Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

アデルの恋の物語

2013-01-28 23:41:28 | 日々のつぶやき

私の部屋にが来てから、4ヶ月余り経った。

BSの映画などが見たくて買ったが、録画をしたものの見てないものが多い。

しかし、そのBSも民放は韓国ドラマと昔の再放送が多く、放送するチャンネルが必要なのだろうか?と、思ってしまう。

録画しても、1度に集中して見てしまう事が少なく、倍速で流したりしていい加減な見方をしてしまう事が多い。もうその根性も体力も無い。

007も年末に放映されたがまだ観ていない。学生の頃、007といえば、年末の土曜日の夜深夜営業で友人達と映画館へ行った覚えがある。映画館は深夜にもかかわらず満員だったが残念ながら、長年見慣れたショーン.コネリーでなく、ロジャー.ムーアで灰汁がなくあっさりしすぎてちょっと間が抜けた。

今回の主演俳優は誰であるかも知らない。

その頃、同じ下宿の友人とフランソワ.トリュフォー「アデルの恋の物語」と言う映画を観た。

しかし、数分も経たないうちに互いに「シマッタ!」と言う気が起きてきた。一人であったら、辛抱できずに出たのかもしれない。

詰らないから、金返せ!と言うことでなく、内容が余りにも重く、気がふれるまで恋をするという内容、無いものねだりでこの思いをぶつける所が無く辛い。

しかし、相手に逢っても誰だか分からず、その容姿をした幻影に振り回され恋に恋してたのではと思うが、アデル役のイザベル.アジャーニは美しくとても切なくて苦しく、相手役の将校の印象は薄い。

内容は大作家のビクトル.ユーゴーの娘のアデルが初恋のイギリス将校に恋をしてガーンジー島から大西洋を渡り、カナダからカリブ海の島へと次々と赴任地へ追っかけて行き、相手の結婚話を邪魔したり、親に婚約したと嘘をついたり、いかがわしげな催眠術師を雇おうとしたりするが、どれも相手を引かせるような結果で、最後は熱病のせいか気がふれたせいか、コジキのような姿でその男に出会っても分からくなり、そのまま精神病院で一生を終えるという話だった。

途中で出るわけにも行かず最後まで観たが、外へ出れば真っ暗な寒い夜、二人とも出るのはため息ばかり、とても疲れて夕飯も取る気もせず、間の悪い事に彼女の原付に二人乗りをして10メートルも走らないうちにオマワリさんにキップを切られそうになった。

幸い通行人たちが立ち止まり「かわいそうに、若い娘なのにこらえてやれよ。」と、次々い言う声に若いオマワリさんは負けて許してくれたが、きつく注意されてしまった。

もう乗る訳にも行かず、私はトボトボと、一人夜道を映画が頭から離れず重い足取りで帰った。

私達二人もその頃失恋中で苦い思い出である。

 

 

 

 

 

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刃物

2013-01-26 15:02:29 | 霊現象

海で亡くなられた方々にサンドウィッチをあげなければならないと知らされたが、翌日は朝時間がなくできなかった。

するとは、「速くしろ」と言われ一層お尻を叩かれるように喉はますますいがらっぽく、膝は痛く、夜中に何度も目が覚める始末だった。

木曜の朝、「こりゃたまらん」という事で、せっせと作り、白い小菊を買って近くの海へ向かった。

通学の子供の姿は無かったものの、人目につかぬよう道路から少し沖側に行き、投げ込んだ。

細かく刻んだ卵の白身がパラパラと海中へ落ちていったが、ほとんどはプカプカと浮いて湾の奥へゆっくり流れていった。

祝詞、般若心経をあげ、ご真言を唱えていると、15㎝位の小魚が集まってきて海中に漂っている卵をパクパク口を開けて食べる姿が見えた。たぶんこうやって後のパンも魚の口に入っていくのだろう。

それは亡くなった方達の代理の姿を見せたのであろうと思う。

が、しかし 喉のいがらっぽさは無くなったものの、左半身の不調は幾分軽くなっても消えない。

接骨院に通っても、「肘はどこかにぶつけたものか腱鞘炎の一種」と言われ、足の長さは揃っていてずれていないのに、痛だらしい。

目の下から頬にかけてののこわばり、首、胸、腰、肘、膝と右に比べ重かったり痛みが出る。

何のことか気になり、ノワタリさんに遠隔をして頂いた。

すると、何が憑いた訳ではなく過去世の物が出ていると言われた。

よほど過去世ではいつも戦場で暴れたらしいが、分かることは敗軍の方であり、斬首される事ばかりだったらしい。矢傷、刀傷の類で、たぶん傷だらけのボロボロになって亡くなった事が多いみたいだが、鉄砲傷は無いと思う。鉄砲が普及する時代よりも古いのであろう。

子供の頃から、怪我は多い。打ち身捻挫は数多く、骨折、ヒビ、裂傷の後だらけで今回も、昔のむち打ちが出て来たのかとも思っていた。

映画やテレビで昔の戦場シーン、チャンバラなどがあると、ヒュン、ヒュンと矢の飛ぶ音が怖く耳をふさぎ、しっかりきつく目を閉じた。特に、日本刀もだが、中国の青龍刀など背筋が凍る。それで神社に武将が奉納した刀剣類を展示した宝物殿には行かない。

家族は私を臆病な子供と言って笑っていたが、刃物は鋏を含めてすべて大嫌いで、自分が持つのは怖くないが、母が包丁を持ってこちらにを向けるだけで背筋がぞっとする。

同じように自分がけがをして血が流れていくのは何ともないが、小さな擦り傷であっても他人の血を見るともうどうしようもないくらいである。

西洋の戦のシーンはそれほど恐怖を感じないので何もなかったのだろう。

しかし、いくつか見せられたり、教えて頂いた過去はどちらかと言えば、悲惨なもので戦で亡くなった以外は騙されて鉄格子の中で亡くなったり、毒をあおぎ自殺したり、溺死したりとかで、これを今世に出てくるとなるとちょっとつらい。まともに一生を終えた生もあると思うが前世の記憶にはあまり残らずこのようなものを見せられるのであろうと思う。

一時の間、これは自分の浄化作用の一つであるらしいから、続くそうである。

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不死身のオイワちゃん

2013-01-25 20:50:07 | ネコ

オイワちゃんはうちの猫ではなくノラだった。そのため写真は無い。

自分で餌を取るという事は出来なかったのでたぶん捨て猫だったのだろう。

うちには絶えず数匹の猫が居たので臭いがしたのだろう、それで益々猫が寄って来たり、自分の家では飼えないと思う人がわざと家の前に置き、朝戸を明けると戸口に小さな箱に子猫が2,3匹入れられて置いてある事もあった。

オイワちゃんは白に黒い模様があり、小振りの猫だったが、目が細くてブスで、余り身繕いをしないのか、いつも薄汚れていた。

気がつけば、家の周辺に居り時々カリカリをやっていたが、竹輪を与えているおじさんもあり、そちらの方が良いらしく、ない時だけねだりに来た。

その頃はブスのノラと言っていて格別名前はついていなかった。

ある時、交通事故にあったらしく、顔は腫れ上がり、益々細い目が潰れかけ、怪談話のお岩さんのような顔になり、体は因幡の白兎のように毛が無くなってピンク色の丸裸になっていた。

それでも竹輪を投げるおじさんのおかげで自力で元気になっていった。

毛はなくても黒い毛の生えていた所は薄っすら黒く、生えて来ると元通りの白黒模様だった。

そのことからうちでは「不死身のオイワちゃん」と言う名が付いたが、近所の同級生のシュウ君は「年がら腹ぼての淫乱猫」と言っていた。

確かにオイワのおなかは何時も膨らんでいたが、不思議と子猫連れている姿を見るのはまれだった。

うちの飼い猫で一番ハンサムで7,8キロもあり大きかったボンちゃんが近所の駐車場でずっと年上のオイワちゃんと交じっている姿を何度か目にしたことがあった。

私でなくみんなが、ボンちゃんに「相手を選べよ~。」と言ったが、猫の世界では案外もてたのかもしれない。

ボンが交通事故で亡くなってから、数ヶ月経った頃、部屋の戸を開けると、オイワちゃんとグレーに黒の縞模様のかわいいネコがベッドから飛び出してきて、余りにも突然の事で驚き「ギャ~!」とさけんでしっまった。

猫入り口(障子のひとますを開けたもの)からベランダにそそくさと逃げていったが、その後その子猫の姿も見ることはなかった。

オイワちゃんは多分10年以上生きて、ミーコと違い晩年は近くの散髪屋さんのおばさんにかわいがられ、餓えることなく一生を終えた。もう20年位前の事だ。

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サンドウィッチ???

2013-01-22 21:53:04 | 霊現象

先日「寝相」で書いた憑けた物は不明のままだったが、昨晩それがなんだか分かった。

1月の6日朝早く、天之御中主命様が祀られている大本神社と本殿だけになっている天照大神様の祀られている神社と先祖の造った神社へお参りした。

 

以前は前を通るのも怖かった本殿だけの神社もノワタリさんが清められてからはずっと良くなり、今回は周囲の木も伐採されて明るくなりお供えもあり、何処も気持ちが良かった。

しかし、昼食兼用でバターロールでサンドウィッチをこしらえ、大口を開けて食べようとした途端、いきなりむせて激しく咳き込んだ。 

それ以来、えへん虫は居座り喉がいがらっぽく、のど飴持参で歩いている。

何処でぶつけたのか分からないが左の肘と膝が痛く、近所の接骨院にも通っていた。

年を取ると昔の古傷が出るというので2度の鞭打ちで何時も左がネックだったのでそれかもと思っていた。

先日、スカイツリー近くでノワタリさんがむせって咳き込んだ事を思い出し、咳き込んだ瞬間の事を話すと、「食べるのは、あなたじゃなかったの。」と言われる。「ええ?」

「海で亡くなった方たち。」と軽く言われる。その途端、電流のように背中に寒気が走った。

「え、又ですか?私海辺に行ってないのに」

「行かなくても、分かってくれるから 来たんですよ。」と、言われる。

「でも、私去年の秋から何度も施餓鬼供養をしてますよ。今度はサンドウィッチですか?じゃあ、パン屋さんで買ってきましょうかね。」

「いいえ、あなたの手作りですって。」

「ええ?なんで私の手作りなの、パン屋さんの方が美味しいのに~」

「最後って言ってますよ。変わるんでしょうね。」と、言われた。

そういう訳で、今日バターロールなどの材料と御神酒を買ってきた。

しかし、何度も海に施餓鬼供養をしているが、南海トラフの地震と津波が言われているが、それに関係あるのかもと思う。直線距離にすると家から海は50メートルも離れておらず、おまけに海抜2メートル弱の我が家は一溜りも無い。

先日NHKの地震の番組を見てから、余りにも広範囲なので15日から1ヶ月しないと救援は来ないかもしれないという不安は募り、今まで用意したものの上に水、シリアルとシュラフを買った。

予測では私の住んでいる町は最大11メートルの津波といわれているので流されてしまい無駄苦労かもしれないが、持病のある高齢者と住んでいるので用意してしまった。

 

 

 

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靖国神社

2013-01-20 14:32:38 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌日の12日は久しぶりの東京都内。

東横線と地下鉄を乗り継いで靖国神社へ10時前に到着する。

 その翌日の大雪が信じれられないような抜けるような青空だった。

以前から参拝したいと思っていた神社である。

ノワタリさんのおうちに掛けてあったカレンダーに神社の風景が載っていた。お聞きすると、それはこの靖国神社だった。

亡くなられたご主人のお父さんが9ヶ月の時ルソン島で戦死され、遺骨も遺品もなくただの紙切れとなって帰られ、遺族会に入っていると言われた。

大鳥居でこのブログで度々コメントを頂いたコウイチさんと一緒になりこちらもノワタリさん、そして妹、姪、叔母の6名で参拝する事となった。

境内には古品の市が並んでいて進んでいくと各地の産物を売店がテントを張って並んでいた。

前日、茨城の芋が買えなかったので、種類の違う干し芋を3袋買った後、コシヒカリを使った甘酒をみんなで頂いた。成人式もあるらしく振袖姿の娘さんをちらほらと見かけた。

そうするうちに大村益次郎の像(誤って消してしまって画像が無い)、この神社の設立に尽力され、戊辰戦争などの官軍、幕府関係なく霊を祀る神社を設立と書いてあった。

それを読んで幾分ほっとした。今のテレビドラマなど新撰組を主人公にした物以外勝海舟などほんの数人の幕臣を除いてほとんどの幕府方を無能のように描いている物が多く、私は違和感を持っていた。

とても重い気が流れているのではないかと思っていたが、そうでもなかった。でもノワタリさんは目立たないよう少し離れて小さな声で歌われ、祈られていた。

拝殿の左側のお社に立つと、人気が少ないのもあり重い気が漂ってきた。

ノワタリさんは昨日に引き続き涙を流され泣いている。やはり神社に祀られていると言っても悲しみが漂う。

奥の元宮へ行くと、また一層それが強い。維新を見ず亡くなられた無念さだろうか?ノワタリさんが歌われて出てくると、外で遺族会の人らしき黒や白のコートを身に付けられた年配のご婦人方が数人待たれていた。

その横の鎮霊社をお参りして参道に戻る。遊就館の方には体質的に苦手だったので行かなかった。

以前お聞きした時、「靖国には戦死された英霊だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんなど一般の人たちも出て来てね。」と言われたので、それをお聞きすると、

「靖国は悲しみの神社ですね。亡くなられた人だけでなく、その方々の親族の魂のよ依り代になっているから、その方々の思いが来ているんです。」と言われ、

「昨日から、泣きっぱなしで目が痛いですね。」と、目を瞬つかせたが、今回お参りできた事をとても嬉しく思う。この方々の犠牲の上に今日の日本の繁栄があるので一度はお参りすべきだと思った。

その後、タクシー2台で神田明神へ向かったが、何時もなら大音量で街宣する右翼の車が数台靖国神社の駐車場の入り口におとなしく待っているのを目にした。

神田明神はすごい人だった。境内に入るのも、手を洗うのも、拝殿で参拝するのも並ばなければならず、同じ将門さんでも昨日とは大違いで賑やかで、神社の気を感じる事は出来なかった。

大国主命が祀られ商売繁盛の神様と言う事で大国主と、恵比寿様の被り物をした神主?さんが御祓いをしてくれると言うので多くの人が並んでいたが、本職の神主さんがそんな事をするのかしらと、ひねくれ者の私は思ってしまった。

そんな事は関係なくみんな楽しんでいるようで大人の娯楽みたいで、余りにも多いので人ごみでみんな分からなくなり携帯で連絡を取り合う始末であった。

御神馬も疲れて地面に横になっていた。こんな馬の姿を見るのも初めてだ。奥のお社にご挨拶をして出たが、お稲荷さんが多かった。

何時もなら最終便を取るはずが今回は5時半だったのであまりゆっくりする事もできず、昼食後渋谷へ出る妹達と別れ、ノワタリさん、コウイチさんと叔母に空港まで送ってもらいお茶を飲んで分かれた。

翌日にの便を替えてたら、妹のように大変であった。

妹は欠航で空港に缶詰で、一晩過ごし、姪が翌日ネットですぐチケットを買ったので10時の便に乗る事が出来たが、全日空は4時間待ちだったと聞いた。

おまけに行きも帰りも機種は787だったが全くトラブルもなく帰宅した。感謝である。

 

 

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