Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

誰もいなくなった

2024-07-31 18:21:50 | 日々のつぶやき

前回から まだ2年余りだというのに 私の大事な友人であるユキちゃん そしてノワタリさんも亡くなられてしまった。霊的な話をする人がいなくなってしまい 日々悶々としている。整理がつかずなかなか書くようにはならなかった。

まだ載せてはいなかったが、ユキちゃんと高千穂、阿蘇の珍道中を書こうと思っている間に行ってしまった。

彼女たちだけでなく、生きていても廃人同様になった友人もいるが、本当に心の底から話せる人がいなくなってしまった。

健康だけが取り柄だったはずだったが、2年前の7月 私は熱中症になり夕方気を失い倒れてしまった。暗くなってから母に起こされたがあたり一面嘔吐したものでいっぱいだった。

這うようにしてベッドにたどり着いたが気分が悪くてその晩のことはあまり覚えていない。一晩休めば良くなるか?と思ったが、そうではなかった。

翌朝、頭の向きを変えればめまいがしてオエ~となる。その日千恵さんは 喉頭がんで入院されていた姉さんが緩下治療に移るため病院を替わるので休んでいた。

母に 普通ではない体調なので救急車を呼ぶように頼んだが、熱中症の怖さを知らない母は 私の体調よりもコロナを恐れ呼んでもくれない。

お昼になりちっともよくならないので自分で救急車をオエオエ言いながら連絡すると、電話の向こうの受付は察してくれてほどなく救急車が来てくれたが、付き添いがいない。

ただ、18時間も呼ばなかった事に驚かれた。そして同時期に運ばれた知り合いが亡くなられていた事を今年知って驚いている。

お隣のご主人に来てもらったい病院へ運ばれたが、血圧は200近くあり点滴に降圧剤を3度いれて175まで下がったが、それから4,5日の入院となった。

落ち着いてきた頃 ユキちゃんがスキルス性の胃がんで入院して居る事を連絡してきた。ふたりでこの春亡くなられた恩師の家にお悔やみに行くことを約束していたからだ。

春に白内障の手術を彼女はしていたが、麻酔の効きづらい体質で片目は10年以上前にしていたが余りの痛さにその年まで伸ばしていた。術後いつまで経っても体調は良くならず、かえって悪いので

病院で調べると胃がんになっていた。

塾をしていた彼女は生徒を他へ紹介し 後の段取りをしてやっと7月に入院した。後でご主人の話によると胃の入り口まで広がっていたという。それでも 彼女は平静時と変わりなく明るく話していたが…。

連絡をもらった時も淡々と普通に話ていたが、彼女のお父さんも同じ癌で亡くなられていたので余命はわかっていたと思う。その間数冊の本と松葉エキスを送ったが、本は届いても松葉はダメだった。

その中に熊本の偉大な霊能者である松下翁のことが書いてあるものと塩屋信男の本を送ったが塩屋さんのは古本で元の主思いが強く、それを感じる彼女には到底受け付けず、新刊本を送り直した。

それでもお母さんが熊本出身だったので「よか~。」と明るく振舞っていた。10月に緩下治療に移り11月下旬に亡くなられたが、癌の人とは思われないほどふっくらとして変わりない穏やかな顔であった。