宮下昌也の近況報告    MASAYA MIYASHITA 's News

美術家・宮下昌也の展覧会、ライブペインティングなどの活動情報と
南房総、鴨川の日々の生活から最新情報を掲載しています。

タイツアー:シャンバラ祭・みんなでライブペインティング編

2011-03-05 | ライブペインティング
シャンバラ祭で嬉しかった事のひとつは、僕以外にもペインターが何人もいた事だ。
僕自身は現場の状況がわからないので、絵の具類は海外旅仕様ライブペインティングセットを作って日本から運び、画面だけはチェンマイで調達し、最低限どんな状況でも絵が描ける準備をして会場入りをしたが、すでに会場入りをしていたペインター達は、みんなで大きな画面を作り、みんなで描くというプロジェクトを進行していた。


そのプロジェクトの首謀者の一人レン。タケルと同じく大鹿村2世だ。
彼が手にしている絵は始めに彼が描いて、その上に僕が描いて、また彼が描いてを交換日記みたいにくり返して仕上げていった絵だ。


これがみんなで描いた大画面。祭の絶頂期の19、20日にかけて手が入れられて行った。僕も19日はこの画面のペインティングに参加した。


時間と共に画面はどんどん変わる。


夜がふけると共に、ペインティングに参加する人が増えてきた。一番左で描いているのはコヅカ・アートフェスティバルにも参加してくれたnatsuko。


ついに一般のお客さんやミュージシャンまでもが乱入。


もう何でもあり状態に突入だ。


これが最終的に出来上がった画面。
描いてる時の人々の顔は、本当に楽しそうだった。童心に帰るとは正にこの事だと思った。そう言った意味でこのプロジェクトは、ワークショップとしては大成功だった。

只僕のこだわりを言わせてもらえば、祭が終わった後この絵はどこに行ってしまうのか?運良く受取手が現れれば良いが、さもなければゴミになってしまうのか?それとも描き手の誰かが保管する事になるのか?
僕は音楽の様な表現を絵筆を持ってしたいと思い、12年前からライブペインティングを始めた。しかし音楽は潔く消えて行ってくれるけど、絵は物質として残ってしまう。それが美術表現の宿命であり、最大の力でもある。残ってしまう物とどう向き合うかは作家それぞれのスタンスによるだろうが、僕は気持ちを込めて描いた絵達がゴミにならない様に、とたえず願っている。絵の持つ力をこの世界で機能させるために、絵描きは描き終わった後の事も視野に入れる必要があると思っている。ライブペインティングで描いた絵もサインを入れ、後々展覧会で発表出来る物である事が、自分にとってライブペインティングのひとつの基準なのだ。

お固い事を書いてしまったが、沢山のペインターと一緒に描けたのは本当に楽しかった。今度はぜひ、乱入無しのペインティングセッションがしたいと思った。音楽のライブと違ってライブペインティングはいまだ定型のない表現だ。まだ見ぬ可能性がいくらでもあると実感している。

この時のペインティングで一番心に残ったのは、15、6才であろうアジアンとヨーロピアンのハーフの娘が大人達に混じって、ていねいにていねいに描いていた事だ。彼女は色が無くなると僕の所に器を持って来て、絵の具を分けてあげると、その度にきちんとお辞儀をして、画面の前に戻って行った。長い時間をかけて深夜まで黙々と描き続けている時、彼女に降りて来ていたものは何だったのだろうか?絵が好きな子供達が大人になってもその感覚を忘れないでいてくれる事を願ってやまない。

タイツアー:シャンバラ祭・会場風景編

2011-03-05 | ライブペインティング

チェンマイで、無事パヤカトオル氏と合流。翌日Ryujiも合流してみんなでシャンバラ祭会場を目指す。


会場を見下ろす聖山チェンダオ山。


僕等のテントサイト。いつでもセッション、どこでもセッション。大自然の中、常に誰かが音楽を奏でている。絵を描くにはこれ以上ない環境。


「ピン」という民族楽器。演奏は凄腕だ!


形は違うがこれも「ピン」。挑戦しているのはRabiRabiのピコ。


少数民族のダンス。


そして毎晩繰り広げられる夜のライブステージ。


タイのバンドの演奏でライブペインティングする私。タイのバンドの演奏はどれも素晴らしく、特に民族楽器を使った演奏は、こんな素朴な楽器でこんな事が出来るのか!とビックリさせられるものが多かった。いまだにアメリカ音楽スタイルがメインの日本のポップス文化が何とも薄っぺらく感じられてしまった。
この写真を撮ってくれたのは十何年ぶりかで再会した三重県に住む友人。数々の出会いと再会が、こういった祭の醍醐味でもある。


日本人ファイヤーダンスチーム。


RabiRabiの演奏で会場はダンスの渦に!こうなったらもう描いていられません。


最終日の南正人さんの演奏。素晴らしい祭を祝う声援が飛び交う。
国籍や言葉の壁を乗り越えて世界中の人々が集うこれだけのイベントを、しかも異国で行うにはどれほどの労力があったのか、スッタフの皆さんへの感謝の念でいっぱいです。得難い体験が出来ました。ありがとうございました。

祭の様子はモーフの旅ブログにも詳しく載ってます。
http://ryuji510.exblog.jp/12955266/

RabiRabiブログにも
http://nawafumi.jugem.jp/?eid=88

こちらのサイトに写真が沢山!
http://www.facebook.com/album.php?aid=48668&id=183354568363615





タイツアー:バンコク名刹巡り編

2011-03-04 | 
バンコク滞在2日目。この日、ナイトバスでチェンマイへ移動する予定だが、昼間はまるまる時間があるのでせっかくだから観光しようとお寺巡りに出かけた。まずは巨大な寝釈迦仏で有名なワット・ポーを目指す。地図を頼りにずんずん歩いて行くと、あれー!近くだけど違うお寺ワット・スタットに着いちゃったよ!......せっかくだからここも見て行く事にした。


本堂に足を踏み入れた時、空気が一変した。棚に仏典であろう本が置かれ、それを手に取って沢山のタイ人の参拝者がお祈りしていた。タイのお寺はまず靴を脱いで上がり、お祈りの仕方も手を合わせた後、正座の姿勢から手を床について伏す様にする。信仰心が作り出す神聖な空気が本堂には満ちていた。床に座り込むと、旅に出て興奮気味だった心がすーっと落ち着いて行くのがわかった。思わず手を合わせずにはいられない気持ちになり、僕もアジアの仏教徒なんだなぁと実感してしまった。


本堂内部を埋め尽くす壁画が圧巻だった。


心が洗われた様な気持ちになり、当初の目的だったワット・ポーに移動した。
ところが、こちらは欧米の観光客であふれかえり神聖のしの字も感じられない状況であった。これではアミューズメントパークだ。


有名な寝釈迦の後頭。枕してるんですね。


境内には仏塔がたくさん建っていて、よく見て回れば見所は多いが、ここも観光客でいっぱいだ。


次は船で川を渡り三島由紀夫の小説「暁の寺」の題材になったワット・アルンに行くつもりだったが、すっかりうんざりしてしまって、川沿いで見つけたおしゃれなイタリアンカフェで、対岸よりその容姿を眺めるだけで良しとした。まぁ、気温も高くなって移動もしんどくなってきたし、川縁の涼しい風に吹かれて水上交通の様子を眺めているのは、かなり極楽な時間でした。

その後、適当な時間になったのでゲストハウスに荷物をとりに行き、チェンマイ行きのバス停へ向かう。


待てど暮らせどなかなかバスが来ない。僕等より先に来ていた日本人旅行者が手持ち無沙汰に楽器をいじり出す。初めは軽く太鼓を叩いていたくらいだったが、だんだん興が乗ってきてご機嫌なセッションが始まった。これがこの後旅の道連れとなる「天草」のマートとコータンとの最初の出会いだった。もうひとりは若きレゲエボーカリスト、大鹿村2世のタケル。彼らのお陰でバスの待ち時間も楽しいひと時となり、そして旅は転がり始めた。



タイツアー:カオサン通り編

2011-03-02 | 
旅の始まりはバンコクからだ。まずこの街で一泊してから翌日のナイトバスで、北部の古都チェンマイへ移動する予定で、空港からバスでバックパッカーの聖地カオサン通りへ向かう。22年ぶりに訪れたバンコクだが、アジアの都市の喧噪は変わらない。宿を決め、荷物を置いたら、早速夜の街の探索へ繰り出した。


深夜まで屋台と出店と旅行者でごった返すカオサン通り。おもちゃ箱をひっくり返した様な大騒ぎ。旅行者達は日常から解放されて羽目を外し、バックパッカー達は何かを探し求め、その隙をついて物売り達はがらくたを売りつけようとする。
メインストリートから、さらに細い路地裏に入って行くと....。


かっこいいストリートアートがいっぱいだ。


人一人やっと通れる様な細い路地にて。


タイはペインティングアートが盛んだ。空港には大きな絵画がいくつも飾られているし、チェンマイのナイトバザールには絵描きの店が沢山ある。カオサンのストリートアートもそんなお国柄が反映しているのかもしれない。


僕等が宿を取ったゲストハウスのある路地裏。この辺りでも、最も安い宿がある地域。こうゆうのは鼻が利くんだ。


たどり着いた安宿でくつろぐ翠君。旅はすでに始まっている~。

タイツアー:ライブペインティングの絵編

2011-03-01 | ライブペインティング
長い間ブログをお休みしていましたが、2/13~2/28の2週間、翠君を伴ってタイに行ってきました。
海外に出るのは15年ぶり、タイに行くのは22年ぶりでドキドキの出国でしたが、思ったよりもギャップもなく、すぐになじんで快適な日々を過ごしてきました。

今回の旅の目的は海外初のライブペインティング。ミュージシャンのナミさんこと南正人さんの呼びかけでチェンダオで開催された「シャンバラ祭」でのペインティングを中心に、作品を通して海外で出会う人達と交流する事でした。そしてタイ人、日本人、ヨーロピアン問わず絵を通して沢山の人達と心を通わせる事が出来、来年の同じ時期にチェンマイでの個展も内定し、音楽と同じ様に美術表現に国境は無し!と確信できました。
また今回最も長く滞在したチェンマイはペインティングが盛んで、ナイトバザールには数々の絵描きの店が並び、心配していた画材屋事情も申し分ありませんでした。そして、一年中暖かく、食べ物がおいしく、時間がゆっくり流れている.....、日本より創作に適した環境が整っている感もあり、ちょっと考えさせられましたね。

そんな抜群の環境の中で、ライブペインティングの110×79cmの絵が5枚、スケッチブックに描いた心象スケッチが7枚、テキスタイルのための原画が4枚と、移動日以外は描いて描いて描きまくりましりた。結果2枚の絵が売れ、持って行ったポストカードもよく売れ、旅の後半はその収入で滞在費をまかなう事が出来ました。

報告したい事は沢山ありますが、まずはライブペインティングで描いた5枚の作品をupします。


18日、シャンバラ祭で最初に描いた絵。現場で切った竹で作ったイゼールをステージ袖に立ててスタートしたライブペインティング。タイ人の照明屋さんがばっちりライトを当ててくれたお陰で、夜の野外でも快適に描けた。
一番手のモーフの旅から始まって各国のミュージシャンが次々に登場したステージ、特にタイのバンドのクオリティイの高さには驚かされた。最後の方は会場中がダンスの渦になったので、そこで筆を置いた。
この絵は、次の日に売れてしまって持って帰って来れなかった。買ってくれたのはチェンダオエリアに住んでいるニュージーランド出身のレイキマスターの女性。ちなみに円、バーツ、ドル、どれで取引するか交渉の結果ユーロで売却。生まれて初めてユーロ札を手にした。



19日、昼間に会場の一角にある少数民族の女性が経営しているフレッシュジュース屋さんでのライブペインティング。3種類のフルーツをオーダーに応じてブレンドして作ってくれるジュースは、それだけで朝ご飯になるほど濃厚で、美味。
お店の一角に陣取って、モーフことRyuji、パヤカトオル、天草のマートとコータン、4人の演奏で描いた。短い時間で描いたが、仲間との気楽なセッションという感じでリラックスできて楽しかった。


20日、お祭最終日のステージで天草やRabiRabi他の演奏で描いた絵。演奏の間描いたり休んだりしながらずーっと描き続けていたが、実はトリのナミさんが演奏していたころの意識があまり無い。最後のころは描きながら寝てしまったらしい。


22日、チェンマイのライブハウス「sudsanan(スッサネン)」でモーフの旅&RabiRabiの演奏で描いた。この日のライブは実質祭の打ち上げとなって、後半次々とセッションが繰り広げられもう一枚描く事に....。


「sudsanan(スッサネン)」でナミさん達の演奏で描いた2枚目。真ん中の山は聖地チェンダオ山。スッサネンは木造の広~いライブハウスで、祭りから流れてきた200人余りが充分入る程。アーティストのたまり場らしく、柱にスケッチがべたべた張られていたり、簡単な展示がすぐ出来る様に壁にクリップが取り付けてあったりして、さっそく僕もこの日までに描いた絵を展示させてもらった。祭の空気を吸いながら描いた絵を展示する事で、祭で見たこと感じた事をもう一度人々と共有できる様に.....。

そんな感じで今回は絵だけupしましたが、次回は旅の様子など報告したいと思います。

宮下昌也と巡る悠久の旅