Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

頑張るプリンター

2015-12-30 17:01:27 | 日々のつぶやき

 今年の7月の初旬5年間仕事に使っているプリンターの印字が出来なくなった。エラーメッセージもろくすっぽ見ずにトナーカートリッジを買った。しかし、後々よく見るとそれはトナーでなく「セッチャクユニットヲコウカンシテクダサイ」のメッセージが出ていた。

何々 接着ユニット???

このプリンターはAmazonで型番遅れで9割引き近い値段の1万円足らずで購入したものだった。レビューも上々で その通り以前使っていた二桁違いの高価なものよりもA3からA4と小さくなったが性能は良いくらいだった。

慌てて買ったトナーも無駄になってしまうので、接着ユニットを探した。

しかし、購入時から型番遅れなのでいくらさがしても、もはや生産中止で見つからなかった。

 

同じものが中古品で出ていたが、なんとそれは新品で買った値段よりも高く手を出す気がしなかった。

そのうち「ウィ~ン、ウィ~ン」と、泣き出しその度にメッセージが表示された。昭和のテレビのようにドンドンと叩いたところ、動き出し印字が出来た。

 新しい物をと思って探しても、なかなかピンとくるものが無い。一度格安の味をしめるとその条件に合うものは無い。

ウイ~ン、ウィ~ンと悲鳴をあげ、一日に何度も叩かれながらかわいそうにプリンターは3か月近く動いていた。私達は時折ネットで探していたが、もう限界だと感じ始めた9月の末 思わぬところから発売時期がほぼ同時で型番の末尾が近く見た目が同じ中古品を見つけた。価格も納得の行く7,8千円。ダメでも諦めのつく価格であった。

トナーは大容量でローラーもすべて部品はチェックしてあると言う。

ドライバーをダウンロードするのが面倒なので接着ユニットを取り、交換するつもりで購入した。

そう決めた途端、驚いた事に意思があるかのようにこちらの気持ちを汲みとり鳴き声も全くあげず、叩かなくてもスムーズにプリンターは動き出した。

2,3日経って新品同様の製品が届いた。接着ユニットを交換と思っていたが、ローラーの摩耗と言う言葉が気になり、そのまま交換しようとすると、新しい物には電源コードは付いていてもusbコードが無く、チエさんと二人で今の物から外そうとするが、しっかりとかみついたように外れない。

「今まで我慢したのにそれは無いでしょ。」と言って怒ってるみたいに頑として離れなかった。30分位試みたがこれいじょうするとコードが千切れそうなので諦めて当初の計画通り接着ユニットを交換した。

それ以来、何事も無かったようにトラブルなく動いている。

「けなげで愛い奴じゃ。」と、昔の殿様なら言うであろう。新しいものに比べライトグレーが日に焼けて色もベージュぽっくなって所々手あかが付き汚れているのが目につき、感謝の気持ちを込めて拭いたが、今まで机は拭いてもプリンターの側面や全面を拭いた事が無かった。

大量生産で作られたもの、極端に言えば単なる粒子の集まり…と言うが、物にも魂があると知らされた出来事だった。それ以来、雑で粗っぽく物を大切にしない自分を反省し、かかわる全ての物に感謝しなければと思った。


落し穴Ⅱ

2015-12-27 23:11:09 | 霊現象

 前回のブログは下書きのつもりがミスで公開してしまった。追記としてになるが

祓って頂いてもすぐに楽になると言う感覚は薄い。数時間経ちスッキリしたと感じるので、その後ノワタリさんに連絡とお礼を伝える事が多い。数日後ノワタリさんと話していると妹はその後の経過とお礼を言ってない事が分かった。

「山登りをするほど元気になられたのならいいわ…。」と、つぶやかれた。

しかし、幽霊さんなら祓って頂いてさよならできるが人の思いはそうは行かない。妹は仲の良い友人達なので、高校のクラスメイトと思いたくないらしかった。親しい身近な人間の方が妬みとか嫉みを強く感じるのであって、親しくなければそう感心がない。

私も以前とても身近な人に強烈な逆恨みをされた事があった。ノワタリさんにご祈祷をお頼みする事はよくあるが、たまに上の許しが出ない場合はして頂けない。その時もそうであった。

その人の持ち物に触れば手がしびれ、顔を見ればひどく黒ずんで見えた。ノワタリさんに相談していくつかの防御策を行っているうちに、時間は掛かったが相手の心がとらわれなくなって行き消えていった。

大体、なんで私だけ、私だけこんな思いをしないといけないの!と言う強い念から来ることが多い。

今回妹は 孫が生まれるだけでなく、近いうちに娘婿もやって来て家業を手伝う予定になっている。マスオさん状態ではあるがいづれは姓も次いでもらうようになるので、先の見通しが付きお家は安泰と浮かれていた。

母の手術の日までいて欲しかったのに、日延べするように頼んでも全くその気はなく「お大事に」の言葉も無く母が歯医者に出かけている間にさっさと帰ってしまったが、ノワタリさんの口を通じて

「煙たい、帰ろう。」の言葉を聞いた。

母も姪たちが幼児の頃に3度3か月から半年預かり子育てしたこともあったので、内心ひどく怒っていた。

「妹さんは上滑りになっていて危ない。私が怒っている事は上の怒りなの。あの凄まじい念を上のお力をお借りして祓ったのに後の報告も無いので 守りようがないわ。『私が一番先に』の言葉がそのあらわれです。速く姪御さん夫婦をそちらに帰るようにしたけど…後何もなければいいんですけど」といつになくキビシイ言葉を頂いた。

その後妹に伝え 電話連絡をしたが、本当の事を言うと伝えてから連絡なので手遅れである。

そんな事があってからの母の病気である。

以前は私も気丈な母とうまく行かず苦手であったがこの数年でそれは消え、もう昔の事はどうでも良くなった。そのことを今回妹が来た時に話したが、彼女はまだ根に持ち一度話したいと言っていた。

しかし、そんな事も含めて現在があるのではないかと思う。緩衝材の役目を果たしていた父も亡くなり「姉妹仲良く」の言葉はその後の事を心配していたのではと思う。

母と行き違いのあった妹はノワタリさんに☎をして相談したら、反対に今回の事を厳しくたしなめられ、詳しくは知らないが、先祖、土地と全ての因縁を解消したことで今がある事を諭され、感謝するように言われたらしい。

一時はどうしようかと思ったが、病院も次々と薬を替え、胃痛で弱ってはいるが 幸い母の頭の痛みは落ち着きつつある。多分回復するまでに2,3か月かかるであろうと思う。

妹も諭された事でそのうち昔にとらわれなくなるのではないかと思っている。


落し穴

2015-12-25 23:24:32 | 日々のつぶやき

 来月私は大叔母さんになる。姪に男の子が出来る予定である。

妹はルンルンで、

「私は何と幸せなんだろう。怖いくらいよ。」と言ったが、母に伝えると

「長い人生何があるか分からないのに…。バカ…。」とわたしにつぶやいたが、同じ言葉を妹に言ってたしなめた。

先月の法要に帰省した時の事、15人ばかり集まったクラス会から帰って来て、

「私がクラスで一番最初におばあちゃんになるのよ。」と、嬉しそうに言った。しかし、7人集まった女の子のうち3人は未亡人、その中には自殺もある。また一人は離婚手続き中ですったもんだの最中だった。

その翌日もまた、午後からお茶会と称して身重の姪と出かけた。その晩の事、私はひどい疲れを感じ、母があれこれと用を言いつけるのにイラつき、声を荒げて

「しんどいんだから、自分でしてよ。」と言ってしまった。妹と姪はその言葉に驚き、

「ちょっとその言い方は無いんじゃない。」と言ったが、ひどく体が重い…。

翌朝になっても疲れは取れず、ちょっとこれはおかしいと気付いた。しかし、私はその日外出してはいないので、

「あんたたち、どちらか体が楽になった人いない?」と、二人に聞くと

「私。」と、妹が言う。

「どうも憑けたらしいわ。」

「今度来る時、運転も疲れたんだけど、寝にくかった。」と、妹は言う。

ノワタリさんに連絡を取り祓って頂くと

「憑けてますね…。背中」と言われ、銘仙の着物を着た女性が憑いていた。

その後、妹には妬み嫉みのとてもきつい憎悪の念を受けていた。

最後に父が出て来て

「姉妹仲良く」と言った事を伝えられた。


帯状疱疹

2015-12-25 23:24:20 | 日々のつぶやき

 顔に出た帯状疱疹は厄介なもので早めに病院へ行ったものの、頭の中の神経を這い頭痛で母は苦しんだ。気づくのが遅れ、耳に出た人は40日間入院したが、後遺症で難聴なったとか、母の友人はお岩さんのようになったとか頭に出るととても大変である。

ノワタリさんは子育て中に目に出て黒目に出ると失明すると言われ、やけ火箸を当てられたような痛みで普通一度出るともう出ないと言われているのに、回復しかけた時今度はまた片方の目に出てひどく苦しかったと言われた。後脳の中にも出て治ってからもストレスが溜まったりすると頭痛がしたと言う。

 薬はとても強く、胃痛は当たり前で薬の副作用で尿が出にくくなったり、ひどく疲れて起きれなくなり寝汗が出て最近使っていなかったニトロを服用するようになった。週に2,3度病院へ行くたび症状を伝え、薬を次々と替えてもらったが、一時は通院する車の振動すらも頭が痛いと訴えた。

 薬のせいで心臓が疼いたとわかった時は少し安心したが、薬を替えてもやはりニトロを服用しなければならないほど衰弱しているので近くの病院で点滴を受け始めた。

今まで思った事は無かったが、後何年私達は一緒に暮らせるのかと思いはじめた。

妹は退院してから、母の病状を軽く考えているのか全く☎をよこさなかった。先月法要で帰省しても、同級生と合うのが目的だったらしく2日とも半日家を留守にした。

余りにも冷淡なので母の病状を伝えると、☎をよこしたが、今度は母と行き違いが生じ益々話がこじれてしまった。


弱り目に祟り目

2015-12-15 20:34:37 | 日々のつぶやき

 リフォーム後の顛末を書こうとしていたが、母が入院した。

10月に市内の病院で胃透視と腸透視をしたところ、大腸にポリープがある事が分かった。幸い良性ではあるが1㎝大になっているので切除しなければならないと言う。普通の人であれば、その場で済んだのだが、ペースメーカーをいれているのと高齢なので市の総合病院に回された。

11月の下旬の連休に父の3回忌をした後、25日に入院し、翌日の午後手術となり、最低でも1週間の入院の予定だった。

妹と身重の姪が法事に来たが、あっさりと24日に帰ってしまい手術に立ち会ってはくれなかった。たぶん、良性とわかっているので心配する事も無いと思ったのだろうと思うが、私達は肩透かしを食らった気分であった。

が、しかし 市内に住む母の従妹が一緒に来てくれたのでたいそう心強かった。

手術そのものは簡単で45分位で手術室を出て医者の説明を受け、ペースメーカーの電池の残量も不具合も無く済み、母は元気そうだった。

一人部屋を希望したがあいにくの4人部屋、まだよいのは窓際の東向きの位置で外の風景が良く見えた事だったが、外科と整形外科の患者で母以外は一人で何もできない痴呆老人ばかりだった。

私が覗いた時も、部屋に入ると消毒薬と食べ物と排泄物の混じったような独特の鼻に付く臭いがした。まだ建ったばかりの新しい施設だが、窓を開けようにもガラスだけはめ込んで在り開けるようにはなっていないので空調で調整してあるみたいだがすぐには消えず不便である。

毎日、私と叔母さんとが通ったが母はうんざりしていた。イビキとわめき声で安眠出来ないと言う。

それでも母はスタッフの間でペースメーカーを3度も入れ替えした人と話題になった事とメガネなしで本を読んでいることに驚かれたと自慢した。

病院などという処は一時も長く居る処ではないとばかりに勝手に退院日を決めてしまい10日入院するようにと止められたがさっさと1週間足らずで帰って来た。

元気であったのは2,3日。元々高齢で病弱で体力がない上手術と入院が堪えたらしくその後どっと疲れが出て寝込んでしまった。無理もない事で、夜中も関係なしにわめかれると安眠出来なかったであろうと思う。それと同時に私の体も同じで気のゆるみから風邪を引いてしまったが、明日は起きる事が出来ないだろうと明け方まで思うのだが、目覚めると熱はなく仕事をしていた。

それも限界で軽いぎっくり腰を起こしてしまった。いつものごとく接骨院と整体に通う日々となったが、私の体もパンパンに張っていて悲鳴を上げていた。

そんな日々を過ごしていると、母は8日の朝左のこめかみに湿疹が出ているのに気づいた。どうも水泡状なので帯状疱疹なのではと速く病院へ行くことを勧めた。

偶然先の従妹の叔母さんが、隣町の評判の良い皮膚科を紹介してくれ、その日のうちに行ったが、3、4日起きに通院している。 

母の場合、初期のうちに皮膚科へ行ったものの左の脳に次々と痛みが出て、よほど体に無理が行ったのだろうと思う。数年前、ノワタリさんが

「お母さんは 気力で生きている。」と、おっしゃられたが真にその通りである。