シャンバラ祭で嬉しかった事のひとつは、僕以外にもペインターが何人もいた事だ。
僕自身は現場の状況がわからないので、絵の具類は海外旅仕様ライブペインティングセットを作って日本から運び、画面だけはチェンマイで調達し、最低限どんな状況でも絵が描ける準備をして会場入りをしたが、すでに会場入りをしていたペインター達は、みんなで大きな画面を作り、みんなで描くというプロジェクトを進行していた。
そのプロジェクトの首謀者の一人レン。タケルと同じく大鹿村2世だ。
彼が手にしている絵は始めに彼が描いて、その上に僕が描いて、また彼が描いてを交換日記みたいにくり返して仕上げていった絵だ。
これがみんなで描いた大画面。祭の絶頂期の19、20日にかけて手が入れられて行った。僕も19日はこの画面のペインティングに参加した。
時間と共に画面はどんどん変わる。
夜がふけると共に、ペインティングに参加する人が増えてきた。一番左で描いているのはコヅカ・アートフェスティバルにも参加してくれたnatsuko。
ついに一般のお客さんやミュージシャンまでもが乱入。
もう何でもあり状態に突入だ。
これが最終的に出来上がった画面。
描いてる時の人々の顔は、本当に楽しそうだった。童心に帰るとは正にこの事だと思った。そう言った意味でこのプロジェクトは、ワークショップとしては大成功だった。
只僕のこだわりを言わせてもらえば、祭が終わった後この絵はどこに行ってしまうのか?運良く受取手が現れれば良いが、さもなければゴミになってしまうのか?それとも描き手の誰かが保管する事になるのか?
僕は音楽の様な表現を絵筆を持ってしたいと思い、12年前からライブペインティングを始めた。しかし音楽は潔く消えて行ってくれるけど、絵は物質として残ってしまう。それが美術表現の宿命であり、最大の力でもある。残ってしまう物とどう向き合うかは作家それぞれのスタンスによるだろうが、僕は気持ちを込めて描いた絵達がゴミにならない様に、とたえず願っている。絵の持つ力をこの世界で機能させるために、絵描きは描き終わった後の事も視野に入れる必要があると思っている。ライブペインティングで描いた絵もサインを入れ、後々展覧会で発表出来る物である事が、自分にとってライブペインティングのひとつの基準なのだ。
お固い事を書いてしまったが、沢山のペインターと一緒に描けたのは本当に楽しかった。今度はぜひ、乱入無しのペインティングセッションがしたいと思った。音楽のライブと違ってライブペインティングはいまだ定型のない表現だ。まだ見ぬ可能性がいくらでもあると実感している。
この時のペインティングで一番心に残ったのは、15、6才であろうアジアンとヨーロピアンのハーフの娘が大人達に混じって、ていねいにていねいに描いていた事だ。彼女は色が無くなると僕の所に器を持って来て、絵の具を分けてあげると、その度にきちんとお辞儀をして、画面の前に戻って行った。長い時間をかけて深夜まで黙々と描き続けている時、彼女に降りて来ていたものは何だったのだろうか?絵が好きな子供達が大人になってもその感覚を忘れないでいてくれる事を願ってやまない。
僕自身は現場の状況がわからないので、絵の具類は海外旅仕様ライブペインティングセットを作って日本から運び、画面だけはチェンマイで調達し、最低限どんな状況でも絵が描ける準備をして会場入りをしたが、すでに会場入りをしていたペインター達は、みんなで大きな画面を作り、みんなで描くというプロジェクトを進行していた。
そのプロジェクトの首謀者の一人レン。タケルと同じく大鹿村2世だ。
彼が手にしている絵は始めに彼が描いて、その上に僕が描いて、また彼が描いてを交換日記みたいにくり返して仕上げていった絵だ。
これがみんなで描いた大画面。祭の絶頂期の19、20日にかけて手が入れられて行った。僕も19日はこの画面のペインティングに参加した。
時間と共に画面はどんどん変わる。
夜がふけると共に、ペインティングに参加する人が増えてきた。一番左で描いているのはコヅカ・アートフェスティバルにも参加してくれたnatsuko。
ついに一般のお客さんやミュージシャンまでもが乱入。
もう何でもあり状態に突入だ。
これが最終的に出来上がった画面。
描いてる時の人々の顔は、本当に楽しそうだった。童心に帰るとは正にこの事だと思った。そう言った意味でこのプロジェクトは、ワークショップとしては大成功だった。
只僕のこだわりを言わせてもらえば、祭が終わった後この絵はどこに行ってしまうのか?運良く受取手が現れれば良いが、さもなければゴミになってしまうのか?それとも描き手の誰かが保管する事になるのか?
僕は音楽の様な表現を絵筆を持ってしたいと思い、12年前からライブペインティングを始めた。しかし音楽は潔く消えて行ってくれるけど、絵は物質として残ってしまう。それが美術表現の宿命であり、最大の力でもある。残ってしまう物とどう向き合うかは作家それぞれのスタンスによるだろうが、僕は気持ちを込めて描いた絵達がゴミにならない様に、とたえず願っている。絵の持つ力をこの世界で機能させるために、絵描きは描き終わった後の事も視野に入れる必要があると思っている。ライブペインティングで描いた絵もサインを入れ、後々展覧会で発表出来る物である事が、自分にとってライブペインティングのひとつの基準なのだ。
お固い事を書いてしまったが、沢山のペインターと一緒に描けたのは本当に楽しかった。今度はぜひ、乱入無しのペインティングセッションがしたいと思った。音楽のライブと違ってライブペインティングはいまだ定型のない表現だ。まだ見ぬ可能性がいくらでもあると実感している。
この時のペインティングで一番心に残ったのは、15、6才であろうアジアンとヨーロピアンのハーフの娘が大人達に混じって、ていねいにていねいに描いていた事だ。彼女は色が無くなると僕の所に器を持って来て、絵の具を分けてあげると、その度にきちんとお辞儀をして、画面の前に戻って行った。長い時間をかけて深夜まで黙々と描き続けている時、彼女に降りて来ていたものは何だったのだろうか?絵が好きな子供達が大人になってもその感覚を忘れないでいてくれる事を願ってやまない。