Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

京都の休日?嵯峨野 保津峡

2009-07-30 21:01:58 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

黒木鳥居前で

玉置神社から1ヵ月後、今回はお仕事なしで 京都にゆっくり観光し、美味しい物を食べて楽しむはずだったが、しかし、お仕事なしではすまなかった。後で、思い返しても笑いそうになるおかしな旅だった。

野宮じゅうたん苔野宮神社大山弁財天(野宮神社)

まず最初に、嵯峨野の野宮神社にお参りした。縁結びの神様らしく、修学旅行の生徒達や若い女の子達で、賑あっていた。人が途絶えたとき、ノワタリさんは歌っていた。歌われた後、「斎宮として過される皇女の悲しい思いがあ伝わってくるわ。」と、言ってらした。じゅうたん苔の写真や神輿の写真にうつっているオーブはそれなのかしらと思う。

ノワタリさんの前世の一つは倭姫様の側近の女官であった事や、平安時代の貴族の姫様であった時の話をされた。一緒に行った茨城女性は「私はドレスが好きだから、ヨーロッパの宮廷にいたのよ。あなたは?」と振られた。でも、私にはきれいなドレスも 優雅な着物も 全く浮かばない。ただ、殺伐とした環境で、戦と、陰謀しか浮かばない。後日、分かった事だが、思ったとおりの前世が多かった。

境内の中の大山弁財天をお参りした後、「『本当の場所に来てくれ!』と言ってるわ 。」とノワタリさんが言ったので、社務所に場所を尋ねたら、「行けれないから、こちらにお祀りしているのです。」との事。それでも大山神社という案内書をくれた。

案内書によると、その神社は、大正時代、旧国鉄山陰線(現在のトロッコ列車)の安全運行を祈願して建立された鉄道の守り神と書いてあったが、鉄道の創始者が、脱線転落事故で唯一亡くなられた事から、お祀されたという事である。 

それを見ても、トロッコ列車の沿線としかわからない。大山神社(案内書より)

 私達は タクシーを捜して、嵯峨野の竹林を抜け、トロッコ列車の嵐山駅に行った。そこで 車を呼び、保津峡に向かった。途中、鈴がいると言うので、少々高いがみやげ物店で竹細工の付いた鈴を買い集め、お神酒、水、塩を探して、買ったが、車で待っていると、その付近の店から、邪魔になるとお叱りを受けた。「ほんの2.3分の事なのに嫌みね。頼まれても、30分とおかないのに」ブーブー言っていると、運転手さんが「京都の人は嫌みな人が多いんです。」と、地方の人らしくそう言った。

曲がりくねった50号線を進み、山へ上がる脇道を探したが、行き過ぎて、JR保津峡まで行ってしまい。もう一度、案内書を見ながら探した。人の良い運転手さんは、車を置いて、一緒になって探してくれた。

あちら、こちらと30分くらい探したが判らない。また、今回も、お昼を食べ損ね、山道を行ったりきたりした。

トロッコ列車の保津峡駅近くの店やの軒先で、将棋を指しているおじさんたちがいたので、お聞きすると、「あ~、それならみぃ様神社の事だ。」と言われたので、案内してもらうよう頼んだところ、「トロッコ列車の軌道を通らないといけれない。」と言われた。ここまで来ているのに諦める訳にいかない。

トロッコ列車の会社にをして、粘り、地元の運行時間を熟知した人と行く事と、事故があっても、自己責任にいたしますからと言って、しぶしぶ許可を貰った。(決して、真似はしないでください。このおじさん方がいなければ、これは出来ないと思う。)これは神様の計らいでしょう。

私達3人と運転手さんと、おじさん2人の計6人で、列車の通過を待ち、軌道に下りた。こんな事初めてすぐ、トンネルになり、真っ暗で明かりもなく、列車が来ても避ける所もほとんどなかく、危ないな!と思い、急いで出口に向かって走った。

トンネルを抜けると、今度は 鉄橋だった。この日は桂川は前日の雨で、増水しており、保津峡下りの船は運休しているみたいだった。しばらく歩くと、軌道の山側にその神社はポツンと寂しそうに佇んでいた。

おじさん達の話によると、列車の軌道を作るときに、木々の伐採だけでなく、殺生をしたらしい。それも、多くの蛇を殺したので、巳様神社なのだ。

「これじゃあ、誰も来ないわね。」と、私達は口を揃えて言ったあとみんなで手分けしてお清めして、鈴を鳴らしながら、周囲にまいた。祝詞を読んだり、御真言を唱えている間、ノワタリさんは歌い、歌が明るくなってご挨拶をして終わった。その間にも列車が通過した。

鉄橋まで戻ると、少し広い所で おじさん達が「列車が来るので、ここで待つように。」と言われた。

数分後、言うとおり列車が走ってきた。乗客達は不思議そうに見ていた。その後、トンネルの中は余り気持ちが良いものではないので 猛ダッシュで、走っていると、おじさんたちは、「ババ達が、一番元気がいい」と言って笑った。駅に着くと、お礼を言って、お別れした。不思議な経験である。

足元を見ると、靴はドロドロに汚れていた。役目を果たすと、急にお腹がすき、運手手さんに嵯峨野のお蕎麦屋さんに案内してもらい、遅い昼食で、4時になっていた。

その後、瀬戸内寂聴さんの寂庵に行き、外から見学した。庵とは名ばかりで、閑静な場所にある立派な広い敷地の屋敷だった。

スーパー銭湯で、汗を流し、8時頃になって、やっと夕食のミニ懐石料理を頂いた。ご当地限定の「ほんのりはんなり」と言うビールが甘く優しい味で、美味しかった。

 

 

 


スイミング

2009-07-28 21:46:08 | 霊現象

2003年の7月にノワタリさんと足摺にご一緒した時、スイミングの楽しさをお話したら、お帰りになられてから、すぐにスイミングクラブに申し込まれ、水着を1度に5枚くらい買われたと言う。

しかし。1,2度行かれただけで、直感が鈍ると言う理由で 回りから止められ、辞められたという。それを聞いて、なんと霊能力のある人はお気の毒にと思った。

その時に、海や川など野外は亡くなった人がいるから、泳がないほうがよいと言われ、○○スイミングマラソンなどと言う遠泳に参加するのは止めた。

全くの他人事だと思っていたが、その3年後、友人と一緒に隣町のプールで2000mくらい泳いで、上がろうとした途端、いつもなら、腕だけで上がれるのに 上がれない。仕方なく隅のコースの梯子から上がった。初めての事である。が、上がった途端、とてもだるく、シャワーも使う気もしない。立っている事がとてもつらい。更衣室の椅子にしばらく休んで、身支度をして友人の車に乗って帰宅した。

帰宅しても、起きている事ができず、横になった。そんな時、ノワタリさんから3月の足摺の旅の事で電話があった。

私以外に二人こちらから行く予定だったので、彼女達の負担を軽くする為、途中で合流するほうが良いと考えていたので、ノワタリさんのみんなで車1台でと言う考えと違っていた。ノワタリさんは、「ネコちゃん、変!」と言った。私も「ノワタリさん変!」と言って、話は進まなかった。後で、解ったことだが、私がプールで女の幽霊さんをつけていたのでそう言われたのだった。しかし、旅の事だと勘違いしている私と話が合わなかったのだ。

おまけに私が憑けてるものに影響を受けたのか、一緒に行く女の子がおかしくなって、私達の行き違いを楽しんで、電話の向こうで「あ~、おかしい、ノワタリさんがアー言った。 ネコさんがこー言った。おもしろ~い。きゃっきゃっきゃ」と露骨に笑い かき混ぜだした。(1ヵ月後、旅に出る時、彼女は私に合流場所を勝手に指示してきた。それに従えば、私は間に合わなくなっただろう。)

2,3日後、頭痛がして眠れなくなった私は、真夜中のワタリさんに連絡を取った。

「あのね、変!って言ったのは あなたにモスリンの着物を着た女がニタ~と笑っているのが見えたからよ。」と言い、祓って頂いた。

プールから出た後は、大方の人はスッキリして気持ち良くなってでるが、それは憑けてる物、余計な物、思いを落としているからだと言う。その頃から、プールに入る事は何れ、出来なくなるだろうとうすうす感じていた。なぜか、その頃から、試合前に体の不調を起こしていた。

超敏感体質になりつつあった私は、ノワタリさんに教えていただき、榊の葉を水着の下に入れたり、塩を一つまみ水に入れたり、泳いだ後は、必ず 頭の上から全身お塩で清めながら、光明真言を唱えた。当然、周りは怪訝な顔ををして、シャワー室で私を見ていた。

ノワタリさんは「おまじないを教えたけれど、もうストップが掛かれば、泳げなくするだろう。」と言われていた。

だましだましながら、1年ばかり続けていたが、2007年の7月白山から帰って、9月のマスターズに向けて、練習に力を入れようとしていたら、先日の台風の雨で、事務所の横の植え込みの中の株だけになっている木を除こうとして、足を掛けて 引っこ抜いていた所、根っこが一旦浮き上がって もう少しと言う所で、飛ばされ、右足を水道に掛けていたホースのループに取られ、左手を道路のアスファルトについた。

運のよい事に結構通行量はあるのに、その時 車は通ってなかった。

不思議です。いつも、こんな時は一瞬の事なのに、スローモーションで一生懸命右手でホースを動かし、ループの中から足を出そうとしているのが見えた。

結局、見る見るうちに指先まで紫色に腫れ、左手首の骨折とヒビがいっていた。

ノワタリさんは「神様は、粋ですね。生活に1番支障のないようにされるたわね。」と言われた。確かに、左手なので、車の運転以外は余り生活に支障はなかった。

接骨院に行って、ギブスをせず、添え木にしてしてもらったので、2ヶ月足ずで、包帯はとれた。

それをきっかけに、スイミングは止め、パドルも ビート版も 10枚近く持っていた水着(中には未使用もあった)も全部処分した。手元において置くと、我慢ができなくなるだろうと思い、人にあげた。

時々、泳いでいる夢を見るが、「あれ、泳いではいけないのに」と夢の中で慌てているところで目が覚める。あれから、全く泳いでいない。寂しい!

 

 

 

 

 


熊野大社 玉置神社の旅2004年4月 3

2009-07-27 20:57:19 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

 

陰陽の滝でお仕事をするノワタリさん

 那智勝浦の宿に着いた時、まだ わからなかった滝が見つかった。フロントの壁に掛けてあった滝の写真であった。「陰陽の滝」という。ノワタリさんは、夫婦なんだけど、うまくいっていないと言うような事を言われた。(翌日、滝の説明に 夫婦滝と呼ばれると記載されていた)早速、地図で調べた。

町にでて、夕食をとる事にしたが、ガイドブックの店は休みであり、アーケードの中も暗く、歩いている人もなく、戸の降りている店が多かった。結局、港近くのすし屋で済ませた。

宿にしたビジネスホテルはロフト式で、上にベッドがあった。階段を上がろうとすると、ノワタリさんが「何かいる!」と言って、私を制止した。

その部屋で、4人が集まり 明日の予定を確認し、話し合った後、ベッドで休む準備をしていたら、また、 ノワタリさんの様子が違った。

「さっきも、今も、綿帽子を被って、白いきらきら光っている内掛けを着た茶色い狐さんが、トントントンと階段を上がって来るのよ。とっても格の高い狐さんね。」と説明してくれた。あの浜本さんの本の目次に、『キツネの嫁入り』と言うのが、在った事を思い出した。今回、これを書くのに また、読み返した。

その本によると、『イナリの使いをキツネといってますが、キは気、神、ツは詰まる、固まる、ネは元、根、の意味で、地球に神の気が詰まっていると言う意味で、ウガのみたまが完成するという黙示であります。中略 そして嫁入りするというのは母になるみたまの資格を持った事ですから、これをキツネの嫁入りというのであります。中略 天気が良いのに雨の降るのを、昔からキツネのをキツネの嫁入りと言っていますが、中略 天気が良くて既に清まっていると思っても、念には念を入れて禊いで嫁入りする事を言ったものです。』とあった。その時点では、玉置の三柱社であることはわかっていたが、ノワタリさんは読んでいないし、私も何のことか解らなかった。ただ、ご挨拶に来られたのだろうと思っていた。陰陽の滝 滝つぼにノワタリさん

夜美の滝

翌朝、一升瓶とお塩と水を2組づつ持って、陰陽の滝に行った。人一人歩くほどの細長い道で 丁度 蛇の尻尾から頭(滝つぼの所)みたい中たちな形で、ノワタリさんの指示に従って、置いてお清めした。途中、夜美(やみ)の滝は、読み方どうり闇のように暗く、ちょっと怖かった。ノワタリさんは、ズボンのすそを上げ、川の中に入り、腰まで浸かりながら歌いお仕事をしたが、歌いだしはとても険しい声であった。私たちは、終わるのを側で待っていた。(とても厳しかったそうである)

お仕事が終わり、私達は「とんだ熊野古道ね。誰も来ないでしょう。近畿電力くらいかな?」と言いながら、車に戻り、那智の滝に行った。

那智の滝

那智の滝で終わった途端、雨がぽつぽつと降り始めた。

今回の旅は3日ともお昼ごはんに、縁がなく その日も ナビに食堂のマークが出て、みんなで喜んでも、まだ開いてなかったり、見当たらなかったりして、4時前にやっと奥伊勢の道の駅で遅い昼食をとった。外に出ると、雨が激しく降りだした。

高速道路の接続の事を考え、多気町で西と東に別れた。

が、しかし 駅に着くと電車は出た後で、小一時間待たなければならず、もっと便利の良い所にすればよかったと後悔した。

 電車に乗っている間、雨は激しく降っていたが大阪に着くと、止んでいた。ノワタリさんは竜神様にお頼みして、着くまで小降りにして頂いたそうだ。

サウナに行き、旅の垢を落とし、ゆっくり夕食を一人でとり、夜行バスに乗り現実離れした旅から日常に戻った。2泊3日とは思えない中身の濃い旅でした。

 

 

 


熊野大社 玉置神社の旅2004年4月 2

2009-07-26 21:36:12 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

玉置神社玉置神社2006年9

翌日、私達は早起きして、宿にアッパッパのようなワンピースをお借りして、川原に行き、自然の温泉を楽しみ、体を清めて玉置神社に向かった。この日の玉置神社が、今回の旅のメインである。後で、思い返しても、現実離れした不思議な1日だった。この神社の事が書いてあった「万世一系と般若心経の謎」と言う本に書かれていた事が目の前で起きた。この本を読んでいたのは私のみである。

十津川村に入った時、山の向こうにきれいな虹が出た。

その後、ノワタリさんが苦しみだした。「う~ん、う~ん、『出してくれ、出してくれ!』と私の中で誰かが言ってるの。 男の神様みたい」と、とても苦しそうに顔をしかめていた。(本によると思兼神様だろう)

山道を上がり、広い駐車場に着いたが、他には車は1台位しかいなかった。さすがに1000m越すので少し肌寒かった。

ご挨拶をして、鳥居の所から参道をずっと 男性であるHが、1升びんを持ち、ノワタリさんの指示にしたがってお神酒をかけ、私が塩を盛り、水を掛けた。車を降りる時、すべてそれらを2個ずつ持っていたので、大変だった。そのうち、近ずくにつれて、御神木の大きな杉の木が見えてきた。

玉置神社は、まだ石楠花には早く、桜が散りかけていた。

本殿前で 2006年9月

初めて訪れた玉置神社は、とても良いエネルギーで、神秘的な趣があった。

この神社のご祭神様方はとてもすごく、国の根幹に係わる神様ばかりだった。

国之常立尊、イザナギ尊、イザナミ尊、天照大神、神日本磐余彦尊方であった。

おまけに、ミッキーマウスの頭をさかさまにしたようなこの州浜の神社の紋は母の実家の門と同じなので、お札を頂いて持ち帰ると、喜んだ。

本殿にご挨拶して、一つ、一つ、末社もお清めしてご挨拶をしていると、ノワタリさんがその中に高倉下神の名前を見つけ「高倉下神を主際神に祀っている神社に行かなければ、いけない。」と言ったので、後で社務所に尋ねて行く事にした。

三柱神社三柱神社2006年9月ご祭神の神様方

社務所を通り過ぎて、三柱神社にご挨拶して、お清めした。ここはお稲荷さんなのだが、赤い鳥居ではないし、普通言われる稲荷の神様である倉稲魂神様の他に、天御柱神、国御柱神様が祀ってあった。ノワタリさんが歌っていると、中に、白でなく、茶色のお狐様が3匹見えたという。「お神酒を供えて」とノワタリに言われ、お神酒を社務所に買いに行き、ふたを開けて、幕の中に供えた。

商売繁盛、五穀豊穣の他に、悪魔退散に御神得があり、近年まで、裏部屋でその祈祷をしていたそうだ。

出雲霊社、真名井社とご挨拶し、清めながら、玉石社に行き、ご挨拶して、ノワタリさんが歌い清めた。ここの神社はすべて、歌も綺麗で明るいメロディだった。記憶が不確かなので間違いかもしれないが、さくらさくらのメロディも出たかもしれない。

この時初めてお参りしたが、その後、2007年まで、毎年訪れた。その頃には、また書くと思うが、だんだん変化していき、何故か若い人が多くなった。

社務所に行き、国之常立尊様の絵と悪魔退散が裏表に書いてある御神符を買い、高倉下神様が主祭神である神社を教えてもらったが、どれ位の時間が掛かるかと尋ねたら、その場にいた地元の人が、「ここは日本一広い村ですよ。」と言われた。

もう午後になってはいたが、竹筒と言う集落を目指して走った。

途中、竜神様が祭られている所があり、御神水を分けて頂いた。しかし、道を間違えたらしく、私達は、木立の中の道を走り続け、また1台の車にも会わず、気付けば、瀞峡のほうに行っていた。鮎 鮎の看板が見えるが何処も開いている店はなく、運転しているH以外は空腹に耐え切れず、おせんべいや菓子パンを食べて空腹を紛らした。(後日、HのマークⅡの中は菓子屑だらけで、車体は小さな擦り傷だらけになり、ブーブー言ったらしい)行ったり来りして、やっと竹筒の集落に着いたが、神社らしき物は見当たらない、通過する車や、宅配のドライバーに聞いても判らず、諦める訳にもいかず、民家を尋ねて教えてもらった。

廃校になった小学校の裏の森の中にひっそりとあった。

 ご挨拶して、お清めしたが、ノワタリさんは さくらさくらのメロディを歌いだしたが、30分経っても終わらなかった。ヘロヘロになりながら歌っていた。
「とても喜ばれて、放してくださらないの」と言っていた。

そうでしょう。ここは集落の人しか来そうにない感じで、寂しかったと思う。

その日回った神社では さくらさくらの歌が出た。(私もその歌は今日始めて聞いた)

「さくらさくらの歌がでると、其処は開いて、本来の働きをし始めるのよ。」と、ノワタリさんは言われた。

そこで夕方近くなり、今夜の宿の那智勝浦に向かって、出発した。

 写真はノワタリさんに頂いた物です。


熊野大社 玉置神社の旅2004年4月 1

2009-07-25 16:26:40 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

獅子岩 砂浜と海がきれいでした

4月17日、松阪駅でノワタリさん達に合流した。今回は、ノワタリさんのお友達と4人の車での旅だ。

出発の前日、隣町の交差点で、後ろから追突され、いけるかどうかちょっと心配だった。運の良い事に、低速だったのと、まともに当てられたのではなかったので、軽くて済んだ。私ってタフ!と思ってたら月末になって、首が回らなくなった。

事故後、相手がベンツから降りてきた。坊主頭で、首には重そうな鎖のようなゴールドのネックレス、おまけに雪駄履のお兄さん。絶対、係わりたくない人種だ。反対だったら、面倒な事になっただろうと思う。

おまけに、その夜 例の割り込んできた男性Hはまた電話の向こうで「現地集合だ。」と喚いて来た。こちらも粘って、「松阪でと」と折り合いをつけた。

ノワタリさんは、和やかな旅にするために、喫茶店で話し合いの時間を取った。でもあきれ果てた事に、彼は前日の夜出発して、二人を車に残したまま、京都で遊んでやってきた。

花窟神社

花窟神社 カグツチの尊

松阪を出る時、車のナビの時間計算はとても不正確で、熊野まで5時間と出ていた、それもあり、松阪で停まったことは不服そうだった。私は3時間もあれば行けると思っていたので、余り気にならなかった。

やはり、3時間もしないうちに花窟神社に着いた。

この神社の御神体はこの後ろの岩でイザナミの尊と、カグツチの尊の親子の神様であった。お神酒と水と粗塩でお清めしてノワタリさんは歌われ、みんなでご挨拶をして私たちにも、エネルギーを入れた。お参りをしだすと、朝のギクシャクもなくなった。広い境内をゆっくり巡り、摂社、末社もお参りしてお接待のお茶を出口で頂いて出た。

今回の旅の岩とはこの花窟神社であり、山は玉置神社であり、最後の滝だけがまだ、判らなかった。三重県と和歌山県には、多くの滝があり、ガイドブックに出ている滝の名前をfaxしたが該当する物はなかった。

産田神社にて、お仕事するノワタリさん

途中、産田神社により、お参りして、ナビの誘導のまま、山道に入った、何処を走っているのか判らないくらいの山中で、曲がりくねった車1台分の巾の狭い道で、途中離合した車もなかったが、玉置山という表示がナビに出たり消えたりしていた。それを過ぎると、熊野川沿いにでて、本宮の大斎原の鳥居が見えた。

日本一高い鳥居

元の本宮の石祠

ノワタリさんが「私だけでいいと思ってたら、みんなも明日は 肌につけるものは新しいのにしてくれって神様が言ってる。」と言ったので、遅いお昼のお弁当を買いに行った店で、清め用の酒、水、粗塩の他に肌着を買って大斎原に向かった。

大変広く、明治22年の水害までは、今の本宮の8倍の広さがあったという。大斎原はとても壮麗だっただろうと思った。鳥居からあちらこちらと、ノワタリさんの指示に従い清めながら歩いた。

上の写真の石祠の前に来た時、霊能者と思われる中年男性が上に土足で上がって、祈るわけでもなく、手をかざしたリしながら歩き回っていた。その人が去るのを待って、石祠の前に行った。「『土足で上がったので、清めてくれ。』と言ってるわ。」と言ったので、丁寧にお清めした。ノワタリさんは地面に座って、歌を歌い、ご挨拶をしたので、私たちも習った。

その後、反対側にある慰霊碑に回り、周囲から清めた。全国のお寺の名前が一つ一つに掘ってあった。般若心経、光明真言、慰霊碑の文字の南無阿弥陀仏(記憶違いだったらお許しを)上げて祈った。

 

その後、熊野大社に、お参りして、川湯温泉の民宿に泊まった。