ケンちゃんと呼んでいた知り合いが数人いた。
まず一人目は 妹と同い年の幼なじみで隣のケンちゃん。毎日、うちに「けいこちゃん、遊ぼうや。」と言って来ていた。
とても綺麗な男の子だった。バイトで喫茶店へ行って居た頃、友人のゆみこちゃんが「おかまのケンちゃん」と言っていた。
おかまのケンちゃんって誰? 話をしているうちに隣のケンちゃんだと分かった。彼を目当てに若い女性が店へ通っていたらしいが、 オーナーが同性愛者であるので知らない人はそう思ったらしい. その店はおしゃれな小物やアクセサリーが置いてあり 若い人の集まる店で 正月や連休、そこへ行けば誰かには会うような所で、周辺にもおしゃれなブティックが並び、この町の一番華やかで良い時代だった。
その頃の彼は女の子にモテたであろうが、全く関心がなさそうで、車だったみたいであった。そのうち仕事を替えて生業に付いた。でも趣味は変わらなかった。
彼が20代半ばの春の彼岸の大雨の夜、車の事故で亡くなった。改造した小さなハンドルになっていたらしい。とても痛ましい事故だった。
2人目のケンちゃんは 同級生である。小学校、中学と一緒の事が多かった。10年前、中学の急遽クラス会をすることになり、地元の者が クラスメイトの行方を捜した。
彼とは高校が違うので 卒業以来あったことはない。個人情報保護法のせいで その高校の卒業名簿を借りても何の情報もなく、住所も電話も勤務先も何も載ってなく 白紙のまま名前が出ているだけだった。
偶然1998年の電話帳を見つけ、その住所に同じ姓が5件あり一つ一つ掛けて、彼の電話がわかった。
電話すると、息子さんだと言うがよく似た声。 数時間後 彼からの連絡があったが、クラス会の当日は娘さんが婚約者を連れてくるので残念ながら出席できないとの事だった。
勤め先を早期退職趣味の趣味のレゲエバーを経営しているとの事だった。後日、私も誘われたが その周辺のクラスメイトは彼の店に集まって数回飲んだらしい。
それから周1くらいで電話のやり取りが始まったが、会うことはなかった。 合コンするからおいでと誘何度かわれたが、いまさら感で気が引けるので 行かなかった。
数年後、伯母の葬儀で九州へ行った夜の電話が最後になってしまった。後日、彼の名前が新聞のお悔やみ欄に出ていた事を知らされた。合わずじまいだった。
3人目のケンちゃんは60歳で定年を迎えた後、地元で居酒屋を開いた。
「食べに行くよ。」と言ったまま、ユキちゃんも亡くなりそのままだったが、近くのスーパーで出会った時はゲッソリ痩せていて 声をかけると、
大腸癌の手術をしたとの事、コロナもあったことから彼の店があるかどうかもわからない。
70歳を迎えるとそんなものかと悲しくなる。