今年はコロナの影響で気分が沈む。
そして冬はいつもより暖かく桜の季節になり花冷えというのだろうか肌寒く、季節がどちらに向いて言行っているのか分からなくなくなりそうになっている。時折どこかから流れてくる桜の花びらでまだ散りきってないのが分かるくらいだ。
さて本題 中国でコロナが騒がれだした頃、隣の同級生はおばさんの1周忌を済ませ1月26日の朝、 春節で休みになった子供と嫁さんに会うために中国へ行った。
それまでみんなでしきりに止めたが妻子に会いたく聞く耳を持たず、
「14億からしたら大した人数ではないわ。」と言い、大方の人がキャンセルしたガラガラの飛行機で上海へ出かけて行った。
始発便に乗るため駅まで見送り、帰国しても2週間は来ないように伝えた。
その後、私たちは彼は帰国できないだろう、どうしているのかなと心配していたが、1か月近く経った2月23日の夜帰国を知らせて来た。団体客だけ入国を止め、まだ個人は入国していて四国の空港は運休になっていたが関空は動いていたのを知らなかった。
「どっちの家にいる?」
「え!!どこにいるの?」
「帰ったぜ、お土産わたしたいから 今から行くわ」と電話の声、母と私は焦りまくり超高齢で持病がたくさんある母は必死だった。
「土産!いらん、いらん、来るな、来るな、来たらいけんで~」と二人の大合唱…。
「土産はこっちで買ったんだけど」というが、この場合頂けない。
「中国は検疫がきつかったけど、こっちはなんもない…。関空からの方がぎゅうぎゅうで若い子がマスクもせず、咳をして怖かったわ…」というがこっちも怖い。
やんわりとお気持ちだけいただくわと言えば良かったものの あとの祭りである。
その後落ち着いてから、
「さっきはご免」と電話したものの、預かった鍵、郵便物の請求があり家の前に電話して置いて帰ったが、ばい菌扱いされたと思ったらしく、毎日来ていたのが2週間経っても来なくなった。
存在を示しているのはゴミの日に出ているごみのみでチラッと見かけると引きこもっていたので痩せて眼ばかりぎょろぎょろしていたが、最近は普通に生活しているので以前の姿になっているみたいだが、まだ気分はなおっていないらしい。
駅まで送って