Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

子供のしつけ

2009-09-20 16:48:44 | 日々のつぶやき

以前に我が家の上の住人の事を書いたが、その後も相変わらずの騒しさであったが、何があったかわからないがある晩、お風呂場の窓から洗面器でお湯を隣家の屋根にぶちまけるという事が起きた。ドドドーバシャン!バシャン!と言う大きな音が2度した。窓を開けて確認する軒先から雫がポタポタと落ちてくる。隣家の住人も驚いて、窓を開けて見上げている。上に向かって注意したが何の応答も無い。隣家(糞尿を撒いた家と反対側)には脳梗塞のおじさんと90歳近いおばあさんとその妹のお年寄りばかりが住んでいる。風呂場の窓は高く、小さな子供には手は届かない。

翌日、「お風呂は遊ぶ所ではないから(風呂場で毎晩1時間近くもわめかれると響くのです)、子供だけにせず、さっさと入って 家は運動場ではないから走らないように」と母が注意したが鼻先でフン余計な事というような表情で悪い事をしたという気は無いらしかったが、2,3日後 誰かに言われたのか誤りに来た。隣家にも行くようにと母に言われ、お断りに行ったら、これまでのうるささの上に母親の声が1番耳についたと言われたという。

上に越してきて3~4年になるが、1番上の小学生のお姉ちゃんが鍵を借りに来たとき、戸口のまえで「カギ!」「カギ!」「カギ!」と連呼する。こちらも解っているが、「カギがどうした」「かぎが何?」と言って取りあわず、「貸して下さいでしょ。」と言い、返しにきた時は唯「はい」と言って渡してきたので、「人に物を借りた時は有難うでしょ」と教えた。

そのカギも貸した上に返さず、2個ある予備鍵も持っていったままにしているのでそれを機会に「すぐ返さないと貸さない事にするよ。」と言って渡している。子供達には私は怖いおばさんであるらしく、1番下の男の子は階段で泣きたくもないのに、ずっと愚図愚図言って泣いていても私の顔を見るだけで、ピタリと止む。(何も言いませんよ)

先日、2学期が始まって、宿題の出来ていない小学2年の子は朝から愚図っていたが、学校を脱走して大騒ぎになった。付近の山の麓で母が見つけて「さあ~、一緒に帰ろう。」と言いながら手を差し出すと、ギュッと強く握り返してきたという。何か話したそうな顔をしていたが、やっぱり、寂しいのだ。

しつけの出来てない親に育てられた子はかわいそうだ。分からない為にトラブルも起こすが それが何故かも気付かない。このまま大人になれば、不幸だと思う。

子供を自分の感情で叱り、子供が何を欲しているかも気付かず、自分の主張だけ言い、唯、物だけ与え、家の中も片付かない。対照的に以前、前に住んでいた子供は近所のおばあさん宅などに一人で遊びに行ったり、うちにも出入りして遊んでいたが、何が違うのだろう?母親の態度でしかないだろう。(ハグしてやろうよお母さん)

最近、何故か静になった。階段でわめく子供に母親が注意しているのを始めて聞いた。やっと気付いたのだろうか。

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2004年霧島の旅 高千穂河原

2009-09-18 20:40:28 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

古宮址から見る霧島連山中岳天孫降臨神籬斎場

上記の写真は2008年1月の撮影した物

年が明け、元旦となったが前日とは打って変わって全くの快晴であった。

朝から宿の露天風呂に入り、ゆっくりして霧島神宮に初詣しようと出たが、余にも長い車の渋滞を目にしたので、予定を変更して古宮址のある高千穂河原に行く事にした。しかし、ここも前日の雪の為、通行止めになっていたので先に御池に行った。

御池と高千穂岳

この写真は当日の物でとても綺麗だが、余り良い気はしなかった。この池は火口湖で一番深いと言う。その為、戦争後戦車や武器を沈めたという話を妹から聞いていた。周りを散策していると、ノワタリさんが、強い霊気を感じられ、そこからは足が進まなかった。そこで私達はまたお清めをして、祝詞をあげ、般若心経と光明真言を唱えた。上記の写真を見ると 池の真ん中にボートに乗っている人もいたみたいだが、岸辺には人はいなかった。ただ野良犬がハヤシさんのお菓子が欲しいらしく付いてきていた。

お昼になると、国道は相変わらずの渋滞だったが、高千穂河原への道は通行止めも解除になり、その道へ進んだ。対向車にも出会わず、私たちのしかいない。前日の悪天候で登山者もいないみたいで境内もお正月とは思えないくらい空いて閑散としていたが、さすがに空気が澄んでいてすがすがしくとても気持ちの良い、何か背筋がシャンとするような場所だった。

人けが無いので上の写真のようにノワタリさんは天孫降臨神籬斎場で思う存分祈り、歌を歌った。2008年にお参りした時、ノワタリさんは「国の為...」お言葉を頂いた。私はその言葉をきっちり覚えていないのでその旅のときに書く予定です。

本当に天孫降臨の大事な場所であるのに参拝者はいなかった。みんな、新しい神社の方に行くのになぜ?としか言えない。

終えて石段をおりてから、参拝者がやって来た。境内にあるお店で遅いお昼にした。

おじいちゃんが一人で店をしていたが、おそばと甘酒を頂いた。そこにも私達以外客はこなかった。その後、まだ道は込んでいたので、もう元宮に行ったので、霧島神宮には行かず、方向を替え山道を走り硫、黄谷温泉の霧島ホテルに行った。名前のごとく近づくにつれ、硫黄の臭いがきつくなって来た。

さすがに温泉は人が多く、数種類の温泉施設があり、プールのように広いのもあったが広すぎて落ち着かず、結局(与謝野)晶子の湯と言う名前の露天風呂でのんびり寛いだ前日はよほど疲れたみたいで、その日はもう動く気もしなかった。ここは、坂本龍馬が新婚旅行に訪れたので写真やいろいろな展示物が廊下に置いてあった。今回はここで終了し、空港に向かったが、ハヤシさんの信長の痕跡を尋ねる事は出来なかった。 本当にお疲れ様~。

 

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2004年霧島の旅大浪池

2009-09-16 20:31:23 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

大浪池

先週の土曜、日曜と旅をしていたので書き込みが留守になってた。

ノワタリさんが 北海道から帰られてやっと体の調子が戻った10月の事、大浪池のお浪さん(大浪池伝説)が市松人形のようなかわいらしいお姿で現れたという。それで、12月31日にそこに行かねばならないという連絡をもらった。

今回、ハヤシさんという方がご一緒すると言う事で、私の元にがあった。

彼女は大変信長が好きで、本能寺で亡くなったのではなく、島津家を頼って薩摩に落延びて晩年を過したという説があると言った。それで鹿児島には小谷とか、小牧という地名があるとも言ったが、確かめてはいないので真偽の程は分らない。それで、今回手掛かりを求め行きたいらしかった。

そうするうちに 直ぐ年末になり、30日の夜中から出かけた。おばかな私はキャリーだから大丈夫と思い、お清めの粗塩、お神酒、水を4組ぐらい入れたものだから駅の階段では往生した。それに80㎝位の榊、お花を持ってたものだからやっとの事で動いた。ディズニーランドに家族で出かけている妹の留守宅により、身繕いをしてで空港まで行き、ノワタリサン達と合流して食事を取り、出発した。

その日はまた、低気圧の通過で、寒く風も強く、雪が降っていた。お浪さんにお供えの卵をコンビニで買い求め、霧島に向けて走った。途中、3人が「すごい熱い!エネルギーだ。」と言ったが、単なる温泉の湯煙だった。賑わっている温泉街を通り抜け、霧島道路を通って、大浪池の麓まで行き、そこからは徒歩になった。大浪池は常時水のある火口湖では1番高い所にあり、1412mの高さがあると言う。

それぞれリュックに手分けして、の中を登った。所々凍っており、ズックで行った私達は転ばない様に気を付けてゆっくり登った。悪天候で、他に登山者にも会わなかった。

上記の写真は昨年のもので、その日は、写真を撮る余裕も無く、池の近くまで登ったものの、全く視界はなく、池も韓国岳も見えず、池に降りる道も分らなかった。それらしき道を見付け、進んだものの、雪に覆われ、膝までズボッ!と入り、それ以上歩けなく、進んでも相当な時間が掛かりそうだった。他の道を探して、今度は池を1周する道に行ったが、どうも降りる道はなさそう。右往左往しているうちに時間だけがたっていくので、妹の主人が行った事があると聞いていたので、連絡を取ると、向こうも雪で、東京で震えていて、池に降りたことは無いとの返事しか返ってこなかった。

そうするうちにノワタリさんが沢を見つけた。危ないけれどもうここしかなく、意を決して降りることにした。飛び出している木の枝、根っこに伝わりながら、慎重におそるおそる降りた。お二人は軍手を持っていたが1番寒がりの私は無かったので片方づつ頂いて降りた。やっとの思いで池の縁に立ち、御幣をつけた榊を立て、紙コップや皿にお供えを供え、ノワタリさんの歌が始まった。私達は池に向かって花を投げ入れ、お清めのお神酒や水、塩をまき、祝詞を唱えた。気が付けば、雪は止み、全く向こう岸どころか何も見えなかったのが、明るくなり、視界が開け池全体の景色が現れた。ザワザワと池の水がざわめいて岸辺に押し寄せてきて、濡れない様に後ろに下がった。後で教えて頂いたが、その時お浪さんである龍神様が池の真ん中に上半身を出されたそうである。解らないのが残念!最後に龍神の祝詞を三人で唱え、ご挨拶をして終えた。

又、沢を登り上に上がると、先程とは雰囲気も変わってきて、今度は地元の人と外国人の親子がやって来た。私たちはお仕事だけど、こんな天気によく来る気がするなと正直思った。何度か足を滑らせたり、転んだりしながら、まで戻り、宿に向かった。

霧島温泉郷の宿に着いた時はすでに夕方になっていた。靴はグジョグジョで髪の毛は霧氷状態でパリパリになって寒さで震えている私たちを迎えた宿の人は訝しげに「何処に行ってきたのですか?」と尋ね、答えると「何でそんな所に」と言って笑らわれた。

一目散にに入り、体を温めた。夕飯を取る広間は温泉で新年を迎える客でいっぱいであったが、昼間の疲れが出ていたのとおなかが空きすぎていたのか食事は余り進まず、早々に引き上げた。

寝床で紅白を見るつもりで横になったが、三人とも、その年見飽きるほど見たもマツケンサンバしか見ていない。ジャン!と言うイントロで目覚め、終わると直ぐに爆睡してしまった。松平健の笑えばヒビ割れしそうな厚化粧と腰の動きと度派手なセットしか覚えていない。

 

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死ぬかと思った!

2009-09-09 09:09:16 | 日々のつぶやき

1年前の9月22日の夕方の事だった。5時を過ぎて出荷した荷物の追加が来た。平日ならば断るのだが、翌日は祝日で休みなので、気の毒だが運送屋さんに連絡を取って荷物を持って来てもらうことにした。

大急ぎで裏の倉庫から、台車を押しながら全速力で走った。台車はスチール製の頑丈なものでなく、携帯用に車に乗せている軽いアルミ製のものだった。後ろに両脇に細いバネに棒を通して止めてあるものだ。ガシャガシャとアスファルトの上を走っていると音がした。突然、振動で棒がはずれ、荷台の後ろの持ち手が前に倒れ、私もそのまま頭からつんのめるように左側に倒れた。ガツン!と音が頭に響く。こめかみの骨が地面に当たった音だった。眼鏡の柄が外れ、目じりにささり、アスファルとの下の砂利に当たり、路面をこするズリズリという音がした。勢いづいていたので止まらず、路上を台車が傾いたまま走った。眼鏡のレンズの片方は飛んで行き、片方にビシッと言う音とともに傷が走ったのがスローモーションで見えた。

どうなるのだろう?死ぬかも?ヤバイと一瞬思ったが、私は自分で起き上がる事が出来た。すると心配して近づいていた佐川のお兄ちゃんが、「血が出てるけど、大丈夫?」と覗き込んできた。気が付けば、ズボンの左膝の下は破けて血がでている。顔も腕もだ。

自分で鏡を見る勇気は無い。あわてて裏口から台所に入ると、母が「まあ~!お岩さんだね~。」と言いながら、アロエを塗って、保冷剤をタオルの上から当ててくれた。

いつもの近所の接骨院に駆け込むと、30歳過ぎの若い先生は膝をレントゲンで見てから手当てをしてくれた。「良かったね。ちょうど膝のお皿の下で、お皿だったら割れてるよ。顔はどうしようもないから、冷やしてね。あとが残ると大変だから。」と言われた。

3個の保冷剤をローテーションで当てて寝返りする事もできず、翌日もずっと横になった。

24日も起きたものの仕事にはならず、私の顔を見た人はみんなギョッとした表情をした。傷は目じりから顎にかけて3cm巾位のバーコードのような瘡蓋になった。肩も左腕も擦り傷と打ち身になっていたが、それだけでなく首の捻挫を起こしていた。

横になっているのも退屈で、電話番くらいはと事務所に出たが、9月いっぱい接骨院に通うのが仕事のような有様だった。脳外に行き調べてもらったが別に異常は無く、ついでにそこの近くの眼科に目が痒かったので診察に行ったら、医者は顔面の傷と勘違いして「良かったですね。少しずれていて。」と言った。

そうする内に、人が「ハッ!」としたような顔をして見てはいけないものを見たという感じで一瞬そむけるのだが、又しげしげと見直す時の表情が面白く、快感になってきた。なんか良くない想像をしているんだろうな。

それも、毎日アロエをスリスリと塗っていると少しずつ剥がれ落ちてきて、小さくなった代わり赤茶色のラインになり、鏡を見ると少し気になったが、後の処理がよかったからか、大分薄くなった。顎近くは保冷剤の2個が大きくなかった為、満足にあたらなっかったので今でも傷が残った。

ノワタリさんに伝えると、「お酒を止めていたから、これで済んだ。」と言うメッセージを取られた。もし飲んでいたら、どうなったのだろう。知り合いの占い師は60歳くらいまでは体調の変化するときだから、それが無ければ病気をすると又言っていた。(その前年左手首を骨折した時も同じ事を言っていた。)

結局、又2ヶ月間接骨院に通い続けてしまったが、全て、間一髪というところで免れている。見えない力で守られているのを切に感じた。有難い事だ。感謝しかない。

 

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断酒!

2009-09-06 07:21:35 | 日々のつぶやき

昨年の夏、あるサークルの納涼会をする為ですし屋に行った。いつも利用する店だが、最近2時間食べ放題、飲み放題などという居酒屋が出来たせいか、7時から2時間飲み放題という事だった。20人くらいの集まりだったが、体育会系だからなのだろうかみんなすんごく酒が強い。コーチにも「みなさん、十分練習はしています。試合の前日飲みすぎるから、記録が出ないんです。」とよく言われていた事を思い出した。本当の事なのでみんな苦笑いしていた。

以前も温泉で会食と言うのに参加したが、25人くらいで、酒代を除けて9万円なのが13万円の請求が来て、会計係りは足を出しそうになって青くなった事があった。その日帰り温泉の施設の支配人と数名の従業員達は私達のバスまでわざわざ見送りに来た。

その夜も、じゃんじゃん運ばれ、ぐいぐいと皆のお替りをして飲み、弾んだ。私も嫌いなほうではないのでたくさん頂いた。もうスットプと思ったとき、今度はチューハイを勧められてしまった。で、やめときゃいいのに又飲んだ。

時間が来て、店を出るとき、なんかやばいな...足元がしっかりしない。それでも自転車に乗りふらふらと暗い夜道を走っていたら、倒れてしまった。え~!ショック、こんなの初めてだ。どうにかこうにか家に帰り、風呂に入り倒れるように寝床に入った。(母が知ったら、激怒するだろう。棟が違ってて良かった。)

翌朝は5時に起きて、で2時間余り離れた町にノワタリさんのお手伝いで仏事をしなければならなかった。

5時に目覚めたものの、酒臭い...全身から臭ってきそう。皮膚を押したら、毛穴の中からジワ~と染み出してくるような感じである。おまけに転んだ時に打ったのだろうふくらはぎが青くなっている。擦り傷もあった。そして二日酔い、20年ぶりだ。昔、知らない町で道を教えたくれた自転車に乗ったおじさんが、酔たんすになっており顔がぼこぼこで傷だらけだったのを思い出し、ぞっとした。

を運転する訳にもいかず、駅までで走り、始発に飛び乗り出かけた。

ノワタリさんは遠隔で、私はそこで数種類のお経と真言をあげ、30分足らずで仏事を済ませたが、「はい、さようなら」ともいかず、1時間くらいお茶を飲み、談笑して帰宅した。

その日の夕方まで頭も気分もすっきりせず、余りにもショックが大きく、自己嫌悪になってしまった。ノワタリさんに伝えると、「『程度ものだ。ほどほどに』って言ってるよ」と言われた。

それ以来、アルコールは止めた。たまに欲しくなり、350mmの缶に手を出した事もあったが、美味しいとは思わず飲めなくなった。

お酒の出る席にはで出かけ、を理由に断っている。あれ以来、忘年会も 納涼会も あのすし屋さんは、飲み放題という事はなくなった。

また、ひとつ私の好きな物がなくなってしまった。

 

 

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