。 仲買人は税込みで100万円にしてくれないかと交渉して100万円で売買が成立した。 仲買人は販売代理店に220万円で売却しようとしたが、販売店からは税込みで200万円にしてくれと言われ200万円で売買が成立した。

それを輸出業者が300万円(30万円税込み)で仕入れて海外に輸出した。そうしたら、輸出消費税還付で国から30万円が還付された。輸出業者には消費税分の還付金として30万円の収入が生じたということだ。

これは値引きによって生じた利益だが消費税分と見做されるので法人税がかからない!

海外で同額の300万円で売却したとすれば、消費税分が30万円含まれているので、税法上の原価は270万円であり、差額の30万円の利益に法人税がかかることになるが、経費の上乗せや利益飛ばしで節税することができる。

法人税が約30%なら税額は9万円発生するが、消費税の還付なら無税になる。

トヨタの還付金6000億円が下請けの値引きによるものなら1800億円の法人税が発生するが、還付金なので無税となる。

消費税の還付と見做せば、すべてが無税で、これが公正と言えるのか! 税金泥棒としか言えない!

下請けを値切った利益や消費税が、還付金30万円となって輸出業者の収入となる仕組みだよ。得をするのは輸出業者で下請け業者は販売時に消費税を受領しているので、消費税を国に納めることになる。還付の利益は得られない。

元受けが、下請けに消費税を負担させるなどの下請けいじめが行なわれていないか等の調査があったこともあるけどね 金額交渉は税込み価格で幾らになるかが普通だよ

建築業界では施主さんに2000万円の工事代金に200万円の消費税を加えて2200万円の予算で提示すれば、税込みで2000万円にならないか?2100万円で何とかできませんか?等の交渉になる。

工事費を1800万円で納める、1900万円で納める等のやりくりができなければ、施主さんの予算で賄うことができない。これが現実の取引の実態だからね

業者にとっては、消費税は工事原価の一部だよ 税法では分離して計算してもね 全体予算を満たせるか否かで取引は決まるからね 要望に応えられなければ仕事は取れないって事だよ

輸出業者の消費税還付制度は、生産者、仲買人、下請け業者等が遣り繰って消費税を吸収してコストダウンをした成果が、消費税還付金となって輸出業者の利益(無税)になるって事だよ 

手品みたいな話で理解不能かね? 俺が間違っていると否定されそうだけどね 輸出を手掛けた仲間が漏らした笑いの止まらない本音だからね 

上手くやれば濡れ手に粟って事だよ  これを許して公正と言うのなら、下請け泣かせは正当な交渉事って事だろうね 

消費税の還付はする必要がないんだよ 輸出業者を保護するなら6兆6千億円も還付せずに別の手段でやるべきだね 

消費税が20%になったら倍額の13兆2千億円も還付することになるからね 大企業に徴税権を与えて税金を直接徴収しているのと同じだろう 許してはいけないことだろ!

 

29日 輸出業者への消費税還付金の実態

2021年度 トヨタなど輸出大企業20社に 円安で増大 消費税還付1.7兆円超 中小業者は悲鳴!

全国商工団体連合会の記事   

輸出還付金の合計額は、およそ6兆6千億円になる。22年度消費税収予算26兆円の25.4%に相当。消費税収の4分の⑴が主に輸出大企業に還付され国庫に入らない。

 

商売をやっていれば、赤字でも消費税は納めなければなりません。ところが、トヨタ自動車など輸出大企業は消費税導入以来、消費税を納めないばかりか、税務署から巨額の還付金をもらっているのです。

安倍元総理は「トヨタは法人税を払って(負担)いない!」と発言したことがあったね 過去には大企業だった西武も払っていなかったからね 日本の大企業は法人税を上手く逃れているんだよ 国民は憤怒すべきだよ 政官財の癒着による大企業の統治を許してはいけないよ

トヨタへの還付金の計算は表2の通りです。輸出売上高に対する税額はゼロ円、国内売上高に対する税額は2914億円ですが、仕入れ等に対する税額8918億円と相殺され、実際には約6千億円が還付されます。

追伸

トヨタは国内で約8兆9千億円の仕入れをした。国内で仕入れ先に支払った消費税は8千9百億円になるね
2兆9千億円相当は国内で販売したから2千9百億円相当は消費税として回収しているよ
国外で売却した分は消費税が貰えないから、還付金として8900億ー2900億で6000億円還付されたて事だろ
その還付金の中には下請け泣かせの値引きによる利益が含まれているって事だよ 還付金だから無税でね

この現象は、消費税が課せられた、3%、5%、8%、10%と上昇する度に拡大して起きる不当利益だよ 
還付金と言えば正当なもので利益ではないから無税になる

還付金6千億円の内、実際に支払っている消費税が仮に3千億円あれば、値引きによって仕入れ先に負担させた消費税分が3千億円含まれているって事だよ 

消費税を19%まで上げろって要求するんだから酷い奴らだね 売上税を払えって言いたいね 12兆6千億円も売り上げているんだからね

売上税が5%だったら6千3百億円の税収になるよ 消費税の還付金なんて発生しないからね 確実に税金を負担することになるね 企業が潰れるといって絶対に採用しない売上税だよ

売上税を1%にしても、売り上げが12兆6千億円なら、税収は1260億円になるよ 消費税の還付金なんて発生しないから1260億円税金として納めることになる

今の輸出業者への消費税還付金6000億円が発生しなければ、合計で7260億円の税収増効果になる。大企業を甘やかし過ぎだろ これを国賊と呼ばずになんと言うんだい! ご領主様とでも呼ぶのかい!

日本国で商売するなら所場代払えって言いたいね! 日本国民の為に税負担をしろ!って事だよ シロアリに食わせる消費税還付が無くなるからね 売上税1%でも税収増になるよ

消費者は売上税が5%でも、商品に5%内税で含まれるだけだからね 今の消費税10%より消費者負担は減るって事だよ 国民の為の売上税だろ 消費税は国民弾圧だよ

売上税は搾取される現象も起きないからね 社会保障費に充てれば良いよ 国民の税負担で弱者が直接救われる税収になるよ 企業からは1%に下げろって要求されるだろうね

誤魔化しようのない売上税だよ 売り上げを誤魔化せば脱税の摘発も楽になるよ 税理士もいらなくなるからね 財務省共々大反対になるだろうね

国民の力で変えられるかね? 都合の悪い連中が怒涛のごとく反対するだろうからね 国民の力でしか変えられないよ この提案は命がけの国民運動になるよ

 

22年3月期の輸出還付金の合計額は、およそ6兆6千億円になります(国税・地方消費税合計)。これは、政府が発表した22年度消費税収予算26兆円(同)の25.4%に相当します。つまり消費税収の4分の1が主に輸出大企業に還付され国庫に入らないのです。

追伸

上記の表1・2は元静岡大学教授・税理士 湖東 京至さんが推算したデータだよ

ゼロ税率の適用で輸出だけに還付か
「輸出企業が還付金をもらうのは当然だ」という人がいます。彼らは「輸出企業は下請けなどに消費税を払っており、輸出相手国の消費者から日本の消費税をもらえないから、下請けなどに払った消費税を還付してもらうのは当たり前」というのです。
 一見、「なるほど」と思うかもしれませんが、彼らは消費税の本当の姿を法律的にも、経済的にも勘違いしています。「下請けなどに消費税を払っている」と言いますが、消費税分として払っているのは税金ではなく、物価の一部です。それは東京地裁と大阪地裁の判決で示されています。また、経済実態を見ても、価格を決める力のある大企業は「○○円でやってくれ」と指示し、消費税分は割り込んで請求書に書くだけです。つまり消費税は転嫁関係が不透明な税金で、法律的には消費税を「預ける」とか、「預かる」とかの関係にないのです。請求書の字面だけを見て、下請けに消費税を払っているというのは、錯覚でしかありません。
 消費税は一つ一つのモノに10%をかける仕組みではなく、下請け事業者は1年間分の売上高から、1年間分の仕入れや経費にかかる消費税分を差し引いて税務署に納めます。ですから、親会社が払った消費税分と全く関係のない金額を納めるのです。
 「外国の消費者から日本の消費税をもらえないから還付する」というのも、おかしな理屈です。かつて日本にあった物品税も、外国の消費者からはもらえないために免税でしたが、還付金はありませんでした。ところが消費税は、“ゼロ税率”で課税して国内販売と同じように仕入税額控除を行い、還付するのです
 仕入税額控除は税の累積課税を防ぐために設けられた仕組みと説明されています。国内の消費者に原材料からメーカー、卸、仲卸、小売りと何回も課税すると税金に税金がかかり、物価が雪だるま式に高くなるのを防ぐ。つまり、国内の物価を抑え、大企業と中小企業の製品価格の差をなくすために設けられているのです。病院なども仕入れ時に負担した消費税分がありますが、ゼロ税率が適用されないため、還付されません。輸出だけに還付するのは不公平です。「輸出大企業への補助金だ」といわれても反論できないでしょう。WTO違反!

 

藤井聡京都大学教授が同様の説明を動画でしているよ。間違っていると思う人は直接意見したら良いだろう 

俺が間違っていると反論するのは、俺が無知だと言いたいんだろうけどね 肩書きが正しいことを言うと考える人は直接バトルしてみれば良いよ 消費税還付は巧妙な手口だからね これを理解できないのは馬鹿でもなく、むしろ普通人かもしれないよ 詐欺の手口が読めないから騙される人も多いよ

 

「下請けなどに消費税を払っている」と言いますが、消費税分として払っているのは税金ではなく、物価の一部です。それは東京地裁と大阪地裁の判決で示されています。下請けに消費税を払っているというのは、錯覚!

輸出企業に消費税は、“ゼロ税率”で課税して国内販売と同じように仕入税額控除を行い、還付するのです。輸出だけに還付するのは不公平!

 

不正が後を絶たず歪んだ還付金制度

消費税の本家ヨーロッパでは膨大な不正還付を防止するため、輸出企業に還付する制度を見直す動きがあります。イギリス政府のマーリーズ税制改革報告書にも「輸出免税制度を利用した不正還付詐欺の横行を防ぐため、将来的にはゼロ税率制度を廃止することが望ましい」(2010年)と提言しています。日本でもニセ輸出取引による還付金不正詐取が後を絶たず、国税庁は特別部署を設けて対策に大わらわです。

以上、ネット情報より転載

 

追伸 

グローバル企業は、利益飛ばしで法人税は払わない。「トヨタは日本国に法人税を払って(負担)いない」といわれるほど節税が上手いって事だよ

節税は合法でもね 国外の子会社や関連会社に儲けさせて日本国の法人税を減らすって手段は取れるからね 表向きには公正に見えても悪意(利益飛ばし等)で運用すれば節税できるよ

法人税のかからない国や法人税率の低い国で利益を出せば節税できるよ タックスへブンなんて言われる国もあったね 利用者の名簿は公表されなかったけどね

日本に税金を払わない為に利用された不公正なことだろ グローバル企業は日本の法律では追いきれないよ だから大儲けで内部留保も増大するよ 海外資産が増えるよ

商売の土俵は日本である必要性がない 大きく成るまでは補助制度などで日本の恩恵を受けたけどね 育てば親不知で独立独歩だよ 利のあるところで商売するって事だね

外資に狙われれば、資本参加されて日本国を忘れるって事だろ 次々とグロ-バル化してるよ 次々と外資に乗っ取られて経営権を失っているよ これが実態だろ!

公正に機能しないシステムは不公正な手段を許して国益を損ねるからね 是正する必要がある!

「ヨーロッパでは膨大な不正還付を防止するため、輸出企業に還付する制度を見直す動きがある」って考えが実態から生まれた不合理だからね 

表向きの理屈では不正が生まれたって事だよ!

 

10月 4日   

昭和63年に、確実に税収となる売上税が廃案となり、国民苛めの消費税に変った。消費税は大企業の収入となった。

内閣総理大臣 竹下 登  昭和62年11月6日~平成元年6月3日まで在職時の悪法(消費税法)だね
昭和61年、第3次中曽根内閣発足。大蔵大臣に宮澤喜一を任命。
1987年(昭和62年)- 中曽根内閣は、売上税の導入失敗が原因で支持率が急降下するが、やがて人気を取り復し、竹下登を後継総裁に指名して退陣。

竹下内閣の大蔵大臣 ・宮澤 喜一が売上税を潰し、消費税法を導入した極悪人!  昭和63年12月9日~竹下 登総理が大蔵大臣を兼任。

 

昭和六十三年法律第百八号  消費税法 

(輸出物品販売場における輸出物品の譲渡に係る免税) ⇐ 大企業に消費税の分配(還付)を決めた極悪法

第八条 輸出物品販売場を経営する事業者が、免税購入対象者(外国為替及び外国貿易法(昭和二十四年法律第二百二十八号)第六条第一項第六号(定義)に規定する非居住者であつて、出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年政令第三百十九号)第十四条から第十八条まで(上陸の許可)に規定する上陸の許可を受けて在留する、同法別表第一の一の表の外交若しくは公用の在留資格又は同法別表第一の三の表の短期滞在の在留資格をもつて在留する者その他政令で定める者をいう。以下この条において同じ。)に対し、政令で定める物品で輸出するため政令で定める方法により購入されるものの譲渡(第六条第一項の規定により消費税を課さないこととされるものを除く。)を行つた場合(政令で定める場合にあつては、当該物品の譲渡に係る第二十八条第一項に規定する対価の額の合計額が政令で定める金額以上となるときに限る。)には、当該物品の譲渡については、消費税を免除する。

 

※ この頃から日本は平成不況に突入して日本経済は崩壊した! 10年位は内部留保で中小零細企業も頑張ったけどね 金融政策の大失敗で15年かけて日本の企業は大打撃を受けたよ

倒産企業は屍の山となってハゲタカの餌となった! 小泉内閣が虫の息となって生き続ける企業に止めを刺したよ! 首切り浅右衛門・竹中平蔵だね

天誅でござる!だろ

俺のブログには邪魔が入っている。閉じ込められているようだ 消費税のカラクリを全国民に知らせるべきだよ!

 

10月14日

岸田内閣の国民苛め!  馬鹿ほど怖いものはない!  

馬鹿な経済学の最悪パターン 市場に金を廻さなければならない時に金を回収する馬鹿が居る 輸血が必要な人からも吸血する吸血鬼だ!

馬鹿としか言いようがないが、馬鹿に殺される国民は「無血革命だ!」座して死を待つは愚かな所業、出でて活路を見出さん! 

選挙でNOー! 一票の弾丸を撃ちこめ! 

 

岸田総理の詐欺政策と国民を奴隷のごとく扱う傲慢ぶりは万死に値するよ 

小池都知事の都民の為の政治とは雲泥の差だよ 嘘つき詐欺師の悪魔と天使ほど違うよ 

これだけ国民・都民に対する思いやりの政治をしていても、評論家は小池都知事を貶すけどね 

他の政治家とは実行力が違うよ コロナ対策においても都民に寄り添った決断力と実行力は日本国の政治家ではナンバーワンだよ

都民は幸せだね! 馬鹿な総理大臣が蔓延る国民は絶望的だね 心底、性根が腐ってるし、嘘つきで騙す詐欺師だからね

国民は不幸のどん底に追いやられるよ 奈落の果てだよ 馬鹿な官僚と政治家に見殺しにされる 岸田は詐欺師だ! 閻魔様の舌抜きの刑だ! 

 

都立大学の授業料 無償化の対象 拡充方針固める 東京都  小池都知事は天使だね! 都民は幸せだよ

年収910万円未満の世帯、授業料を全額免除といたします!」
子供さんを3人以上扶養しておられます、いわゆる多子世帯におきましては、年収が910万円以上でも、半額の免除といたします。

子どもを産み育てやすい環境を整備し少子化対策につなげようと、東京都は都立大学の授業料について、令和6年度から無償化の対象を拡充する方針を固めました。世帯収入の目安を910万円未満に引き上げる方向で調整しています。

「都立大学の授業料は年間52万円余り、4年間で208万円余りで、現在は都の独自の支援によって、世帯収入が478万円未満を目安として無償化されています。」

小池知事は少子化対策について「一刻の猶予も許されない」として、来年度から18歳以下に月5000円を給付したり、第2子の保育料を無償化したりして子どもを産み育てやすい環境を整備することにしています。

 

 

文化人放送局でも気が付いたようだね 大企業を設けさせる消費税還付のカラクリがね 経団連の馬鹿が焦ったから墓穴を掘ったよ このカラクリが国民に解れば自民党はぶっ倒れるよ

消費税が何故!無くせないのか? それは大手が税金も払ずに大儲けできるからだよ これは真面に見えるシステム詐欺だよ 絶対に許してはいけない!

売上税を導入しろ! 企業は売上税を導入すれば税率を上げろとは言えなくなる 低税率でも国民全部が企業も日本で商売する者は全員が売上税を負担すれば良い!

搾取されることも無く、確実に日本国の税収になる ヤクザにも劣る知能だから、財務省は理解できない! 

一部の悪知恵の働く連中が、如何に税金を搾取するかで生み出されたのが日本税制だ! 分かりやすくすれば、基本的には税理士などいらない! 自己申請で十分なのだ!

税制度を複雑にして、税理士に依頼しなければならないシステムにしていることが財務省の罠であり、税金搾取の温床になっている 売上税ですべては改善される。

 

17日

70,187 回視聴   2023/10/17日  #輸出還付金 #インボイス制度 #青山繁晴
「ニュースの尻尾」567回目は、消費税における法人への輸出還付金やインボイス制度の問題についてお話ししております。
出演:青山繁晴(参議院議員)

 

※ついに自民党の青山繁晴も消費税の輸出還付金のカラクリを話し始めたぞ! 大企業が輸出還付金で大儲けしている実態を話し始めたよ

経団連が消費税を19%に上げろと強要する理由が分かるよ 国民から税金を搾取する国賊団体化している事がね 許し難い実態だよ

 

 

 

百田尚樹を応援します! 日本保守党万歳! 「憂国の志士」覚醒! 男の美学は実行あるのみだね

お前は何をするために生まれてきたのか? 生きてきた証を生き様で示すのが男の価値観だよ!

自問自答して得た答えが「日本国の為に、生ある限り何をか為さん!」かな シニア決死隊の誕生かな

戦地を生き抜いた、大正生まれの英霊に日本国のあるべき姿を学べ!だね 

心意気は凄いね! 人肌脱ぐ気になったね 

「憂国の志士」を貫いて、安倍晋三に次ぐ歴史的人物になって欲しいね 信念は岩をも通すだね 

日本保守党は党員が4万人を突破する勢いだね! 10万人で6億集めればかなりの候補者を擁立できるね

そこそこの有職者(保守)が自前で参加すれば勢いが付くね 憂国の志がある人は立ち上がって欲しいね それこそ参加することに意義があるだね

国民への反響は反響を生んで大きな力となる可能性が出たね 立候補者個々の当落ではなく、総体的な反響が大きくなれば、政治の流れが変わるね

日本民族の国民運動化が起きるかもね 不公正税制たる「消費税廃止!」だね 税制改革と財政出動で国家の根幹を立て直すって事だよ 保守の革命だよ

「消費税廃止!」売上税導入なら完璧だけどね 安倍総理のように殺されるだろうね 死を恐れぬ「憂国の志士」たらんことを願うね!

 

20日

百田、有本さんも現実的な戦略を立てたようだね これからは悪愚痴を言うだけの評論家では駄目だからね 政治的戦略も必要だよ 敵の敵は味方だよ

日本保守党も参政党も東京都を制覇できるかがポイントだからね 小池都知事批判を繰り返して対立構造を取ったら全国的な勢いを出せないからね

維新は小池知事とは組めないだろう 組めるようだったら維新の力は東京都で増してる筈だからね 小池都知事は自民党とは対立構造だからね

日本保守党の切り口が名古屋の河村市長とはね のろしを上げるのはここしかないって事だよ 独立独歩を行く減税日本なら裏切ることも無く天下取りの夢を見るかもね

日本保守党は東京都では苦戦するからね 散々小池知事叩きを繰り返したからね 小池知事と手を組まなければ爆発力は生まれないよ 名古屋の地域政党で苦戦するよ

減税日本との政策的相違は大事の前の小事と妥協したからね この精神が無いと政治的には失敗するからね これは東京対策で生きるからね 重要な精神だよ

昨日の敵は今日の友でなければ、一大勢力に発展しないからね 保守勢力の反自民では共闘できるよ! 小池批判は禁句だよ 

小池知事が実行している政策を評価しなければ駄目だよ 近年打ち出している政策は都民、国民に寄り添った立派な政策だよ 

神宮の森と太陽光発電の問題は批判に価しないよ 的外れになるよ 他に批判できるものがあるかな? 豊洲問題は小池都知事が正しいからね 批判は墓穴を掘るよ

河村市長に小池知事対策を委ねるんだね 猛女を奮い立たせたら、再度、立ち上がるかもね 日本国の為にね その時、二階の子分かがハッキリするよ 嫌韓では一致してるだろ

外国勢力に占拠されない、独立国家日本を守るって精神は一致しているよ 日本保守党も減税日本も、そして参政党も小池百合子都知事もね 

これを認めないと大きな塊にはなれないからね 真の令和維新連合だよ 国民の為に真に独立した日本国の構築だよ 憂国の志士としての共闘だね!

 

河村市長と小池百合子都知事の関係

16年12月に小池都知事主催の政治塾に講師として出席

小池知事に市長選での応援を要請する方針(2017年3月2日) 河村市長が、小池都知事と共闘路線が組めれば大きな力となるだろうね 東京を吞み込むよ

日本一安い給料の市長と都知事だからね 市民、都民、国民の為に自らの報酬を減らして頑張っている政治家だよ 誰の為に?政治家としての良心だよ 志が高いって事だろ

志の高い政治家が今の日本には必要なんだよ 政策はそれぞれの主張があってもね 志の高い政治家なら国民に寄り添った政治ができるよ 

善と悪の戦いの構図だよ 弱い善は大きな塊となって強い悪に打ち勝たなければならない! 小事に拘り大義を失ってはならない! 


河野太郎の発言! 倫理観の欠如は幼少の頃からか? 人を騙せばお利口さんのようだ! 道徳教育の反面教師だね!

2023年08月09日 22時10分51秒 | 正義とは、正義感とは、正義中毒とは、正義の制裁とは、正義を掲げる人は危険

河野太郎の発言! 倫理観の欠如は幼少の頃からか? 人を騙せばお利口さんのようだ! 道徳教育の反面教師だね!

下記文章は、自民党の総裁選の時の発言だよ まるで一休さんみたいに得意げになって発言していたけどね 子供の頃から人を騙すのは得意だったのかもね

悪知恵を働かせて、人を騙せば「頭が良いだろー!」って自慢話になるらしい。不道徳極まりない政治家だね

政治家に道徳教育は不可能だね 善悪の区別もつかないからね これが自民党総裁候補、総理大臣候補ですか?日本人の脳味噌も麻痺したね  

 

自民党の総裁選時の過去文(2021/09/10) 河野太郎が、小学生の質問に答えたシーンだよ!

小学4年生の男の子から天ぷらの食べ方について質問、「エビのしっぽは残してもいいものなのでしょうか」と問われ、

河野太郎氏は下記のとおりに答えた!

「エビフライのしっぽは食べません。天ぷら屋さんで天ぷらを食べるときはしっぽも食べます」とし、

その理由を

「子どもの頃、しっぽでいくつ食べたかがばれたことがあったので、しっぽまで食べちゃうと数がわかんないからです」と説明した。

 

※ 頭が良いねー河野さん! 凄いね! 凄いよ! 政治家になっても少年のままだね。

 

自らが「ずる賢い子」って証明しているよ ユーモアのつもりでも本音が出たね 小学生に教える悪知恵ではないけどね  一休さんにでもなったつもりかね?

ずる賢い子はバレなければ良いってことで悪さも平気でするからね 信用ならない人物ってことだよ 正直な人間は人をだますような姑息な手段は、恥ずべき事と考えやらないからね

河野のような考えで行動する人間を、倫理、道徳に反する人間という事なんだよ 人を騙しても自分が徳をすれば正しいって考えだからね

悪知恵を晒して頭の良さを感じさせようと考えたんだろうけどね 墓穴を掘ったね 嘘つき政治家の本性を晒したよ 馬鹿だから気が付かないのだろう

倫理、道徳の根幹さえも理解できないような人間が、日本国の総理大臣となってこの国の指針を示すのかい! 教育も歪むよ 日本国も堕落するよ 

騙し合いの国家にでもする気かね 正義を理解できない人間が日本国憲法を理解できるのかい! 教育基本法も歪むね

 

※ 河野のエビのしっぽ発言は道徳教育の題材になるね しっぽを食べることは良いことだけどね その動機が不純だからね 道徳心に欠ける題材になるよ

一人一人に3本ずつ盛られた料理を食べるなら問題はないけどね 10人に30本のエビの天ぷらが大盛皿で出されたときにね

一人3本ずつ取って食べて下さいと決めたルールで10人がそれぞれの判断でエビを取ったとしよう

ずるをして4本とった人は、エビのしっぽまで食べて分からにようにするよ その結果、2本しか食べられなかった人が出るよね 損をした人を間抜けな人間というのかい!

これを招いたずる賢い人が居たって事になるよ 4本食べたずるい人間はしっぽまで食べて証拠を残さなかった

1本はしっぽまで食べて、しっぽを3本残してとぼけるって事もできるからね

この行為を上手くやって得をしたことを「正しい行為」と認めるのかい!

河野はこのずる賢い人間と同じ発想の人間だということだよ しっぽまで食ったから上手くやって得しただろって悪知恵を自慢しているよ 不純な動機を認めているよ

道徳心とは「他人の為の善」を学ぶって事でもあるよ 他人に損をさせて自分がズルして得をすることではない!

道徳教育とは、一人でもズルをする人間がいれば被害を受ける人も出るってことだろ 道徳とは人に見られていなくても正義を貫き正直に行動するってことだよ それができる心が道徳心だろ

河野には道徳心が備わっていない! たとえ親を騙したことで他人に害をなしたことではないと弁明してもね 親を騙して甘えただけだといったとしてもね

道徳心とは相手によってコロコロ変わるようでは駄目なんだよ 道徳とは自己の心の問題で、相手によって変わるようでは真の道徳心とは言えない 正義ではない!

河野のエビのしっぽ発言は、子供の質問に答える回答内容ではない! 非道徳的な回答であり、道徳心を子供に考えさせる悪例としての題材になる 

人の為の善とは真逆の考えである 小さな嘘でも得をすることを認めたら大きな犯罪者意識に発展してしまう 嘘は泥棒の始まりである

如何にして「他人の為の善」を学ぶかが道徳心を学ぶことにもなる そのことによって自己の為に認められる利益も分かってくる これが企業モラルにもなる

河野は将来的にも文部大臣にはしてはいけない 思考が歪んでいる 倫理、道徳が分かっていない。。。

以上、過去文 

 

河野太郎は、正に道徳心など全く無い政治家なんだろうね 誤魔化すのが仕事なんだろうね 

洋上風力発電ですか!  しっぽまで食べたから分からない! ですかね?

 

国民を騙す嘘の説明! 官僚も政治家も学者も国民を騙すための嘘をつく!

加藤勝信厚労大臣や河野太郎デジタル大臣は、今の紙の保険証が顔写真付きのマイナ保険証になることで、他人の保険証を使う「なりすまし」の不正利用が防げることもメリットと説明してきた。 下記のとおり

2023年7月10日の講演で、河野大臣は

「今の保険証で困っていないというのはそうかもしれないが、なりすましや使い回しが現に起きていて、それなりの被害になっている」

厚労省に出された論文によると

「不正請求が年間600万件、その処理のための費用は1000億円を超える」という数字も出ていた。
マイナ保険証にはメリットがあるという意見となった。


厚生労働科学研究費補助金 健康安全総合研究経費 医療技術評価総合研究

保険証認証のためのデータ交換基準に関する研究(総括研究報告書) 500万払って作った報告書!

「保険情報の誤りや不正使用は、全国で年間600万件にも上っており、その処理のための経費は1000億円を越えると推定されている。これは、クレジットカードの様な認証システムを導入すれば解決することである。本研究は、保険者の持つ被保険者データのデータベースと医療機関等をインターネットを介して結び、保険証の有効性を即時的に認証を行うシステムの開発である。しかし、健康保険情報はその安全管理に十分注意を払う必要があり、慎重な準備と技術的な検討が必要である。本研究は、実用可能なシステムの要件を整理して、システムの設計を行い、システムの動作検証を行う。」。。。ネット情報より

 

実態は!

参院地方創生・デジタル特別委員会で厚労省が初めて数字を上げ、不正使用の実態が明らかになった。
 
「市町村国民健康保険(国保)では2017年から22年までの5年間で50件のなりすまし受診や健康保険証券面の偽造などの不正利用が確認されている」

 

「保険情報の誤りや不正使用は、全国で年間600万件にも上っており、その処理のための経費は1000億円を越えると推定されている。」。。。エビの尻尾を食ってしまったようだね! 

不正使用は5年間で50件だそうだよ! 年間10件が600万件だからね。500万払って偽造データですか。日本の頭脳は詐欺腦だね

不法行為だろ! 国家的詐欺はこうして国民を騙す。公金を搾取する。損害賠償は払わない! 異常国家だろ!


徳川家康の謎  5  家康は影武者だった?  権現様の調略 影武者淨慶・世良田二郎三郎元信と大窪党の徳川幕府

2023年08月05日 17時45分10秒 | 歴史 戦国時代 徳川家康 織田信長 服部半蔵 新田源氏 武田信玄 八王子千人同心

徳川家康の謎  5  権現様の調略 影武者淨慶・世良田二郎三郎元信と大窪党の徳川幕府だった!

潰れそうな松平家を支え、乗っ取ったのは、南朝天皇を支持した源氏の末裔であり、ささら者(賤民・忍び等)の集団や地域豪族等の結束に因るところが大きい。淨慶・世良田二郎三郎元信(権現様)を旗頭とする服部忍者集団や大窪党(後の大久保)等の団結組織である。

大窪党とは

大窪党は越前から来た大窪藤五郎なる人物が頭として率いており、加賀の一向一揆(1488年)発祥の地から流れて来た武装集団であり、百姓の自治を実現した百年王国を築いた一向宗の傭兵である。

「加賀の国は、坊主・土豪・長衆(大百姓)などが共同して行ったので、「百姓の持ちたる国」といわれ、約100年も納めたのは、蓮如(一向宗「本願寺中興の祖」)のいる加賀の3ヶ寺と言われた本泉寺・松岡寺(能美郡)・光教寺(江沼郡)でした。」。。。本願寺は越前も領国とした。

石山合戦 

本願寺11世法主顕如は三好三人衆、および、浅井・朝倉氏と手を結ぶと共に各地の一向宗門徒に檄を飛ばし信長に宣戦布告する。浄土真宗本願寺勢力(一向宗)と織田信長との戦い。本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭って戦った1570年、本願寺は、雑賀衆の門徒衆とともに以来11年にわたる石山戦争を戦い抜いたが、各地の一揆勢も破れたため、仏法存続を旨として1580年信長と和議を結んだ。

本願寺第11世・顕如の室・如春尼( にょしゅんに・教光院)1544年生~ 1598年没
左大臣・三条公頼の三女。源応尼の娘?於大の妹?
長姉の夫である細川晴元の養女となり、本願寺第10世・証如の子・茶々丸(顕如)と婚約。
1557年4月17日、さらに六角義賢の猶子となり14歳で顕如と結婚、石山本願寺に輿入れした。翌年に15歳で長男・教如を産む。1577年に34歳で三男・准如を産む

信長の家臣・滝川一益(1525年生)は甲賀忍者(志能備)で滝川家は六角家の家臣だった。本願寺・一向宗との繋がりもあり、如春尼(六角義賢の猶子)・源応尼の娘・於大の妹と繋がり、家康(元康、浄慶、惠新)と繋がる。家康と縁故の深い滝川一益は清州同盟の立役者である。

 

大久保 忠俊(1499年生 宇津忠俊)藤原北家宇都宮氏流 

大窪党を引き継いだ2代目頭が宇津忠俊(大久保)であり、出自は下野の宇都宮氏を祖、宇津の祖は新田義貞の家来であった。南朝支持派である。宇津氏は下野に勢力を持っていたが、その分家である武茂氏が泰藤の代に三河国上和田に移住したとの事。(宇津救命丸で有名)

宇津忠俊は兄弟全員と共に「大窪」姓に改姓し、その後、一族諸共大久保姓に改名した。忠俊は大久保一門の当主である。

大久保 忠俊は、三河領主松平清康の譜代家臣。宇津忠茂の子蟹江七本槍の一人。通称は新八郎、五郎右衛門とも。号は常源。妻は坂部正利の娘。弟に大久保忠員(子は大久保忠世)ら、子に忠勝らがいる。 

『三河物語』によると、

越前の大窪藤五郎という武芸者が三河に修業(本願寺の傭兵?)に来て、自分の名字を残すのは忠俊しかいないと要望したので、主君・松平清康(室・源応尼)に伺いを立てると、大窪藤五郎は剛勇の士であるからその望みを認めようと言ったので、当初の姓は「宇津」であったが、兄弟全員と共に「大窪」姓に改姓し、大窪藤五郎の戦死後(1540年没)に忠俊が「大久保」姓と改めたとされる。』 大窪党、源応尼・於大・淨慶(権現様)と繋がる。忠俊は大窪藤五郎の傭兵部隊を引き継ぐ。

宇津忠俊は大窪党の2代目頭となり、宇津⇒ 大窪⇒ 大久保と改名する。大窪党は権現様の家来である。

1535年、松平清康の急死後、家臣団は信定派と広忠派に分裂したが、大窪忠俊は引き続き弟・忠員、忠久、林藤助、八国甚六郎、成瀬正頼・大原左近衛門らと密議を重ね、密かに広忠派に内通し広忠の帰城を謀った。1537年広忠は岡崎城に入城した。(成瀬正頼の次男・成瀬 正一
1540年、広忠は渡の戦いで敗れたが、忠俊は追撃する敵を防ぎ、、敵を逆に敗走させた。大窪藤五郎はその戦いで討ち死にした。 
1548年4月、松平信孝(信定派)が500騎余りを率いて、岡崎城を窺ったが、忠俊と石川清兼は、射手70名を伏兵として隠し、松平信孝を射殺して暗殺した。
1549年、今川義元は、三河勢に先導させて織田信広の籠もる安城城を攻めた。先鋒となった忠俊らは信広を生け捕ることに成功して、織田と講和し、人質として捕らわれていた広忠の子竹千代(元康)との捕虜交換を実現させた。 以後、織田に2年程人質となっていた竹千代(元康)は今川の人質となった。
1563年の三河一向一揆では岡崎城の防備に務め、家康勢が一向宗の寺院破却を言い出した際、忠俊の懸命の功労により一向宗の門徒は全員無罪とし、浄珠院で面倒を見る事を認めさせた。

※大久保忠俊が、一向宗の門徒は全員無罪とし和解を成立させたことは当然である。家康は影武者(恵新)であり、決定権は酒井忠次、石川数正、大久保忠俊にあったといえる。

 

大久保忠世(1532年生、大窪党) 徳川家臣・大久保忠員(忠俊の弟)の長男として誕生。蟹江七本槍、徳川十六神将の1人に数えられる。
与力に成瀬正一、日下部定好、本多 正信。家督は嫡男・大久保忠隣(与力は大久保長安)

 

本多 正信(秦氏・本多家は賀茂神社の神官の家柄)陰陽修験の諜報員  一向宗を支持した

『陰陽修験者の「志能備」としての組織は、賀茂氏・役小角(えんのおずぬ)流れで組織化されていく。武術の発祥は陰陽修験道からで、修験武術の習得を通して、伊賀・甲賀・秦河勝(香具師・神農行商の祖)の「志能備」群団と接点があったと思われる。正徳大使の武官から特殊諜報員(忍び)と武士が生まれた。』

三河一向一揆が起こると、一揆方の武将として弟の正重と共に家康に敵対。一揆衆が家康によって鎮圧されると、反逆者となり徳川氏を出奔して加賀国に住した。『藩翰譜』によると、三河を出た後京へと向かい、その後加賀に赴いたとされる。また加賀では一向一揆の将として迎えられたともいわれ、そこで織田信長と戦ったともされる。雑賀衆・鉄砲隊と繋がる「志能備」である。

10数年後には、大久保忠世(大窪党)のとりなしにより徳川氏に帰参することとなり、再度、家康の家臣となる。初め鷹匠として仕えたとあり、正信は伊賀越え(1582年)に付き従ったともいわれる。武田家滅亡時には、武田家臣団を取り込むため、本領安堵と引き換えに徳川家臣団への参集を呼びかけた。武田遺臣との繋がりも深い。その頃は既に、家康の信任を取り戻しており、以降は重臣として要職を歴任している。 江戸開府後は家康、2代将軍・秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。(子・本多正純)

1612年には子の本多正純の家臣・岡本大八による朱印状偽造が発覚している(岡本大八事件)

1613年の大久保長安事件、1614年の大久保忠隣、服部半蔵らの失脚に関わったとされる。

本多一族と大久保一族の権力争いが勃発した。 本多一族の勝利に見えたが、その後、本多一族も粛清された。

 

大久保長安(南朝大蔵・志能備・信玄の影武者担当) 大久保忠隣の与力 大窪党

長安の祖父は春日大社で奉仕する猿楽師(現能)、父は金春流の猿楽師 武田家臣の山本勘助南朝吉野冠者・清和源氏の流れを汲む駿河源氏・吉野氏の子孫)に学ぶ。大蔵、土屋、大久保と改名 八王子千人同心頭

  

石川数正(家康の筆頭家老) 松本城主 

河内石川源氏の石川政康のときに蓮如上人に帰依し、下野国(栃木県)小山氏より、三河へ移り小川城を築いた。この後裔に徳川家に仕えた石川数正となる。(家成と同族)

1579年9月15日、松平信康の切腹後、信康を徳川家の跡取と考える岡崎城派の総帥・石川数正は、影武者家康(権現様・淨慶と惠新)を捨て、豊臣秀吉に出奔した。 

 

成瀬 正一(成瀬正頼の次男1538年生) 大久保忠世の与力 大窪党  家康の諜報員で根来忍者では?

1560年頃、徳川氏を出奔して武田氏に仕える。第四次川中島の戦いで、打ち取られた諸角虎定の首級を石黒五郎兵衛と共に取り返し、武田信玄より黒駒の地を与えられるが、その後、徳川に帰参し家康に従い、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いに従軍。長篠の戦いでは、日下部定好と共に大久保忠世の与力として、武田方の旗指物の識別や鉄砲隊の指揮を行う。かつて武田家に仕えていた経歴を重宝され情報官としての役割を担いつつ、特殊技能の鉄砲隊の指揮も行った。1582年に武田氏が滅すると、「武田狩り」の嵐が吹き荒れる中、成瀬正一は知己であった武田旧臣を遠江国の桐山に匿った。徳川家康が甲斐国を支配すると、日下部定好とともに徳川氏の関東地方移封までの間、甲斐一国の奉行を務めた。
奉行になると米倉忠継、折井次昌をはじめとする武川衆や大久保長安といったかねてより匿っていた武田旧臣の安堵状を家康から取り付け、家康の家臣とした。大久保長安は徐々に頭角を現し、甲州時代の初期には成瀬・日下部の両職の体制であったが、後期には成瀬、日下部、大久保の三奉行の体制になっていたという。因みに、井伊直政の赤備えには正一と共に諸角虎定の首を取り返した石黒将監が加わっている。

天正13年(1585年)に新設された根来組・200人の組頭に長男・成瀬正成が任じられている。また、根来鉄砲組師範・山口重政は、三男・正武の最初の舅である。

 

世良田次郎三郎元信 (新田源氏の後裔・権現様・淨慶)

三河一向一揆(1564~1566年)で本多正信と共に家康と戦ったササラ者(忍び)の頭と言われる淨慶。父が新田源氏の後裔・江田松本坊(下野国・栃木県出身)で母は於大(祖母は源応尼・伊賀のくノ一)の子。服部・伊賀忍者、大窪党と共闘。

浄慶は子供の頃、駿府を放浪していたが、又右衛門という男に攫われて、子供を欲しがっていた願人の「酒井常光坊」に銭五貫で売られたという。酒井一族との繋がり

浄慶の祖母・源応尼の血筋 後年、源応尼は華陽院と名のった。秀忠の母・西郷局は服部忍軍のくノ一

源応尼は大河内但馬守満成の娘養女とも・謎)身分の低い家の出身説、謎の出自
ささら者(賤民)の娘とも云われている。伊賀のくノ一とも云われる。
実名は(於富の方・於満の方)は明応元1492年に誕生
源応尼は水野忠政に嫁ぎ、3男1女を儲けたとされる。この1女が徳川家康の生母となる於大の方
離縁後、松平清康、星野秋国、菅沼定望、川口盛祐に嫁ぐ。いずれも死別の謎・伊賀のくノ一
松平清康と源応尼(於富の方)の間の娘(於大の方・碓井姫・妙春尼3娘?

 

酒井忠次 配下に大窪党

西三河の坂井郷から起こった土豪で松平氏の別流松平家も酒井家も ルーツが同じで、新田源氏の末裔を主張している。新田氏の支族、世良田氏の一族を名乗る流浪の時宗の僧・徳阿弥(後の松平親氏)を祖としている。酒井忠次は、上ノ郷城の攻撃(1562年)には甲賀から伴太郎左衛門資家を呼び寄せ、忍び働きに熟練した者を集め城内に潜入させ攻略した。潜り込んだ甲賀・伊賀衆は約280人といわれる。「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群団

酒井 忠次の正室 碓井姫母は源応尼、1529年生~ 1613年1月17日没84歳)    

松平清康と源応尼・於富の方の間の娘(於大の方・碓井姫・妙春尼3娘?) 。徳川家康の母である於大の方と碓井姫は異父妹でもある。 酒井忠次の母は妙玄尼(石川数正の姉)

妙春尼は於大の方の妹?(細川晴元室?)家康はこの叔母に育てられた。
子の石川家成(1534年生、1609年没) 家康と家成は実母が姉妹
家成は本家・康正の弟で分家、石川数正は本家・康正の子

 

服部半蔵 秦氏流服部氏族(伊賀流忍術の祖)

半蔵の祖は伊賀上忍であった服部家の血縁を活かし、宗家・服部正尚と連携し家康の伊賀越えの脱出劇に加勢した。服部一門は、家康によって伊賀組と取り立てられ、服部半蔵を組頭にした徳川家の家臣となった。

源応尼・華陽院、於大の方、西郷局、春日局らのくノ一の活躍はすさまじく、血縁を広げて他家を吞み込む侵略的な活動は、天下をも吞み込んでいる。

 

権現様・淨慶家康・世良田次郎三郎元信を旗頭として支える家臣団に共通するものは、南朝天皇を支持した源氏の一族、秦氏の一族、一向宗を支持した一族、志能備(忍び)の一族である。特殊能力を備え、諜報活動を得意とする群団が新田源氏再興を目指して、天下を取った。

※ 「1562年9月の戦い・石ケ瀬合戦」より、世良田二郎三郎元信(権現様)家来として、酒井浄賢、石川四郎、大久保甚四郎、榊原小平太(年若)、鳥居元忠(父子)、成瀬八郎、板倉内膳正、板倉弾正、平岩七之助、林藤介等の名前が確認できる。

春日局・お福の元夫・林正成(稲葉正成・養子)は、林藤介の血筋ではないか? 春日野局(秦氏)は3代将軍家光の乳母(実母?)

 

歴史を動かしてきたのは、全国の諜報活動を役目とした、特殊工作員たる「聖徳太子の志能備」の知恵である。

徳川家康(淨慶)は、諜報組織を作り上げていた。既に、源氏の血筋と、秦氏の血筋で集団統治体制が出来上がっていたのが徳川幕府である。

家光と忠長の跡目争い

1623年、ニ代将軍・徳川秀忠が急死(毒殺とも?)家光が三代将軍に就任。柳生一族の陰謀、根来衆皆殺しの悲劇。
1633年12月6日、幕命により高崎の大信寺において忠長は切腹した。享年28才
松平伊豆守信綱(源応尼、於大の血筋)や春日局、柳生但馬一族、根来衆が、家光に加勢し支持する。

大久保派、松平信綱(伊豆守)、春日局、柳生、根来衆等は、家康(淨慶)の子・家光を3代将軍に支持
秀忠(惠新の子)、忠長派は、本多一族、水戸の御三家と筆頭老中・土井大炊頭利勝ら老臣が忠長を支持。

2代将軍・秀忠、天海僧正・明智光秀、春日局(お福)は、従弟(従妹)同士の可能性がある。

 

松平伊豆守信綱は大河内一族(源応尼・華陽院出自)の後裔

源応尼の甥、大河内政局(政房)の妻が駿河にいた竹千代(信康)の乳母をしていた。信康は大河内政房の妻の手引きで駿府を脱出したという記述がある。一説に、この妻が竹千代誘拐に加担した件で、源応尼は刑死(1560年5月30日没)させられたとも言われる。」。。。後に、大河内は家康より松平姓を授かった。

※源応尼は華陽院と名のった

大河内政局(政房)に注目! 今川より松平信康を奪い取った功労で大河内から松平姓を貰った。

(上記はネット検索より転写)  源応尼、於大の血筋が徳川幕府の骨格を形成している。

 

大久保一族の勝利  足利源氏・室町幕府を倒し、新田源氏の後裔・世良田二郎三郎元康(淨慶)の血筋が天下を取った!

 

歴史を動かしてきたのは陰陽道であり、典型的なのが忍者(志能備)である。

服部半蔵、百地三太夫、百地丹波、藤林長門、石川五右衛門、山本勘助、大久保長安、明智光秀、春日局、本多正信らは、秦氏。

八咫烏の謎・カッパ―ラ・「迦波羅」・カバラ・賀茂神社
『 聖徳大使の諜報活動(秦氏・志能備) 表神道の呪術「陰陽道」と裏神道の呪術「迦波羅」』(忌部氏に通じる葛城系の人々)

南朝吉野冠者後裔・山本勘助(賀茂神社の神官・左三つ巴の神紋) 大久保長安(南朝大蔵)・春日大社の猿楽(現能)・金春流の猿楽師の後裔、観阿弥、世阿弥も秦氏の志能備である。 

 

7日 神君伊賀越え後の家康の行動

なるほど! 歴史ミステリーより参照

信長の死後 秀吉の織田家乗っ取り計画と家康の適格な動き 清須会議の実態「大河ドラマ どうする家康」歴史解説43

6月14日に、家康は鳴海地区に兵を進めた。

6月17日に、津島地区まで酒井忠次の兵を進めた。酒井忠次は大窪党、伊賀、甲賀、根来忍者群団を動かすことができる。又、本多正信は一向宗の傭兵、雑賀衆(鉄砲隊)群団を動かすことができる。

秀吉の光秀討伐後の動きをみて、木曽川で侵略を止める思いもあった筈である。秀吉討伐で京都に進軍する筈がない。

むしろ、織田の裏切り者になることは避けたいと思ったはずなので、清州城を守るために、津島まで兵を進めたと言い訳ができる。織田勢の味方の立ち位置を取ったということだろう。

又、伊賀越えでお世話になった、伊賀、甲賀、根来忍者、雑賀衆群団、一向宗傭兵群団の味方であることも示す必要があった。その為、木曽川まで兵を進めて、備えたということだろう。

秀吉がこれらの群団征伐に動くような姿勢が見られれば、家康は秀吉と一戦を構える姿勢はあったと思われる。

 

古書を読むだけで真意を掴もうとすれば、それは無理である。深層心理を書き残す戦略家はいない! 特殊工作の戦略は書物には書き残さない。事象のみである。

地図で徳川勢の動きを見れば分かる筈である。敵が秀吉となったら、木曽川で秀吉勢を迎え撃つ。伊賀、甲賀が秀吉に攻められたら、進撃する構えである。

家康は、伊賀、甲賀、根来忍者、雑賀衆群団、一向宗傭兵群団の味方であり、見捨てる様なことはしない。秀吉と戦闘状態になれば、家康のゲリラ部隊として重要な役割を果たす特殊戦闘部隊である。

歴史家は古書に書かれているものを基準に考えるが、机上の理論となる。現実にその時代に、生き抜いた武士の戦いは、生きるか死ぬかである。戦略は如何にして生き残るか、勝つかである。

秀吉も優秀な戦略家である。家康勢が津島に構えたことは、秀吉が木曽川を超えることは難しい、清州城を取られたら織田勢を纏めることは難しくなる事ぐらいは読める筈。

秀吉は、このタイミングでの家康との一戦は避けなければならない。京都を占拠して、家康以外の織田勢を纏めることに専念したのである。家康とは休戦を望んだのだろう。

秀吉は京都を制して、織田勢をまとめることで頭が一杯であり、甲斐、信濃等の統治を家康に放任して、滝川一益の動きを封じたということだろう。

家康は明智光秀が勝利したとしても、京には上らなかっただろう。織田勢の分裂を高みの見物としただろう!

我先と光秀や秀吉を叩く必要はない。信長の死は必ず内紛になる。勝ち残っても弱体化した相手を叩けば良いのである。外様が火中の栗を拾う必要はない。志能備(忍び)の知恵である。

状況によっては、企を見て清州城を奪う事もできる。津島に軍を進めて秀吉の「帰陣するよう」の指示を引き出したのであろう。そして堂々と甲斐、信濃の取り込みを実行したのだ。

滝川一益の敗戦を庇い、領地を奪い返して、北条の侵出を許さず、徳川領にしたのである。旧武田家臣団を引き込み、家康の直参軍団として召し抱えて成功させた。志能備(忍び)の知恵である。

 

「清州同盟」の立役者

滝川一益(いちます、1525年生) 甲賀忍者・志能備

聖徳太子の要請で、大伴氏族・大伴細人(おおとものさひと)から発生した甲賀郷士忍術者群団である。

近江国(現在の滋賀県)の南部、甲賀郡の郷士(地侍)であった、「滝川一勝」(たきがわいちかつ)の次男として生まれた。甲賀は、「六角家」が治めていたため、「滝川家」も、その配下にあった。

甲賀の出身であることから、一説には忍者だったとも言われている人物で、調略が得意で、鉄砲の名手で優れた才覚があった。水陸どちらの戦いにも高い能力を発揮した滝川一益は、織田軍が遠征したあらゆる戦地で重用され、目覚ましい活躍をした。
「本能寺の変」をきっかけに、滝川一益の立場は一変。不遇の晩年を強いられて、ひっそりと生涯を閉じることになった。 

河内国・堺(大阪府堺市)で鉄砲の製造法や射撃の技術を学んだと言われています。
滝川一益は、「織田家」の重臣「池田恒興」(いけだつねおき)の仲介により、織田信長と出会い、滝川一益は鉄砲の名手であったので、織田信長に召し抱えられた。池田恒興は、滝川一益の従兄弟に当たる縁戚。
1560年に信長は「今川義元」を「桶狭間の戦い」で破った。
そして、滝川一益は「清洲同盟」成立の立役者として活動し、松平元康の家臣に接触して説得を重ねた結果、織田信長と松平元康の和睦を実現させた。1562年には、両者間で「清洲同盟」が締結されました。
このときの交渉能力が認められた滝川一益は、織田家家臣団の中で頭角を現していきます。

※交渉相手は、松平元康の家臣、石川数正、酒井忠次、権現様(淨慶)、服部忍者、大窪党の面々である。滝川一益との交渉なら、双方共に「志能備」の調略が成立した。

その後、滝川一益は、美濃国と国境を接する伊勢国(現在の三重県北中部)を、まず押さえるべきであると織田信長へ進言敵対していた北伊勢の土豪「服部友貞」(はっとりともさだ)に調略を仕掛け、「蟹江城」(現在の愛知県蟹江町)を築かせた。
完成したところで服部友貞を追い出し、滝川一益が城を乗っ取るという騙し討ちのような方法で、戦略拠点を手に入れることに成功したのです。甲賀忍者「志能備」の調略
この蟹江城を足場に、伊勢に分立する大小の豪族を次々と屈服させた滝川一益は、もとは朝廷の側近であった伊勢国の名門「北畠家」の攻略に挑みます。
ここでも滝川一益は調略を用いて、同家の当主「北畠具教」の弟であり、その重臣であった「木造具政」を味方に引き入れ、北畠家を分断。統率に乱れが生じたところに、織田信長が7万人の軍勢を引き連れて本拠の「大河内城」(現在の三重県松阪市)を取り囲み、城の周囲を焼き払うなどして包囲しました。北畠具教は、籠城の末、織田信長の次男「織田信雄」を養子とする和睦の条件を受け入れ、城を明け渡したのです。その後、北畠具教を暗殺。「志能備」の調略

こうして滝川一益は、蟹江城を本拠とし、北伊勢の支配を任されるようになります。

甲州征伐に出陣

1578年(天正6年)、越後国(現在の新潟県)の「上杉謙信」が急死すると、「上杉家」の家督を巡り対立が生じます。
「御館の乱」では、甲斐国の「武田家」が上杉景勝に与し、相模国の「北条家」が上杉景虎を支援することになり、「北条氏政」は、武田家打倒の共闘体制を築くべく、織田信長に臣従を申し入れます。このとき、北条家の使者を出迎え、取り次ぎ役を担ったのが滝川一益でした。(北条忍者は風魔小太郎「志能備」の調略)

1582年(天正10年)、「木曾義昌」が織田家に寝返ったことをきっかけに、織田信長は「甲州征伐」の狼煙を上げます。主力部隊は、信長の長男「織田信忠」を大将とし、副将の「軍監」を滝川一益が務めました。
この戦いには、徳川家康や北条氏政の軍も参加し、戦況は織田側に優位に進みます。そして武田勝頼は、家臣の裏切りもあって徐々に追い詰められていったのです。
逃げ場を失った武田勝頼は、開戦から1ヵ月後、「天目山」の近くで滝川一益の軍勢と激闘の末、自害に追い込まれ、武田家は滅ぶことになります。

武田の影武者一族・土屋昌恒の片手千人切りは有名、志能備、義兄に大久保長安(大蔵⇒土屋⇒大窪⇒大久保)

その後、武田家の遺領は、織田家の家臣によって分割されました。滝川一益は、上野国(現在の群馬県)と、隣接する信濃国の2郡を与えられると同時に、かつて上杉謙信が務めた「関東管領」に任命されます。
「箕輪城」(現在の群馬県高崎市)、次いで「厩橋城/前橋城」(現在の群馬県前橋市)入り、関東や東北地方の諸大名を、織田家に服属させる大任を担うことになったのです。滝川一益はそれまでの領地の安堵を約束して、地域への融和に努めて治めました。
滝川一益は、東国の広大な勢力圏の支配を任され、「西の秀吉、東の一益」と言われるまでに出世を遂げたのです。

明智光秀の謀反により、「本能寺の変」が起きたのは、滝川一益が関東管領に就任して3ヵ月も経たない、1582年6月2日のこと。厩橋城にその知らせが届いたのはその5日後です。
織田信長の死が領国の武将達に知られると、一斉に離反を招くことにもなりかねません。しかし滝川一益は、家臣の反対を押し切って、その事実を伝えることにしました。
「我らは上方に戻って織田信雄、信孝(のぶたか)殿を守り、光秀と戦って恩義に報いねばならぬ。一益の首を取って北条に降る手土産にしようと思う者は、遠慮なく戦いを仕かけるが良い。北条氏政・氏直(うじなお)父子から城を渡せと言われたら、それがしは北条勢と決戦に臨み、勝とうが負けようが京に向かうつもりだ

「本能寺の変」を知った北条氏政は友好関係を継続する意志を滝川一益に書状で伝えていますが、上野国を侵攻する準備を整えていました。
6月16日、北条氏政・氏直父子が率いる総勢56,000人の大軍が、上野国・倉賀野(現在の群馬県高崎市)に侵攻を開始。
滝川勢は18,000人の兵で迎え討ちましたが、兵力の差は歴然、翌日の戦いでは、敗走となったのです。

滝川一益が、伊勢国へ戻る道中にあった6月27日、尾張国の「清洲城」では、織田家の重臣達が集まり、新たな当主と遺領の配分を決定する「清洲会議」が開かれていました。
後継者を巡っては、織田信長の三男「織田信孝」を推す柴田勝家と、織田信忠の子「三法師」を推す「豊臣秀吉」が対立。そして、織田信長の仇を討ったことで主導権を握った豊臣秀吉の案が、採用されることになったのです。

この会議によって滝川一益に認められたのは、旧領である伊勢国・長島50,000石の現状維持のみ
不満を募らせた滝川一益は、柴田勝家と豊臣秀吉が争った1583年の「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)に、柴田側の一員として参戦。豊臣秀吉率いる70,000の大軍を相手に善戦します。しかし、主戦場の近江国で豊臣側の勝利が決まり、柴田勝家は自害。孤軍奮闘を続けていた滝川一益でしたが、豊臣秀吉の軍門に降るのです。

滝川一益は出家し、越前国(現在の福井県北東部)に蟄居。1584年、織田信長の次男・織田信雄が徳川家康と共に、反秀吉の兵を挙げた「小牧・長久手の戦い」が起こると、滝川一益は、豊臣秀吉から呼び戻されます。
賤ヶ岳の戦いのあと、織田信雄の所領となっていた北伊勢での戦いに、この地をよく知る滝川一益の力が必要とされたのです。
旧臣達を招集して出陣した滝川一益は、織田信雄方であった戦友の九鬼嘉隆を内応により味方に引き入れ、かつて所有していた蟹江城を奪います
織田・徳川連合軍は、20,000人の大軍を投じて蟹江城を急襲。滝川軍は、水陸両面から包囲されながらも半月以上持ちこたえます。しかし、豊臣秀吉の援軍が遅れたことで戦力は尽き、蟹江城は明け渡されることになりました。
滝川一益は、豊臣秀吉から3,000石のわずかな所領を与えられましたが、再び越前国で蟄居の身となります。その後、滝川一益は、合戦に明け暮れた62年の生涯を終えました。

 

「清州同盟の成立」が天下取りの指針となった。新田源氏の後裔・淨慶、酒井忠次、石川数正、服部半蔵、伊賀・甲賀忍者群団、大窪党、一向宗傭兵、滝川一益、成瀬正一、大久保長安、明智光秀、春日局、本多正信ら秦氏の後裔たる「志能備」の調略である。

 

「志能備」が忍びのルーツで、聖徳大使の時代からの諜報活動をしていた。

聖徳太子にまつわる伝承として、「聖徳太子が情報収集に使った」とされる三人の人物とその配下の事が載っている。大和朝廷の正規軍と陰陽修験の諜報工作組織の存在である。

聖徳太子の大伴氏族・大伴細人(おおとものさひと)に対する要請で「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群団。

正徳太子が有力部族・秦氏族へ要請されたとする、秦河勝(秦河勝・香具師・神農行商の祖)とする郡団。

伊賀の国人・秦氏流服部氏族(伊賀流忍術の祖)の伊賀流忍術者群団の三集団である。

 

陰陽修験者の「志能備」としての組織は、賀茂氏・役小角(えんのおずぬ)流れで組織化されていく。

賀茂氏・役小角は、陰陽修験は(村落部では)守備範囲の役割を分けていたと思われる。
甲賀郷士忍術者群団と、服部氏と河勝氏の率いる三集団とは町場の氏族を相手とする諜報活動群団と、活動範囲を分けていたようだ。
武術の発祥は陰陽修験道からであるから、甲賀郷士忍術者群団と、服部氏と河勝氏の群団も、修験武術の習得を通して接点があったと思われる。武官から特殊諜報員と武士が生まれた。等々の「志能備」に関する情報を得ることができた。

滝川一益は、「志能備」
伊賀・服部流と双璧を為すと評価される「大伴氏から発生した」甲賀郷士忍術者群団の一員である。

 

明智光秀の謀反による「本能寺の変」

「志能備」が忍びのルーツで、聖徳大使の時代からの諜報活動をしていた。明智光秀は天皇家の武官

「聖徳太子が情報収集に使った」とされる「志能備」、武官。大和朝廷の正規軍と陰陽修験の諜報工作組織の存在が天皇制を守った。

「時は今 天命が下った 五月かな」  天皇家、公家社会の為に、信長を殺す時(チャンス)が来た!


徳川家康の謎  4  家康は影武者だった? 本能寺の変・神君伊賀越えは想定内 影武者・世良田二郎三郎元信・権現様の調略

2023年07月16日 22時47分31秒 | 歴史 戦国時代 徳川家康 織田信長 服部半蔵 新田源氏 武田信玄 八王子千人同心

徳川家康の謎  4  家康は影武者だった?

松平元康(本物)は1560年12月5日~1561年にかけて、織田信長と戦うべく尾張に向けて侵攻をしていた尾張守山において、阿部正豊(弥七郎)に暗殺された?

1561年 元康の異母弟・恵新死亡の墓有り。実は松平元康(本物)が死亡したのではないか? そして、異母弟・恵新(双子の兄弟か?)が松平元康の影武者となった。

恵新の異父兄である淨慶は、元康の異父兄でもあり、新田源氏の後裔であり、新田源氏再興の旗頭となる。そして、淨慶は世良田二郎三郎元信と名のり、後に、徳川幕府を創設した初代徳川家康となる。

恵新は1561年~1600年の関ヶ原の合戦までは、家康として生存していたが暗殺され、以後は淨慶が家康となった。徳川家の実権は淨慶が掌握していた。

 

『徳川実記』に、「野々村四朗右衛門が馬上から家康に切りかかってきたので斬った」という記述がある。しかし、影武者が殺されたという説も、影武者に入れ替わったとも云われる。

関ヶ原の合戦場には、二人の家康が席を並べて存在したと云われ、本物は親指を銜える癖があるといわれ、影武者と本物の見分けになったと云われる。恵新と淨慶ではないか?

 

松平元康 ⇒ 影武者・元康2・家康1(惠新1561年~)⇒ 家康2(淨慶1600年~)⇒ 家康3(消えた矢惣次1615年~)の影武者を肯定すれば、徳川幕府の成り立ちが説明できる。

徳川家は、淨慶こと世良田二郎三郎元信(権現様)が総帥となって、集団的統治体制の下に運営されてきた集団であると思われる。

 

推測経過

松平元康は松平広忠と於大(源応尼の娘)の子である。側室・お久の子とする恵新とは双子で於大の子とも推測できる。於大の子・淨慶の異父弟とも推測できる。

お久の子とする勘六(恵新の異父兄)は、水野忠政、松平忠政の名前から察すると、母は於大の可能性があり、浄慶と同一人物とも推測できる。又は、お久は於大と姉妹で源応尼の娘か?

1561年に元康が暗殺されて、異母弟の恵新(松平広忠の子)が松平元康に成り替わる。その後、元康・恵新の影武者となる浄慶・勘六の二人が別人であっととしても矛盾は生じない。酒井忠次の家臣となった勘六は、姉川の戦い(1570年)で戦死したと云われる。

世良田次郎三郎元信なる人物は、三河一向一揆(1564~1566年)で本多正信と共に家康と戦ったササラ者(忍び)の頭と言われる淨慶である。
一向宗の味方をした本多正信は、家康の家臣を辞め出奔し一向宗と共に10年程放浪し、「本能寺の変」の前から再び家康(恵新、浄慶)の家臣となっている。

松平元康の影武者(恵新、浄慶)は1566年には徳川家康と改名した。ここで松平家の血筋は支流となり、浄慶の新田源氏の後裔・得川家の血筋が本流となった。以後、徳川家の実権を握ったのは淨慶(権現様)であり、元康の子・松平信康は邪魔な存在になったのである。

恵新は影武者家康として関ヶ原の合戦(1600年)まで生存したが、合戦場で暗殺されたと思われる。
恵新の死後は、淨慶(権現様)が家康となり、徳川幕府を起ち上げ、大阪夏の陣(1615年)までは生存したと思われる。

家康・淨慶(権現様)が戦場で暗殺されて、「消えた矢そうじ」が家康の影武者となり、1年後の1616年には鯛の天ぷらにあたって死去(毒殺?)した。

 

2代将軍徳川秀忠は1579年5月2日生まれであり、恵新(影武者家康)の子ではないか? 又は、淨慶の子であってもおかしくはない。秀忠が淨慶の子であれば、3代将軍・家光とは異母兄弟である可能性が高い。

秀忠の母は鍛冶屋の娘おあい(後の西郷の局・1590年没)であり、伊賀忍軍の上忍である「服部家」で育てられたくノ一とも云われ、鍛冶屋(忍者小屋)を拠点として活動していた淨慶とは親密な関係にあった。

「神君伊賀越え」で

伊賀越えルートを先導したのは、家康の旗本になっていた2代目服部半蔵正成。伊賀上忍であった服部家の血縁を活かし、宗家・服部正尚と連携して家康の脱出劇に加勢した。この時に功あった伊賀者が、後に家康によって取り立てられ、伊賀組となった。

伊賀国・服部宗家の服部正尚の弟の服部七右衛門も家康に仕えたが、兄亡き後に、服部宗家を継ぎ、その後、子の無かった青山(忠重)家に養子入りしている。そして改名し青山成重となった。(服部宗家の忍者である)
青山成重と改名した服部七右衛門は、2代将軍・秀忠のもり役となり、以後、秀忠の側近として権勢を振るった。
秀忠の母・西郷局(鍛冶屋の娘・於愛)は、西郷正勝の娘と戸塚忠春との間に生まれた子とあるが、戸塚忠春が戦死して後に、西郷正勝の娘と於愛は服部正尚のもとに嫁いでいる。

秀忠の母・於愛(西郷局)は伊賀のくノ一でもあり、服部正尚の実子の可能性もある。秀忠には服部忍者の血が流れている? 淨慶(権現様)と服部伊賀忍軍(秦氏)との繋がりは強固である。

 

1579年9月15日 松平信康切腹

家康は、織田信長が松平信康・築山殿の処罰を命じたとし、築山殿を遠江富塚に殺害し、信康を二俣城で切腹させている。
秀忠の誕生で、徳川家を完全に乗っ取るためには、松平家の跡取である信康を殺す必要が生じた。松平信康を跡取とする岡崎城派の総帥・石川数正が家康を捨て、豊臣秀吉に出奔する要因である。 

3代将軍徳川家光は、秀忠の子ではなく、淨慶(得川家康)の子ではないか? 家光の父は新田源氏・得川の血筋であり、母は秦氏の血筋(公卿)の春日野局とも云われる。

 

一向宗と大窪党と淨慶の関係

酒井忠次の配下の大久保忠俊は、1563年の三河一向一揆では岡崎城の防備に務めた。また、家康が一向宗の寺院破却を言い出した際、忠俊の懸命の功労により一向宗の門徒は全員無罪とし、浄珠院で面倒を見る事を認めさせた。 一向宗を庇ったのである。 

大久保忠俊は大窪党の2代目頭である。初代の大窪藤五郎(越前から来た)は一向宗門徒の加賀一向一揆の傭兵である。家康側に付いて三河の一向宗と対峙したが、本気で戦う気持ちはなかったので岡崎城の防備に努めている。

一向宗の味方をした家康の家臣は、影武者体制を嫌った松平家古参の家臣らである。一向宗を撒き込んだ勢力争いの内部分裂であり、松平家を本気で潰す意図はなかった。家康(恵新)は一揆側の条件を丸呑みして、半年で和解したことが示している。

大久保忠俊が、一向宗の門徒は全員無罪とし和解を成立させたことは当然である。家康は影武者(恵新)であり、決定権は石川数正(元一向宗門徒)、酒井忠次、大久保忠俊、淨慶にあったといえる。

一向宗を支持した本多 正信は、父祖以来、徳川氏に仕えるが、反逆者となり三河を出奔して流浪し、10年後には再度、家康の家臣となる。江戸開府後は家康、2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。 

本多 正信は三河一向一揆が起こると、一揆方の武将として弟の正重と共に家康に敵対。一揆衆が家康によって鎮圧されると、徳川氏を出奔して加賀国に住した。『藩翰譜』によると、三河を出た後京へと向かい、その後加賀に赴いたとされる。また加賀では一向一揆の将として迎えられたともいわれ、そこで織田信長と戦ったともされる。」 。。。記述あり

本多正信も伊賀越えに付き従ったともいわれる(『藩翰譜』。但し判明している34名の伊賀越えに同行した供廻の中に正信の名はない)。

1601年からは、家康が将軍職に就任するために朝廷との交渉で尽力したといわれる。更にこの頃、本願寺(一向宗)では前法主・教如と法主・准如の兄弟が対立していたため、これを利用して本願寺の分裂を促すことを家康に献策。かつて自らも身を投じていた本願寺の勢力を弱めさせた。

家康は正信の進言で、教如上人に京都(烏丸六条)の寺地を寄進、後に現在の東本願寺となる。(西本願寺は秀吉が建立したもの)親徳川派の一向宗を盛り立て本願寺の勢力を分断した。

本多正信は朝廷との繋がりも深く、交渉力があったことがうかがえる。

 

信長と権現様(淨慶)との相違点

世良田二郎三郎元信こと淨慶は、新田源氏の後裔として旗頭になり、服部忍軍や伊賀、甲賀の忍者集団、地侍等と共闘して松平家の乗っ取りを成功させたものである。
大窪党の頭・大窪藤五郎(越前から来た)は一向宗門徒であり、百姓王国100年を実現した加賀一向一揆の傭兵である。2代目の頭が大久保(大窪)忠俊であり、淨慶は大窪党の協力で勢力を巨大化していったとも思われ、一向宗との縁も深い。

信長は、延暦寺、本願寺、一向宗皆殺し、伊賀の乱では伊賀忍者皆殺しを図ったが、家康(淨慶)は一向宗、伊賀、甲賀の忍者衆と共闘して天下取りに成功している。相反する者同士でであり、いずれは何方かが殺される関係にあった。織田は北朝の天皇支持派であり、新田源氏の家康は南朝の天皇支持派である。

 

以上のとおり、徳川家康は影武者による統治体制の下に行動してきたと仮定して、本能寺の変・神君伊賀越えを推理する。

 

「天正10年(1582)6月2日、織田信長、本能寺で明智光秀に襲われ自殺」とある「本能寺の変」、何故、光秀は信長を殺したのか!の動機は、徳川家康の謎1・2・3で書きました。

光秀が信長を殺す可能性を家康が知っていたとも思われ、家康が信長に暗殺(毒殺)される可能性もあったとも推測される。光秀が家康の毒殺を防いだ可能性もある。

家康と光秀には共通の意思の疎通があったとも思われる。1582年の家康は惠新であるが、影武者でもある淨慶が徳川家の総帥であり、光秀とは若かりし頃より面識があったとも思われる。

淨慶は服部忍者と密接な関係であり、伊賀・甲賀忍者を配下に共闘している集団の総帥でもある。光秀は天皇家に仕える朝臣、秦一族の志能備(忍び)である。

家康と光秀は信長を殺す利害が一致している。光秀は天皇家や秦一族の存亡が危惧され、巨大化した家康は信長に命を狙われていた。

この様な背景の下に、信長は家康を安土城に呼び出した。僅かな家臣を連れての信長訪問は、正にまな板の鯉であり、殺されることを想定した訪問であったと推測できる。

したがって、34名の家臣だけでは信長訪問などできる訳がなく、緊急事態を想定した体制での訪問であったと考えるのが普通である。

影武者の強みは、惠新・家康が殺されても、総帥の淨慶・家康が生き残れば、徳川家は滅ぼされない。影の群団を連れて、淨慶・家康が別行動していたと推測できる。

警護したのは甲賀忍者100人、伊賀忍者200人の総勢300人の忍者群団である。淨慶が忍者を使った共闘は、1562年の上ノ郷城攻めで実証している。上ノ郷城の攻撃には、伴ら甲賀衆と、服部半蔵ら伊賀衆の忍者たちが加わっていた。

信長は伊賀の乱(1581年)で伊賀忍者を皆殺しにしたが、家康は逃げのびた伊賀忍者を庇った。家康が信長に殺される理由も与えている。

「天正9年(1581)の第二次天正伊賀の乱の際、服部正成を頼って三河に落ち延びてきた伊賀者を家康が匿ったという」。。。記述有り

淨慶の母・於大は、本願寺・顕如の室(如春尼)と姉妹であり、一向宗との繋がりも深く、背景は信長とは敵対関係であり、光秀とは血縁関係が想定できる。

「春日局が世話になった公卿の三条家は、細川晴元正室、武田信玄室(三条の方)、本願寺・顕如の室(如春尼)、源応尼、家康の母・於大、春日局・光秀と血縁が繋がる。公卿の名門である。」

光秀も家康も信長を殺す動機とタイミングは一致したのである。信長は家康を殺すべく謀り、ミイラ取りがミイラになったと想定できる。

そこで、「神君伊賀越え」の真相に迫る。

影武者・二人の家康の存在である。表向きの惠新・家康、影の実力者、淨慶・家康が同行していたと考えれば、「神君伊賀越え」の真相が見えてくる。

三河に一目散に逃げかえらなければならないのは、淨慶・家康であり、情報も早く、300人の忍者群団を配下にして易々と逃げ帰ったと思われる。

 

淨慶は過去の城攻めにおいて、甲賀、伊賀の忍者群団を使っている。

家康(惠新と淨慶)が1562(永禄5)年の上ノ郷城の攻撃を命じたのは、久松俊勝と松井忠次である。
俊勝は久松長家の名前で、淨慶の実母である於大の方が、家康(惠新)の父・広忠と離縁した後に再婚した相手である。

淨慶の母・於大は服部・伊賀忍者のくノ一である。祖母の源応尼も伊賀忍者のくノ一であり、伊賀、甲賀の忍者衆を動員する繋がりがあった。

この時、酒井忠次(大窪党・大久保忠俊)は、上ノ郷城攻めにおいて、甲賀(現在の滋賀県甲賀町など)から伴太郎左衛門資家を呼び寄せ、忍び働きに熟練した者を集め城内に潜入させた。潜り込んだ甲賀衆は約280人と云われる。

家康は既に影武者の恵新であった筈だが、実権は淨慶が握っており、甲賀、伊賀の忍者軍団と大窪党の活躍で、久松俊勝は難攻不落の上ノ郷城を攻略をした。忍者群団の働きは大きい!

服部半蔵は忍者ではなかった等との記述が目立ってきたが伊賀流忍者の首領を務めてきたとあり、正に、聖徳太子の時代から活躍してきた「志能備」の一族である。

天皇家の為に諜報活動をしてきた伊賀郷士忍者群団であり、大きな目的を以って活動してきた集団である事は間違いがない。服部忍者群団の力を過少化する近年の記述は間違いである。

歴史に大きな影響を与えてきた、「志能備」忍者群団の活動や伊賀・甲賀忍者のくノ一の存在や活動を無視することはできない!

 

服 部 半 蔵 (通称、半蔵あるいは源左衛門

もともとの先祖は、伊賀国花垣村余野(現伊賀市)に居住し、そこで代々伊賀流忍者の首領を務めてきた一族とされる。
 
初代とする  服部半蔵(半三)保長   伊賀出身の忍者。 保長以前は不明 伊賀を出て室町幕府12代将軍足利義晴に、続いて三河にて松平清康に仕える

2代目  服部半蔵正成   1542年~1596年12月 54才没  1582年の家康の伊賀越えに随行した忠臣 伊賀、甲賀同心の支配役

3代目  服部半蔵正就   1565年~1615年6月没?  大阪夏の陣(1615年)で行方不明 淨慶・家康も暗殺されたとも云われ、1613年には大久保長安が死去している不可解な激動期である。

4代目  服部半蔵正重  1580年~ 1652年 72才没 2代正成の次男 3代正就の弟 大久保長安事件で失脚、長安の娘婿長安(金山奉行)の部下(佐渡金山の同心)として佐渡の金山等を統括する。  
~12代目 服部半蔵正義まで

※ 服部 半蔵(はっとり はんぞう)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏から徳川氏の麾下で活躍した者を指す。代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主である。詳細は不明であるが、忍者だったのは初代・保長までであり、2代目以降は武士となり忍者ではなかったとされる。

 

「神君伊賀越え」に戻る

家康は堺を立って2日後の6月4日に本国の三河に着いたという。惠新・家康では不可能と思われる日程である。

逃げ遅れた惠新・家康が腹を切って、家康が死んだと流布する策略も考えられたのではないか? 何度も生き返る権現様である。二人の家康の強みである。

「神君伊賀越え」の近臣34名が一同に行動していたとは思えない。二手に分かれて行動していたと考えられる。本多正信が率いる一向宗、伊賀、甲賀の忍者群団が徳川勢を警護し、諜報活動をしていたと推測される。

服部半蔵が率いる惠新・家康の本隊が囮となって「神君伊賀越え」の苦労話になっていると想定できる。権現様たる淨慶・世良田二郎三郎元信・家康は百戦錬磨の強者である。

権現様は近臣34名だけを連れて、信長に易々と殺されるような無能無策者ではない!    

 

18日

織田信長は松平元康の影武者・惠新を知っていたのではないか? 

清州同盟での面識があった筈、石川数正は影武者・惠新を元康として信長に接見している筈である。

淨慶は山賊集団の頭として織田信長や水野等の地方豪族と共闘しながら、今川勢と戦っている。混乱に乗じて松平家の乗っ取りを画策していた。

そして、元康の暗殺を成功させて、元康の影武者として影武者・惠新を誕生させて、松平家の背乗りを成功させた、この事実を知っていたのは酒井忠次、石川数正他側近の者達である。

石川数正は、元康亡き後、影武者・惠新の擁立を認めた。この時の交渉先が淨慶であり大窪党、服部忍軍であったと思われる。

影武者・惠新の擁立は、後に元康の嫡男・信康に家督を譲ることが前提であり、あくまでも家督は松平信康が継承する事が約束された。

一時的な影武者統治であり、実態は集団統治体制を取って、石川数正と酒井忠次、淨慶、大窪党等との協議による組織運営がなされて、松平家の存続を図った。

この様な影武者状態の中で、今川に帰参するのもできず、今川との対立が深まる中で生き残る為には、織田信長との同盟関係が必要となり、石川数正の働きで清州同盟が成立した。

信長は元康の影武者・惠新の擁立を知っていた可能性は高い。影武者の擁立を知ったうえで、受け入れた清州同盟であったと思われる。

信長は、山賊の頭・淨慶の存在は知っていたと思われるし、僧侶の惠新の擁立なら危険性は感じなかった。又、石川数正が実権を握って、信康が家督を継ぐ事で了承したと思われる。

したがって、信長の娘・五徳が信康の許嫁になることで合意に至ったのではないか。松平家を織田家に事実上吸収することが清州同盟の核心ではないか。

 

織田信長は家康の影武者説を熟知していた可能性は高い!

信長の若いころ、織田の軍師で伊束法師(意足法師とも)という呪術的軍配者がいた。織田信長、徳川家康のブレーンをつとめたといわれる僧侶である。
1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いのころは、信長の側にいたことは確実で、伊束法師が占い、当日の大雨を予想していた可能性がある。伊束法師は家康の監視役だったと言われる。
伊束法師と新田源氏・得川の血筋、江田松本坊と源応尼との関わりはないのか?
お久の子・勘六を家臣とした酒井忠次も新田源氏の末裔と称している。
酒井の家臣となった勘六と浄慶は同一人物とも推測できるが、勘六は姉川の戦い(1570年)で戦死とされている。
以後、家康役は2人で恵新と淨慶となった。表の家康役・恵新と影武者・淨慶(権現様)と推測する。信長の知っている影武者家康(1582年)は恵新である。1600年に恵新(家康)は関ヶ原の合戦で死亡する、以後、影武者・淨慶(権現様)が家康に成り替わる。

したがって、信長が知っている影武者家康は惠新である。僧侶であった惠新は臆病で大人しい、怖れるに足りない男だったと思われる。

清州同盟の成立は、信長が松平家の乗っ取りを画策し、石川数正を信用したという事だろう。

信長は家康の成り替わりを知っていた可能性は高い、信康と娘・五徳の結婚を条件に松平家を吞み込み、領地拡大で戦略的に合意したとも思われる。

 

徳川家の集団統治体制は関ヶ原の合戦までは、表向きには影武者・惠新であり、実権は淨慶、酒井忠次、石川数正(出奔まで)の合議によって統治されていたと思われる。

信長は、徳川家の実力者は、石川数正と酒井忠次の2名であると考えていたかもしれない。

家康が信長からの安土城への呼び出しに応えられたのは、信長の知っている家康は惠新であったから、安土城訪問を徳川側が受け入れたのであろう。

万が一殺されても淨慶がいる。影の実力者、淨慶の存在を家康の影武者程度に甘く見ていたかもしれない? 信長が淨慶の存在を影の実力者と知っていたのかは分からない。

淨慶は家康・惠新が織田信長に殺されるような事態が起きれば、直ぐに兵を西に上げて信長を討つ準備をしていたとも思われる。

影の忍者群団が万全な情報網を敷いて、信長対策をしていたと想像できる。家康の味方勢を京までの道中に配置していたことは想像できる当然のことである。

家康に味方する勢力は多い。伊賀、甲賀忍者集団だけではなく、一向宗門徒らである。この頃は既に本多正信が徳川家に仕えていたと思われる。

信長訪問時に、家康の「西に兵を上げる準備をしておけ!」との手紙が、臨戦態勢にあったことをうかがわせる。家康・惠新は死を覚悟の囮になったのかもしれない。

信長が徳川の実力者・淨慶を知っていたとしたら、安土城訪問に淨慶がいなかったことが激怒の要因かもしれない。信長にすれば、皆殺しの画策が敗れたからである。

信長に命を狙われた徳川勢と家康の確執を知った光秀が、信長を殺すチャンスと見た可能性はある。神をも怖れぬ信長に、天皇制の破壊、秦一族の弾圧に反発した可能性は高い。「志能備の決断!」である。

徳川は光秀の敵ではないと確信したのではないか? 光秀が信長を討っても、徳川には攻撃されないと確信していたのかもしれない。   

 

惠新の疑問点

惠新は松平家の跡取であった可能性もある。竹千代は於大の子で双子だった可能性もあり、表向きは側室のお久の子となっている。

後継者争いの要因になるので一人は僧侶にしたとの事で、惠新が存在するが、人質に出された竹千代(元康)が死去した場合は松平家の後継者は惠新となる。意図的に僧侶の身分にして温存されたのかもしれない!

下記に二人の元信(竹千代)が存在したことになる。惠新も松平次郎三郎元信と名乗った?かもしれない。

於大の子で本流の元康は1555年に松平次郎三郎元信と名乗り、今川にて元服する。 

恵新の母・お久が書いたとする手紙が存在する。弘治二年は1556年の手紙である。

「大仙寺寄進状、前にまいらせ候を、人に御盗まれ候よし、かねて三郎(元信)寄進状を参らせ候。判の事は、未だ何方へも、かようの事にせられ候まま、我々が御判を押して参らせ候。何時もかようの事に判をいたし候はん時、この寄進状にも似せて参らせ候へく候。前の御盗まれ候にも、三文字の判は候ましく候。前の寄進状いたし候物は、盗人にて候へく候。その為にわが身一筆示しいらせ候。返す返す大仙寺の事、道幹(広忠)にも、今の三郎(元信)にも、我々使い申して参らせ候。この寺は、我々が寺の事にて候まま、いつかたのいろこいもあるまじく候。 弘治二年丙辰六月甘四日 大仙寺 俊恵蔵主へ 参る しんさう

この文書は、元信の母親が書いたとされる文書なのであるが、現在では、しんさうは、家康の父とされる広忠の側室である久子という人物である事が確定している。しんさう(久子)の息子の元信とは、竹千代の改名した元信ではない事になってしまう。。。  於大の手紙ではないとの事!久子の子は恵新である。

※ 二人の元信の存在である。 人質に出てる竹千代と同じくして、恵新(僧侶)は松平家の次郎三郎元信を名のっていた可能性もある。
恵新(双子?)は、今川の人質となっている元信(元康)の死去に備えた松平家の継承者として温存されていた可能性が高い。
広忠の側室、久子の息子?は恵新であり、元康の影武者となった次郎三郎元信でもある。元康(家康)の影武者役は、恵新、勘六、浄慶だったと思われる。

竹千代は双子だった? 今川に人質に出された於大の子・元康と、寺に預けられたお久の子・恵新だった可能性はある。

広忠の側室、久子の息子も元信で、於大の息子も元信で2人存在する。元康と恵新は双子で於大の子だった可能性もあり、於大は恵新一人を連れて離縁となり、側室だった久子と母の源応尼に恵新を預けた可能性もある。家康は双子だった?

恵新は元康の影武者であったとしても、元来、血筋的には松平家の後継者となれる存在であり、石川数正は知っていたということだろう。

 

19日

神君伊賀越えの解

家康一行は堺からの脱出に船で海路を選択しなかったのはなぜか?
それは信長による家康暗殺計画があったからだと推測できる。

猫撫で声で家康を安土城に呼び出し、安全だから少数の側近のみで来訪するように条件を付け、家康の信長に対する不安と信頼を天秤にかけた。
家康は信頼の証を建てる為、少数の側近のみで信長訪問に応じたのである。

家康・影武者淨慶は、元々は百戦錬磨の山賊群団の頭である。信長に覚られぬように影の警護部隊を配置して、万全の態勢での信長訪問であったと推測できる。丸腰で応じるような馬鹿ではない!
信長の家康一行皆殺しの暗殺計画はあったということだろう。

信長は、徳川家の重鎮を一網打尽に討ち取る策略であったが、その一行には、実力者たる影武者・淨慶がいなかったという事だろう。淨慶は影の群団と別行動をしていたと推測する。
信長は、安土城で毒殺を企て、次に堺での暗殺を謀り、最後に本能寺での暗殺を企ていたと思われる。

信長は家康に堺見物をしていくように強く進言した。この意図は何なんだったのか?
それは、袋のネズミにして暗殺する計略もあったが、信長自慢の鉄甲船群団等の強大な水軍力を見せたかったからでもある。
本能寺の変が起こった6月2日の時点では、堺の港は織田勢の四国征伐をひかえた九鬼嘉隆の鉄甲船9隻及び志摩・鳥羽水軍に紀伊海賊100艇が待機している状態であったという。
織田水軍の強大な力を見せつけ、家康を震撼させ、絶対に逆らわないように服従させる目的もあった。家康暗殺が失敗しても、信長に完服させる目的があった。

堺の港は軍船で埋め尽くされ、商船が入港できないと、商人が嘆いていたと云われる。織田に命を狙われているのなら、堺から船で脱出することは危険で避けるほかなく、家康一行は三河まで安全に航行できる港を目指して、山越えの陸路を選択せざるを得なかった。

家康が長く京都に留まっていたのは、堺の状況を調査して安全性を見ていたとも思われ、堺で袋のネズミになることを恐れていた可能性もある。家康にとって堺は危険地帯であった。

家康の別動隊、淨慶は影の群団と共に、信長の行動を逐次監視していた筈であり、信長一行の近辺で活動していた筈である。したがって、本能寺の変はいち早く察知して、いち早く三河に帰ったと推測できる。

堺の家康一行に「本能寺の変」を本多忠勝が知らせに走ったということだろう 家康・恵新一行が「神君伊賀越え」の苦労話になった。

20日

「本能寺の変」を考察する

何故!光秀は信長を殺したのか?が議論されている。 

歴史研究家は古書に記載されている内容にこだわり、真相解明をしようとしているが、それでは真相解明には至らない筈である。書かれたものは虚飾されているものが多い。

「殺すか、殺されるか」の究極の選択に追い込まれた時、「やられる前に殺る!」 これが生き残る為の究極の選択である。

光秀は信長の腹心であり、信長の為に全力を尽くして仕えてきた忠臣であるが、家康暗殺計画を信長から命ぜられたときに、信長に対する恐怖心と不信感が募ったと思われる。

四国の長曾我部討伐問題では、光秀の親しい親類縁者等を裏切るような事を余儀なくされ、秦一族の義に反する状態に追い込まれた。そして、信長に反目し毛利に匿われている足利義昭は光秀の主君でもある。その毛利攻めも命令された。光秀は天皇家を守るために諜報活動をしてきた秦一族の「志能備」である。神の末裔と考える信長が、天皇制を軽視して破壊し、自らが王(神)となる強い意思を危惧していた。

「このまま信長に従っていて良いのだろうか? いずれは俺も殺されるのかも?」 光秀の心の呟きである。

「窮鼠 猫を咬む」はこの様な絶体絶命に追い込まれた時に起きる、一か八かの反抗である。「殺すか、殺されるか」の究極の選択は目の前のチャンスは逃さない。

家康を暗殺する信長の汚さ、利用するだけ利用して、邪魔な存在になれば非情に切り捨てる。延暦寺、本願寺、一向宗、伊賀郷士忍者集団、四国攻め、そして足利義昭排除、天皇、公家制の破壊を目論む信長の強靭な考えに反目したのである。

チャンスは目の前に生じた。

家康暗殺計画で信長は無防備を演じた。光秀がいれば守れると考えたのであろう 光秀が反逆して信長の命を脅かす存在とは考えもしないほど信頼していた?見くびっていた!とも思われる。

家康が暗殺を警戒しないように、自らが無防備となり、家康にも近臣のみの少人数で安土城へ来訪するようにしかけた。そして、家康が来訪すると、光秀に毛利攻めを指示して兵を集めさせ、家康を堺で袋攻めにし、暗殺する計画であったと推測する。堺港は織田勢の水軍で封鎖状態にし、逃げ道を塞いでいた。本能寺に集結させた光秀軍で堺の家康を包囲し、皆殺しにする悪略であったと推測する。家康に堺見物を盛んに進めた信長の意図が読める。

しかし、光秀はこの時決断をした。光秀に天下取りの野望など無い! 光秀の描く天下国家の姿を考えた末、信長の暗殺を決断したのである。天皇家を守る「志能備」の調略かも

光秀は天下取りを夢見る男ではない! 参謀タイプの知恵ものである。忠義心の強い人間でもある。義に重い人間は義に命を捨てる。光秀は信念の人である。

正に、お前は信念で死ねるか!である。 光秀は義を踏み千切る信長を見限った! 自らの手で信長と刺し違いを覚悟したのである。義に重い人間の究極の決断である。

信長は海外に脱出して生き延びたという説もある。真実なら、光秀が海外追放した可能性もある。負け犬となった孤独な独裁者に再起は無い!

黒人の家来・弥助は生き延びている。信長と共に海外追放となったか? バチカンか?

『イエズス会日本年報』によると、信長の家来・弥助(黒奴)が、信長の死後、明智の家臣に降参して囚われたが、光秀は「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として処刑せず、「インドのパードレの聖堂に置け」と言ったので、南蛮寺に送られて一命を取り留めた。南蛮寺に預けられて以降、弥助の消息については、史料に記されておらず、全く分かっていない。

信長はイエズス会の手引でヨーロッパへ渡ったという説もある。バチカンで信長に似た日本人が居たとの話もある。光秀が信長を国外追放に処したのか?

 

「織田信長の莫大な財宝の行くへ」

安土城に保管されていた織田信長の莫大な財宝は、明智光秀がその部下達に分け与え、京都の朝廷・貴族・南禅寺・大徳寺・禅宗の五山等の有力寺院ならびに、市中の有力者たちにばら撒いてしまった事が種々の史料によって明らかにされている。『イエズス会日本年報 上 新異国叢書 』より

※ 光秀は朝臣、財政難に苦しむ天皇・公家らを助けた。

天下取りを目指す光秀なら、莫大な財宝をばら撒いてしまうなんて考えられない。倒産した企業が資産をばら撒いて清算しているようなものである。貴重な軍資金をばら撒き必要としない=天下取りはしないとの事ではないか?

信長の莫大な財宝をそのままにすれば、信長勢の軍資金になってしまう。早々にばら撒いて散財したということだろう。安土城に籠る選択もしなかった。

光秀の目的は信長の排除であり、光秀自身の天下取りの野望ではない! 信長を殺しても、国外追放しても目的は達成される。光秀自身も身を隠し、世捨て人となった。

 

光秀の捨て身の決断!

本能寺において「窮鼠 猫を咬む」「殺すか、殺されるか!」の究極のチャンスが訪れた。信長親子を確実に殺せるチャンスである。近隣には信長を守る軍団はいない。秀吉は毛利と戦っている。毛利には足利義昭が居る。直ぐに秀吉が戻れる筈もなく、毛利が光秀の敵にはならない。信長親子を殺しても家康が光秀に兵を向ける事も無いと見切ったのであろう。家康とは信頼関係があり、後世を任せる考えもあったのではないか?信長以外には、天皇制を覆すような危険人物はいない。誰が天下人になっても天下泰平の世になると決断したのではないか? 自らを捨て石にした光秀の決断である。

三日天下の所以は、光秀には天下取りの野望など無かったからであり、信長を排除した後は、足利義昭の下に幕府の再編成をする意図であったとも思われる。秀吉との戦いに敗れた後は、早々に身を隠し、世捨て人となり、親子(生きていた?)共々僧侶となって、家康・淨慶のブレーンになったと推測する。天海僧正伝説である

 

明智光秀が「秦氏・志能備」の後裔なら、姿を変えて生きている。

1582年6月13日に、光秀と子の光慶が同日に死んだことになっている。二人が生き延びて天海僧正になったとも考えられる。108歳で没した長寿にも説明が付く。

『明智軍記』によると、光慶は山崎の戦いで光秀が敗死した同日に亀山城で病死したとあるがおかしい?

岸和田伝説
本徳寺を開いた南国和尚は光秀の実子で、父・光秀が討たれた後でひっそりと落ちのびて京都の妙心寺で僧侶になった。その後、貝塚にある鳥羽村の海雲寺で父・光秀の肖像画を描き、位牌も用意して供養した。この海雲寺を岸和田に移転したのが今の本徳寺である。」
光慶が光秀を目の前にして、光秀の肖像画を描いたとの話も有り、光慶は死んでおらず、二人で妙心寺に落ち伸びたとも考えられる。

本徳寺には位牌があり、位牌には「鳳岳院殿輝雲道琇大禅定門」と書かれ、肖像画には「輝雲道琇禅定門肖像賛」と書かれおり、光秀の位牌と肖像画と云われる、書いたのが光秀の息子・光慶であるとされている。

本徳寺(大阪府岸和田市)の由緒は、寺の開祖が光秀の息子・明智光慶(あけちみつよし)。
京都の臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺の末寺。この寺の開祖が南国梵桂(なんごくぼんけい)という安土桃山時代の僧侶で、光秀の子・明智光慶である。

 

21日

明智光秀の反乱と知った信長の最後の言葉「是非に及ばず!」 この言葉の意味が信長の完全敗北を語っている。

将棋で言えば詰んで放駒である。策に溺れて自らが詰んでしまった。信長の落とし穴は唯一、光秀の反逆である。自らを無防備にして家康をおびき出し、家康をしとめる計略が光秀の反逆の引き金となってしまった。信長は読み違えて自らの墓穴を掘ってしまった。信長の大誤算で読み違いである!

柴田勝家や秀吉だったら裏切りはなかったかもしれない。しかし、光秀以外の家来では家康の警戒心を解くことはできない、公家らを相手に催し物をし油断させ、太平を甘受する雰囲気も出せない。家康をおびき出すには光秀が必要だった。信長は、まさか光秀が反逆して自らの命を取りに来るとは思わなかったのだろう。

信長は光秀の心を読みきれなかった。信義に重い人間の生き様を理解できなかったのだろう。信長は恐怖心で人間を御することができると信じていた。光秀と言う人物像を見抜けなかった、策に溺れて知略戦に完敗したのである。敗軍の将 兵を語らず!「是非に及ばず!」

光秀の生き様を信長は見通せなかった。それが信長の誤算を生んだ、信長は恐怖で家臣を押え込む独裁者である。

ミスをすれば切り捨てられる、排除される。手柄を建てれば一気に取り立てられる。出世するためには秀吉のような働きと絶対的な忠誠心を示さなければ信頼されない。命が惜しければ、絶対的な服従を示さなければ近臣になれない恐怖の独裁者だった。家臣は一様に絶対的な服従を示した。

しかし、光秀は違った。足利義昭の家臣であった。公卿宗との繋がりもあり、信長の社交戦略では必要不可欠の人物で、派遣社員の採用から正社員に取りたてたような家臣である。仕事もできる知略化だから近臣としたが、足利との二股家臣である。絶対服従の家臣とすべく調教を試みたが、光秀を恐怖心で押え込むことはできなかったのである。

光秀は「志能備」の一族、絶対君主は天皇であり、天皇制を維持するための諜報工作員である。信念の人でもあり、金や脅しで魂は売らない! たとえ相手が信長たりとも魂は売らない! 「自らの信義を通す為なら命を捨てる」そのような人物であることを信長は見抜けなかった。信長のミスである。「是非に及ばず!」

信長は飼い犬に手を噛まれたのではない! 光秀を、自分に絶対服従する飼い犬と思ってしまったが、レンタルしてきた警察犬であり、害をなす者に噛みつく調教をされた警察犬であることを見落とした。強靭な精神を宿した「志能備」の一族である。

光秀は、恐怖に屈する犬ではない! 信長の大誤算である。恐怖支配では御せない人間が「信義の人」信念で命を捨てられる人物である。信長の読み違い、完敗である。「是非に及ばず!」

 

『叡山焼き討ち』

代々延暦寺の天台座主(てんだいざす)は皇族・公家衆から出る事になっていた。延暦寺は国家鎮護の役割とともに朝廷勢力の一翼を担う存在であった。織田信長にとって、延暦寺の焼き討ち・破壊は、正親町帝へ衝撃を与えることでもあった。
1570年に天台座主に就任した『覺恕(かくじょ)』は、後奈良天皇の第二皇子で母は伊予の局である。

明智光秀は、『叡山焼き討ち』をしようとする魔王織田信長を必死で諫止しようとしていたが聞き入れられず、手柄をたて功績を認めてもらうチャンスでもあったので、光秀が主導して『叡山焼き討ち』を成功させた。

光秀は信長から『叡山焼き討ち』の功労によって志賀郡の領地を与えられ、ここに坂本城を築城して織田家中で初めて『一国一城』の主「大名」になった。

フロイスの明智光秀像  明智光秀は狡猾で冷淡な人物

「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた。」

※「傭兵・志能備」の能力 
傭兵は、たとえ仲間同志であっても、置かれた立場によっては戦わなければならない。非情の掟である。

 

『信長公記 巻四 叡山御退治の事』    是非に及ばず
御前にて僧侶らを、信長は容赦なくどんどん首を切らせて目も当てられぬ惨状で、数千の遺体が散らばり悲惨な状況である。。。

「御前へ参り、悪僧の儀は是非に及ばず、是れは御扶けなされ候へと、声々に申し上げ候と雖も、中々御許容なく、一々に頸を打ち落され、目も当てられぬ有様なり。数千の屍算を乱し、哀れなる仕合せなり。年来の胸朦を散ぜられ訖んぬ。」。。。信長の惨虐姓

明智光秀は、京都在住で足利将軍を支えた幕府奉公衆土岐一族の内、明智頼高(あけち よりたか)系の一族で京都より急遽美濃に下向した家族に、美濃で生れた人物の可能性が高いと云われている。秦氏である。

1568年の足利義昭・織田信長の上洛以前に、明智光秀は幕府軍(足利将軍)として浅井氏と戦っていたことを示す『米田家文書』で記載された「明智光秀の田中城籠城記事」がある。

 

『本能寺の変』の時に明智光秀が、織田信忠の逃げ込んだ堅牢なはずの「二条御所」を、簡単に落城させることが出来たのはなぜ?

光秀軍・反乱軍は、隣の近衛邸の屋根にあがり、二条御所を見下ろして、弓鉄炮を打ち込み、御所内のお味方に多数の死傷者が出て、徐々に全滅した。反乱軍は二条御所に押し入り建物に放火した。との記述もあり、近衛前久が信長暗殺に協力したと疑われている。

「二条新御所の隣の敷地は、近衛前久卿の屋敷であり、前久は反乱軍の兵士を屋敷に誘きいれて、二条新御所に面した建物の屋根から、御所内の織田信忠一行を銃で射殺するのに便宜を図ったととの事。」
つまり、この謀叛『本能寺の変』に近衛前久が深くかかわっているのではないかと云われる。

光秀は朝臣である。天皇家の為に働く「諜報活動員・志能備」である。


「建武の新政」
1333年―1336年の後醍醐天皇による公家一統政治。 正中の変・元弘の乱を経て,護良(もりよし)親王や楠木正成らの活躍で鎌倉幕府を倒し,天皇独裁の官僚国家の樹立を企図,摂政・関白の廃止,雑訴決断所以下の部局の新設,国司・守護併設などの施策を行った。 

「南北朝時代の合戦」
南北朝時代は1336年(建武3年)から、室町幕府3代将軍「足利義満」(あしかがよしみつ)によって南北朝合一がなされた1392年(明徳3年)までの約56年間を指します。

後醍醐天皇は、足利尊氏、新田義貞(源氏)ら武士の助けを借りて鎌倉幕府を倒したのち、天皇中心の政治「建武の新政」を始めます。しかし、建武の新政は公家を重視し、武士をないがしろにした政治であったことから、武士達は不満を持ちました。
そこで足利尊氏は後醍醐天皇(南朝)を朝廷のある京都から追放。1336年(建武3年)に光明天皇(北朝)を擁立し、1338年(建武5年)に室町幕府を開きます。
これに対し、後醍醐天皇は吉野(現在の奈良県吉野郡)で天皇を名乗り続けていました。天皇の南北朝合一がなされたのは1392年。

後醍醐天皇(南朝)を支持し、敗者となった新田源氏らの後裔は一族の再興を目指して、足利幕府打倒の為に戦国時代まで活動した。

応仁の乱
応仁元(1467)年から文明9(1477)年までの11年間,管領細川勝元の東軍と山名宗全(やまなそうぜん)の西軍が京都で戦った内乱。天皇家の経済的弱体


「秦氏・光秀・服部・世阿弥・大久保長安・家康・新田源氏の繋がり」

世阿弥の完成者)
は室町時代に観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)という父子により大成されたと伝えられています。世阿弥は古代ユダヤ人・秦氏です。
世阿弥の祖父は伊賀・服部元成、祖母は南朝軍・楠木正成の姉か妹。忍びの者(志能備)の能楽者。北朝守護幕府の反体制派として流刑された。

家康の重鎮であった大久保長安(元武田家臣)の父は猿楽師(能楽者)
長安の祖父は春日大社で奉仕する猿楽(現能)金春流の猿楽師で、父の信安の時代に大和国から播磨国大蔵に流れて大蔵流を創始した。大蔵信安・大蔵流猿楽師の創始者(秦氏の出身・忍びの者・志能備)

能の中心にいる人は、宗家です。世阿弥の宗家。他の血筋とは結婚をしません。これがずっと続いているわけです。650年間、世阿弥の子孫は世阿弥の子孫なのです。歌舞伎の中心の人は、他の人とは結婚しません。これも秦氏なのです。かつて河原乞食と言われた人たちで、歌舞伎の人は秦氏なのです。敗者となり追放されたので、自分たちの名前を変え色々な方法で隠してきました。 ※ 河原乞食・ささら者・源応尼・於大・ささら者の頭淨慶(家康)と繋がる。

明智光秀ゆかりの丹波をひっくり返すと、波丹・ハタ(秦)になり、丹波は秦氏の巣窟です。

島津は秦氏です。四国を制覇した、長曾我部元親も秦氏です。
尊王倒幕派の天誅組は大和挙兵を謀ったが、吉野山中鷲家口にて決死的斬り込みを敢行して壊滅した。天誅組の十津川の郷士は百姓でも、武士。先祖以来ずっと勤皇で天皇(南朝)を崇めてきた。これも秦氏一族です。
南北朝の南朝は古代ユダヤ人(秦氏の出身)です。聖徳太子を助けた人は、秦河勝です。
聖徳太子が亡くなると、全て一族は抹殺されました。聖徳太子と一緒にいた秦一族も抹殺されて、一部は逃れて地方に散って身を隠しました。「忍びの者・志能備」です。

「藤原の貴族社会」を倒したのは源氏の源頼朝で秦氏です。丹波・波多野氏、薩摩・島津氏、四国・長宗我部氏・明智光秀等も秦氏の血族です。

秦氏は景教徒・古代ユダヤ人。
秦氏一族は技術者集団  養蚕、機織、金工、土木技術、鉱山(金、銀、銅等)開発等々。
太秦、広隆寺の「牛祭り」、木島坐天照御魂神社・蚕の社の「三柱鳥居」と「元糺の池」、「大秦景教流行中国碑」、平安京(エル・シャライム=エルサレム)、八坂(ヤサカ)=磐境(イヤサカ)=「ヤ(YA)ーサカ」(神)。環状列石スキタイ・東北騎馬軍団兵法・源義経等々の関連。

「鎌倉幕府成立・1192年」は、藤原氏たち貴族と同じユダヤ民族の下層階級の源氏が、藤原王国を倒したもの。「源氏とは、貴族の土地を守っていた武士・傭兵です
貴族(藤原氏)に長年虐げられてきた下層階級の源氏が、武器を手に取って日本を引くリ返し(源平合戦)、天皇の下に、日本を支配し続けてきたのが武家社会です。天皇家にルーツを持ち、天皇に仕える武官であった武家は天皇を超えることはできません。  

独裁者・信長であっても!

 

光秀の娘・細川ガラシャ 辞世の句

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」   光秀の 三日天下や 是非に及ばず