前回薬の副作用の事を書いたが 肝臓や心臓の値はわからないが、ほとんどの症状が出ていた。
すぐに服用は止めたものの、副作用は数か月間でた。
食欲不振と便秘、下痢、軟便、吐き気を繰り返し口に入れるものに苦労していたが原因が分かり食事を作る者として少し安堵したものの、現状は変わらず翌日 近くの病院へ点滴に連れて行った。
しかし、50メートルぐらいしかない距離でも 健脚自慢だった母は一人では歩くことが出来なかった。
点滴にも通うことにしたが 口からとる方が良いという事で経腸栄養剤をもらって帰宅した。
そのまた翌日の火曜日 歯医者に連れて行きそのまま帰宅しようとすると歯科の前にある胃腸科で薬を貰うという。その後、眼科へ行くと言い、商店街のアーケードまで行くと子供服屋へ行きひ孫の服を買うというので又、車を回した。
ベビー服店では座っているのもままならず、だらしそうに壁にもたれてうなだれていた。その頭を見てハッとした。掃除をする度白髪の抜毛が最近多く気になっていたが髪の毛が太く多かった母の頭の地肌が見えていた。
よほどキツイ薬なのだろう、四谷怪談のお岩さんのように髪の毛が抜け、母は口腔洗浄機で口の中を濯いでいたのに、歯もガタガタになってしまった。
誘った母は私に数点選ばせてその店を出たが、顔なじみの店主は母の変わりように驚いていた。
その後眼科のあるアーケード街まで行ったが、2,3件内側の眼科が分からなくなっていた。指を差し教えて昼休み近くなるので、千恵さんを帰らさねばならないので気になりながら急いで帰宅した。
慌てて店を閉めて迎えに出かけようと外へ出ると、近所の人に抱えられてヨタヨタと歩いてくるのが見えた。
その人は
「おばちゃんが倒れそうで危なかったけん…。」と言われた。
母は家に入るなり廊下に倒れただしんどいとつぶやく。慌てて血圧を測るが正常値の範囲だったのでしばらく休ませて又、点滴に連れて行った。
参ったのはこの数日間の記憶が無くなっていた事だった。
胃薬が無いというという。
「前日、歯医者の帰りに貰いに一緒に行ったでしょ。」と言っても、覚えてなく、又整理した薬箱には無く、探し回わってごみ箱から空の胃腸科の袋を見つけ見せると気付く有様で、他の事は全く覚えていなかった。
ご飯は柔らかく、お肉はミンチかロースの薄切りしか使えず、葉物野菜は噛み切れない言い、お豆腐料理は嫌いだと拒否され、夕張メロンより安価で熟していた熊本メロンを食べさせると熟しすぎていたのでお腹がくだると文句を言われ続け困り果てた。
8月の末、余りにも文句が多いので私ももう手に余り、それならば、薬が抜けるまで点滴に通っている近くの病院へ入院して食事療法をするしかないと母に言うと、今度は泣いて拒否された。
薬と分かっていながら、当たらずにはおれなかったのかもしれないが、私も母のベッドを直していた時にぎっくり腰を起こし、この2,3か月のストレスで心身共に限界を感じていた。
妹は4年前に肺がんと決めつけられ 過呼吸を起こし、心療内科へ行きこれまたきつい薬を渡され その後診療内科を転々として、減薬をしだしたもののまだ、いつもの彼女の状態ではなく あてにできなかった。