私の好きな歌手の大貫妙子さんのご両親は1か月足らずの間に相次いで亡くなられたと言う。
退院されたお父様を自宅で介護されていて、お母様の方が疲れで倒れて亡くなられ、その後お父様が亡くなられたと言う。
父が亡くなった前日の夜、1か月足らずであっても母は睡眠不足が続いており母は疲れ切っていた。私達は父が少しでも食事を取れば快方に向かうと思っていた私は、父に
「食べないと、もう限界だ」と伝えた。食事を取らないのであれば、入院するしかない。
しかし、父の性格で私達に世話をかけまいとしてか翌日の午後悪くなり、病院に運ばれた。
病院に駆けつけると、
「お前、楽になっただろう。」と皮肉を言った。父は気力でそれまで持ちこたえていたのであろうか?
「いや、食べんと持たないから言っただけよ。」と言い返したが、その夜中にあっけなく逝ってしまい、私は父に言ったことをひどく後悔していた。でも、元々病気がちな母は限界に来ていて、大貫さんの家のようになったのではと思う。
父が亡くなり半年余り過ぎた。しかし、その状態に時が経つほど慣れない。
その後初彼岸まであれこれと忙しかったが、4月に入った頃から、母は朝起きる事が出来なくなった。
まるで登校拒否を起こした子供のように、朝になると熱が出て頭痛がする。ひどい日は終日起きる事が出来ず、梅雨に入ると、この季節気管支拡張を起こしか喀血した事があるのでなおさら、気分も滅入るのか愚痴っぽくなった。
運の良い事に宮崎へ行く日、ペースメーカーの検査に行くと心臓の調子は良く、熱のある事を伝えると、
「そんなの熱じゃありませんよ。」と言われた。低体温で36度以下なので6度5分あると気分が悪くなる。しかし、医者には以前と変わらないので心配しなくてよいと言われたので、少し明るくなって帰ってきた。
そんな状態だったので、私は心置きなく外出出来たが、帰宅した途端また依然のようになってしまった。
私たちは二人ともまだ父のいない食卓で侘しさを感じてしまい、食事を取るとそうそう自分の部屋に入り、以前のように茶の間で顔を合わせ話す事をしなくなった。
宮崎から帰ってから留守中は起きれたのに元のように昼近くまでベッドの中、起きても熱があると言って、2時くらいから4時近くまで休み、以前の様な覇気はなく、ぐちぐちとマイナスの気をだしているので、こちらも引き込まれるとまずいので相槌は打たず、突き放しているが、それも不満らしい。
話相手だった両隣の小母さんも左隣は頭はしっかりしていても足が不自由で外出が出来ず、右隣は最近急に痴呆が進み5分前の話も繋がらず、自分で料理する事も困難な有り様でまともな話相手にはならなくなってしまった。
このまま弱っていくのか心配でノワタリさんにご大御神社で買ったお守りに遠隔でご祈念して頂いた。上からの言葉は
「子供がすねているみたいなんですって…。人一人亡くなるってことは大変よね~。肩羽の無くなった天使と同じね。昨日からお母さんを見ると、黒い仏像が右足を組み左足を投げ出しているのが見えるんだけど、心当たりないですか?」と言われる。
「う~ん、そんなお姿の仏像は見た事も無いですね。」
「それをお母さんに全部お世話するようにすればいいと思いますよ。」と言われたが、数年前、88か所のお寺さんで頂いてきた小さな不動明王像と実家をの古いお不動さんの像の写真に朝晩ご挨拶はしている。
半跏像と言えば、広隆寺または中宮寺の弥勒菩薩様…。
それしか浮かばないのでお尋ねすると、
「…、それですかね?」と言われたものの、妹経由でお不動さんで有る事を伝えられた。
しかし、お不動さんの半跏像と言うのはなかなか見つからず、やっとあったと思っても、売り切れだったり、とても高価だったりして見つからない。
何度もネットの画像を調べるがうんざりするほど刺青姿が出てくるのには閉口した。
見つかるまで、半跏姿のものの画像をダウンロードするしかないかと思っている。