前回書いた一條神社の件で、私はとんだ勘違いをしていた。
お神酒を供えたことで、私はご祭神様からエネルギーを頂いた。背中が暖かいと言うのはその現れだった。
確かにご祭神様方は滅亡された城主でキビシイものもあっただろうが、お神酒で浄化された。
お神酒一合でこんなに楽になるとはお神酒の力とはなんと強力な事かと考えていると、今までお清めの度、お神酒、塩、お水と別段考えずに10年間3点セットのように持ち歩いてその力が分かっているはずなのに、今回改めて実感した。
神棚にお供えしているのは、その3点セット(とお米)である。
塩は海のエネルギー、お神酒はお米から出来るがお米からは大地のエネルギーを頂いている。そしてすべて太陽のエネルギーもだ。
昔の人は偉い、農村では春は、五穀豊穣を祈り、秋の収穫後に神様に豊作を感謝して祭りをしていた。漁村では海に感謝で祭をしていた。
しかし、子供の頃は季節ごとにいろんな行事があり、春は近くのお社で神主さんに祓って頂き、その後おこもりをしたが、いつの間にか場所は公園に移り、やがて神主さんの姿も消え、単なる花見と変わりそれも無くなった。
自然に感謝して神敬い、私の町でも地図を見ればこんな山奥にと思うところまで、神社がある。お寺の数の比ではない。点在する神社はネットワーク状に繋がり国の守りになっていただろうが、今はどうなっているのだろうと思う。
初めてノワタリさんと出会った善通寺でも駐車場の裏山にあった神社は負の者に入れ替わっていて呼ばれてそれを清め元に戻されたが、余りにも不思議であったので驚いた事があった。旅の途中でも、目的の神社でなく呼ばれて、数回同じように清めて、ノワタリさんが歌われ元に戻された事が数回あった。
最近忙しかったので神様のご挨拶もパンパンと柏手を叩いて雑になっていたことを反省した。
そして、最近話題にしても寂しい事に父の言葉は聞けなくなってしまった。
亡くなってからのち、横の物を縦にもしなかったと思っていた父が、仕事に関しては毎日、天気からすべて毎日業務内容を細かにメモしているノートが引き出しに置いてあるのを母と見つけて驚いたと同時に感心した。
今回の体調の悪さも目立たぬところで支えてくれていた父の存在の大きさだったのだろうと思う。
最期に妹に残した言葉は、
「どちらにも付かない(意見の相違でもめた時)のはそれが平和だからだ。時々は思い出して話してくれ。」と言った言葉だった。
父らしく声を荒げて怒る事も手をあげる事も全くなかった穏やかな父だった。