Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

ビリケンさん

2012-12-28 00:40:56 | 日々のつぶやき

引っかかっていた。見覚えのある顔なのに思い出せない。

昨晩、親と暮らせない子供達の施設へ慰問に行き、焼肉をしながら、互いに歌ったり、踊ったりするのだが、「あたりまえ体操」を施設の先生と10人くらいの男の子達が踊っている中に、見たことあるのに誰だか分からず、もやもやしていた。

小学校4,5年生の男の子、とんがった頭で吊り目、大きな平たい口元、目鼻立ち特徴のある顔なのに...、誰だったしら、いや毎年来てるから以前からいた子だから...気になり子供の名札を見ても心あたりはない。

私は目が悪いせいか人の顔をおぼえるのが苦手その分声は忘れない。なのにこんなに強烈に見覚えのある顔なんて、誰!

やっと、今日のお昼に思い出せた。「ビリケンさん」だった。そっくりなのである。いかにもいたずら小僧という面構えである。本人とは席が遠かったので話さなかったので実際はわからない。

思い出せたことで、すっきりしたが、幸運の神様なので分かっていたら、「僕、幸運の神様によく似ているよ。」と、教えてあげれたと思うのに残念。

子供達はそのほか、幼児たちの踊りと高校生と中学生の女の子達のAKB48の歌に合わせて踊ったりクイズを出したりしたが今年は前年に比べおとなしい。

以前は私達もはじけてかつらを被りゴミ袋で作ったスカートで「お嫁サンバ」を踊ったり、腰蓑をつけ「やしの木陰」のフラを踊ったり、河童の扮装をして「かっぱさまさま」その他、さそり座の女、銭形平次、ハメハメハ大王、恋のバカンスと毎年衣装を作り練習をしたが、この数年メンバーが少なくなりおとなしくしているが、コスプレではじけたくなった。

 http://osakaikoka.seesaa.net/article/303007455.htmlビリケンさんの像

その施設にはもう30年近く、毎年この季節20人くらいで訪問している。

子供達はみんな自然に大きな子が年少者の面倒を見ていて仲良くほほえましい。

1年の活動の動画を見せてもらい、日帰り旅行や施設同士の交流会、他色んな行事があり楽しそうだった。

メンバーの一人が始めて訪れた時、昔の結核病棟の隔離施設だったので余りにも殺風景と言う事で、花壇を造りに行ったのが始まりだった。

外部からの人間が珍しいらしく、幼児たちが寄ってきて花の苗や球根を植えていると、話しかけてきた。じっと見ていたが話しかけてきたのは4歳の男の子だった。

その時、施設の人に聞けば、老人施設は舞踊やカラオケの会とか、民謡の人たちが訪れるがここに慰問に来られる人は余りいないと言われ、子供に

「何が食べたい?」と、聞けば、「お肉を腹いっぱい食べたい。」と言った事から始まった。

30年近く経つと、施設も建て替えられ快適になり、先生方も子供達も入れ替わってしまい、ずっと年上の先生方ばかりだったのが、今回園長先生になられたのは昔からいる少し年下の男性だった。

でも余計な事だが、先生方は定年で辞めていかれるので子供達が卒園してからよりどころとなるような個人的な信頼関係を築いているのだろうか?と、ふと思った。

私と同じ事を感じていたのは向かいの席にいたほぼ同年齢の女性で

「先生方替わったわね。毎年少しづつ顔ぶれが替わってきたけど、若い人が多くなったわね。そうよね子供ももう昔の子は親になってるもんね。」と、同じ一人者同士で同じ事を言って笑った。

が、昔は中学を出るとこの施設も卒園だったが、10年くらい前から高校生までいる。

それ以上に変わったのは子供達の境遇である。本当に身寄りが無いということは珍しく、片親で出稼ぎに行くので面倒見れないとか、再婚する為に入れるとか、親が育児放棄したとか、それぞれであるが、昔はこっそり外で面会だったのが、今はそうでもないらしい。

一番か悲惨だったのは親が智恵遅れの中学生男子を置き去りにして夜逃げし、近所の人が餓死寸前のその子を見つけ、入園させたという話が昔あった。もうその子も30歳を過ぎているだろう。

また、友達の姉さんが昔勤めていた頃、乳飲み子を背負って自宅まで連れ帰ったこともあったが、今年は学齢前の子は少なく、今まで40人の定員いっぱいだったのが、今年は大幅に減り29人しかいなかった。

卒園者と子供手当てをもらう為に親が引き取ったと言うことである。

そんな子供達はどうせ親に使われるだけでこの施設にいるほうが幸せだろうと思う。

福祉は、学費、給食費の無償と施設の充実にし、ばら撒きでなくサービスにする方がよいのでは思う。

本当に必要な人にはいかず、生活保護の支給日にタクシー横付けで来る人もあると聞いた。

消費税は公平だと思うが、低所得者にお金を支給するという案があったが、オーストラリアだったと思うが惣菜とかサンドイッチのような調理品とか、菓子類以外の食品は課税しないという風にできないものであろうかと思う。

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今度は天井から、水が

2012-12-23 22:28:57 | 日々のつぶやき

今年は寒い日が多く、すっきり晴れる日が少なく、毎日雲が低く覆っていてまるで裏日本みたいである。

10日ほど前、上の階の奥さんが、洗面所の排水バルブが故障して水漏れしていると言われたので翌日、業者に頼んで直してもらったはずだった。その時は、簡単そうで10分くらいで帰って行った。

4日前、やっと入浴の許可がでた父が脱衣籠に入れたシャツの袖が濡れていて、「何で?」と不信そうに言って来た。

しかし、その夜遅く洗面所の床一面に水びたしになっている事に気づいた。

拭こうとしてタオル入れに手を置くと、盛積んでいたタオルも全部濡れていて使い物にならなかった。

タオルを積んでいた所に落ちてきていたので音もしないので気づかなかった。

深夜11時を過ぎていたが上の階の奥さんに連絡を取り、洗面台で水を流さないようにたのみ、翌日また業者に連絡を取った。

その業者は例のトイレの修理を頼んだ所で今回も、こういう結果になり、腕が悪いのか私と相性が悪いのか気が滅入る。

「今度は、丁寧にじっくりしました。様子を見てください。」と自信なさそうに帰った。

「じゃあ、前回は手を抜いたのかい?」と口には出さなかったが思った。

でも、これで直らなかったら、洗面台を外して調べるしかないそうであるが、もう此処には頼みたくない。

残ったのはグショグショのタオルの山とじくじくになったフローリングの床だった。

この天気で洗濯しても干す場所もないのでコインランドリーに行く事にした。

今朝、8時過ぎに行くとまだ早いらしく客は居らず、乾燥機が一つ動いているだけだった。

その後、洗濯を終え、30分の乾燥時間が来るので店見計らって行くと、椅子に座って不機嫌そうにしていたおばさんが近づいてきて「右上の人ですか?」と声を掛けてきた。濡れた洗濯物を持参してきたみたいで順番を待っているが、其処が動いてないのに取りに来ないのでイラついているみたいだった。

見れば、幼児の服があった。若いママさんだろう。呑気なことである。

「壁に『洗濯物が出されている事もあります』って書いてあるから、籠に移されたらどうですか?」と勧めて帰った。

私のように乾かないので乾燥機だけでも利用する人が多いみたいである。

その後母校が男女とも駅伝に出るので家族揃っての前で声援していたが、女子は普段の実力が発揮できなかったみたいであった。

その山のようなタオルをたたんでいて、ふと思った。

ガソリンスタンド、酒屋さん、米屋さんの名前の入ったタオルが結構あるのに今年は何処にもタオルをまだ貰っていない。もっと安価な物になったのかとも思うが、タオルだとて中国物が多くそう高くは無いが、ネームを入れる数量の関係か?と、たたみながら思った。

多分配られ事は無いだろう...。中には廃業した店もある。寂しい事だ。

そんな事あり、お墓掃除に行きそびれた。明日、3件のお墓に行かねばならないが、夕方から風が強く、雪になりそうな気配である。

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年の瀬も押し迫ったが

2012-12-20 00:26:17 | 日々のつぶやき

夕方 八百屋さんの前を歩いていたら、無造作にブリキのバケツに一縛り3本組みで百円でほおり込まれていた。かわいそうにこんなに安く売られてと思ったが、買うほうにはありがたい。

お正月には早く、時期が半端なので生産者が安く出したのだろう。ハウスで重油を焚いて育てたろうにと思うが...。

先月末に道の駅で買ったカサブランカは、今年はとても寒いのもあり4つあったつぼみが3個目まで開き、とても大きく香りも良く楽しませてくれている。

しかし、年の瀬も押し迫ったというのにピンと来ない。

父が転倒し、おまけにチエさんのご主人が胸の痛みを訴え、病院に駆け込んだ。

そんな事もあり、バタバタとする日々が続いた。

母は何時も頼んでいる料理屋さんにおせちを頼むのが遅くなり、今年は断られてしまった。

父が転んだ事で落ち着かなかったからだと言うが、分からないでもない。高齢になり一つの事が気になるとそれに捕らわれて気が回らなくなるみたいだ。

チエさんのご主人は狭心症と診断され、二度手術された。

おまけに今年はまるで裏日本のような天気ですっきり晴れる日が少なく、の日は動くのを控えた。雪は見る見るうちに積もり、チェーンを持っていないと大変。

やっと晴れた先日の日曜日は目いっぱい動き、布団を干し、洗濯、窓拭き、そして調子に乗ってカーテンを全部外し洗濯して干した。

天井近くのカーテンを脚立に乗り外していたら、背中の左に違和感を感じた。軽い筋違いを起こしてしまった。それでも掃除を3時近くまでしたが、動かしている方が楽でじっとしている方が痛みを感じた。

近くの整体に通う日々になってしまった。自分でも意識を向けると、左足からとても痛いものが出て行き、図書館で借りた「弱ったからだがよみがえる人体力学」を見ながらストレッチしたら大分楽になった。やはり頭も身体も使うほうが良いみたいだ。

しかし、今年は喪中のはがきが多い。10枚くらいは来ている。お葬式に行ったのも市内のお友達だけでも4件、叔母も叔父も亡くなったのでもう、年賀状も目上の方以外は来たのだけに書こうと思っている。

不精な私は試験勉強と同じように追い込まれて本当に年末になって何時も書いている。

中学生の頃、途中で嫌になり、あぶり出しでもないのに「あぶり出しです」と、鉛筆で書き裏面白紙で数枚出した。

3学期に登校すると、クラスメイトの男子がやって来て、

「おい、お前の年賀状真っ黒になったぞ。わし火鉢にずっとあぶったら...、おまえわざと書かなかっただろう」と、文句を言ってきた。

「え!ごめん、書き落としたんでしょう。」と言って誤魔化したことがあった。

最近はパソコンで作るがそうでない時、どんなデザインにするか悩んだ時、猫の足を借りて梅の花模様を作る事を思いついた。

愛猫のフクちゃんに「前足貸してね。」と、言ったか言わなかった覚えていないが、フクの前足をスタンプに付け、年賀状にポンポンと押していったが、猫は嫌がり暴れだし言うことを聞いてはくれないので5枚くらいしか出来なかった。(フクちゃんごめんね)

おまけに人間と同じで指紋のような筋があり、かすれて綺麗な模様にはならず、後ペンで上塗りをせねばならなかった。

はてさて今年はどうしようかなと思案しているが、また年末になってしまうのだろうと思う。

 

 

 

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能褒野神社へ

2012-12-18 22:52:41 | 日々のつぶやき

日曜の夜は支持した候補者が気になり夜半までテレビに釘付けになっていた。

前日の午後、不在者投票に行こうとしたら、友人から電話で誰に入れるかと聞いてきた。

私の支持は彼女の当てがハズレ違う候補者だったが「ダメ、今鍔迫り合いしてるから、万が一落ちても比例で当選できるように譲れない。」と答えると、仕方ないとあっさり諦めた。

「でも、その人絶対大丈夫でしょ。」と言うと、私が支持した候補者と同じ党のその地区の候補者が絶対許せないそうだ。

しかし、案ずることなくその候補者は比例でも当選しなかった。

そしてテレビを見ていると彼女が支持する候補者が当確になり選挙事務所に現れると横から身を乗り出して手をだししっかり握手している彼女の姿がテレビに映り、母と二人で苦笑いした。

夜半近く私が支持した人も比例で当選し、まずは一安堵。

先週の日曜もユキちゃんがやって来て、写真から消えている腕はヤマトタケル命様に縁のある何処かの神社へ行けばよくなるだろうといっていたが、亡くなられた能褒野を調べると、三重の亀山市にあることが分かった。

ユキちゃんはお伊勢さんにも行った事が無いというので、能褒野神社とお伊勢さんへ行き、同級生が伊勢志摩でホテル業をしているので来年行こうということに話が決まった。(行くことが出来れば良いが)

能褒野神社を調べると、今回も入り口付近に綺麗な水の湧き出ている池があった。命様の御陵は羽曳野にあり2,3年前お参りしたが、此処にも前方後円墳があった。

祀られているのは命様と弟橘媛様と此処の土地神様だった。

私に現れたのは弟橘媛様、彼女にはヤマトタケル命様、私達はその時代にも生きていたのだろう。その時代ノワタリさんは倭媛様の側近だったし、互いに何かつながりがあったかも知れず、不思議な縁を感じる。

彼女とは中学生の頃親しくなったが、母屋の斜め向かいに一人で住んでいた私の家によく来て試験前は勉強と称して泊りに度々来るほどで仲が良かった。それでも彼女は最近になって私が鎧を付けて本当の姿を人に見せず表面と中のギャップが大きく、実際の姿は違うのにと思っていたことがあり、ユキちゃんが私を守らなければと思っていたそうである。

しかし、私が変わりそれもなくなって来たそうである。

そして彼女はジクゾーパズルのようにだんだん繋がっていき、自分の前世などが分かってくる事がとても嬉しいとも言った。 

白鳥神社で彼女はヤマトタケル命様のお姿を見ているが、その容姿を尋ねると、

「そんなに大柄ではなく、とても綺麗な人...。」

ユキちゃんは家庭を持っているが、恋愛した経験が無い。

「ねぇ~、そんな立派な命様を知っていると周りの男性が同等には見えないでしょ。」と、尋ねると「そうやね...こんなにスケールの大きい人を知っているとね~。」と頷いたが、お互い様で、世の中の男性がこれを聞いたら「お前ら、何様ぞ!」と総スカンを食らい怒られそうであるが、周りの男性がなぜか近くにいるのに遠くで見ているような気がする事が往々にある。これも年のせいだと言われてもしょうがないか。

 

 

 

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逢いたかった人?

2012-12-13 21:36:07 | 日々のつぶやき

10月に3階の部屋に手を入れた後、ついでにトイレが水漏れしていたので業者に頼んだ。

「これは便器が割れているので交換するしかない。」と言われ、その通りにしたが、全く収まらず相変わらず水は漏れていた。

「前のは古かったから、サイズが合わないのだろう。」と言われ、パッキンを1枚かましたが、変わらない。また、パッキンを増やした。

しかし、全く改善されず連絡する度、悪態をつかれ、まるでこちらに落ち度があるように言われてしまい、父がこぼしているのではないかと言われる始末である。

濡れ衣を掛けられた父は呆れ、私も晴らすために一時使用しないように伝えた。

お金を払って仕事を依頼しているのになんでこんな不愉快な思いをしなければならないのか?母屋の洗面所、貸家のお風呂とこの最近毎年仕事を依頼しているのに...「もう付き合いは止める」と言った途端、手の平を返すように言葉使いまで変わり丁寧に応対しだしたが、

その結果、相変わらずの水漏れ...。お小水と真水の違いなどこんな事をしなくとも臭いと色で分かる。

その業者はメーカーに頼み調べてもらう事になったが、便器のせいでなく意外な事にウォシュレットからの水漏れだった。

左側から漏れているのは知っていたが、大手の建材屋が倒産してしまい、地元で購入すると定価で割高だったのでそれが落ち着いたらネットで買って自分でしようと思っていたが、水漏れして流れていたのは右前だったので驚いた。

半信半疑でウォシュレットの水を止めると水漏れは収まった。

そう言う事で、自分で便座の交換をしたが、最近は説明書も必要な分岐金具もあり女の私でも簡単に出来た。

その顛末をノワタリさんに話すと、「あなた、洋裁よりもそっちの方が向いてると思うんだけど。」と言われる。

先日大阪でスカートとプルオーバーを縫おうと思い生地を買った。それを話すとどうも私のイメージで無いらしく、「妹さんならしそうなんだけど。」といわれてしまった事があった。

確かに私もDAY仕事の方が生にあっている。

「男手が無いから、するしかないんですよ。」と言っていると、

「男の子が来てるわ。」

「それは生きてたら私の5歳上の兄です。つわりがひどく母体が持たず、5ヶ月で人工分娩して亡くなった嬰児と言うのか、しかし名前も無く水子さん扱いで...。今だったら助かったのかもしれないけど...」

現に下の姪は出産するまで、3ヶ月間病院のベッド横になったままで、無事に誕生した。

「ちゃんと供養してるから寒気はしないわ。」と、言われるが、生きていたならば長子で、私達の人生も大きく変わっていただろうと思う。

「でもかわいそうね、母親を助ける為とは言えど、母には男の子がふさわないと言われたそうなんです。」と話していると、

「『何時も一緒だよ』って言ってますよ。」と言われ、「其処までが、その人の命、お役目だったのよ。」と、慰められた。

生きていたら63歳、家庭を持ち孫に囲まれた生活をいているだろうと思うが、子供の頃昔の広い墓地の隅に埋めらているのを祖母か誰か母以外に教えられた。

この道に入ってから、いつも頭の何処かで気になっていたが、やっと現れてくれた。早く自分でキャッチ出来る力が付けばよいのだけどと思う。是非、自分で逢いたい。

そして一緒に守ってくれているんだと思うと勇気付けられた。

 

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