草庵の記

弓部大動脈、腹部大動脈、腸骨動脈、冠動脈にステント11本。
私の体はサイボーグ

ご縁

2019-02-23 12:26:16 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月24日記録


最上階にリハビリセンターがある。
午後の小一時間を自分に汲まれたカリキュラムをこなす。
準備体操を終えると15分の自転車こぎ。

呼吸がまだ整わないが自転車こぎをすると体がいくらか軽くなる。

その他にも時間があれば自分でフロアを行ったり来たりの運動をしていた。
そのときどこかで見たことのある人物に出会った。
城の見えるテラスのドア付近で出会った。

1回目の入院で城を見て運命のいたずらを笑いあった初老の紳士だった。

同年輩くらいだろう。
話すうちにその方が同じ日の手術で単独ICUで隣り合わせたことが分かった。

ただ、私は手術日については話さなかったのでその紳士は何も知らない。
他県からこちらの病院を紹介されて入院加療されているようだった。

正月前に一時自宅に帰ったと話されていた。
私は正月は病院で過ごした。

その紳士も私と同じバストバンドを装着していた。
同じ病気かもしれない。
以後一度フロアで見たときはお元気そうに見えた。

う、羨ましい。。私、苦しい


一期一会のご縁だった。


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手術痕

2019-02-23 12:21:08 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月23日記録


この日病院で64才の誕生日を迎えました。
バースデイカードとかぼちゃプリンが
病院からのプレゼントでした。

さて、回復し心にもゆとりが生まれました。
私の体には針で突いたような紫斑から大きな青あざ、
赤いあざ、隆起した血管等々…
傷だらけです。手術の大きさを物語っていました。


そして手術による大きな切り傷が何か所かあります。
まずは開胸手術で首下より心臓のあたりまで縦に1本、
その下にドレンなどの管の孔が数個、

鎖骨近くに分散送血のための傷、
脚の付け根の動脈に1個あるはずの傷が2個ありました???
そしてバイパス用の左脹脛の静脈抽出のための20センチほどの傷。

傷の数が1か所多いのです。
足の付け根の動脈の切り口は1か所と聞いていたのです。


右が駄目で左?
あるいは3分割送血でもしたのだろうか???


思い込みと決めつけの激しい私は一人そんなことを思ったのでした。
自分の命がいかに危険に晒されていたか、改めて驚かされたのです。
そしてこの命を助けていただいたことに感謝したのでした。


主治医に謝辞を述べ伺うと事実、右が駄目で
左の動脈に切り替えたようでした。


私の血管年齢は90歳。余命幾ばくも無いかもしれません。
それはそれで苦労が減って良いのかもしれないなどと思ってみました。


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眠れない

2019-02-23 12:07:45 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月22日記録


しばらくの間、抗生物質の点滴やらお腹に注射など
多くの治療を受けていた。
口の中はほぼエタノールの味がし(?)、
体はエタノール漬けのような気分でした。

というのは私の思い込みで生理食塩水の味なのかも?


夜は眠れない日が続いた。
眠れないことを良いことに?
本ばかり読みあさっていた。

ベッドに仰臥すると呼吸が苦しい。
ソファ状の角度にお越し座った状態にしていた。

眠るときも座ったまま眠った。
仰臥位では肺に水が溜まって息苦しくて眠れないようだ。

(何年も後に分かったがこの頃肺炎を起こしていたらしい。
 レントゲンにその影が映っていた)

30、40分するとすぐ目覚める。
持参した睡眠薬は既に役立たたずに思え、
もっと強い薬に変えてもらいたいと考えた。


翌日医師に依頼し病院の薬を処方してもらった。

さあ、5時間は眠れるかしらん?

目覚めたのは30分後だった。驚愕だった。



理解納得した。

不眠は薬のせいではなく、自分自身の体が大きな手術によるショック、
そして人工血管がまだ体に馴染まないことで眠れないのだろう。(多分)

ならば、30分、40分を繋ぎ合わせて合わせて
5時間でも6時間でも眠れれば良い!
そう思って気持ちをおおらかにした。

私はここに本を読みに来たのではない!

治療に来たのだから。。。

以後病院で本を読むのを止めた。


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快方に向けて

2019-02-23 11:23:18 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月21日記録


1月21日午前に尿道の管が外れ、午後からドレンが外された

ドレンとは心臓のまわりに溜まった血などを抜くための管(みぞおち辺り)のことです。

尿道の管が外れてトイレに自力で行くが、最初はポータブルトイレを使用するよう指示された。
どうしても室内トイレを使いたいので2度の使用で室内トイレを許可された。

折角トイレを許可されたにも関わらず、不覚にも体の自由を奪われるような激しい眩暈に襲われた。
一度体が回りながら、それでもかなりうまく着地というか座位を保って座り込んだ。

後で看護師さんに眩暈の話をすると
「すぐナースコールをしていただかないと!
 怪我をしたら大変なときなんですから!!!」

「……」

室内トイレは使用禁止となった。(その日のうちにまた許可された)


ドレンが外されたころから胸の痛み(手術痕)が襲ってきた。

このころからだんだん体調が悪くなっていった。

リハビリを続けて頑張っていたが、点滴を終了したころより、
点滴液が薬に変わりさらに状態が悪くなり、
ほとんどリハビリが苦痛になった。


「頑張り屋さん」を返上してあまり動かなくなった。
が、食欲があっても無くても食事はできるだけ気合を入れて完食するように心がけた。


その後数値はメキメキ快方に向かっている。


回復力の源は前向き思考で落ち込まず、食事はしっかり食べること!

そして、あの大勢の若く懸命に、献身的に笑顔で看護を続ける
看護師さんの美しい姿と声に励まされること。


リハビリの理学療法士さんが見え、早速歩く練習が始まった。
ふらつきながらも療法士さんの助けを受け歩けた。
体を動かせることが早期快癒につながるそうだ。


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臨死体験は?

2019-02-23 10:58:39 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月21日記録


残念ながら臨死体験はありませんでした。

麻酔がかかり始めてからの記憶は全くありません。
もし、あのまま黄泉の国に旅立っていたら
恐らく自分が死んだことさえ判らなかったのではないでしょうか。

かつて立花隆さんの「臨死体験」に関する本を読んだことがあります。

心肺停止状態になると多くの人がその体験をするとか!?
脳にプログラミングがなされているとか?
既に記憶が曖昧ですが……(汗)

しかも私の場合は人工的に呼吸をし
人工的に心臓が動いている状態を作ってあるのですから…
臨死体験の機能は働かなかったようですね。
麻酔が効いて深い眠りの中にありましたし…

ということで、臨死体験も、当然超能力も何~んにも!
心肺停止状態を体験すると超能力が生まれるとかないとか…笑



術後幾日過ぎたころでしょうか?
麻酔やモルヒネの影響なのか?しばらく視力に影響があり、
目に写る画像の彩度、明度がパパッと瞬間に替わる現象が起こりました。
(急に明るくなったり暗くなったり、色がかわったり)

このうっとうしい症状は結構長く続きました。


術後1週間くらいして淡いブルーのオーロラを見ました。

その次の日は甲虫を5匹見ました。
全身麻酔を受けた人の多くがこういった幻覚を見るようです。

楽しかったです🎵


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看護師さんのお仕事

2019-02-23 10:52:31 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月21日記録


まさか自分が入院患者になろうとは思ってもみなかったのですが
亡き母が入退院を繰り返していたころから病院を何度か体験しました。

その都度思うのが看護師さんの仕事には
いつも感謝と尊敬の念で思わず知らず頭を垂れてしまいます。

治療は当然のことながら、汚物処理から入浴、洗髪、清拭、足浴から
頭の先から足の先までイヤな顔一つ見せず病人の世話をする。

私にはその姿に後光が差しているように見えました。
実際に自分が患者になればなおさら感謝と申し訳なさが募ります。


私の入院した病院では男性看護師さんを多く導入していて
男女の異なる視点からの看護に加え、それぞれの不足を補い
いっそうの活気と活性化が見られ、躍動感溢れる看護を感じました。


ローテーションはよく判りませんが、週休2日とはいうものの、
夜勤の次の日また顔を見るというハードスケジュールで
体を壊さないかと心配になってしまいます。


忙しい仕事をこなす看護師さんたちを私はうっとりと見ていました。
忙しい中でも優しい声をかけてくれる一人のナース…。

気管支に人工呼吸器を装着した影響で誤嚥をすることが多くなる。
咳をするにはあまりに痛みが激しく誤嚥した水やお茶を出しきれない幾日かが続く。
(何年か後に分ったのですが、このとき軽い肺炎を起こしていたようです)

誰に相談してもこの症状は仕方ない症状のようで
そのままフュイーン、フュイーンとすごい雑音が鳴る

見るに見かねたS看護師さんが苦しそうですね、吸引しましょうか?
吸引器を持ち運んでかけてくれた。

そういえば、その前は幾日もおつうじが無いとき、S看護師さんが
人の体温より若干温かめの湯たんぽのような腹巻を持ってきていただいた。


また私の隣室の老人の患者がリハビリ途中で奥さんを
怒鳴りつける姿を見て私は顔が歪んだ

「何もあんなに怒らなくたってねぇ、奥さんは何一つ悪くないのに…」

「ああ、あの方ね、苦しいんですよ。体が思うようにゆかなくてね…」

私は64歳、彼女は看護師歴2年。

歳を重ねれば人や人生が判るというものではない。
患者を見る彼女の造詣は深いなあと感動したものです。

私は彼女の優しさ、温かさに心癒されてゆく思いだった。
話していると彼女の夢は大きい。
きっと彼女なら何年かのちに夢をその手につかむことが出来ることでしょう。

あの彼女、彼らの顔を私は今も覚えている。


支える人、支えられる人…
支えられる私は幸せでした。

病院スタッフの皆さま ありがとうございました。


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病室へ

2019-02-23 10:42:01 | 心臓血管外科手術

以下 2010年1月20日記録


午前11時に一般病棟に戻る。


私の体には手術の影響で浮腫が来ていて体重も半端ない
こんな重い体を移動させるには4人のナースで足りないくらい(?)

……ゴメンネ


病棟に戻ったのは良いけれど、
何一つ自分の手で必要な用具を取ることができない。

午後早速体重測定で看護師さんたちに体を支えられながら測定機に立った。

20、21日と夫が泊まりで介護にあたってくれた。

もう、超便利に「アレ取って、コレ取って」
すごくありがたく感謝の嵐でした。
感謝状を渡したい心境でした。


まだ自由が全くきかない体なので手足を動かすよう指示を受ける。

「動かないと血栓を起こし、褥(床ずれ)ができますよ!」

腰に当てるよう特殊なクッションをいただいた。



食欲は全く無かったが横の夫が「食え、食え」とうるさい。

「食べる人は回復が早いとドクターが言ってたじゃないか!」と。

無理してほとんど食べさせられた。

が、吐き気を催してしまった。


看護師さんの話では…

「全部食べたの? 今は腸が活動してないから食べなくて良かったのに!」

夫は仕切り魔なのです。

う、う、う。
オエ~ッ。


壁に「手足を動かすこと」と貼り紙をして夫は一旦帰宅していった。


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