翌朝はノワタリさんの前に現れた出口なおさんにご挨拶とお礼に行く為に、レンタカーで出かけた。
桂を過ぎた辺りから、渋滞になり進まない。進まない上に足が痛くなってきた。私だけでなく、ノワタリさんは肩からづっしりと重く痛みが出てきた。1000年の都である過去に戦も多かっただろうから不思議はない。
二人で朝食を取っていると、「最後。」と言う言葉がなおさんが言われた。もその時は大本に行く事はこれが最後なのかくらいに受け取ったが、旅そのものが終わりであった。
ナビはとんでもない道を示し、近くに来ているのになかなかたどり着けず、手間取ってしまった。
やっと着いても、前回、亀岡の御本部の万祥殿にお参りした時は、受付にお参りの許しを頂いて上がったものの、誰も居らず、私達はご神前に掛けてあったなおさんと王仁三郎さんのお写真の前でご挨拶をして叔父の病気治癒を祈り、助けて頂いた。今回はそのお礼の意味もあった。
が、しかし、そのお写真はご神前の鴨居の上から消えていた。御祓いを受けた後、ノワタリさんがお尋ねしたが、はっきりとした返事は無く、明智光秀の居城だったと言う広いお庭を散策した後、他の建物に行き探したが、分からなかった。
しかし、これが信者からの御浄財と、献金で賄われているのであれば、とても大きな団体であると、感じた。
ノワタリさんはなおさんの写真にお会いすることを楽しみにしておられたので大そう気落ちされていたが、綾部の御本部に有るかもしれないと思いながら、綾部に向かった。
今度は持参したガイドブックに地図がないので 少々不安なナビ任せで走った。
京都縦断自動車道は綾部まで繋がっておらず一般道を走っていると、途中分かれ道で左方向を示したが、標識は直進で当てにならぬナビは無視して標識したがった。しかし、後で地図を見るとそれは大回りだったのかも?と思った。お昼過ぎには着けると思っていたのが丹波和知でお昼を取り、丹波の黒豆料理や鮎の塩焼きを頂き、土産に黒豆を買った。
やっとたどり着いた綾部の御本部の大広間に肖像画はあったものの、ノワタリさんが探しておられた写真には会えずじまいで、目的を果たせず、ノワタリさんは残念がり、綾部の御本部では神事もされていたので、あっさりと外に出た。
仕方ないので次の目的地の伏見稲荷を目指した。今度はナビに有料道路優先と入れたら、舞鶴若狭自動車道にのってしまった。このままではぐるりと神戸、大阪と回り、分岐が多いので慣れない私達には間違えると大変だ。
近くのサービスエリアに入り地図をもらって見直して、丹波篠山から一般道を走り綾部から伏見へ向う事にした。
後日、運転していた妹に、
「大変だったわね。」と、言うと、
「私、丹波篠山になぜか行きたかったから、走れて良かったわ。どんな所か分かったから。」と、言う。
私も京丹波と言う所が気になっていた。
よく見るサイトに「田舎暮らし」と言うのが有り、よくその場所の物件が出ていたので その場所がどんな所か行ってみたかったのでこんな形で行けたのが不思議である。
二人でそれは笑ったのであるが、高速の分岐も少ない四国とは違うという事だった。
京都に入ると、渋滞でなかなか進まず、着いたのは夕方の4時であった。
夕方と言えども、とても人は多く、さすがお稲荷さんの総本山である。
狛犬ではなく、おきつねさんで片方は鍵をくわえていた。本当は稲荷山をずっと歩きたかったが、もう時間が無いので、千本鳥居を抜け、奥宮、新池で折り返すこととなった。
おみくじを引くと、タカコちゃんと私は大吉。
大吉とか、凶ではなく、書かれている言葉が楽しみである。要約すると「今まで諸人の為に尽力してきた結果、望外の喜びのある兆し、_中略 慎重に万事計るべきである。」
今回もピッタリの時節の事が書いてあり、幸先良く嬉しく思った。
昔の宮司は秦氏であったと言う。どの時代までかは分からないが、お社があった。やはり京都は秦氏の影響が色濃く残っている。
境内を歩いていると、もう早紅葉しかけていた。何処からか、何の樹木かは分からないが、時折、良い香りが漂っていた。
「行きたかったのよね。此処と鞍馬。なぜかお呼びが掛からなかったわね。」と言うと、
「楽しみは最後に取って置いた。」とノワタリさんがメッセージを取った。本当に最後である。
その夜 姪が6年間お付き合いしているという男性と一緒にみんなで食事をした。
待ち合わせ場所に行くと、真っ先に目に付いたのはその若い男性でニコニコ笑っていた。
若しかしてこの人?と思っていたら、後の二人の姿が後れて見えた。
ノワタリさんに見ていただきたかったのだろう。
ノワタリさんは開口一番、
「よく似てるわ、とても良い相性ですよ。」と、言われ、若い二人を祝福される言葉を言われた。
その言葉で姪はもう一つ迷っていたのが、後押しされたみたいであり、その晩は楽しくみんなで食事をした。
妹は姪が私に似ているので、結婚しないのではなかろうかと心配していたが、安堵したみたいであった。
彼は姪の外見が黒髪で長く、細面で華奢と言う事で理想の姿とどんぴしゃりだったと言うが、内面は理想と正反対ということで大笑いした。