昨日、アンちゃんにいれていただいたお茶。
ちゃんと茶筅で点てていただきました。
みごとな手さばき。
私は高校の時は茶道部の幽霊部員。名前だけで部活にはほとんどでず抹消された身。
何故ならば、正座が苦手・・というよりも出来ない。
我慢に我慢を重ね、立ち上がろうとしたらふすまをごと倒れる始末。
また、お道具を持って茶室に入ってくる姿を見てどうしても吹き出したくなっちゃう。
犬がチンチン状態で前足に道具を持ち、後ろ足二足歩行で畳の縁を踏むまいと歩く姿を連想。
おかしくて・・・プハッ
コホンっ。まじめな席でいけません。
なので、裏でお茶菓子頂く専門。
お抹茶茶碗の中、泡が切れて三日月のようになるのが良しと
昨年読んだ森下典子さん著「日々是好日」に出てくる。
と、本を取りだしもう一度その部分を読み返そうと・・・
そして、本のタイトルをよく見れば、ルビで
「にちにちこれこうじつ」とある。
私はずーーっと
「ひびこれこうじつ」と言っていた。
さて、どんな謎があるのかしら?
「日々是好日」禅語のひとつ。
日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされるが、
「にちにちこれこうじつ」とする例もある。
日常的な表現としては「ひびこれこうじつ 」とも読み、その読みで作品名などになっている例もある
同様に「ひびこれこうにち」「ひびこれよきひ」とする例もある。
とWikipediaより。
禅語ならば「にちにちこれこうにち」
日常語なら 「ひびこれこうじつ 」
でいいんだ。
また、歴史に残る偉大な人々の名前だって、時に音読み、時に訓読み。
どっちが?ってなるんだけど
ゆうそくよみ(有職読み)といって、「敬うべき古人の名前を音読みにして敬意を表すこと」なんですって。
東アジアには、人の実名を直接口にすることを避ける風習があり、特に敬うべき古人の名前を
本来の読み方である訓読みから音読みに読み替える、ということが行われたんだそうな。
藤原俊成(としなり)を「しゅんぜい」、藤原定家(さだいえ)を「ていか」と読むなど。
近代にそれをまねて有名人の名を音読することも。伊藤博文(ひろぶみ)を「はくぶん」、
二宮尊徳は一般に「にのみや そんとく」と呼ばれてますけど、本当は「にのみや たかのり」。
作詞・作曲家の猪俣公章さんだって「いのまた こうしょう」と呼ばれてますけど、
本当は「いのまた きみあき」さんです。
とネット調べででてきた。
でも、名前なんだから、ご本人お嫌じゃなかったのかなぁ~
私は音読みされたくないなぁー
伊藤博文さん、二宮尊徳さん、今生きていたら
きっとツイッターで
「はくぶん、なんなん?」
「そんとく、なんなん?」って
つぶやいてると思う。
あっ!
そういえばうちの兄、名前、音読みで呼ばれていた!!
薫の文字がカオルだと女性っぽいからってクンちゃんだったし、学校の先生からも「クンジ」のあだな。
でも偉大な歌人でも何でもない・・・。