知らずに、天中殺年の天中殺の月に、部屋をリフォームした。
料理もしないのに、広いダイニングキッチンが目障りになって、直したいと思っていたら、例の祈祷師は 私の心を見透かしたように「家を直さないと、行き詰まる。早くしなさい。」と言われた。
仕事の事も相談した事もあり、「○○しなさい」という言葉が他にも出始めた。両親は数年前から、気が合わず、嫌っていた。不思議なことに、その先生が私の家に来ても、顔を合わすことはなかった。
夏から始めたのに 業者は決まらず、やっと12月に決まったが、工事は翌年になってしまった。
天中殺のせいかどうかはわからないが、その年の夏の終わりから急に左肩から腰に掛けて鋭い痛みを感じ始めた。鍼灸、整体、接骨院、婦人科と行ったが、その時だけで、一向に治まらなかった。結局、使い捨てカイロを2個、四六時中患部にあてて痛みを誤魔化した。
古い墓地もその頃になると、険しい獣道の為、私しか行く事ができなくなり、周囲のみかん畑も放置され、モノレールも錆びて、周辺のいくつかの無縁になった墓が点在している有様で、手に負えなくなり、数年前から、知り合いのお百姓さんに手入れを頼んでいた。このままでは、また、誰も行けなくなり、無縁さんになってしまうといけないので、リフォーム後、先生にじかに視てもらった処、今でも忘れられないが、唖然として信じられないというような表情をしていた。「このままずっとお守りして」「え~、このままなんですかあ~。」と私はとてもがっかりした。
結局、家屋も、母屋の3階に当たる場所に昔この辺に住んでいた船大工達が祀っていた祠を埋め立て時に 神事をせずに取っ払い、そこにまだ残っていることが判った。(良くぞ住居を3階にしなくて良かったと思う)
出会ったときに、手書きの図面で視てもらったはずだったが、その時に全部済んだ。 その翌年の初祈祷を最後にその祈祷師とは、縁が切れた。確かに助けていただいた事も多かったが、 家をリフォームし、家具を買い揃えたり、カタログを作ったりした事も大きな出費だったが、祈祷料、交通費なども馬鹿にならず、結構出費した。
気づけば、紹介してくださった人たちも急な病で亡くなられたり、事業に失敗されたりしていた。私も、最後に頂いた言葉は、「つぶれるよ。」であった。そう言って、あわてて逃げるように帰って行った。
それから、10年経ったが、あり難い事に守られているのだろう そのような事は起きなかった。 数年間、背中の痛みは続き、鬱になりかけ、運転していて、突っ込みたい衝動に幾度もかられたこともあったが、生活習慣を見直し、毎日朝5時半から1時間 氏神様をお参りしながら、散歩をした事でどうにか乗り切る事が出来た。
ここまで、ざっと書いてきて、私の通ってきた道ってなんなのお~と言いたくなるけれど、天中殺にリフォームした事も否定はしない。それがあって、今があるのだから。霊現象はまだまだたくさん起きたし、今もあるが、またの機会に書く事にして(体もきつい、盛り塩、水、お香をたいて書いた)本題に入りたいので「目覚め」について書きたいと思います。