昨年の春、母の実家の山林をもらう事となった。かえってお荷物になるだけと思い、それまでも二度断っていたのだが、高齢の伯父に末期の肝臓癌が見つかり、このままでは先祖から受け継いだ物を寄付するか、地元にいる親戚達にに託すしかないと言う。(バラバラになってしまう)
ノワタリさんにご相談すると、私が引き受けるのが一番良いと言うことで、引き受ける事となった。
山林の評価は低いが、立ち木は別である。祖父の時代には山の手入れを頼んでいた人があったが亡くなられてからこの30年近く手入れはされていない。
路線価や立ち木の計算をしたが、立ち木の贈与税が来るといったいいくらになるかわわからず、お手上げである。従兄弟と話し合った末、立ち木の分は従兄弟が出すと言うことで話がついた。
それも取り越し苦労で、税務署から立ち木の評価を出すようにと連絡が来たが、「見た事も、行った事も無く、何処にあるかも分からない土地で、ずっと30年近く手入れをしていない。」とで伝えると、「放棄地」と言うことで山林のみの贈与税となった。
本当にまだ行っていないのだ。伯父に地図を貰ったが、母は行った事が無く、隣町にいる叔母と一番下の叔父と行こうと言いながら、そのままである。
その申告も終わり、従兄弟に迷惑を掛けずに済んだので、報告しようと思っていた所、ノワタリさんと先週の水曜の夜話していたら、「おチョウさんが来られています。あなたと酒を酌み交わしながらじっくり話し合いたいみたいですよ。高級なお酒を用意してね」と言われ、「今までのカクシャクとしたおチョウさんで無く、今回は女性として...大変孤独な思いをされたみたいですよ。」と言われた。
「私はおチョウさんにはちっとも似ていないんだけど、なんで、又私に」と言うと、「あなたが頼りなんですよ。でも、きっぷのよさは似てます。」と言う、何か喜んでいいのかどうか分からない。
おチョウさんというのは私の母方の4代前の先祖であるが、今回ノワタリさんのお言葉でおチョウさんの私の中のイメージが大分変わってきた。上品で卒が無くしっかり者で大変な美人であったと聞いていた。
幕末の頃で御殿奉公をした後、嫁いで子供も出来、幸せに暮らしていたが、実家の兄が仏門に入り、跡取りが居なくなった為、親戚が連れ戻し 養子を向かえ後を立てたと聞いていた。
おチョウさんの父親は大酒のみで一生遊んで暮らしたので、お嫁さんは子供を置いて去ってしまい、後妻には子供が無く、おチョウさんの兄さんはそんな父親に見切りをつけ、仏門に入り一生妻帯する事無く、最後は隣村の住職になったと聞いた。
私はずっと幸せな一生を過ごされたと思っていたら大違いで、生木を引き裂くように引き裂かれ、先の旦那さんの方が外見も中身も後で養子に迎えた人とは開きがあったらしい。思っただけで、胸が張り裂けそうだ。次男でも作ってその子を籍に入れるとか出来なかったものかと思うが、時間の余裕がなかったのだろうか?
戦前は長男は婚家から籍を抜く事が出来なかったので、その婚家の姓のまま男の子を連れ帰った。
後の人との間に女の子と男の子を作り、役目を果した後はどうも疎遠であったみたいである。
そしてノワタリさんが「あのね、もう一人とても艶っぽくてあでやかな女性が出て来てるんです。」言う。
「あでやかって?幾つ位の人ですか?」とお尋ねすると、「30歳代かしら浮世絵みたいにゆるい着物の着方をされて髪は後ろに長くしてくくっているんです。」と言われる。どうも菱川師宣の見返り美人みたいな姿である。
「そんな姿の人は素人じゃないでしょ。」と言うと、「ええ、素人じゃないですね」と言われる。
一体誰なのか、どんな関係なのか?分からない。あの時代、こんなド田舎にそんな人が住む事だけでも困難であろうと思う。
しかし、事後報告をした時その女性が誰だか分かった。父親の後妻だった。
それで、お兄さんはたまらず家を飛び出したと言う言葉をノワタリさんが受け取った。とても固い真面目な家だと思っていたら、遡ればなんと!としか言えない。
そんな事で、日曜日朝6過ぎのに乗り報告と墓参りに出かけたが、母の実家へ行くと誰もいない!伯父も伯母も出てこない。
何かあったかしらと、家の探し歩いていると、まだ休んでいた従兄弟が出て来て「二人とも入院した。親父は肺炎を起こしていつ逝ってもおかしくない、後1か月もつかどうか分からない。」と深刻そうな顔で言った。伯母は喘息の為、この10年余り365日の内340日ほどは入院しているので心配は無いが。
20日に伯父と話した時は元気そうで母も安心していたのにと思ったが、分からないものである。
お墓へ出かける前に、仏壇にお線香をと思い、仏壇を覗くと男所帯でもう埃だらけで線香立は灰が溢れカチカチになっており、シキビでなくどうでもよい観葉植物の葉が差し込んであったので、掃除をしてから、拝んだ。家の中も庭も荒れ放題、表の間だけ片づけてあった。
その後お墓にいつもの3点セットの塩、お神酒、水で清めた後、お経をあげ拝んだ。その後、「時間が掛かるから」言って従兄弟達をに待たせ、知り合いの京ひなさんhttp://www.sakaroku-syuzo.co.jp/の「ちょっとおしゃれに」と言う名前の純米大吟醸酒を紙コップ3個に注ぎ分けて呑みながら、おチョウさんに話しかけた。今ならば、おチョウさんがどんな気持ちで過ごされたのか良く分かる。「もうこんな思いはしたくないよね。」と話しかけたがでも、あの世で先のご主人と会えたのかしらとちらっと思った。
来る途中考えていると、一族の女性達の中で二度の結婚をされた人が多い事に気付いた。何かの因縁なのか?祖父の姉妹も早死にされた人は別にして二人共、叔母も、本家の従姉妹もである。
下の姪はおチョウさんの生れ変りらしいが、彼女がそうならないようにその因縁も又断つようにすることも私のお役目かと思ったが、それもあるが今回凹み気味の私に対して心配なされたからだそうだ。
その上、末期癌の伯父が肺炎で入院した事を偶然知る事となったが、それも先祖に呼ばれたらしかった。
従兄弟は2人は朝から晩まで御飯を病院に行き食べさせねばならず、ほとほと弱っていた。もうすぐヘルパーさんが来るとは言っていたが、伯母は伯母で病院の食事がまずいとか言って、色々と注文を付けていた。
でも、別々の部屋にいる2人を覗くと、たいそう喜んで放してはくれなかった。
伯父は輸血からの肝炎でいつ自分の寿命が来てもと、ずっと覚悟はしていたがこんなに長生きできるとは思わなかったと言い、体に障るからと遮るにもかかわらず、ずっと1時間喜んで話しつづけ、体温も36,5になっていたので楽そうだったが、管だらけでベッドからは起きれない。
食事の後、バナナを食べさせ、入院してから歯を磨いていないとこぼしていたので、歯磨きの手伝いをした。もうこれが伯父とも最後かしらと思うととても寂しく、時の流れを感じた。
長居はできなかったので午後2時のフェリーに乗り、重い足取りで帰宅した。