草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

メインテート2.5mg

2019-02-23 15:49:38 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月6日記録


プレタール錠100mgは5日のうちに体から抜けた。
僅か2錠飲んだだけで3日苦しんだ。
薬の副作用とは恐ろしいものだ。


6日 F医師より新しい降圧剤のメインテート2.5を半錠を処方される。
(降圧効果と心臓の負担が減少し不整脈、狭心症の症状を改善する薬)


プレタール錠が体から抜けると後は肝臓の治療だけになる。
朝と夜の2回ネオファーゲンの注射するためにだけの入院…
薬が体に合うかどうか様子を見ながら処方していく

悪いところといえば食欲が今一つ出ないことと、
フロアを歩くと咳が出て、呼吸がやたら苦しいくらい。
後は病人とは思えない良い笑顔と化粧なんかもして…


夕7時すぎにまた注射
優しい看護師さんが言った

「あれ?液漏れしてるみたいです。痛くないですか?」

「痛くないよ」

「でも、やっぱりこれ液漏れです。膨らんできたもの」

「じゃあ、もう一度やってください」

本人は液漏れしているというのに全然気づかない。
痛みも感じない??? やり直して成功した。


8時50分、夜勤の看護師が入室してきて
「消灯します」と言って部屋の明かりを全部消して出て行った。

黙って出ていかれても…大きく「おやすみなさい」と声をかけた。
「おやすみなさい」と返ってきた。


私の部屋は個室なので自分の良い時間に消灯すれば良いと聞いている。
もう一度明かりをつけるのも気がひけたので小さな明かりだけつけて
しばらくして就寝した。
というより他にすることがなかった。

こうして入院3日目の夜が過ぎていった。

ふうっ、何か退屈。。


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暗い、部屋も心も。

2019-02-23 15:39:05 | 心臓血管外科入院

入院2日目 3月5日

こちらの階は病床数が以前のフロアの何倍もあった。
大部屋も多く、個室も差額ベッド代が3万円以上する部屋もある
私の個室は一番安価な部屋だった。
でも暗い。
晴れても降っても全然判らない8階建の4階だから上も下も見えない。

安心なのは今回は絶対に手術が無いこと。
心にもゆとりが出来て…朝から化粧なんかもした。

朝のスタッフの交代で私の担当看護師さんが計測に見えた。
優しげで動作はてきぱきと機敏。
患者の話を親身になって聞いてくださる。

看護師さんは皆ほんとうに忙しい。
多いときで8人くらいの患者を担当するそうだ。
1日中走り回っている。
なるべく邪魔をしないよう気遣うがときにお喋りをしたくなる。


ネオファーゲンの注射を受けた。
注射後腕が赤くなるのはアルコールに浸した消毒用綿を
そのまま注射痕に貼り付けるからだと思った。

別に痛くも痒くもなく、ただ赤い班ができるだけ。
看護師さんに話して結局アルコール消毒禁止となった。
アレルギー反応だったようだ。

午前中に薬剤師さんが直接話しにきてくださった。

「ドクターと相談しながら投薬していきます」

昨日から薬はストップしている。


F主治医が見え、肝臓の数値は下がってきてはいるものの
まだまだ数値が高いのでこのまま入院加療します
薬は今しばらくは中止し、様子を診てまた新たに投薬を開始します
と言われた。


午前中いくらか脈が落ち着いていたけれど再び脈が速くなった。
安静にしひたすら読書に耽り 夜を迎える
肝臓治療のネオファーゲンの注射後、夜勤の看護師が異常が無いか
心配して声をかけてくれた。


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看護師さんもいろいろ

2019-02-23 15:34:16 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月4日記録


看護師さんたちは夜勤と交代した後必ず挨拶に見える
「担当が代わりました。○○です。宜しくお願いします」と。

夕7時に肝臓の治療薬(多分ネオファーゲンという薬)の
静脈注射を1本打った。

途中 息苦しくなり「ちょっと苦しいんですけど」

と訴えた。

動悸がさらに速くなった。


看護師は慌てて私の脈を測った。

「不整脈かな?」

脈をとって…

「速すぎて判らない」(゜o゜)

そう言って慌てて退室していった。



てっきり医師を呼びに行ったと思って待った。


そのうち動悸の高鳴りも治まった。

看護師さん、どこへ行ったのかな?
いつまで経っても戻ってこない

症状が治まったから…まっ、良いかあ?



1時間半経ってフロアから外の夜景を見ようと部屋を出た。
さっきの看護師さんとフロアで会った。

「だ、大丈夫ですか?」

心配そうに声をかけてくれた。

「大丈夫ですよ、あれから治まったから」

(今ごろそんなことを聞かれても…ネェ
  大事に至らなかったから良かったものの…)

以後 一度もこのナースは私を担当することはなかった。

私は告げ口もしなかったけど…どいうこと???


フロアによって看護師さんもいろいろなのかな??

注射の痕が赤い? どうしたのかな?


駐車の跡に濡れたアルコール綿をつけたままで
かぶれたのでした。

ほ~んと! 看護師さん いろいろだ。


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プレタール錠100mg

2019-02-23 15:22:34 | 心臓血管外科入院

以下 2010年3月初旬 <3度目の入院>記録


その日の夜、つまり3月3日の夜である。
新しく処方された薬「プレタール錠100㎎」と
「グリチロン配合錠」を服用した。

プレタール錠100mgは…血小板の凝集と粘着力を抑制し、
塊や血栓をつくるのを防ぐ……
つまりワーファリンの代用の薬です。

グリチロン配合錠は肝機能障害のための治療薬


薬を内服して脈が早鐘のように拍動し始める。
それでも術後退院直後は脈拍は100を超えることも
しばしばあったので気にしないように就寝した。

娘は体調が悪いらしく愛犬は私の寝床にもぐりこんできた
布団の2/3を愛犬に陣取られ…一層心臓が苦しく感じられた
それでも睡眠導入剤のお陰でなんとか眠れた。

大したことはない。
術後はこんなもん!と自分に言い聞かせた。


朝はまた指示通りプレタール錠を内服した。

夫は私の入退院で家事と病院の往復、
娘の介護(?)から犬の面倒まで…
もうへとへとに疲弊しきっている様子。
昼には必ず2時間くらい眠っていた。


私の脈拍はどんどん速くなり、ついに120を超えるほどになった。
く、苦しい!
耐えられる状態ではない!


さっき寝床に着いたばかりの夫を起こした。
すぐ病院に電話を入れてくれた。

返事がなかなか戻らないので再度電話を入れ救急で病院に向かった。
着の身着のままでタクシーで病院までかけつけた。
いつもの心臓血管外来は通さず救急診察室へ車いすで運ばれた。



心電図を装着し、医師が内診した。
薬剤薬局へ電話を入れプレタール錠の薬効を訊いていた。

「やっぱり、ああそう、はい…」

そんな会話が聞こえた。
(やっぱりプレタール錠の副作用だと思った)

「空蝉さん、この症状はプレタール錠の副作用です」

しばらく間をおいて…

「空蝉さん、この症状は薬が体から抜けるまで続くんですよ」

「……!」

「しかも空蝉さん、あなたの体にはこの薬が必要なんですよ……」

「ぅう…」

それから元の主治医F医師と交代した。


入院した。


入院用具は姉夫婦が車で運んでくれた。
いつも二人の姉に守られて幸せ……(汗)
夫も私も免許を取得していないので…

部屋は空いたばかりの個室に入った。
その部屋はナースセンターが良く見え、廊下の窓だけで
外のロケーションは無かった。
暗い部屋だった。

苦しさは続いて食欲はまったく無かった。

娘と夫のために入院を断っておきながら、
苦しさに負けて入院した。苦笑


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その1週間後

2019-02-23 15:08:08 | 心臓血管外科検査

以下 2010年3月3日記録


入院を断って肝機能障害が治るとも思えず
家族の心の準備も出来たところで
入院覚悟で再診を受けた

案の定肝臓の数値はさらに悪化していた。

採血のほかに肝臓、胆のう、腎臓、膀胱のエコー検査も受けた。
膀胱は尿が溜まっていないから
エコー検査が出来ませんということだった。汗

肝臓の数値は多くが3桁代に達していたが
それほど危険な数値でもないということで
今回は入院を見合わせ帰宅を許された。

どの薬が肝機能障害を起こすのか判らないまま、
また薬が変わった。

解決しないまままた2週間の先送りになった気がした。
しかしながら今回は肝臓の治療薬が出たので少しはましになるか?

いつまで経っても病院と縁が切れない。
もういい加減 厭になった。
なので病気であることを忘れることにした。

……果たして?



今回の血小板凝集を抑制剤は
プレタール錠100mg

と、

肝機能の薬グリチロン配合錠


この時から主治医が変わった。
執刀医はわがまま患者を相手にしたくなかったのかなぁ?
笑笑
ご都合が悪かったのかも?


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入院です! イヤです!

2019-02-23 14:43:30 | 心臓血管外科検査

以下 2010年2月23日記録


相変わらず苦しい呼吸に悩まされながらも時は経過していった。
それでも症状はいくらか落ち着いて
脈拍は80代に下がることが多くなった。

2月23日は1カ月検診だった。

医者に到着してすぐに5つの検査を受けた。

① 採血
② 心電図
③ レントゲン
④ CT(単純)
⑤ エコー

検査が終わってYドクターの診察室の前で待った。
この検診をクリアできれば、後は1年後と聞いていた。

その前に足に関するアンケートに答え、
アドバイスを希望していたのでナースのアドバイスがあった。

私の足には長さ25センチ以上の術痕がある。
(バイパス術の血管を取った)

神経が切れたのか、殆ど感覚の無い部位がある。


足の切断にもなりかねないので血行をよくする
運動などをするようにとの指示でした。
(何だかいつも脅されているような気がした)


それからしばらくしていつもの執刀主治医の診察が始まった。

私は夫の指示で血圧測定、体重測定、脈拍をはかっていた記録を
PCのエクセルに落としていた。
分かりやすいと思ったので印刷していた。
それを医師に渡した。


医師は言った!

こんなことしなくて良いんだ!
あなたは神経質すぎる。
もっとおおらかに生きなさい!

ねえ、空蝉さん、人間死ぬときは死ぬのよ!
一度は死ぬのよ。
良いじゃない!


せっかく助けていただいた命だし…
医師の前で決して口にしてはいけないと思っていた「死」
医師の口から聞いてしまった。
私は思わず笑って頷きました。

私の夫はどうやっても私を管理したい。
しないではいられない40年間だった。
こうなった原因にもこの性癖が絡んでいる。
(先生、神経質なのは夫です!)



「それより肝臓の数値が悪くなってる。
 入院です!!! 
 治療のため2週間を予定します」

にゅ、入院???

「今入院できません。娘が病気になり介護が必要になりました」

「……では、今日は注射を2本打って帰ってください」

そういって、次週の予約を入れた。
自分の予約はいっぱいなので別の医師に予約します。

どの薬が肝臓に影響したか分からないので薬を総入れ替えしますと言われ
ワーファリンとさよならした。


名医で名高いこの医師の指示を拒絶する私も相当であるが…
私の介護と娘の介護でテンパッている夫の気持ちを汲んだ
夫はもう持ちそうにないと思った。

娘の病気はストレス性で自身の体を攻撃する免疫異常の病気である。
未だはっきりとした診断はくだっていない。

娘の病気は私の入院とほぼ同時期に発症した。


これはもう私の人生じゃない気がする

人生にここまでの窮地があるんだ・・・・・


※ 資料を繰ってみると本当に肝臓の数値が全面的に
  ものすごい高い数値でボロボロ。笑える!
  (2019.2.23記)



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退院時処方薬

2019-02-23 14:23:43 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月30日記録


退院時 薬剤師による詳しい説明と注意事項とともに
薬が処方された。

ワーファリン錠1mg
バイアスピリン錠100mg
アーチスト錠10mg
シグマート錠5mg
クレストール錠2.5mg



その他頓服

ソレトン錠80(痛み止め)
プルゼニド錠(便秘薬)

酸化マグネシウム10%
塩酸エフェドリン散1%
(咳止め)


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退院へ

2019-02-23 14:17:10 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月25日記録


どれほど大きな手術であったかを実感することもなく、
苦しみや痛みはあったものの…
概ね のほほんと過ごした術後です。


あれほど老朽化した血管を持つ私でしたが
医師の言葉を素直にとり

「前向きの人は回復が早い」

「食事の進む人は回復が早い」

と……

執刀主治医がにこにことおっしゃいました。

「今日にも退院許可を出して良い数値です。
 今週末にも退院できますよ」


かくして私は術後 1か月の入院予定のところ
術後12日にして退院していったのでありました。

(退院日は1月30日でした)


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続・薬

2019-02-23 12:36:46 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月25日記録


この薬ワーファリンは食事制限が最も難解です。

心臓疾患である私が一日に摂取できる食塩は6グラム、
健常者は10グラム。

一日摂取して良いカロリーは1200キロカロリー。(入院中)
お陰さまで4キロ減となりました。


大変なのが摂取していけない栄養素というのがあって
ビタミンKがワーファリンの作用を壊すところから
これを摂取できません。


絶対駄目な食品は納豆、これは一粒摂取しても
腸内で納豆菌を増殖させていきます。
他にクロレラ、大麦若葉。


少量の摂取であれば良いが大量に摂ってならないのが
緑黄色野菜の全てです。

こんな料理を皆さん作れますか?
私の体で炊事は不可能です。


夫は退院後一所懸命挑戦してくれましたが、
私は早期に止めてもらいました。
家の一切の家事を夫がこなさなければなりません。
初めから無理な話です。

私の食事は専門の業者に治療食の冷凍弁当を頼みました。

家族の料理も夫の負担が大きいのでネットで
コストは高いのですがディナーサービス業者に依頼しました。

結果的に光熱費などを考慮するとこちらの方がコストが低かったです。
これまでわが家のエンゲル係数は異常に高かったです。


こんなとき、娘が力になってほしいところですが、
強度の腱鞘炎と血流の関係か、皿1枚洗えない日が
1年以上続いています。

この類の病気は有効な治療がなく、
仕事を辞めることくらいしか方法はありませんが…
それは生活と生きる意欲を削ぐことにもなり不可能です。
つくづく明日のことは考えたくありません


この当たりから私は現実逃避に向かって走っているような

ひたすら夫が倒れないことだけを祈りながら過ごしていました。

……とこれは、退院後の話です。


※ つい何年か前に新しいワーファリンの研究開発に成功したそうで
  医師がワーファリンを副作用で服用できない私を気の毒がって
  くださったのを覚えています。医療、医薬は日進月歩ですね。
  (2019.2.23記)


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2019-02-23 12:30:08 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月25日記録


ワーファリン①

虚血性心疾患や冠動脈形成術後にワーファリンという薬を
服用しなければならない。
(他の心臓疾患にも使用される)
血栓の形成を防ぎ、狭心症や心筋梗塞の再発を予防する。


私の体験した病気は主に高齢者の年齢層に多い病気なので、
皆さまのお近くの知り合いにもなじみの薬で、
お聞きになった方も多いかもしれませんね。


ワーファリンという薬は血液をさらさらにする薬といえば解りやすいでしょう。

つまり一旦出血すればなかなか血液が凝固せず、
血が止まりにくい副作用が起こります。


日常生活において、怪我をするな!というのが第一義となります。
自転車に乗って、ぶつかられないように!

※ 余談──私は昨年同年齢の女性にぶつかってこられた体験を持ちます。
  事故はこちらに落ち度がなくてもやってきますね。

事故を起こして出血すれば、失血死が待っているというわけです。
ワーファリンを飲まなければ心筋梗塞の突然死が待っています。

突然死といっても、20分間、のたうちまわる程の激烈な痛みが襲います。


以前と同じ生活習慣に戻れば、あっという間に血管は詰まります。
とは医師の言葉。

動脈瘤も、狭心症も何度も再発する病気のようです。
病棟には出戻りさんが多くいました。
自分の近未来の姿を見るようであまり嬉しくはありませんでした。


だから患者さんとはあまり話さないようにしていました。

今思うともっとお近づきになっておけば良かった。
友の会(患者の会)を発足したいくらい
不安な日々を過ごすことになります。


特に狭心症を起こす冠動脈の狭窄箇所の手術を
残している私には大きな翳りとなります。

失血死か心筋梗塞による突然死か? 
二者択一を求められているかのようです。


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