Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

一輪の梅の花

2012-11-25 23:29:17 | 日々のつぶやき

この連休の間、墓参りに帰ったり、高齢の親の様子を見に来たりした友人が日替わりでやって来てお喋りを楽しんだと言うよりも、年齢的な事もありそれぞれ問題を抱えている。年齢的なものかもしれないと思う。

一生終えるまですんなりとは行かないという事か。そうでないと単調でお気楽なままであれば、単調に繰り返す日常の日々に感謝をする事も無いであろう。

そんな事もあり、書くのが遅れてしまった。

大阪から帰宅した夜、ノワタリさんから電話があった。

「今朝、ご神前で祈ってたら、紅い梅の花が一輪現れたんです~。」と、ちょっと興奮されて話される。

以前読んだ事があったが、梅の花の事は忘れていた。

「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。...今は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ。...是では、世はたちいていかんから、神が表に現れて、三千世界の立替へ立て直しをいたすぞよ。用意をなされよ。この世はさっぱり、新つの世に替えてしまうぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。...天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮の金神が現れて、世の立替を致すぞよ。」

 出口なおさんが節分にだされた「初発の神勅」より

それを暗示する梅の花だと言われた。

この所のノワタリさんの受け取られた言葉と言い、そう遠くないであろうと感じた。

「泉神社へ行けるかしらね?12月から1月危ないわね。」と言われる。

今まで地球規模の大地や極の移動が幾度か起きたというが、今回もそのようになるのだろうか?

天変地異の序章のような事が起きている記事をよく見るが、日月神事の中にも「一握りの米に泣くとか、青いものなら何でも口にしないといけない時が来る」とか書いてあったが原発は停まっていても、大きな地震が来れば一溜りも無いであろうと思うが...。

毎朝、室内でセイジの葉を焚くと、まっすぐに煙が泉神社の卍の写真の所に吸い込まれるように行くそうである。

「そうやって浄化してるのね。」と言われた。

そんな話をしていて普通の会話ならなんとも無いが、核心に触れるような話になると、私の部屋の電話が急に大きなガガーと言う雑音がして使い物にならなくなった。

「すごい寒気よ。また妨害が始まったわね。」と言われた。収まっていたラップ音も天井だけでなく壁からもバキ!という音が毎晩この所する。

何の能力も無い私など脅してもしょうがないのにと思うが...、

今日ユキちゃんが来て、白鳥神社の境内で写した写真に彼女の腕が消えていた。あれ以来その消えてる部分の腕が痛いそうである。いずれ何処かに呼ばれるのだろうと二人で話した。

そう言う事で慌ただしくなって来たが、それも気持ちだけかもしれない。

 


見納め?

2012-11-21 22:58:05 | 日々のつぶやき

昨日 商用で大阪に出かけた。

始発のなので、6時には出ないといけない。そんな時に限って寝付けない。

そんな事もあり、真夜中にノワタリさんと話していて大阪の話をしていると、水掛不動さんが気になった。それを伝えると、

「待っておられますよ。」と言われ、そのまま会話を続けていると、

「ちょっと待って」と会話をさえぎった。

「見納め…って言ってるわよ。」と私に伝えられた。

「えっ!!、見納め…、来年4月か5月にまた出かける予定なんだけど…そんな~」と突然の事に驚いた。

「でも、高松の友人達と1月に会った時も、『最後の別れ』と言われたけど、本当にそうなってしまったわ。すぐにでも又集まるからと言いながら、出来ず、引田の件で怒らせ、拒絶されたから、もう会う事は無いわね。」

大阪に何か起きるか?私の方に何か起きるかは分からない。でも、本当起きるのは間違いないだろう。

引田と言う地名を出すと、ノワタリさんは「其処は落ち着いたみたいね。」と言われた。

そんな言葉が気にしながら、出かけた。

いつも大阪は通過点で、街の中を歩くのは久しぶりだった。中百舌鳥古墳群を周った時、天王寺から新大阪へ出た時以来で車窓の風景は残っていない。バスで大阪市内を走っていると、中ノ島の会堂の周りの街路樹が色づいていて赤レンガが映えて綺麗に見えた。

難波でバスを降り日本橋の方に出かけたが、15年以上行ってなく、シャッターが下りていたり、マンションが建っていたりして昔の面影は無く寂しい事になっていた。

ノワタリさんともよく話すが私達は良い時代を過ごして来た。今は冠婚葬祭も地味になり、表を歩いている人の姿もくだけてズボン姿が多く、鮮やかな色彩の衣服の姿を見る事も少ない。

思いのほか仕事が早く終わったので、水掛不動産をお参りした。

裏参道の方から細い横丁に入っていくと、観光客らしい若い女の子二人連れが写真を撮り合っていた。

お線香とローソクを買い、苔だらけのお不動さんに水を掛け、御真言と般若心経をあげ此処も最後なのかしらと思いながらお参りした。他にもボツボツと参拝者が途切れない。

丁度横にある夫婦善哉の店に入った。メニューはこれだけで温かいか冷たいだけである。おまけにこれで800円、田舎者の私からするとちょっとお高いのではと思うが、観光客相手で大阪と言う事で成り立つのかな…。

食い気が先走っているので1杯食べた所で気づいて写したが、独り者の私にはこれの方が良かったかもと思う。、「縁結び」と宣伝文句が載っていたが、店内には関係なさそうな70歳代の男性一人、そして60歳代の女性一人がいたが、やっとガイドブックを持った中国人の若い二人連れが入って来て仲良く1杯づつ分け合っていた。

その後、デパートに行ってウインドショッピングをして、表の人の姿と大きく離れた高価でおしゃれな鮮やかなオレンジ色のコートが目に付いて見ていると、声を掛けられた。

お値段を尋ねると、「22万です。」と言われ、買う気も無かったので

「予算が足らないわね…」と言って離れたが、余り建物の中に入ると酸欠になったようで辛く、外に出て大きく深呼吸をして、久しぶりに服地屋さんによりプルオーバーとスカート生地を買って空港までバスに乗って出た。

隣になった出雲少し年上の女性の荷物を預かった事からずっと到着するまで話したので速く着いた。出雲空港は出雲縁結び空港と言うそうである。それの方がインパクトがあり耳に残るかな。

そこに住んでいる子供さんの所へ行くそうだが、「食べ物も美味しく、人が親切でゆったりしていて良い所。」と、嬉しそうに言われていた。

帰りのは乗るのに外へ出たと思ったら、珍しくとても小さなプロペラ機で不安になる。それでも乗客は少なくガラガラだったのでB席だったが窓際の席を勧められ、眼下の夜景を楽しんだが、ブゥ~ン、ブゥ~ンと言う鈍い音が耳についた。プロペラ機も10年以上乗った事は無かったが、18時発は慢性的に利用者が少ないということなのかな。

小豆島上空に来た時、大阪を離れて真っ暗だったのが下の明かりが見え出した。

岡山側から四国を見る。高松、宇多津、瀬戸大橋が細いオレンジ色に輝き暗闇の中に浮き出ていた。本当に道路は動脈の筋のように車の流れが血流のように動き、四国は岡山側に比べると暗く寂しい。そう言えば、今年は、よく香川へ行った。その一つ一つを思い浮かんた。

其処からすぐに降下して行き、先程より大きくしまなみが見えて来たと思ったら、もう松山。

空港の明かりが下に見えたがは大きく西に旋回してまた暗闇になってしまった。視界が明るくなった時は空港近くになっていた。大阪松山間なんて飛んでいる時間は短いが、プロペラ機なのでジェット機よりも高度が低いようで眼下の景色を楽しむ事ができたが、これも見納めなのでこういう風に見せてくれたのかとも思う。

 

 

 


すべて整った?

2012-11-19 17:14:54 | 日々のつぶやき

先日来年1月に日立市の泉神社へお参りする予定が入った事を書いた。始めは妹の上京するのに便乗してノワタリさん宅にお邪魔しようと思っていたくらいだったのが、「ダビデの星と卍が現れて...」との連絡。

ノワタリさんのお部屋に張っていた数枚の写真を少し前に全部かたずけていた。

が、また張るようにとのメッセージが入った。その時「愛」と言う文字も張ったそうである。

その後、8年くらい前に行った泉神社の池の写真4枚(4分割)を張ると真ん中に白い卍のマークが現れ、その中から外人の男性の姿が見えたそうである。

そして張り終えると、今度はダビデの星を一緒に張るようにとのメセージ。

卍といえば、地図のお寺の記号、ダビデの星といえば、ユダヤと言う事くらいしか知らなかったが、調べてみるととても深い意味を持っていて驚いた。

ダビデの星はあるいはソロモンの封印とも呼ばれる、正三角形と逆三角形を重ね合わせた模様。「霊体と肉体の結合」「火と水の結合」などを象徴し、強力な護符としての機能を持つとされている。そして男女の和合など…と書いてあった。

六芒星http://www.ann.hi-ho.ne.jp/uechi/hexagram/

まるで、イザナギ、イザナミの命の神話と同じように感じる。

そして卍は仏教やヒンズー教で用いられ、「吉祥の印」という意味があり、おめでたいシンボルとある。昔東大寺の大仏様が建立された時、胸に卍の印があったそうである。

その二つが合わさったのが下のもの

無限の象徴とある

世界の不思議&謎解き辞典『東大寺~よみがえる仏の大宇宙』よりhttp://fushigi.at.webry.info/200705/article_1.html

上記の記載された物を送ると、とても驚かれていた。

泉神社の池の写真と神社の写真をに送っていただいたが、それをSDカードに移し載せようとしたが、幾らしてもカードに入っていない。仕方ないので今度はのgmailにメールを転送しても入ってない。違うアドレスに替え、また送付したが出来ない。多分、見せられないのだろうと残念ながら諦めた。

日曜の朝、そんな話を二人で話していて、写真とそれぞれのマークを張り終えた時、

「すべて整った。」との言葉が出たそうである。本当に出揃ったと思う。

日立市に行く事を聞いたときから、今、一番ゆれている地域がら地震が気になった。

カナダ、ガテマラ、ミャンマー、千島列島とだんだん近くなっているような気がする。

そう話していると、「其処が中心」との言葉…

泉神社の池が中心で何かが起きるのか?

黄泉比良坂の話に関連しているのでそこへ行くのだろうと思っていたが、また何か現れてくるのかな?まぁ~、行けばわかるであろう。

篠山の池、泉神社の池これらの霊泉は繋がっているみたいである。

世界中自然災害は多発しているし、ヨーロッパのあちこちでデモやゼネストが起き、中東も不穏、そしてこの国も混沌としている状態、大きな浄化作用が始まるのだろうか?

先の篠山から変わって来たのかと思ったら、ノワタリさんは、

「一旦終わったみたいだけど、鞍馬から変わりましたね。」と言われた。

ダビデの星と卍が揃った所でスタンバイOK。何がOKなのか?やはり浄化だろうか。


あ~ら不思議!

2012-11-17 21:22:01 | 日々のつぶやき

篠山へ行く前の5日間、身体の総入れ替えと言う事で苦しんだが、一体どう変わったのかという実感は無かった。

霊性が進化するとかということも無く、その後の1週間は毎晩早く寝て、夜中に起きるというような日々を過ごしていた。

10日の金曜の夕方、目薬が切れても2ヶ月間ほっといていた眼科に行くと、とても信じれないような結果だった。

昨年からドライアイで眼科に掛かっていたが、神経が弱いという事もあり緑内障の疑いありといわれ、5月に視野の検査を受けた。

右目もそうだが、左目は検査器のモグラタタキゲームのようなピコピコと言う音は聞こえても、まったく光が見えないので、音がするたびスイッチを押した。しかし、視線が動いてないので当然検査は失敗でもう一度次回やり直しと言うことになっていた。

7月にコンタクトを作る事とかねて行ったが、込み合っていて検査は9月に延びた。

忙しい事もありそのままになって2ヶ月間、目薬も切れたままだった。半分緑内障と断言される事を恐れていたと思う。

目薬を点しても進行が止まるぐらいで直る事は無い。

2ヶ月間目薬も点さず、ずっとほっといたにもかかわらず、とても良い結果が出た。

7月の視力検査で、以前より視力UPしていてマイナス1度くらいゆるくなっていたが、加齢のためだろうと思っていた。

しかし、今回視力は0,04から0.07になっていたのが0.15まであがり、検査表の1番上が見えたのは35年ぶりで感激した。これは加齢のせいではないだろうと思う。

その後の視界検査もピコピコという音と同時に光も見え、ついていく事が出来、緑内障の疑いは消え、「正常」の言葉をもらい、目薬の処方箋は出ず、薬局の人が

「朝の目薬は要らないんですか?」と、聞いてきたので不要になったことを伝えると、不思議そうな顔をされた。以前は気の毒にと思われたらしく、「まだ初期ですから…。」と何度も慰められたが…

自分でも不思議でたまらない。身体の細胞一つ一つが入れ替わったのかな?

その事をノワタリさんに伝えると、

「神様のご褒美ですよ。良い知らせが聞けて嬉しいです。」と言われ、一緒に喜んでくださった。

知り合った年にもこれによく似た事があった。

夏の疲れが出たのか盆明けの8月16日の朝、喉の異常に気づき鏡を見ると首の両側にぽっこりと3センチほどの瘤のようなものができていた。唾を飲んでも引っかかる。すぐに近くの病院に駆け込むと「甲状腺腫瘍」と言われ、隣町の専門医への紹介状をもらった。

其処で、良性であるが切除するかどうかは他の医者と相談するので 半月後に来院するように言われた。

その間、毎朝起床するとすぐに30分ほど瞑想して鼻からの複式呼吸をしていると、10日ほどで消えた。

実際は全く消えたのでなく、とても小さくなり見えなくなったのだが、

「こんな事もあるけれど、こんなに短期間にあるとは珍しい。」と言われ、有り難い事にそれ以来何も無い。

これまでこの旅の普通で無い魅力に引き込まれ続けて来たという事もあるが、全く迷いが無かったといえば、嘘になる。

私達は自腹で旅を続けているので結構1年間の負担も大きいと思うが、私もノワタリさんも計算した事は無い。

しかし、それに使わなかったら、多分違う形で出て行ったであろう。そうして精神的にもギスギスしていただろうと思うが、ノワタリさんのような能力が有る訳でもなく、プラスに対しての感覚が取り立てて優れている訳でも無く、ただ負に対して敏感なだけで年中拾って苦しんでいるだけなので、落ち込む事もあった。

多分、今の環境をマイナスからプラスにといかないまでも負を消してしまう事と、今回の人生がそれまでの総決算であるから厳しいものだと思い割り切っていたが、今回こういう事が起きて本当にありがたく、神の力という物を切に実感した。

高齢の両親が元気で自立しているのも守られているからであり、元気でいるから、旅にも出れる。

本当に感謝であると思う。

 

 


月山神社

2012-11-15 23:50:13 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

昨夜の興奮も冷め遣らぬまま、次の目的地の月山神社へ出発。この神社は数年前に足摺に行った時にノワタリさん達と一度お参りした事があった。

その前に、以前ユキちゃんのお姉さんがノワタリさんにご縁があり、昨年ご主人を亡くされていたので、そのお宅へ伺った。私に亡くなられたご主人をスポーツマンタイプでがっしりした体型などを言われたが、もう病気になられた姿を一,二度お会いしただけなので、元気な頃を知らないが、後で話しているとまさにその通りだった。

大変中の良いご夫婦だったので、手元から離せずまだ墓地も決めていない事を理由にしてで仏壇の前に遺骨が置いてあった。

開口一番、ノワタリさんは

「あなたが、手放したくないのでしょ。」と言われた。遺骨にエネルギーを流した後、

「早くお墓を作って、落ち着かせてあげてください。いつでもあなたのそばに居られますよ。」と、優しく言われ、具体的に墓地を造る段取りを指導された。

その後、一旦太平洋を見て海沿いの集落から遍路道を山に上がり月山神社に着いた。

役小角[えんのおづぬ]がこの山で月影の霊石を発見し、この霊石をご神体として月夜見命・倉稲魂命を祀ったのがはじまりといわれ、その後弘法大師もこの神社で23日間、月待ちの行を修したといわれ,月山の名はこの神社の神体が月形の石であり、月夜見命を祀ったことに由来していという。

その間の奥の山側に御神体である三日月形石がある。

みんなで雑草だらけの道を上った。昨日の山道でさぞかし足は重いだろうと思っていたが、誰もそんな事も無く、道の無い所を枝に捕まってあがり、お清めをした後、ノワタリさんが歌われた。

そうしているうちにお5,6人の遍路さんが車でやって来て、私達のしている事を見ていたらしく、下りてみんなで服に付いた泥棒草を取り合っていたら、「えらい丁寧に祈られてましたね。」と、声掛けられた。

大師堂の天井には天井絵があるので中を覗いたが、道も雑草だらけで足場も悪かったが、こちらも蜘蛛の巣がはり、荒れていて常駐の神主が居る所とは思えなかった。

みんなでこの石の周りの雑草を取り除き、お清めした。

しかし、三日月にも見えるけど、どちらかと言えば船に見える。

みんな同じように感じたらしく、「船だよね~。」と

十種大祓の中に「天磐船に乗りて河内の国河上の哮峯に天降座して …」と言う祝詞が浮かんできた。

ノワタリさんは「私これに乗って降りて来たような気がするわ。みんなもそうじゃないかな。恐れ多いかな~。」と言われた。

その後、そのまま遍路道を進み、海辺に出た時、又此処でも施餓鬼供養のようにお清めした後持っている食べ物を海に投げ込み、般若心経や御真言をあげた。

今思えば、其処から山隔てた近くに弁天島があった。

そこから、昔の遍路道で離合も難しいような道を走り国道にでた。これで今回の予定は終了。

同級生のSが、「オツキササヤマ」と言って、月山神社と篠山は一対のような事を言っていたが、昨夜の月のことを思うと神社ではなく、月(月読命)と篠山ではないかと思う。

其処から、松山空港までの復路で道中は長い。途中お昼を鰹の美味しい「ゆらり内海」へ寄ると、満席で少し待ってみんなで海鮮丼と鰹のカツを頂いた。しかし、飽食ぎみで残してしまった。

余談だが鰹のカツはタルタルソースで頂くのだがこれがとても美味しい。家で妹も私も作ってみたが、タタキのように半生にする事ができず、揚げ加減がうまくいかなかった。

高速が大分伸びたので、予定より30分以上早く空港に着き、充分お茶を飲む時間があり、何時また旅があるか分からないが、再会を約束して分かれた。

今回の旅も上に守られ、順調に終わらせて頂いた。病み上がりの体で2日間ずっと無事に運転できた事も感謝である。有難うございました。

こんなにまた、後のたびの予定が入ってくるとはその時も思わなかった。

今回の篠山は黄泉比良坂で別れたイザナギ、イザナミが天と地が繋がるようにまた、一つになり、原点に戻っていくようであるとノワタリさんは言われた。

後行くようになった神社の事を考えても、神話の中の繋がりである。これからの旅を暗示しているみたいである。

ただ、読んでいる人はとうとうおかしくなったかと思われるかもしれないが、体験した者の感想である。