あの世とこの世は海綿状のような物で重なっていると本で読んだことがあるが、亡くなってしまった父はノワタリさんの口を通じて生前には聞けなかった本音を聞かせてくれので不思議な感覚である。
私と彼女が話していて父の事に触れるとすぐに横に現れ、半月前に妹と二人の娘がノワタリさん宅にお邪魔した時も妹に言葉を残したそうであるが、しかし、その内容も生前の父しか分からない事で、可笑しくてちょっとにんまりしてしまう。
姿を消すとき、時々思い出して話題にして欲しいと言ったそうだ。
やはり1年前に亡くなったむっちゃんも同じで、四十九が明けて私の前から消える時、同じ事言い残した。
彼女の1周忌に墓参りに行くと、今度はチューハイが浮かんだのでそれを持参した。昔、泊まりに行った時、嬉しそうに缶チューハイを出してきたのを思い出す。
二人の姿が見えないのはとても寂しいが、ノワタリさんのおかげで話しが出来るのでお互いにありがたいと思っている。
お彼岸になり、妹と姪が来て母屋の茶の間で七時ごろ話していると、来客があると反応するアラーム音がピンポ~ン、ピンポ~ンと二,三度鳴り、でてみると、シャッターは降りていて何も反応するものもないので私達は父が来たのを知らせたのだと私と思うとは口々に言ったが、母だけは何かが反応したと言い、信じない。
彼岸明けの夜も、私の部屋の入り口ドアのセンサーライトが誰もいないのに点き、帰るのを知らせた。
父が床に就き起き上がれなくなってから、他県に住んでいる親類の事をよく母に口にしていた。
「あのまま逝くのなら、良すぎるよな…。」
その叔母は夫婦仲が悪く、三十年以上家庭内別居状態で家事はせず、毎日外食で毎晩遊びに行き、昼までご就寝という生活をし、一切叔父の方の身内と付き合いはせず、祖父の葬式に出会ったのが私も最後だった。
その叔父も 釣りには来ても一度も墓参りにも来なかった。
その事をノワタリさんにお尋ねすると、
「行くわけないでしょ。それじゃあ不公平でしょ。生き様があの世を決めるの。良い処にはいけないわ。」と言われた。
父の亡くなった二人の兄弟の葬儀のも夫婦とも来ることもなく、父が亡くなった時は二人とも外食生活がたたり、病気で動けなかった。
この10年間ノワタリさんのお供をして歩いて来たが、今身に染みてよくわかる。自分の生き方に責任を持つ事に。
決して「してくれるだろう~な」というような甘えを持ってはいけない。それはまた天に借りを作ってしまう。
今流行りの「倍返し」などという事をすれば、大事である。気の強い私は、以前やったらやり返すほうであったが、反省です。
あの世で父は祖父母に出会っても
「あ!」と言ってその存在を確認してすれ違ったと言うが、スエデンボルグも書いていたがあの世の段階はとても多く親子であっても居る処が違うそうである。
それを裏付けるように好きな俳優さんの一人である川津祐介さんの「3回死んでわかったこと」はご自分の経験を書かれているので、とても分かりやすい。
3度の臨死体験を自伝っぽく書かれているが神の存在と、生き方により行先がかなり違う事を書かれている。