奈良の後、3月下旬ノワタリさんとハヤシサンは済州島へ慰霊の旅に行った。
今回が3度目で今までチケットが取れず、行く事が出来なかったが、前年の11月に手配したのでやっと行く事が出来た。四三事件の為だったのかはっきり覚えていないが、ガイドを雇いハルナ山で神事をされた。
4月14,15日に高知の足摺岬から大月町の観音岩へ行った。
空港で集合し、まず土佐一宮である土佐神社にお参りしてから、足摺に向かった。
土佐神社
須崎市までの高速を降りて国道沿いの食堂に入るととても人が多かった。それも地元の人が多いのでたぶん美味しくて安いのだろうと思っていると予想にたがわず、美味しかったがとても時間が掛かった。それからが長い道中でもあった。
竜王神社
ウスバエ岬
風神アネモスの庭で
巨石群で有名な唐人駄馬に行き、石の上で休みパワーをいただきリフレッシュした。その後ウスバエの竜王神社にお参りし、海を手分けして清めた。いつ来ても、この海岸と岩の眺めはすばらしい。その後風神アネモスの石の庭に着いた頃にはもう日も傾きかけていた。
その夜は今は民営になっている国民宿舎足摺テルメに泊まった。これが3度目である。温泉にゆっかり浸かりつかれをとった。私はこの宿の広いテラスがお気に入りである。空と海しか見えず、鳥の鳴き声ぐらいしか聞こえない静かな所で部屋も広く私達女3人は和室でウチダさんだけベッドルームだった。食堂には団体のお遍路さんでなく、グループや夫婦ずれの88ヶ所参りの人たちで満席だった。ほんの数年前なのに、今はずっと訳のありそうな歩きお遍路さんを見かけることが多い。
観音岩
翌朝は大月町の柏島に行き、釣り船で観音岩へ渡った。船の船頭さんの息子さんはとても体格が立派だと思ったら、元横綱の朝昇龍関の相撲部の先輩だったと言う。港を出て外海に出ると、石灰岩の白い海岸が見えてきて綺麗だった。観音岩は割と近く、20分?もしないうちに姿が見えてきた。30メートルほどの自然の岩だが観音様のお姿にそっくりなのでその名が付いたと言う。しかし、まじかに見ると想像していたよりもずうっと大きく感じた。
岩場で足元が悪く、船頭さん達に沢山用意していたお塩や御神酒、水を運んでもらっただけでなく、沖で待っているから写真を沢山撮ってもらった。此処に釣り人も良く来ると言うが、足場が悪いだけでなく、険しかった。手分けしてお清めしたが、ノワタリさんは観音様だけでなく、海で亡くなった人の慰霊でもあると言われた。ノワタリさんは歌われ、みんなで光明真言や般若心経を唱え、私は観音経を経本を見ながら唱えた。
迎えに来てもらってから、柏島沖の岩場に連れて行っていただいた。遠く関西の方からも泊りがけで釣りの好きな人は来ると言う。港の周辺に民宿の看板がおおいはずである。その日も多くの釣り人が岩場にいた。釣れた魚は海の中につるしておくのだと言う。しかし、サメが来て頭だけ残してらべてしまう事もあるという。
珍しい赤い綺麗な魚を釣っておられるのを見せていただいたが、魚の名前を忘れてしまった。イルカの群れの姿も良く見られると言われたが、残念ながら、イルカもサメも鯨も見る事はなかった。
港に着くと、船頭さんは魚をご馳走する時間が無かったからといって、大きなほら貝を下さった。これは、途中のどこかのレストランで調理してもらう事にした。
その後、月山神社にお参りした。ここでも集落の人に教えてもらい、細い道を川沿いに走って、人家の全くない山の中まで走った。本当に在るのだろうかと思うような寂しい山の中にぽつんとあった。其処は神社とお寺があり、番外の札所ということだった。
大月町だから、月山神社と言うのかと思ったら、三日月の形の石が御神体という。私達はお清めしてお参りし、無事に来られた事を感謝した。
さて一路、宿毛に出て国道を通って空港へ思っていたら、ハヤシさんがをホテルに忘れた為、また足摺岬に戻った。その途中、土佐清水港の黒潮市場のレストランでほら貝を調理してもらった。ほら貝を食べるなんて、みんな初めてのことで新しい味にワクワクした。残念ながら、時間が無いので貝殻を割る事になった。身は見た目はアワビのようだがコリコリして新鮮すぎてちょっと硬めだった。吊るして自然に身が落ちてきたらもう少し柔らかいのかな?とも思った。
帰路は長く、ウチダさん以外はである。黒潮町の道の駅ではウエットスーツ姿の人を数人見かけた。
空港に着くともう夕方、食事をする時間もなく、を飲んでお別れした。別れ際に「早く帰ったほうがいいわ。『迷わせる』とと言ってるわ。」とノワタリさんが言われた。その通り、で須崎の高速を降りる頃には真っ暗になった。その後道を間違えもたつき、畑の中を行ったり来たりして国道に出るのに少し、戸惑った。その後、葉山村まではバスも走り、数台のも居たが、その後対向車も来ない、人家もない、私一人で若しかして又間違っているんじゃないかと山道を不安になりながら走った。
梼原町に入ってから、やっと対向車が数台来て見覚えのある道になり、安堵した。ナビのないはこんな時不安です。