今の職場隣接
三菱一号美術館、早朝の写真、暗くてよくわからないですね。
素敵な中庭・空間です。
以下ホームページより
「三菱一号館」は、1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって
設計された、三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。
全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として
貸し出されていました。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って
同じ地によみがえりました。
今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な
調査が実施されました。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、
その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。
仕事帰り、5月24日まで開催、「ワシントン・ナショナルギャラりー展」をみて帰ろうとしていたのですが
疲労困憊な毎日、即家路についてしまいます。
とは言っても、丸の内から近い実家に居候の日々でした。
私・・・
「ただいまっ!」って帰ると、食事やお風呂の用意をしていてくれる人がいる・・・・
なんて素晴らしい事!!! 「ありがとうっ、幸せっ」って母に云うと
母も・・・
「誰かのために食事を用意できる! なんて心弾む事かしらっ。楽しいのよ」 って言ってくれる。
だから、この際、甘えるのも親孝行かな・・・なんてどっぷり浸ってきました。
よくできた奥さんのいる旦那の気持ちがわかる日々でした。
とは云っても、もう高齢の母。
風邪をひいたか、痰がからむような苦しそうな咳をしているから
「大丈夫?薬飲んだの?」って聞くと
「大丈夫よん」って、幼女のように小躍りして返事する母。
親に云うセリフじゃないけど、「かわいい。」
私なりに精いっぱい、時に厳しく??母を大事に労わっているつもり。
兄を見送り、父も見送ってきた私。
そして
とうぜん、そう遠くないいつか、母を見送るのが私の最大の役目だと思っているけれど
でもでも、母がいなくなったら、私、大丈夫かな~
って思う居候していた日々でした。
母、健康で長生きしてね
三菱一号美術館、早朝の写真、暗くてよくわからないですね。
素敵な中庭・空間です。
以下ホームページより
「三菱一号館」は、1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって
設計された、三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。
全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として
貸し出されていました。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って
同じ地によみがえりました。
今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な
調査が実施されました。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、
その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。
仕事帰り、5月24日まで開催、「ワシントン・ナショナルギャラりー展」をみて帰ろうとしていたのですが
疲労困憊な毎日、即家路についてしまいます。
とは言っても、丸の内から近い実家に居候の日々でした。
私・・・
「ただいまっ!」って帰ると、食事やお風呂の用意をしていてくれる人がいる・・・・
なんて素晴らしい事!!! 「ありがとうっ、幸せっ」って母に云うと
母も・・・
「誰かのために食事を用意できる! なんて心弾む事かしらっ。楽しいのよ」 って言ってくれる。
だから、この際、甘えるのも親孝行かな・・・なんてどっぷり浸ってきました。
よくできた奥さんのいる旦那の気持ちがわかる日々でした。
とは云っても、もう高齢の母。
風邪をひいたか、痰がからむような苦しそうな咳をしているから
「大丈夫?薬飲んだの?」って聞くと
「大丈夫よん」って、幼女のように小躍りして返事する母。
親に云うセリフじゃないけど、「かわいい。」
私なりに精いっぱい、時に厳しく??母を大事に労わっているつもり。
兄を見送り、父も見送ってきた私。
そして
とうぜん、そう遠くないいつか、母を見送るのが私の最大の役目だと思っているけれど
でもでも、母がいなくなったら、私、大丈夫かな~
って思う居候していた日々でした。
母、健康で長生きしてね