Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

大元神社

2010-08-22 11:54:07 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

相変わらずの暑さだが4,5日前からつくつくぼうしの鳴き声がしたと思ったら、夜は秋の虫の音がし始めた。

私の町の神社が神社庁のホームページにやっと記載されたので、気になる神社に朝早くでかけた。祭神様は天之御中主之神、高皇産霊神、神皇産霊神、天之常立神、国之常立神で根源とも言える大神様方が祀られている。

場所は先に調べていたが、もう一度神様名を確認しようとを立ち上げたが、なかなかネットに繋がらず、「応答なし」の文字が出る。約束の6時になってしまうので、確認せずそのままにして出かけた。

市の南側の外れの隣町と隣接する集落のその又外れになる。国道から、やっと1台の幅しかない木々に囲まれた曲がりくねった山道を登り、こんな所に集落があるのかしらと不安になりながら進んでいくと、森を出ると、急に視界が開け、山里の風景が飛び込んできた。学齢前に紅葉狩りに行った事があったが、たぶんであまり記憶に無い。母も女学生の頃遠足に来たと言ったが、70年以上昔の事であまり覚えていない。下の川沿いの家々の他あちこちの山に数件の家が点在している。

目印の公民館を探し進み、道を尋ねる人もいないので降りて、三叉路になると先に何があるか地図と照らし合わせた。橋を渡ると公民館の向こう側の突き当たりにその神社はあった。

今年立て替えられ新しく、地域の人が大切にお守りされているので境内も綺麗であった。この神社の場所が紅葉の名所で沢山の楓と大きなイチョウととても古そうな榊の木があった。どちらもしめ縄がはられ御神木だった。

私達は、境内をいつものごとく清め、祝詞をあげ、ご祭神様方に無事にこれた事と、すばらしい朝日を眺められた事を感謝した。お社の後ろから朝日は上ってきていた。新しい手水鉢のほか、湧き水が出る古い手水があり、私達はその御神水を頂き、ヒスイのブレスレットを水に浸し清めた。母は少し上にある枯れかけている小さな楓の苗木に杓でリレーして水をかけた。

朝早いので静、時折鳥の鳴き声がするものの、蝉も鳴き始めたのはすべてが終わってからだった。私達は朝日を浴び、木々の緑を楽しみ、とても明るく良い気を頂いた。「また、こようね。ざわざわしてなくて良かったね。」と口々に言いながら鳥居を出た。

帰り道は少し余裕が出てきて、周りもよく見える。神社に居る時、の走っていく音は聞いたが、人に出会う事は無い。半分は放棄された田畑が目に付いた。山の中なのでみかんにも適さない。

母の幼なじみがこの集落にすんでいるという。その人が「『町に出るにはタクシーに乗るしかない』と言われていたのが分かるわ」と言った。

その後、隣町のファミレスで朝食をとり、帰宅した。

で撮った写真をに取り込んだついでに、又神社庁のはホームページで確認すると地図が出ており、驚いた事に先程行った神社とは別だった。

その集落の中心近くに大元神社はあった。そのほか南の外れにも...

私達がお参りしたのは北の外れだった。しかし、なぜその場所と思い込んだのだろう???しかし、中心部の神社であれば山を背にしているので朝日は拝めなかっただろうと思うし、人の往来も多くあれほど良い気ではなかろうと思う。

でも不思議、なぜあの大元神社に行ったのか

 


かわいそうなミーコ一族 Ⅰ

2010-08-16 13:01:18 | ネコ

今月の10日はフクちゃんの命日でチエさんにひまわりの花を頂き、二人でフクと他の猫ちゃん達の冥福を祈った。

フクと同じ年のミーコという猫が近所にいた。

ミーコはとても利口で穏やかなかわいらしいネコだったが、人生?の振幅が大きく良い時とそうでない時の差が大きかった。初めて見かけたのは、一つ向こうの通りだった。その通りのおばあさんの飼い猫と聞いた。

しかし、ミーコのおなかが大きくなった頃、飼い主は市営住宅に入り、ミーコを置き去りにしてしまった。その家の後の入居したおばあさんの兄弟が家の近くに住んでおり、「留守がちだから、ネコに餌をやって欲しい。」と言われたそうである。おばあさんは沖にある島から病院に通う為その家を借りたそうである。

そういう訳でミーコは近くの家に通ってきた。そのうちにミーコは5匹の子猫を出産した。

せっせと餌を運び育てていたが、猫を嫌う人もあり、餌をやっていた人も周囲に遠慮してミーコに餌をやらなくなってしまった。かわいそうなのは子猫たちである。

私は気になってしまい、時々こっそりと子猫に餌を持っていった。5匹の内、2匹は居なくなり、目のふちにアイラインを引いような子顔の美人のメス猫、これはたいそう気が強く、餌をやっても他のにとられないように「シャー!」と火を噴き寄せない。これはイヤミ猫と名づけた。

後、鼻の上が黒くなっている用心深く、とても小柄なメス猫、私はハナグロと名づけ、それをかばうように一緒に居るかわいいオス猫をお兄ちゃんと名づけた。

そのうちハナグロ兄弟は家の裏の倉庫に来たがノラの習性が抜けず、餌をやってもカリカリを好まず、結局、ご飯の鰹節とか、魚の残りを喜び、手を出してもなかなか寄り付かず、餌だけは家で食べ、倉庫をねぐらにし、昼間はその辺で遊んでいた。

一方ミーコは又おなかが大きくなり、近くの一人暮らしのおばあさんがミーコの事を思い余ってタクシーで病院に連れて行き、人工分娩をして子供を処分したあと不妊手術をして飼い猫にした。

その後、軽トラックで来る魚屋さんに毎日上等な魚を買ってもらい、刺身三昧の暮らしのお嬢様暮らしになり、その辺をうろついている我が子には知らん振りであった。

家に来た翌年、ハナグロのおなかは大きくなり、あんな小さな体で子供が出来るのだろうかと思っていたら、4匹の猫を出産した。子猫がチョロチョロし始めた頃、ハナグロは「後はよろしく頼むわ」と目で訴えたと思ったら、姿を消した。

1匹の赤トラの子猫は程なく、交通事故に遭い死んでしまい、(それでも残った兄弟達は死骸のそばを離れなかった)残った3匹のお母さんと一緒の白に背中が黒の縞模様の子たちが事務所に置いた餌を毎日数回食べにやって来た。一番体の大きい猫が甲高い声で「ご飯頂戴」とでも言うようにミャーミャーと言いながら入ってくる。おわんにてんこ盛りに誰かが入れるのだが、ミャーミャーと泣いた子は体は大きいのにつもはじかれて最後になってしまう。その甲高い声から私はオカマ猫と名づけ、その兄弟達を含めてオカマ3兄弟と呼んだ。

朝はシャッターを開けるとすぐやって来て、食事が終わるとヒューヒューとすばやく去ってしまう。触ろうとすると怯えてヒューと逃げそうになるので、できるだけ目をあわさないよう知らん振りをした。斜め前の空き家に住んでいたみたいだった。

お兄ちゃん猫はカリカリが御気に召さないみたいでリヤカーで引いて来る魚屋さんに餌をもらいだしたのでこない日だけ家にきた。しかし、寒くなりかけた11月の下旬、何か古いものを食べたらしく、嘔吐と下痢でぐったりなって家にやって来た。すぐさま獣医さんに連れて行き面倒みてこの子もちゃんと家猫になるかしらと思っていたら、良くなると自由な半ノラなってしまい、姿をあまり現さなくなった。しかし、体の具合が悪くなるとやって来ていた。

イヤミ猫は100m先の猫好きの奥さんに餌の面倒をみてもらい、これも半ノラの自由な生活をしているみたいだった。そこも「ちゃんと飼いたいと思っていたのにならない。」と言われていた。数年は穏やかに猫たちも過ごした。

しかし、オカマ兄弟も1匹消え、2匹消え、突然姿を消した。たぶん、春が来てよそにいい所が出来たのだろうと思う事にしたが、オカマちゃんだけは相変わらず、通ってきていた。時折、お兄ちゃんと鉢合わせして、伯父甥の間柄で喧嘩をしていた。

オカマが姿を消した頃、魚屋さんも廃業して他所に行かれ来なくなってから、お兄ちゃんはカリカリを食べに来て住み付いた。その頃はかってのかわいらしい面影はなく、片目は喧嘩の為白濁し、交通事故の後遺症でびっこになっていた。「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と表で呼んでいたら、通りを歩いていた体格の良い男性が「はい」と返事をされ、恥ずかしい思いをした。

お兄ちゃんは12歳くらいで姿を消したが、居なくなる3年くらい前から、疥癬になり、病院に通ったが毎年初夏になると症状が現れ完治できなかった。フクとは互いに知らん振りをしていたが、2月の寒い日ずっとストーブに当たっていたが、ひょろりと外に出て行った。私はその日夕方まで留守にしていたので父から後で聞いた。

出て行って30分ほどでまた帰ってきたが、どうも私を探していたらしかったが、諦め又出て行った。それから帰ってこない。大分弱っていたみたいだ。もっと大切にしてやったらと後で悔やまれたが仕方ない事と諦めるしかなかった。

ミーコの飼い主のおばあちゃんは癌になり、私に「飼って欲しい。ミーコの事を思うと心配で。」とよく言われたが、大変2匹は仲が悪く、顔をあわすとオス猫みたいな組み付き合いの喧嘩をしていたので受ける訳に行かなかった。

自分のテリトリーだと思っていた町内に突然ミーコが来たのでフクは気に入らない。

フクの方からミーコの家に押しかけ喧嘩をしていたが、ミーコが大きくなったのでしまいにはフクの方が負け続け、小さくなっていた。

とうとうおばあちゃんは亡くなり、またミーコは10年余りでノラになった。しかし、前の家の人が餌だけはやっていたが、ある日、おばあちゃんの家を開けた時、おばあちゃんを探し、ミーコもするりと一緒に入り、気付かず締めてしまったらしく、閉じ込められてしまった。

2,3日経ってミーコを見つけた時は、美人の顔が台無しで、必死で戸を開けようとしたらしく、口がゆがみ、キバが変形していた。

そんな事があった後、お兄ちゃんが姿を消した1ヵ月後ミーコは近くの県道で交通事故に遭い亡くなったと言う。おばあちゃんが亡くなって半年後の事だった。

イヤミ猫も飼いネコになりきる事が出来なかったが、近くの空き地に沢山の子供や孫と暮らしていた。時々餌をやっていただけなのだが、初めて私の家の前まできて「お世話になったわね」?とでもいいそうな目をして去って行った。それが最後だった。一族郎党はその空き地や周辺の空き家に住み着いていたが、家が建つことになり、みんな近くの駐車場に移って行った。しかし、駐車場の借主達から、「糞が臭い、危ない」と苦情が相次ぎ、持ち主が猫を全部捕まえ、どこか山の方に捨てたらしいと聞いた。

私の家にも猫はいない、近所で幅を利かせていた黒い縞模様の猫も見かける事も無くなった。ノラ猫も野良犬もいない。味気ない日々である。


不愉快な一日

2010-08-15 22:12:02 | 日々のつぶやき

 

昨日、友人が来ておしゃべりに花が咲き買い物に行く暇が無かったので、榊、御神酒、お塩を買いに出た。

隣町の農産物市場で綺麗な榊と薔薇を買ったまでは良かった。その帰り道、ドッラグストアで御神酒2本、塩2袋と母に頼まれていたティッシュを買ったが、炎天下の中の中に榊や花を置いているとしおれてしまいそうだったので店内に持って入った。

それだけでも大きな束になっていた為、お酒や塩は重い。そそっかしい私はティッシュ5箱組を置き忘れてしまった。

家の中に全部持ち込んでから、その事に気付いた。そのまま引き返せば良かったものの、もう無いかもしれないなと思ったので、とりあえず店にをかけ、確認する事にした。

ツーツーツーと話中である。リダイヤルにしてそのまま掛け続けたが5分経っても10分経ってもつながらない。その音にイライラしてきた。わずかな事なのでもう、取りに行くのは止めようかしらとも思ったが15分経って掛けてもつながらない。

ティッシュはどうでもよくなっていたが、がつながらない方がイライラして腹ただしい。きっと外れているのだろう。

だめ元で、店に行き見回したがもう無かった。当然だろうと思う。

又、新たに買い求め、レジにいる男性に「先程、買ったのですが、置き忘れて帰ってしまったんですがなさそうなのでまた、買いました。その事をするのに15分経ってもつながらないので受話器が外れているんじゃないですか?」と言うと「いつですか?」と問い返されたので、レシートの時間を見せた。

別にクレームをつけている訳では無い。ただ、受話器が外れている事を伝えただけだったのに、通りすぎようとしたら、ドリンクを2本手渡された。

にもどり、バッグや袋をいれてから、レジの男性に「私のミスですからもらう訳にいきません。」と言ってお返しした。ジワ~と怒りがこみ上げてくる。私はクレーマーなのか!惨めな気持ちになりとても腹が立った。

駐車場を出ようとしたら、たぶん始めにレジを打った女性だったのだろうか「忘れ物ですよ」と先程買ったティッシュの箱を持ってきたのでお礼を言って窓から受け取った。

しかし、ずっと怒りは収まらず、なぜ、そんなものを渡すのよ。別にいちゃもんをつけに行ったのじゃないと大声で言いたかった。

しかも、家に帰り母に手渡した後、二階のお手洗い行くとその横にトイレットペーパーの山の中にティッシュの箱5箱組が3組もあった。戦時中の物のない時代をを経験した母は何でも沢山買って置く癖があり、それだけでなく買い置きをすぐ忘れてしまう。これならば、行かなかったものをと余計に腹が立ってしまった。

 


にぎやかなご先祖様

2010-08-14 21:19:43 | 霊現象

お盆はなにかと忙しい。明けた16日は、菩提寺の礼拝堂と3箇所のお墓参りである。(母方の実家、伯父の家)

2,3年前、母の実家の墓を九州に移したので母は実家に出かけていた。その晩、ノワタリさんからの電話でその事を言うと、「あの~、細面で目のパッチリした原節子に似た人が出てきました。」と言われる。「はぁ~、そんな美人、家には居ないわ~心当たりはないんだけどぉ???何歳くらいの人ですか?」と聞き返した。

「30歳代かしら、ショートヘアで白いシャツを着てられます。」と言われる。本当に全く心当たりが無い。でも今回の墓を移して出てくるという事は母方である。亡くなった時の実年齢で出てこられるばかりではない事に気付いた。「愛子さんかしら?」と言うと、「にっこり頷かれてますからそうですね。」と言われた。愛子さんは母が女学生の頃、学齢前に腎臓病で亡くなられていた。みんなが一緒になった事を本当に喜んでいるのをノワタリさんを通じて伝えたかったのだろう。母に伝えると、「姉妹うちで一番かわいらしくて利口だったけど、はらせつこぉ~???」と首を傾げた。

母は20年位前、亡くなった時に着せられ」た紫色の着物を着た愛子さんが「連れて行って、連れて行って。」と泣き、母は女学校の制服姿で「何処に行ったいいの~」と困り果て、泣く愛子さんを背負ってお寺の山門の周りをぐるぐる回る夢を見た。

余りにも不思議なので実家にすると、勘の鋭い母だけに連絡せずその日祖父母の遺骨だけ九州にもって行ったという。驚いてまた愛子さんのを取りに来た。

その数ヵ月後の五月の事、母と隣町に住んでいる叔母と愛子さんの命日の30日にお墓参りに行く事にしていたのが「誰も墓参りに行く人も無くて寂しいだろうから」と叔母が言い、同じ命日の地元に家族が居なくなってしまったおばあちゃんのお墓参りに行く事に変更した。

その後、叔母の家にお使いに行くと、叔母は九十度近く腰を曲げて後ろに手を組んで出てきた。あれ~変ね???こんなに急に腰が曲がるなんてと思い、母に伝えると、「あの人は畑仕事をしてるから、以前から曲がってるのよ」と言って、取り合ってくれない。

しかし、数日後母が叔母に会うと余りにも腰が曲がっているのでおかしいと気付いた。おまけに聞くと、叔母はすこぶる気分も体調も悪くお迎えが近いのではと思うぐらいだったと言う。

ノワタリさんにお尋ねすると、「あの~、すごい剣幕でおばあちゃんが怒ってますぅ。片手落ちだと言ってます。」と言われる。「武家風の身なりのしっかりしたおばあさんです」

「あ!おチョウさんだ」私の曽祖父の母である4代前のおばあちゃんだと思った。私はそのおばあちゃんの顔は当然知らない。母は写真で見た事があるとはいうが母が生まれる前に亡くなられている。しかし、母の家では有名な女傑のおばあさんだ。

おチョウさんの父は酒好きで仕事をせず、一生酒を飲んで暮らしたが財産をへらさなかった事が自慢だったと言う。しかし、おチョウさんの母親は帰ってしまい、彼女も御殿奉公してその後嫁いだ。実家にいた兄さんは親に見切りをつけ仏門に入ってしまった。後妻は居たが跡継ぎが無い為、親戚が子供もあったおチョウさんを連れ戻し、婿養子をとったと聞いている。

口八丁手八丁の卒の無いおばあさんだと母から聞かされていた。

ノワタリさん曰く「富士山の噴火みたいに強烈ですぅ」とそして4代前のおばあちゃんの事がわかるなんてすごいと言われ、笑われた。

その件は私が九州に墓参りにいく事で落着し、叔母の体調も治った。

しかし、その後も見えない私達で無くノワタリさんの所に出たみたいで、こんなによそのご先祖が出てこられるのも珍しい、おチョウさんはお茶目でね、お酒も好きみたいですよ。」と昨年、こちらに残っている母方のお墓に一緒に行った時に言われた。

母は嫁いだ身だがそのおばあちゃんの血を濃く私達が引いているらしい事を言われた。

 


海のお清め 瀬戸内海、太平洋、宇和海

2010-08-09 22:41:27 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

ウスバエ海岸(足摺)

川の清めが続いたが、その後海になった。8月1日の早朝、チエさんと瀬戸内海まで走った。今回は、御神酒、塩、お水、鈴の他、榊とご神鏡を奉納した。しかし、奉納する鏡を忘れてしまい、取りに帰り当初の目的地と変更して行った。

瀬戸内海

そして1週間後の8日、黒潮が日本で最初に接岸するポイントの足摺岬のウスバエ海岸、宇和海にまた、二人で出かけた。

昨年出かけた時は前が見えず、ワイパーが振り切れそうなくらいの大雨で途中で引き返そうか思ったが、今回もお天気は不安定で途中何度も雨が降ってきたが、足摺スカイラインは濃霧と雨で、また、お天気は悪いな~と思っていた。

まず、白皇神社の菊理媛様にご挨拶してからと思い、神社の近くには置けず、駐車場を探して金剛福寺の付近まで行ったが、周辺は離合できないくらい車と人が多かった。

反対にウスバエは沖の岩礁に釣り人が一人居るだけで、誰も居ない。清めるには絶好の機会だった。竜王神社にご挨拶をして、清めをした。神事をし始めると、海面がぶわぁ~と膨れ上がり、岩にどぉ~んという大きな音で波が勢いよくぶつかって来た。撒いた榊の葉は瞬く間に沖に持ち去られた。最後に海にやっとの思いで手を入れてエネルギーを入れた。ゴツゴツしている上に波が荒く、下手をしたら落ちてしまいそうな所だった。

途中、見晴らしの良い所でウスバエ海岸を見ると、海がとても青く白波とのコントラストがとても美しく、「青い海、四国」という何かのキャッチフレーズを思い出した。(一番上の写真と下)

 唐人駄馬

前回大雨で行けれなかったので唐人駄馬の巨石群を見に行き、千畳岩の上で眺めを楽しみながらしばらく休んだ。この日も6時前からずっとに乗りっ放しだったので少し疲れが出ていたのが、此処に座っているだけで回復した。足の裏がずっとビリビリしていた。スカイライン側は黒い雲と霧が見えて雨、ウスバエの方向は晴れている何とも左右で対照的な天気...。此処は日差しも強くなく、30度きっていて心地よい風が吹き、いつまでも居たいと思ったが、家族連れが来たので場所を譲って降りた。足摺テルメで昼食を取り、今度は宇和海に向けて走った。やはり、スカイラインは雨。

宿毛まで出ると30度を超え暑くなってきた。

最後の目的地まで来ると、もう3時を回っていた。

宇和海

一休みして清めをしようと思ったらどじな私は、又にご神鏡を忘れたりしてバタバタとしてしまった。「お清め申し上げます」と心の中で思った途端、又波の音が大きくなった。足摺とは違い、傾きかけた太陽の日差しがきつくジリジリ肌をこがす。

祝詞をあげ始めるとなぜか、チエさんもずっと足のうらがビリビリしていたという。上記の写真の手前がキラキラと光っているのが気に掛かる。その辺にご神鏡が沈んでいる。

3つの海は波の荒さも、色も(温度も)全く違うのが良く解った。瀬戸内海は穏やかで本当にうち海で静、太平洋は荒々しく豪快だった。

朝6時前から、夕方6時近くまで12時間私達は走り回っていたが、疲れを感じなかった。

不安定なお天気の中、にも打たれず、大雨も降ったが、神事をする所では晴れ、よく守られたものだと思う。これで今回の川と海の清めは終わりだという。