散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

石川酒造

2018-09-07 09:53:47 | 日記

久しぶりに朝の8時30分からの散歩である。やっと秋の涼しい風が吹いており、散歩には

最適の日である。先日に見落とした石川酒造を水鳥公園まで行った帰りに寄ってみた。昨日の

写真の2本の杉は夫婦杉と称し、樹齢400年であると、園内の掃除をしている人が教えてくれた。

その奥にまだ1本の大きな杉があったが、これは樹齢700年とのこと。そばをながれている熊川分水

の水は、お酒の水として使われているかとおもっていたが、実際は、井戸の水を使用しているとのこと。

熊川分水の水は、当初から農家の飲す水と水田の水としてす使用したらしい。


強風対策はいかに

2018-09-06 09:25:14 | 日記

台風21号が猛威を振るい日本海へぬけたと思ったら今度は北海道での大地震

が発生、日本はどうしてこんなに自然災害がおおくなってきたのでしょうか。

温暖化と地震は関係ないと思うが。それにしても、先日の大阪を襲った

強風には驚きました。多分風速は50m以上であたかとおもいます。駐車場に置いてあった

車がまるでマリのように転がって行く様子をテレビでみました。数十台の車が使えない

ほどの被害をうけていたようです。また、ある強風の中、高速道路を走っている車が

あることにおどろいた。高速道路の端げたにぶつかつて、今にも落ちそうななっている

トラックなど、どうして、高速道路を閉鎖しなかったかと疑問におもった。

やはり、台風りのスピードの方が速く、閉鎖が間に合わなかったのではないかと思う。

しかし、今後、このような、想定外のことも考えて、船が台風のくる前に、安全な場所に

移動するように、車も駐車するには、安全な場所に移動することが必要な時代になってきた

と思う。特に、大きな駐車場で、風よけがない場所はダメだ。

ついでに、写真は、昨日行った石川酒造に植えられていた大きな杉で、樹齢何年か調べる

のを忘れて来た。その内に報告したい。


石川酒造・多摩自慢

2018-09-05 10:17:12 | 日記

台風21号の強風が猛威を振るったが、今朝は、打って変わって晴天になった。久しぶり

に早朝から、下流の多摩川の睦橋の近くにある石川酒造を見学した。近くにはあるが余り詳細

には見学していなかったので写真を幾枚もとってきた。その一枚が、ごらんの園内を現在も

流れている熊川分水であり、先日、公民館で講演を聞いてて来た川で゛ある。石川酒造は、明治の

初めごろに、この熊川分水を引く工事の中心の人で、一代をなしている福生の富豪であり、大な

屋敷を構え、園内では、地ビールも飲める公園もあり、観光のひと役をになっている。この多摩自慢

の酒以外の多方面にわたり、近代的な試みを戦後実施来ており、拝島駅では、この場所まで案内する

ことの大きな広告板が目を引く。

福生市には、この石川酒造より江戸時代に造られた古い兄貴分の田村酒造があるが、この田村酒造は

昨年、天皇陛下と皇后陛下が見学なされた歴史のある酒屋で、嘉泉の名でしられているのは、有名だ。

この田村酒造も、東京の玉川上水を引くことに当初から関係しており、福生におけるもっとも名前を

知られた富豪であり、この2人が代表的な福生の企業になっている。この酒造りが、福生に出現したのは

近くにおいしい米と多摩川の豊富な水があったからと思う。

 


多摩川の水の歴史

2018-09-02 09:33:57 | 日記

長年住み着いているとこの場所が昔はどうであったのかを知りたくなるのは、歳のせいか。

福生市の案内チラシで、熊川分水に親しむ講座があると言うことを知り、近くの白梅公民館へ

足を運んだ。東京では、玉川上水が有名であるが、江戸時代に徳川の時代にひかれたのは知られている

が、江戸の末期には、米の増産のために、開拓が進み、82か所の新田ができ、多摩地区には、82カ村が

出現したとのこと。このことで、今までの玉川の水では不足するため、帰流と言う複数の分水を結んで戻す

工事を田村酒造が資金を出して行った。慶応3年にはこの玉川上水を筏船が一時期運行するようになったが

水位の低下で取り止めとなったこともあった。戊申戦争の後、明治になり、現在の羽村市、福生市の地区

には、開拓で水が不足してきた対策として、石川酒造が中心となり、熊川分水の工事が進められた。

このころは、神奈川県第十二大区六小区と称し、福生、熊川、川崎、五ノ神、羽村、の五村で、その後

明治20年に各村への分水が完成している。一方、水道行政の中に圧倒的な力のあった砂川源五右衛門

は深大寺分水から引き込んだ富沢の砂川分水を買い取り、その一部を熊川が熊川分水として買い取っている。

このように多摩地区の農家の田んぼの水や工場で使われる水車の動力の水は、貴重なもので、役人だけではなく

その地区の有力者と住民によって完成された、各地の分水工事のおかげであることがこの講座で理解

できた。しかし、戦後になって、奥多摩の小河内ダムが完成し、そのおかげで、このような水の争いも、

なくり、東京は世界に誇れる水の都市として知られるようになっているのは、このような歴史を経ての

事だと思った。