草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

2年後検診

2019-02-23 22:20:31 | 心臓血管外科検査


以下 2012年5月29日記録


今日は2年後検診の日でした
疲れました。。
術後28カ月過ぎかな!?

体調最悪状態で行きました
が、検査の結果は良好。
老化は否めませんが…だって

私は現症状を細かくワード打ちして持参しました
それを見た医師(以下 先生)

「どうしても病気を作りたいのね」先生

苦笑する私
メモ書きには眼もくれない先生

でも、ちらっと眼をやり…

「パルスオキシメーター、買ったのお」先生
「はい、買いましたとも」私

「99%ねえ、最高じゃないの!
ここには90%を切った人が大勢来るのょ」先生

「過呼吸は?」私
「過呼吸は二酸化炭素を要求する症状が出るよ」先生

『だから、酸素が足りない症状が出るっちゅうたら』「……」私

「99%って決して酸素が多すぎじゃないのよ、良い数値じゃないの」先生
「……」私

とりあえず、数値、写真に出てる結果が良好では二の句が続きません。

この苦痛から逃れる術はもう無いらしい 絶望。


「数値が良好で、苦痛だけが続くなら私はもう死んでしまいたい」私

「あ、本当に死にそうになると、助けて!って、皆絶対来るのょ」先生

「いえ、この苦しさをもう少し辛抱したら死ねますよ、来ないよう頑張ります!」私

「あのね、空蝉さん」先生

「死にそうな人はネ、食欲も無くなり、げっそりやつれて顔色が…」先生

「真っ青になるとか!?」私

「そう、そう、そう。」先生
「空蝉さんのように見るからに元気そうで血色が良く、ふっくらとしてないのよ」先生

「心筋梗塞とかで死ねますよ!」私
「先生、死ぬときは痛いんですよね?仰いましたよね、そうだと」私

「あ、動脈瘤が破裂するときはね」先生

「じゃあ、心筋梗塞は痛くないんですか???」私

「あのぅ空蝉さん、私今紹介状の手紙書いてるからちょっと…書けないんです
(静かにしていただけます?)」先生

「あ、すみません」黙る私

「動脈瘤に関してはまた1年後にね、
 これ循環器内科に回すからそっちに行ってください」先生

お礼を言って診察終わりました。

このドクターは2年前にはかなり仏頂面(ごめんなさい)だったのに、
今日は御仏様のように後光が差して柔和なお顔をなさっていました。

私は先生と漫才をやりに来たのか?????



私には未だ左冠状動脈の2本の詰まりがあります。
夫が手術時に残したこの血管はどうなるか聞いたので
循環器内科に回していただいたのでした。

外科医の見解も、循環器内科医も同様の見解で…
カテーテル検査は人工血管が入っているため非常に難しいものとなる。

そしてカテーテルバルーン手術をしても新たに、延々薬が追加され
それを飲み続けなければならないリスクがある。

「どうしますか?それでもカテーテル検査をしますか?」循環器内科医
「判りません」私

「では、とりあえず造影CTを先に撮って、悪ければまた策を練りましょう」

ということで造影CTに関するリスクなどの説明を受け、承諾して帰宅しました
ひどく疲れました。。

循環器内科の医師は2年担当した医師に変わり、優しく患者思いだった。



アノネ、執刀主治医の外科医先生、
2本のバイパス手術予定を1本だけにすると決まったとき
仰いましたよね!

「この血管は後で何とでも出来ますから」って…

どうにもなりそうじゃないじゃないかあ !!!

良いけどネ、この2本はある意味宝物かもしれない。。
この血管が詰まれば逝けるもの。。

苦しみから逃れたい。。。


私は知ってる、デブでこういう疾患で逝った人を何人か。

真っ青でやせこけた方は血管ではなく、心臓そのものに
拡張型心筋症とか心肥大の方がね、そういった体躯ですよね。
患者にも査証の知識はある!

この藁にもすがりたい感じの患者の苦痛が分からないのか!?!?!?

まあ、医者が全部の症状を知り、治せるものでないことは
よくよく分かりました!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見捨てられた患者

2019-02-23 21:54:59 | 心臓血管外科検査

以下 2011年5月18日記録


昨日は1年後検診で元病院に行った
心臓病専門病院である

検査内容は
➀ 採血
➁ 心電図
➂ レントゲン撮影
➃ 単純CT撮影
➄ エコー検査

執刀主治医には予約が必要であったが
間に合わなかったので別の医師が担当であった。

以上の5つの検査結果はその日のうちの、それも早期に出る
受診が終わったのは昼前だった

結果は心臓はひどく元気に活動し、
肺も至極きれいで申し分ないそうだ。

で、新しく担当になったH医師は含み顔で「どうですか?」
患者としてはこの含み顔が気になる( 一一)

「誰か、殺して」というくらい苦しいです!と訴えた。
私は息継ぎが困難なので予め症状をワード打ちして持参していた。
それを読んでいただいたかどうか!?

医師は内科医の紹介状を重視しているようである。
私が精神的に引き起こす諸症状と決めつけている様子。

こともあろうに掛り付け内科医の紹介状を読みあげる。

「自分の見解としては精神的なものであると診断します」と。。

私は残念なことにこの内科医を信用していない。
何故この医師に掛るかといえば、足が無い。
風邪で発熱して足が無ければ徒歩で近いところに行くしかない。

この医師は研修医期間が2年だけで開業しているので
臨床経験が乏しい。

だから診断に不安が多々ある。
弓部大動脈瘤が発覚した際、私が心臓専門病院の紹介をお願いした。

けれど紹介状の内容は呼吸器かの疾患だと思うと所見を述べていた.

だからこの心血専門病院の受診を拒否された。
喰い下がって受診をお願いした経緯がある。

素人の私が動脈瘤かもしれないと判断したというのに…
この内科医は呼吸器だと…
しかも、市の検診で引っかかったのは「血管に異常がある」であった
臨床経験の期間が短いとはこういうこと??


話を元に戻そう。
H医師は「私の症状はさっぱり判らない」という。
「大学病院の呼吸器科で異常がないというのにこれ以上探しようが無い」

「じゃあ、どこの科へ受診すれば良いのですか」
「判りません!!!」

H医師は「判らない、判らん、判りません」を繰り返し続けた
延べ百回は仰った?というくらい連発なさっていた。


私は食い下がった。
「この掛かりつけ内科の先生はこの動脈瘤が破裂寸前のときに心療内科を奨めた医師です。
 何でもかんでも心療内科ということになると心療内科の医師が大変ではありませんか?
 それでも心療内科に行けとおっしゃるなら行きますけど!」

H医師の顔色が変わった。
「イヤ、それも大病が隠れてしまう危険性があるのですけれど…」

少し弱腰になった。

「けど、本当に判らないんです。とりあえず、肺、心臓に疾患があれば
 仰向けになるのが一番苦しいんですよ」

「はい、承知しています。私の場合はその逆ですからそこに、角度に原因が
 あるのではないでしょうか?」

「判りません!!!!!!!!!!!!」

話は一向に前に進まないのでついに諦めました。

蛇の生殺し状態で患者を見捨てるのか?? 

絶望が走ったがここでストライキを起こすわけにもゆかない。

仕方ないので引き下がった。

17分もの長きにわたって藁にすがってみたがどうにもならなかった。


今の医学もこれ止まりなのだろうな!?
判ることのほうが少ないのだろう
人それぞれ個体差が大きいし…

人間一度は彼岸に行くのだ。
そうは言ってもこれほどまでに苦しい体で
何年も生かされるのは正直つらい。

が、明日何が起こるか分からない。
なるべく何か起きてしまって楽になれれば…
そんなことを考える今日このごろだ。。

医者に見捨てられた患者は行き場も無い。。。


追記 術後2年経過してようやく新たな事実が判明したのは
    私のバイパス手術の縫合に失敗して一番悪かった
    右冠動脈が完全に詰まって画像から消えていた。
    つまり右冠動脈を失った状態だったことが判明するのは
    もう少し後のことでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

血管外科卒業

2019-02-23 21:47:58 | 心臓血管外科検査

以下 2010年4月22日記録


昨日は検診日、術後3カ月が経過した。
採血と心電図の検査があった。

Y主治医の検診もこれが最後となるだろう。

「いかがですか」

1週間前の火曜日、強風で日本中が荒れた日のことだった。
私はカメラを持って自転車をこいだ。
強風と向かい風に息も絶え絶えの状態になった。

あまりの息苦しさに帰宅して血圧を測った。
とりとめて驚く数値ではなく、どちらかというと低血圧。
心拍が上がっていると思ったが、、、
46だった。それが発端だった。。。


最近50や50以下の数値が表れてきた。徐脈である。
しかも高血圧だった私がどんどん低血圧になる。
かと思えば155/107だのと血圧が乱高下する。

おまけに息が出来ないという症状に陥り、
検診一日前には救急診療を受けようかと思うほどの呼吸困難。

が、ひょっとすると精神的な症状かもしれないと…
中止になっていた精神安定剤に手を出した。
症状が緩和された。



医師に伝えると…

「あなたは診療内科で治療を受けたほうが良い」

「心療内科とは以前の精神科のことです」と加えた。

知ってる。


「本当に狭心症であれば救急車を自分で呼ぶことさえできません。
 リーゼを飲もうというゆとりもありません!」

とも加えられた。


一時悪化した肝臓は完全に正常値に戻っていた。

心電図も良好だった。

これで心臓血管外科は事実上卒業である。

次の検診はかかりつけ内科を介して1年後となる。


最後に質問をした。

「私の残された2本の左冠状動脈の狭窄の手術はいつごろになりますか」

「え?????」

1年に300~400件の心臓血管疾患の手術を執刀なさる医師である。

そういうこともあるだろうと予想していた。

(忘れているのだ)


困難を極めた私の弓部大動脈瘤手術時に時間との闘いで
バイパス術は3本のうち1本だけを施術したこと
先生は忘れていらした。


私の動脈の動画を診て、改めて手術のときを思い起こされたようだ。
同病院の循環器内科を紹介していただいた。


私は今度は循環器内科の患者となった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退院後

2019-02-23 19:32:14 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月13日(土)記録


かくして2010年3月13日 午前中に病院を出た。
これで3度目の退院となる。
もう二度と病院には戻りたくないと思う。

10日後の23日に検診を受けた。
咳がいつまでも続くので聞いた

「それは肺に水が溜まっているからです」

レントゲン写真にその様子が写しだされていた。

「自然に治りますから」

1カ月後検診の予約が入りその日は放免となった。


また薬が変わった!
朝昼夕の薬は朝だけの2錠に替わり、
降圧剤も変わった。
その日の血圧が少々高めだったこともあり…


降圧剤は術後に処方されたアーティスト錠10mgに戻された。
血液をさらさらにする薬はプラビックス錠75mgと変わらず。

アーティストは初回のときは低血圧と思われるほど血圧を降下させた。
もう考える力も無いので薬ノイローゼになるのも止めた。


退院1週間後だったか?
突然呼吸がひどく苦しくなった。
吸い込んでも酸素が入ってこないような状況。
いつもの症状だけれど、息苦しさが増しているようだ。

夫が「病院に電話しようか」といった。

私は「いや、良い。しばらく様子を見る」と返した。


もう入院はしたくない。

Y医師が言ったではないか…
「人間死ぬときは死ぬのよ…良いじゃない。おおらかに生きようよ」


手術以来 本当に苦しい日が続いた。
これにちょっと上乗せしたくらいの苦しさが押し寄せて…
命が閉じられたところでもう思い残すことなど何も無い。。。

翌日も多少息苦しさは残ったが命を失うことはなかった。


息苦しさを残し、ときどきあちこちに痛みを感じるも
平穏な時間が流れていく。


娘の体調もあれから病気の進行は止まっているようで…
毎日弁当を作るのが私の日課になっている。

庭の草取りを繰り返しているうち…
もう抜く草も無くなってしまった今日この頃です。


桜の花はまだ残っているだろうか???



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退院許可

2019-02-23 19:29:57 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月12日(金)記録


その日回診で肝臓の数値はほとんど良好で
正常値にあと一歩だと言われた。

午後、F医師が来て

「数値も下がりましたし症状も安定しているので一旦退院していいですよ^^」

この「一旦」ということばが気になったが気にしないことにした。

10日後に検診予約を入れてくれた。

医師は元のY主治医だった。
F医師は外来を担当していらっしゃらない。

看護師や薬剤師さんが来て退院後の過ごし方や薬の説明があった。


今回の入院加療費は9泊10日で約18万円だった。

街中の景勝地であるので差額ベッド代が高いが

致し方ないことだろう。


私の体は十分な静養が出来、呼吸の苦しさを除いて
ほぼ快調と言えた。

夜のうちに荷造りを整えた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完ぺきな奇跡

2019-02-23 19:22:42 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月11日(木)記録


今日こそは昨日のリベンジ
朝起きて窓外の天気を確認した。晴れ~♪
いつもの測定、回診を済ませて午後。

病院から一歩外に出た。

この病院の向いは私のカメラのテリトリーだった。
オオイヌノフグリ、ホトケノザ、キュウリグサがもう花をつけている
ヒメオドリコソウ、オドリコソウ、フラサバソウなどなど。

月見橋を渡って河川敷に下りると木の枝にメジロの大群とエナガを発見
今の私にはデジカメ一眼は重くて無理だし、病院に持ち込むこともできない。
ケータイでカシャカシャ。


ああ、なんて外の空気は美味しいんだろう。
しばらく歩いたが背中の痛みが来ない。
1週間の静養が身体の回復を手伝ったようだ。


時間はあっという間に過ぎた。
1時間以上花や小鳥と戯れて病院に戻ろうと踵を返した。


また月見橋を渡った。

向こうから間断なく大勢の人がやってくる。

そのうちの一人と何気にちらと目が合った。


まあ、世の中にはそっくりな人が居るものだ???

イヤ、そっくりではない! その人そのものだ!!!



25年前まで交流のあった友人がそこに居た。
子供たちも私も大層お世話になった懐かしい京都の友人だった。

彼女も同じように気づき二人は手を取り合って喜んだ。
が、ご旅行中であり、お友達もいらっしゃったので後日連絡すると
約束してその場はやり過ごした。

1分、1秒の時間がずれれば彼女とこの場で出会うことはなかった。
神様の引き合わせではなかったろうか???

退院後手紙を送り、今はケータイメールで連絡が可能になった。


完璧なる奇跡です!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨で流れた外出許可

2019-02-23 19:19:42 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月10日(水)記録


外出許可をいただいたというのに雨続き…
今日も早く目覚めいつものように身支度を整えて
ロケーションのある窓へ直行した。

外は快晴だが冬の気温のようで
遠くに見える山のいただきに冠雪しているのが見えた

今日は3月10日、ここで知り合った彼女の手術日だ
(どうぞ、手術が成功しますように!)



朝食が終わってナースセンターに外出届け出用紙をお願いした。

10時半を回っても朝から一度も看護師さんが巡回に来ない。
私は今や健常者もどきですものねえ

10時40分ころ担当看護師さんが測定に来た。

家族も親族も誰も見舞いに来ないというのに夫は
友達に一切連絡をさせてくれない。
看護師さんにまで見放されたら…こんな暗い部屋で…


歩行は颯爽とはいかないがフロアをうろうろする化粧顔のオバサン

「あの人はどこが悪くて入院してるんだろう???」

スタッフでそんな噂が流れているそうだ。

二人から聞かされた


本人もそれほどの病人だと思っていない。

術後初めて脈拍60を記録した
高かった脈拍がようやく下がったのだ♪


いざっ、外出する~~~!

洋服に着替えてケータイ持って~♪

でも、ちょっと窓の様子が気になる

これは雨かっ?

部屋の窓の汚れを通しても見える、雨だ!
午前中あんなに晴れていたのに
本当に落胆した。しばらく茫然とした。


諦めきれないで3階通路に下りた。
冷たい風がドアから吹き込む。
みぞれまで降っている。
雨は止みそうにないようだ。

ケータイの電源を入れてみる。
誰からもメールが入っていなかった。


とぼとぼと部屋に戻って本の続きを読んで過ごした。
夕方はまたからりと晴れた。
最悪だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この息苦しさは何?

2019-02-23 19:15:58 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月9日(火)記録


今朝も早くに目覚め、朝の仕事をこなし…洗顔、化粧
ばっちり決めてフロアを散歩した。

M療法士さんに出会ったので笑顔で挨拶した。
療法士さんは今一つ浮かない顔色だったので会話はしなかった。

7時に看護師さんが来てヒアリングの後
安全度4の判定でベッドの貼り物の色が変わった
数値的にかなり好調のようだ。

9時前K医師の回診があった。
咄嗟にプレタール錠100mgを思い出した。
そう、この先生だった!

「いかがですか?」

「元気です」

「後は薬が合うかどうかだけだ」医師は独り言のようにつぶやいた。

「今、薬は?」と聞かれたので

「これです」と薬の袋だけを見せた。


このK医師も私の手術の執刀に当たってくださったと思う。
感謝はしているけどプレタール錠が頭から離れない


午後2時から夫と一緒に「コレステロール、中性脂肪を下げる食事療法」
の研修に出た。


いつもの私担当の看護師さんに聞いた。
私の呼吸がいつも苦しく酸素が入って来ない状況を話すと

「煙草を吸う人の多くがそれをおっしゃるんですよね」

「私 ヘビーだったし…自業自得だね」

「そうですね」


夜 F医師が見えた。

その話をして「私は肺気腫ですか?」と尋ねた。

「いえ、肺気腫ではありませんよ」


血中酸素濃度はいつも95、96%あるから大丈夫なのかも?

どうしてこんなに呼吸が苦しいのだろう? 謎。



木曜日頃に採血し、結果が良ければもう1種類薬を増やし

良好であれば今週末に退院できますと朗報をいただいた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬が恐い

2019-02-23 16:10:11 | 心臓血管外科入院

以下 8010年3月8日(月)記録

入院5日目


6時50分採血
9時20分 医師の回診

10時10分に新しい薬が加わる
プラビックス錠75mg
血小板が固まるのを防ぐ作用があり、
血管内で血栓ができるのを抑えます。
また血小板の粘着力を下げる作用もあります。

昼食後より開始したが今や私は薬ノイローゼ状態である
内服したあと体調がおかしく感じられる。

酸素91%(いつもは95、6%)、脈は84
ああ、動悸が耳、お腹、全身に感じる恐い!
(血中酸素濃度)


諦めて夜を迎えた。
またF医師が見舞ってくれる

「いかがですか?」

「私は薬ノイローゼで良いのか悪いのか?よく判りません」

「外出許可を出しますから気分転換してください」

F医師が退室したあと、日課になっている夫への電話をかけた

夫は友人たちや姉たちに長電話をするなとうるさくメモ紙などを
渡すくせに自分との電話は非常に長電話を要求する。

気分が悪くなったので電話を切るというと怪訝、かつ不服そうだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今後の治療方針

2019-02-23 15:55:05 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月7日記録


今日は日曜だというのにF医師がヒアリングにみえる。
F医師は最初の入院からの主治医である。

「いかがですか」

「快調です」

今後は月曜の採血結果を診て薬を投与していくこと
血栓の薬を再開する予定であること
ワーファリンやバイアスピリンなども肝臓に影響することがある
などを話していただいた。


不安に思うことを相談した


バイパス術に使用した静脈の血管は左脹脛(ふくらはぎ)から切除している。
その手術のために神経が切れているらしく(?)
ほとんど触っても感覚のない部位があること。

時間の経過で回復可能と言われた。

↑回復しないで今も痺れたまんまなんですけど!?

※ ずっと気にしないようにしてるけど7年半後の今も痺れたまんま。



バイパスに使用した静脈の血管の寿命は13年が限界であることを訊いた。
これまでの例では13年以上もっている人もあると答えが返った。


大きな不安としては自分の血管が90歳年齢であること
狭心症がまだ2本の冠状動脈に3か所残っていることなどを伝えた。


私はプレタールを処方していただいた医師に少なからず恐怖を抱いていた

小さな声で「……K医師がプレタールに見えるんです」

と加えてしまった。


F医師は思わず噴き出した。

これを言わなければ17日にまた検診の予約が入っているのだから

「17日の予約は取り消しですよね?」

「はい、取り消しです」

ほっとした。


3度目の入院の日々にも慣れ、
前回の入院でお世話になったフロアに上がってみた。
丁度私を担当してくれた看護師さんが居て挨拶した。
看護師さん方はお忙しいので礼を延べ早々に立ち去った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする