引っかかっていた。見覚えのある顔なのに思い出せない。
昨晩、親と暮らせない子供達の施設へ慰問に行き、焼肉をしながら、互いに歌ったり、踊ったりするのだが、「あたりまえ体操」を施設の先生と10人くらいの男の子達が踊っている中に、見たことあるのに誰だか分からず、もやもやしていた。
小学校4,5年生の男の子、とんがった頭で吊り目、大きな平たい口元、目鼻立ち特徴のある顔なのに...、誰だったしら、いや毎年来てるから以前からいた子だから...気になり子供の名札を見ても心あたりはない。
私は目が悪いせいか人の顔をおぼえるのが苦手その分声は忘れない。なのにこんなに強烈に見覚えのある顔なんて、誰!
やっと、今日のお昼に思い出せた。「ビリケンさん」だった。そっくりなのである。いかにもいたずら小僧という面構えである。本人とは席が遠かったので話さなかったので実際はわからない。
思い出せたことで、すっきりしたが、幸運の神様なので分かっていたら、「僕、幸運の神様によく似ているよ。」と、教えてあげれたと思うのに残念。
子供達はそのほか、幼児たちの踊りと高校生と中学生の女の子達のAKB48の歌に合わせて踊ったりクイズを出したりしたが今年は前年に比べおとなしい。
以前は私達もはじけてかつらを被りゴミ袋で作ったスカートで「お嫁サンバ」を踊ったり、腰蓑をつけ「やしの木陰」のフラを踊ったり、河童の扮装をして「かっぱさまさま」その他、さそり座の女、銭形平次、ハメハメハ大王、恋のバカンスと毎年衣装を作り練習をしたが、この数年メンバーが少なくなりおとなしくしているが、コスプレではじけたくなった。
http://osakaikoka.seesaa.net/article/303007455.htmlビリケンさんの像
その施設にはもう30年近く、毎年この季節20人くらいで訪問している。
子供達はみんな自然に大きな子が年少者の面倒を見ていて仲良くほほえましい。
1年の活動の動画を見せてもらい、日帰り旅行や施設同士の交流会、他色んな行事があり楽しそうだった。
メンバーの一人が始めて訪れた時、昔の結核病棟の隔離施設だったので余りにも殺風景と言う事で、花壇を造りに行ったのが始まりだった。
外部からの人間が珍しいらしく、幼児たちが寄ってきて花の苗や球根を植えていると、話しかけてきた。じっと見ていたが話しかけてきたのは4歳の男の子だった。
その時、施設の人に聞けば、老人施設は舞踊やカラオケの会とか、民謡の人たちが訪れるがここに慰問に来られる人は余りいないと言われ、子供に
「何が食べたい?」と、聞けば、「お肉を腹いっぱい食べたい。」と言った事から始まった。
30年近く経つと、施設も建て替えられ快適になり、先生方も子供達も入れ替わってしまい、ずっと年上の先生方ばかりだったのが、今回園長先生になられたのは昔からいる少し年下の男性だった。
でも余計な事だが、先生方は定年で辞めていかれるので子供達が卒園してからよりどころとなるような個人的な信頼関係を築いているのだろうか?と、ふと思った。
私と同じ事を感じていたのは向かいの席にいたほぼ同年齢の女性で
「先生方替わったわね。毎年少しづつ顔ぶれが替わってきたけど、若い人が多くなったわね。そうよね子供ももう昔の子は親になってるもんね。」と、同じ一人者同士で同じ事を言って笑った。
が、昔は中学を出るとこの施設も卒園だったが、10年くらい前から高校生までいる。
それ以上に変わったのは子供達の境遇である。本当に身寄りが無いということは珍しく、片親で出稼ぎに行くので面倒見れないとか、再婚する為に入れるとか、親が育児放棄したとか、それぞれであるが、昔はこっそり外で面会だったのが、今はそうでもないらしい。
一番か悲惨だったのは親が智恵遅れの中学生男子を置き去りにして夜逃げし、近所の人が餓死寸前のその子を見つけ、入園させたという話が昔あった。もうその子も30歳を過ぎているだろう。
また、友達の姉さんが昔勤めていた頃、乳飲み子を背負って自宅まで連れ帰ったこともあったが、今年は学齢前の子は少なく、今まで40人の定員いっぱいだったのが、今年は大幅に減り29人しかいなかった。
卒園者と子供手当てをもらう為に親が引き取ったと言うことである。
そんな子供達はどうせ親に使われるだけでこの施設にいるほうが幸せだろうと思う。
福祉は、学費、給食費の無償と施設の充実にし、ばら撒きでなくサービスにする方がよいのでは思う。
本当に必要な人にはいかず、生活保護の支給日にタクシー横付けで来る人もあると聞いた。
消費税は公平だと思うが、低所得者にお金を支給するという案があったが、オーストラリアだったと思うが惣菜とかサンドイッチのような調理品とか、菓子類以外の食品は課税しないという風にできないものであろうかと思う。