私と母は薬のせいだと思っていたが、今の状態では何とも言えず、覚悟しないといけないのかもしれないと思い出した。
片足の甲にむくみが出ているので、調べると動かないのでリンパの流れが悪くなったらしい。念の為、タカコちゃんに電話をすると、やはりその事を言われた。
今の状態では大変なので電動ベッドを勧められた。起こしても後、半年近く満足に食べていないのでやせ細って支えることが出来ず背を押さないと倒れてしまうので二人がかりで食事を取らさねばならなかった。
そして、血液データをファックスすると、今現在悪化しているかどうか点滴のついでに調べてもらい、良くなければ、腹部エコーを取り調べてもらう事を指示された。
そういう事で午後から電動のベッドが来た。
病気になって人格が変わり、怒りっぽくなった父は私達がけちって電動にしなかったと嫌味を言うが、その頃は起きていたので、それは認可されなかった。
おかげで起こす事が大分楽になったが、急に弱ったので叔母たちや知り合いが、有名店のポタージュスープや菓子、フルーツを送ってくれた。
しかし、父は増長してマンゴーが食べたいと言い出した。
「マンゴーは5月にならないと出来ないよ。」
昨日のおせんべいももう今日は食べない。自分が欲しいというものだけで、食べたないものは、口を引き結んで開けず、母を困らせ、食事の度毎回もめているが、目下のお気に入りはリンゴのすりおろしたジュースである。
「生き地獄だ、早く死にたい。」と言うが、
「死にとうても、お迎えがまだこんけんね。頑張るしかない。」と言いかえし、食べさせている。
父は10年前の胃癌の手術から、毎年検査を受けていたので今回の事はショックだった。しかし、あせって訪問介護をしてくれるという病院へ行ったり、あれこれと薬に手を出したが、今もう薬は必要なくなっていて、少しづつ減らし代わりにビオフェルミンを渡している。
こんなになっても睡眠導入剤をせがんだりするが、ひまし油シップをした夜などはよく寝ている。
昨年90歳半ばで亡くなった千恵さんのお母さんなど、亡くなる前日まで病院には行った事がなく、血圧が高いのか低いのかも分からないまま枯れ木が朽ちるように亡くなられた。
でも幸せでお姉さんがずれていたお母さんの生活時間に合され、四六時中付き添われていた。
もう少し、父も大らかになれないものかと思う。