草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

HCUへ

2019-02-22 18:46:26 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月19日記録


水が許可されるころ大勢のICU患者の居る所から
単独HCUへと移りました。

そのときあの男性看護師さんから

「5分ほどですが、城がが一番よく見える通路を通りますからご覧ください」

私はこんな好機は2度と無いと思い横を向きポッと浮き出た美しい城を見ました。

単独HCUには美しい看護師さんが私を看護するために待機してくれています。
みじろぎもせず、ただ私一人の看護のために見守ってくれています。
(博多人形のような美肌、美しいお顔にうっとりと勿体のうございますぅ)


歯磨き、顔の清拭、水を飲ませてくれます。
麻酔からは覚めていますが、モルヒネが体内に入っているのか無痛です。


眠っては覚め、眠っては覚め、意識は朦朧とし、
眠ったと思い目を開けると時間は1分、5分しか進んでいません。
それが長いという感覚もありませんでした。


その日は深い霧と黄砂が降り、
低山と城のシルエットが墨絵の中に浮かんでいました。
幻想的で幽玄の世界が広がっていました。

その後も私の置かれた場所から首を左に向けるだけで、
終日その墨絵に浮かぶ城を見続けることが叶いました。
この光景を忘れることはありません。

(アハ、7年半経った今、記憶が薄れてぼんやり?微かに?
 美しい城を見たという記憶だけ)
(これをアップした今日は更に絵が霞の中へ…9年前だもの)


後に聞いた話では、他の患者さんの殆どはきれいに忘れてしまうそうです。
しんどさが記憶を消すのかもしれませんね。


苦しさの中で、若い看護師さん方の献身的で
優しい看護はさらに忘れられない感謝の風景でした。
19日はこの単独HCUで1泊しました。


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目覚め

2019-02-22 18:38:42 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月19日記録


目覚めは真夜中のICUのベッドでした。

喉に違和感があって、思わず唾液を飲みました。
ギャアッ、痛っあ~~~!

そうだ、手術が終わってここはICUなのだと気づきました。
人工呼吸器が装着されたままです。
唾液を呑み込もうとするしぐさが繰り返されます。

この呼吸器を喉から外してもらわなければ、、、痛すぎるのです。

目の前に二人のナースの動きが見えます。

私は呼吸器の装着で声を出すことができません。
危険防止のために腕は抑制されています。
(術後の危険を避けるため両手をベッドに縛られています。
 中には暴れだす人もいる)

声が出せず、目覚めたことを知らせる手段が無いことに気づいた。

人が見えるたびに両手をぐるぐる回してみた。
何回か試みているうちにようやく気づいてもらえました。
もう必死でした。

術前の約束ごとに、ナースの手にカタカナ文字で言いたいことを伝えなさい。
と言われたのを思い出しました。

「ノドガイタイ」と書くのですが、私のカタカナ文字はまったく通じません

文字会話を諦めて喉を指さし、苦しげな顔をしました。
ようやく意思の伝わったところでまた記憶が薄れ遠のいていきました。



次に目覚めたときは声が出ました

時間を聞きました

「1月19日の朝7時20分ですよ」

男性看護師の優しい声が聞こえました。

「お水は何時頃飲めますか」

「10時○×分ころに飲めますよ」


男性看護師は氷を3欠片を口に入れてくれました。

「えっ? 大丈夫ですか? 私、我慢できますけれど…」

看護師は「内緒」とにっこり微笑んでいます。

そして、「今日が一番しんどい日ですから」と伝えました。

明日から少しずつ楽になれると希望をいただいたのでした。


そういえば、口を湿らす程度であれば大丈夫と術前の約束事の用紙に
書かれていたのを思い出しました。


ということで、私は自分の名も忘れず、どんな手術を受けたかも
しっかり記憶していたのでした。

記憶を喪失してしまう人もいるとネットで読んで不安でした。
ネットに依存するのも問題がありますね。

後は朦朧の世界で時を過ごしました。
24時間近い時間の記憶はありませんが
脳梗塞を起こすことなく無事の生還でした。


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家族と手術

2019-02-22 18:33:15 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月18日記録


手術は9時間半でほぼ予定の範囲内だった。

家族はその間私の病室で待機した。
どんな思いだったろう。
申し訳なさと感謝で埋め尽くされる。

が、当の私はこんこんと眠り続けていた。



「手術は終わりました」

執刀主治医が家族に告げた。


麻酔の切れる時間は午前0時前後、
この時間に目覚めなければ脳梗塞を疑います。
脳梗塞を併発したら目覚めは悪く、
起きて麻痺の症状が出る可能性があります。

この話を聞いた家族の不安は察するに余りあります。
家族の疲労はいかばかりかと術前によく心配したものです。

家族は9時間半の長い時間どのように過ごしたのだろう!?


私の体は ICU へ。


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人工血管置換術

2019-02-22 18:25:30 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月18日記録


いよいよ当日です。


夜中2時頃より目覚め眠れなくなる。
何とか寝ようとしても脳が興奮状態なのか眠れない。


7時過ぎ看護師さんが投薬後検温ほか測定にきた。
眠れなかったことを伝えると、
「これから麻酔でたっぷり眠れますから」
天使のような顔でささやいた。

今朝は食事は抜き。

7時半くらいに手術着に着替えるよう指示を受けた。
手術着に着替え8時前に一番に夫が病室に駆けつけてくれた。
二人の娘、二人の姉たち夫婦もかけつけてくれた。

手術前の恐怖心を取り除くため
精神安定剤の注射をお願いしていたので受けた。

9時前ストレッチャー上の人となり家族と別れた。

「頑張ってね!」

「頑張ったりしないよ、お母さんは寝てるだけだもの」


ストレッチャーは手術室の前で止まった。

看護師さんがドア前のペダルを足で踏んだ。

滑るように手術室のドアが開き吸い込まれていった。


「病田さん寒くありませんか?」

冷え症の私を気遣ってくれているセリフだ。

「大丈夫です」

「空蝉さん、今から麻酔をしますからねぇ」

酸素吸入器のようなテレビでよく見るマスクのような器具が
口元に近づいてきた。

その前に注射があったか、無かったかあまり記憶がない。

マスクが口を覆ったときにコトンと眠ってしまったようだ。


この先まったく記憶がありません。


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もっと驚愕な事実

2019-02-22 18:18:08 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月17日記録


この日私は健常者(もどき)最後の日を迎えた。
今日の予定は午後から翌日の手術に備え体毛を剃り入浴のみ
のんびり過ごせる最後の日だった。


が、11時半に執刀主治医が部屋を訪れ手術の変更を伝えた

昨日の手術の説明では冠動脈のバイパス手術は2本行う予定でした。
病田さんの血管が細すぎるのでバイパス手術に時間を取られてしまう。
会議で議論の末、バイパス手術は1本のみ行うことになりました。

弓部人工血管置換術にその時間を注ぎたいのでということだった。
冠状動脈の狭窄(狭心症)2本は後にステントグラフとを一緒にやりましょう。




ようやく自分の置かれている状況が飲み込めた。
昨日の説明にあったイボガエルの大動脈、
足の動脈のほうまで血管の外壁が泡立つように隆起していた。
余程難しい手術になるのだろう。


家族が帰っていった。

しばらくして若い可愛い看護師さんが入室し検温などの検査をした。
看護師さんと談笑しているうちそのことに触れ…

「私はこれまでこの病気を知って一度も落ち込んだことも、
  泣いたことも無かったのよ。
 でも、バイパス手術…3本が2本に、最後は1本だけになって…
 どれほど厳しい状況にあるか分かったの」

と、ここまで話しながら急に眼が潤んできてしまった。

若い看護師さんはその愛くるしい目に涙を浮かべて聞いてくれている。
心配をかけてはいけないので「ごめんね」といい涙をこらえた。

以後 私が泣くことは二度となかった。。


看護師さんも居なくなってぽつんと部屋に残された。
もう涙はなかった。泣いたところで何の解決も得られない。

午後3時過ぎ私を担当してくれる看護師さんが
お臍の消毒と必要個所の体毛をバリカンで剃ってくれた。

これで覚悟だね。


バスルームに入り入念に体を洗浄した。
当分入浴はできないのだろうな。


また夜を迎えた。
眠剤を飲んだところで睡魔は襲ってこない。
それでも眠らなければ……!


そうだ、私は一時的とは言え、心肺停止状態になる(?)
機械の中で呼吸をし、心臓以外の人工心臓が動いてはいるけれど…
臨死体験とかあるのかな? そんなことを考えた。。

余計眠れなくなった。

ベテラン看護師さんが言った。
「明日からゆっくり眠れるから」

ハハハ、弱く笑い返した。


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分散送血

2019-02-22 18:10:50 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月16日記録


インフォームドコンセントではこんな話も伺った。

私の血管年齢は90歳ちかい人の状態でしかも稀な血管だそうだ。
パソコンの画像ではコレステロール、脂肪の付着が
まるでイボガエルの表皮のような泡立ちを見せていた。

どうして??? 医師は首を傾げていた

(私には理由が分かる気がした…食とストレスが原因だ)


解決策は鎖骨近くの動脈と足の動脈の2か所から分散送血を行います。

血液を抜いて心臓を止めて人工心肺で呼吸する。

25℃に体温を下がってから施術する。

手術予定時間は10時間。


術後も狭心症の治療として血液をさらさらにするために薬の内服を続けること
食生活、生活習慣を元に戻すとすぐ血栓を起こすと言われた。


医師の説明は1時間半に及ぶインフォームド・コンセントだった。



私はこの病気の宣告を受けてもまだ落ち込んだことがなかった。
罹ったものは致し方なく、俎上の鯉になるほかないと思えたからだ。


それでも「自然淘汰」ということばを考えないわけではなかった。
『優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと』

敢えて、生き残りたいと思ったか?死が恐かったか?
というより、苦しみや痛みが恐いと言ったほうが良いかもしれない。


他人さまはどうだろう?

「この手術を拒否なさる方は居ますか?」
最後に医師に問うてみた。

「居ますよ」

「強い方ですね」

「何が強いものか…手術しないで済む病院を探しまわるのです
 破れたら必ずここへ戻ってきます。
 吐血したらもうアウトなんですよ。
 もう 助けることは出来ません!」

その方はデパートで破裂しお亡くなりになったそうです。


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インフォームドコンセント

2019-02-22 18:07:05 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月16日記録



2度目の入院でいよいよ手術前に執刀主治医から
インフォームドコンセントを受けた。

内容は厳しいものだった。

私の弓部大動脈瘤の位置が非常に悪い。
そして性質も悪い。
女性の危険域は5cmであるが私の場合は6cmを超えている。
手術を待っている間にも破裂しかねない。

※ 破裂すると助かることはないそうで(弓部に関しては)、
 破裂の苦しみは壮絶で即死はできないそうだ。
 激烈な痛みと吐血に悶絶しながら息絶えるそうだ。

 破裂は夜が多いそうだ。

 心筋梗塞もやはり即死は少なく激烈な痛みを伴うという。



破裂患者が深夜にこれでもかこれでもかと救急搬送されてくる。
こちらも人間だから「もう勘弁してよ」と言いたくなる。


私の血管は年齢の割にコレステロール、脂肪、ヘドロ、血の塊が多すぎる。
60才前半でこの例は非常に珍しいというか見たことない。

腹部 左足に狭窄があり、あり、瘤になりかけも複数個所ある。
これらは動脈硬化が原因で狭窄、瘤ができる。

右冠動脈他左2本にも血管に狭窄がある。
検査自体に脳梗塞の確率が高いのでカテーテル検査さえできない。
1月4日に終わっちゃったもんねえ。

一番大事な左冠動脈にカテーテル検査が必要。
50%だとまだ処置の必要はないが、75%の狭窄であれば治療が必要。

狭窄治療の方法として
①薬
②カテーテル治療
③バイパス手術
  手術時間は20~40分 (2本治療では)
  リスクは傷が残る。
  自分の脚の静脈の血管を使う。

MRIの検査結果では脳の血管の狭窄は無い。

弓部大動脈瘤に関しては人工血管置換術を重視する。
術後の心臓治療を目的とする。

人工血管
 頸動脈を切って3分岐点から全部を置換する。

脳障害を避けるため
 心肺を停止する。そのため低体温(25℃)とする。
 その間、チューブで脳に血流を贈る。

体温を下げるのに30分、体温を戻すのに1時間半かかる。


それにしても私の血管の状態が非常に悪い。
血管の中がデコボコ、コレステロール、脂肪等のヘドロが
手術中にいろんな臓器に飛ぶ危険が大きい。


足の血管もひどく手の打ちようがなくて模索している。
最終案として左足(膝下)からバイパス血管を抜く予定だが、
血管が細すぎる。

さらに1分に4リットルを体内に戻すのだが、血管があまりに
ボロなので一挙に返すと血管が破れるだろう。
そこで2か所に分けて半分ずつ戻す分散送血をやることにしました。

9時半に手術室に入り点滴をしてゆき、10時半から手術実施。

手術は両足の鼠径部からやり、人工血管置換に要する時間は1時間半、
その後あちこちの出血を止血してゆく。

瘤の手術は16時まで、バイパス術終了は18時と予定している。
その後ICUに入る。
麻酔から覚醒するのに6時間掛かる。

麻酔から覚めるまで脳の状態は把握できない。
ICU 2泊3日で一般病棟に移れます。

動脈瘤は79才80才以降の年配者の病気である。若いのに…。
今回の救命確率は50%。

リスク

 動脈硬化がひどい血管の状態のリスクは
 トラブルを起こしやすい。
  ・出血
  ・余病がたくさんある内臓には食道に孔をあけてしまうことがある。
   食道に孔があくと死に至る。
  ・感染症、人工血管に黴菌がつくと手の施しようがない。1/200の確率。
  ・心臓に水が溜まることがある。
  ・反回神経に触らなければならないので嗄声になる可能性がある
   水をのむときに孔が空いてむせることがある。上手に飲む練習をする。
  ・腎梗塞、肺梗塞、他いろいろの梗塞の危険がある。
  ・運動しないとエコノミー症候群で血流が悪くなる。
  ・バイパス術の成功率は98%だが、2%の人は詰まることがある。
    私はその2%に該当してしまい、
     即行バイパス血管が詰まってしまったが、
     誰にも発見されず苦痛の中で4年過ごした。

と以上が執刀主治医の説明であった。
7年半前がリアルに今 改めて恐怖を感じる。

3個の新たな瘤の再発と思ったのは
当時から徐々に膨らみ始めていたのだった。



これが病気の真相だった。

※ 草案の記でも一度これを記載してことがありましたが、
  重大なことなので参考になればと再度記載します。


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二度目の入院

2019-02-22 18:02:46 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月15日記録


どう抗ってみても入院の日は迫る。

約束事だから行かないわけにはゆかない。
ついにその日が来てしまった。


午後一に入院。
前回の入院と同じ7階病棟に戻れないと覚悟していたが…
また7階病棟に入れることになった。

馴染みの看護師さんたちなのでほっとする
今回も片側の手首に名前を書いた認識ベルトを装着した。



この日 執刀主治医からの手術に関する説明を受ける予定だったが
主治医の出張で1日延期となった。


入院手続きを経て、首の動脈のエコーの検査、肺活量の検査を受けた。
2時半頃に麻酔科の医師から麻酔の手順やリスクなどの説明を受け
同意書にサインをした。



この日の夕食は「心臓B食」でかなり塩分が濃かった。

こんな塩辛くて良いのかな??

すっかり減塩に馴染んだ私の体が納得いかないようだった。
塩分の濃い食事って美味しいね^^



相変わらず眠れない夜が更けていった。。


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死にかけてみる美しいもの

2019-02-22 15:14:35 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月6日記録


1月6日、主治医から正式に一旦退院の許可が下りる。
明日午前中に退院することにした。


午前の回診の医師との会話↓

「私は不思議にもこの病気を宣告されてから未
 だに一度も落ち込んだことが無いんです」(私)

「前向きの人はすごく回復が早いんですヨ~!」(医師)

脳細胞が単純な私はそれを聞いてご機嫌になった。



荷物も整い午後からは余分の時間が出来たので図書室に顔を覗けた。
患者が一人本を読んでいた。
8階の図書室からのロケーションに感動した。

大きな河が公園に沿ってS字に蛇行するその対岸に城がそびえ立っていた。



何だか嬉しくなって隣にいた患者さんに声をかけてしまった。

「死にかけてる病気になって初めてこの美しい景色を見せてもらった!」

「死にかける病気にならないと見えない景色なんだよ^_^;」

とその人は言った。


「まさに!!!」二人で高笑いした。

不思議な縁でこの方とは手術日が同じだったようだ。

その時はまだそんな運命を知らなかった。


翌7日には薬剤師、看護師などから退院後のケアについて
詳しい説明を受け無事 退院できた。


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私、今日帰るんです!

2019-02-22 15:09:17 | 心臓血管外科入院

以下 2010年1月5日記録


1月5日、6時前看護師さんがいつもの検温、血圧測定に来た。
そのまま起床し洗顔し、化粧などもして帰り支度を始めた。
何しろ昨日主治医がそろそろ退院と言ってくれたのだから。^^


今日から投薬が始まった。
入院して以来初めての薬だった。4錠服用した。

私の3本の冠動脈全てに狭窄が見つかり(狭心症)
その数は6か所だった
3本の狭窄は18日予定の人工血管置換術の際に同時に行うと伝えられた。

尾籠な話で恐縮ですが、カテーテル検査の後遺症というのか?
子宮側からの出血が2度あった。

へえ!と驚いたがそれ以上何も起こらなかった。

今になって考えると男女によって出血場所も異なるのだろうか?


深くも考えず帰宅用荷物の整理も終え万端整った。


9時過ぎ医師の回診があった。
カルテを見ながら「大変ですね」と同情してくださった。
それには答えず「私、今日帰るんです」とほほ笑んだ。

医師は怪訝な顔で退室して行かれた。


いつまで待っても誰も来ない。
請求書も来ない。


へっ? 退院じゃないのお???
荷物まで作ったのにぃ(゜o゜)???



誰も来ないまま夜を迎えてしまった。。


うそぉ。


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