Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

大本と伏見稲荷

2012-09-29 20:12:54 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

翌朝はノワタリさんの前に現れた出口なおさんにご挨拶とお礼に行く為に、レンタカーで出かけた。

桂を過ぎた辺りから、渋滞になり進まない。進まない上に足が痛くなってきた。私だけでなく、ノワタリさんは肩からづっしりと重く痛みが出てきた。1000年の都である過去に戦も多かっただろうから不思議はない。

二人で朝食を取っていると、「最後。」と言う言葉がなおさんが言われた。もその時は大本に行く事はこれが最後なのかくらいに受け取ったが、旅そのものが終わりであった。

ナビはとんでもない道を示し、近くに来ているのになかなかたどり着けず、手間取ってしまった。

やっと着いても、前回、亀岡の御本部の万祥殿にお参りした時は、受付にお参りの許しを頂いて上がったものの、誰も居らず、私達はご神前に掛けてあったなおさんと王仁三郎さんのお写真の前でご挨拶をして叔父の病気治癒を祈り、助けて頂いた。今回はそのお礼の意味もあった。

が、しかし、そのお写真はご神前の鴨居の上から消えていた。御祓いを受けた後、ノワタリさんがお尋ねしたが、はっきりとした返事は無く、明智光秀の居城だったと言う広いお庭を散策した後、他の建物に行き探したが、分からなかった。

しかし、これが信者からの御浄財と、献金で賄われているのであれば、とても大きな団体であると、感じた。

ノワタリさんはなおさんの写真にお会いすることを楽しみにしておられたので大そう気落ちされていたが、綾部の御本部に有るかもしれないと思いながら、綾部に向かった。

今度は持参したガイドブックに地図がないので 少々不安なナビ任せで走った。

京都縦断自動車道は綾部まで繋がっておらず一般道を走っていると、途中分かれ道で左方向を示したが、標識は直進で当てにならぬナビは無視して標識したがった。しかし、後で地図を見るとそれは大回りだったのかも?と思った。お昼過ぎには着けると思っていたのが丹波和知でお昼を取り、丹波の黒豆料理や鮎の塩焼きを頂き、土産に黒豆を買った。

やっとたどり着いた綾部の御本部の大広間に肖像画はあったものの、ノワタリさんが探しておられた写真には会えずじまいで、目的を果たせず、ノワタリさんは残念がり、綾部の御本部では神事もされていたので、あっさりと外に出た。

仕方ないので次の目的地の伏見稲荷を目指した。今度はナビに有料道路優先と入れたら、舞鶴若狭自動車道にのってしまった。このままではぐるりと神戸、大阪と回り、分岐が多いので慣れない私達には間違えると大変だ。

近くのサービスエリアに入り地図をもらって見直して、丹波篠山から一般道を走り綾部から伏見へ向う事にした。

後日、運転していた妹に、

「大変だったわね。」と、言うと、

「私、丹波篠山になぜか行きたかったから、走れて良かったわ。どんな所か分かったから。」と、言う。

私も京丹波と言う所が気になっていた。

よく見るサイトに「田舎暮らし」と言うのが有り、よくその場所の物件が出ていたので その場所がどんな所か行ってみたかったのでこんな形で行けたのが不思議である。

二人でそれは笑ったのであるが、高速の分岐も少ない四国とは違うという事だった。

京都に入ると、渋滞でなかなか進まず、着いたのは夕方の4時であった。

夕方と言えども、とても人は多く、さすがお稲荷さんの総本山である。

狛犬ではなく、おきつねさんで片方は鍵をくわえていた。本当は稲荷山をずっと歩きたかったが、もう時間が無いので、千本鳥居を抜け、奥宮、新池で折り返すこととなった。

おみくじを引くと、タカコちゃんと私は大吉。

大吉とか、凶ではなく、書かれている言葉が楽しみである。要約すると「今まで諸人の為に尽力してきた結果、望外の喜びのある兆し、_中略 慎重に万事計るべきである。」

今回もピッタリの時節の事が書いてあり、幸先良く嬉しく思った。

昔の宮司は秦氏であったと言う。どの時代までかは分からないが、お社があった。やはり京都は秦氏の影響が色濃く残っている。

境内を歩いていると、もう早紅葉しかけていた。何処からか、何の樹木かは分からないが、時折、良い香りが漂っていた。

「行きたかったのよね。此処と鞍馬。なぜかお呼びが掛からなかったわね。」と言うと、

「楽しみは最後に取って置いた。」とノワタリさんがメッセージを取った。本当に最後である。

その夜 姪が6年間お付き合いしているという男性と一緒にみんなで食事をした。

待ち合わせ場所に行くと、真っ先に目に付いたのはその若い男性でニコニコ笑っていた。

若しかしてこの人?と思っていたら、後の二人の姿が後れて見えた。

ノワタリさんに見ていただきたかったのだろう。

ノワタリさんは開口一番、

「よく似てるわ、とても良い相性ですよ。」と、言われ、若い二人を祝福される言葉を言われた。

その言葉で姪はもう一つ迷っていたのが、後押しされたみたいであり、その晩は楽しくみんなで食事をした。

 妹は姪が私に似ているので、結婚しないのではなかろうかと心配していたが、安堵したみたいであった。

彼は姪の外見が黒髪で長く、細面で華奢と言う事で理想の姿とどんぴしゃりだったと言うが、内面は理想と正反対ということで大笑いした。


引田にて

2012-09-28 00:19:31 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

もう1週間前の事になってしまったが、夕方6時頃から背中が痛い!前回と同じ痛みだった。

胃の後ろあたりから腰に掛けてギュッと押さえられたような感じで起きている事も辛い。おまけに胃がシクシクと痛む。仕方なく7時前から横になったが、9時を過ぎても治まらない。

私の書いた手紙で怒りがまた込上げたみたいだ。明日からの準備もあり、ノワタリさんに遠隔をして頂き、どうにか動けるようになり準備をしていると、11時半頃にやっと治まった。

そんなに目に角立てて怒るほどの事か?そんなに信用がないのかと思うと悲しくなった。

翌日、ノワタリさんと話すと、「信用していただけに、裏切られたと思っている。」と言われた。

そして私たちの取った行動は「余計なお世話だ。」と言うコメントをノワタリさんが受けた。

胃の痛みは彼の状態で、私がキャッチしたようであった。

そんなこともあったが翌金曜日は、朝5時半に家を出て途中従妹のタカコちゃんを拾い、高松空港で8時半過ぎにノワタリさんと合流した。

彼らに美味しい本当のぼっちゃん団子を渡そうと思っていたが、もうそれは止めにして引田へ走った。

なんで、此処で大々的に海で亡くなられた人の供養?と思っていたら、

「お彼岸なんですよね。施餓鬼供養ですね。」と、言われた。

彼が永年憑けていたものは海で亡くなった人、餓えて亡くなった人、そして虐待されて死んだ白い犬、それは後、お稲荷さんの姿に見えたそうであるが…。彼を通してその姿を見せ、こちらへ来るようになったのだろうか?

近くのスーパーで供養の為のお結び9個、お稲荷さんも9個、おはぎ6個、リンゴ、ナシ、おまんじゅうと菓子類を買い、そして持参した坊ちゃん団子15本と菊の花と榊を持って海岸へ歩いた。

いつものお神酒、塩、お水で清めた後、

「お召し上がりくださ~い。」と口々に言いながら、食べれる状態にして次々と海に投げ入れていった。しかし、果物ナイフを忘れたので果物はそのまま投げ込み、お線香を3か所に立てたが、ライターのガスが途中で切れてしまい、後は投げ込んだ。

ノワタリさんが巫女鈴を鳴らしながら神事をしている間に、私は彼の写真に鈴を振り、海に流し、祝詞やご真言を唱えた。途中、私を拒否するみたいに写真は裏返って白い裏のまま沈んでいった。

2,3度海に入って直したが、同じことだった。

唱え終わると同時にザバザバと大きな波が幾度も押し寄せて来た。見るとノワタリさんの方も最後に海に手を入れエネルギーを流し終えたところだった。

ノワタリさんは「まるで池の鯉が口を開けてパクパクしているような音がずっと聞こえました。喜んでますよ。」と、言われた。

タカコちゃんは初めての経験でひどく驚いていた。

その後、今度は龍神様に持参した卵を海を投げ込み、ノワタリさんは腰まで濡れながら、海に入り祈られた。私たちは祝詞と龍神様の祝詞をあげた。また、終えると堤防の中の池の様な静かな海がザバザバと大波を起こして打ち寄せて来て、合図をした。ノワタリさんには龍神様の姿も見えていて、それを話された。

そして最後の犬には清めた後、これまた持参した油揚げをちぎって海に投げ込み、祈った。

タカコちゃんはその様子に興奮していた。時計を見れば海辺に私たちは1時間半もいたらしく、お昼を過ぎていたが、まず目的を果たしてからと思い、神社を探した。

近くの蛭子様に行き、お清めした後、ご挨拶をして地元の氏神様である誉田神社へ向かった。

境内は無人で神主さんも在中ではないらしく、私たちは清めて回っていると、高良神社と言う摂社があった。

御祭神様は武内宿禰命であった。

「珍しいわね。」「でも、八幡様と時代は同時代だし、不思議はないわね~。」と言いながら、ノワタリさんが、

「榊が枯れているから、お水もあることだし 取り替えましょう。」と、言われ、後ろにあった榊の枝を数本取、差し替えた。

「喜ばれたわよ。」と、言われ、その後戦没者の祀られているお社を清め、祈って石段下にあるお稲荷さんへ行った。

そこも清め、ご挨拶をして出た。

「おキツネさんが出ていたわ。」と、また、ノワタリさんは言われた。

その後、待ちに待った昼食は香川と言えばうどんである。

古い街並みの一角の蔵の中でうどんを頂いた。平日の事もあり、客は私達だけであった。

見るからに古い蔵の中は薄暗く幽霊が一人や二人はいても不思議ではないような感じがした。

うどんは腰が強く、美味しく、3人とも満足して引田を後にした。

海の神事はどこでもでき、なぜ、引田かと思っていたら、此処には武内宿禰命さんにお参りするためだったという事がわかった。

彼に送った手紙の中に、

「体が軽くなるでしょう。」と書いたが、彼が拒否しているので、憑依しているものを取り除いても、気づかない限り残念ながら、良くはならならしい。

おまけに余計な事をしたと怒っているので撥ね付けるだけである。

あの時ノワタリさんが「命に係るから、言って!」と、言われ慌ててそのまま伝えたが、昔の肝炎の事としか思っていない。後の事を伝えようとしたが、も拒否されてしまい、伝えようがなかった。

「体が悲鳴をあげてるわ。おまけに喉も薬で焼けてるわね。」と、言われたが、成人病の3高で何だったが忘れたが、2週間に1度検診を受けていると聞いた。その時、

「気を付けて節制したら。」と言うと、

「顔がこんなになって。」と言いながら、口をすぼめて頬がそげたような顔をして、

「これじゃあ、評判悪いんだよ。」と、ずっと小太りだったので、本人も痩せる事には抵抗があったのかもしれないが、このままでは脳の方に来て倒れそうな感じである。

ノワタリさんも「脳に来るわね。」と、やはり言われた。

「気づかないかもしれない、気づいてももうベッドの中かもしれない。」と、寂しいが言われた。あきらめるしかないと思ったが、たぶん私はあの人たちに

「おい、ネコから電話が来たら、取り合うなよ。あいつはアブナイぞ」と言ううわさが広がっているだろうと思う。目に見えない物を信じない人の方が多いので仕方がないか…。

その晩、ノワタリさんに二人の写真を見せた。今回、お祓いをした友人でない方のIも昔と著しく顔が変わっており、「どう見ても、中国人よね。人民服着たらぴったしよね。」と、ボヤキ全く別人のような顔つきになった事を伝えると、

「生き様が顔に出るからね~、あなたとは合わないわね。次元が二人とも違ってしまってるわ。おまけに今日の人は暗さが出てるわ。」と言われた。

2枚持っていた写真を破り、塩を振り白いビニール袋に入れきっちり縛って処分した。

あれから、1週間近く経つが、泣く事もなく不思議と悲しさを通り超えて何の感情もないが、一抹の寂しさを感じた。ただ、決別とはこういう事かと思った。

今回の旅は何か大きな一区切りがあるだろうと思っていたが、それがこれなのかと思っていたが、それだけではなかった。

朝早く動いたおかげで、私たちは夕方には京都に着き、妹と姪と一緒になり、京都駅ビルの伊勢丹で夕飯を取った。週末という事もあり、どこも人であふれていて、不景気と言う言葉とは無縁のようであった。

その日の事をあれこれと話したが、

「ほんとにスケールの大きな人はいないのね。司馬遼太郎の小説の中だけかしら、私は今頃、アブナイ人間になってしまってるわ。」と、自嘲気味に妹に話した。

 

 

 


明るいのがいちばん!

2012-09-19 21:26:14 | 日々のつぶやき

今朝から、背中が絞められたようで痛く重い!

いったい何時まで続くのか?うんざりだ。昨晩 手紙を書いたところで私自身はすっきりした。後は先方がどう取ろうと、もうどうでも良くなった。

間に入ったIにその事を伝え、礼を言った。しかし、全く先方には届いてなく、相変わらず頼りにはならない。

お昼になっても痛みが取れ無いのでノワタリさんに連絡をした。

「今まで信じていたのにショックが大きく、それで怒りが…。」と、言う。しかし、取り違いで怒っているだけだろうと思っているが、なにぶん話が伝わらないので仕方ない。

「あの~、これがあの人の本当の姿ですよ。もう次元が違うので合わないんです。」と言われ、

「なにぶん3分の1ですからね。この道は厳しいんです。手放しです。」と言われる。

親しい人と別れるたび、「次元が」とか「この道は」とか言われるが、この道ももうそれならば程ほどでよいと思った。だんだん振り分けられてお友達がいなくなってしまう。

「今のあなたに合った次元の人が現れますよ。」と言われた。しかし、そう言われてももう同級生の集まり案内も来なくなってしまいそうだ。

夕方、妹に連絡すると

「ダメみたいね。」と言う。

「気の小さい人ね、ちゃんと話を聞けばいいのにね。」そうだそうだと私は相槌をうった。

「そうなんだよ。あいつらは小さくまとまると言うか…。」

「この数年はノワタリさんを人に紹介すると言うことは、余程でないとしてないのよ。でも今回、嫌がっていても会えば、皆さん納得するんだけどね。」と、言い、自分のそそっかしさは棚に上げて了見の狭さを恨んだ。

その後、話はエスカレートしていき、学生時代のエピソードを幾つか妹に言った。

彼らはおしゃれでその頃流行の服や靴を身に付けていた。それを先輩の一人が頭から靴の先までたな卸しして換算し、「お前、全部だと幾ら幾らの値段になるな。」と言ってイヤミを言ったら、下を向いて涙ぐんでじっとこらえていた事を思い出す。

「何で言い返さないのよ。『悪いかって。』」と私は言った事がある。

こんなだから、宮仕えは出来ない。

「それ、あんた男女逆転してるじゃない。」と言われ、「それだったら、結婚してもね?」と念を押すように言う。

「はい、仰るとおりです。私には勤まりません。今と違って38キロの体重で体力も無かったし、朝5時前に起きて農家の仕事をするなんて無理だしね。先方に言われる前に、『帰らせていただきます。』と言うだろうね。」と、半ばやけくそ気味に答えた。

後なんだかんだと二人の事を言っているうちに背中の重さも気にならなくなりすっきりした。

落ち込んだのは2日だけであった。なんと単細胞な私!

昨晩もユキちゃんと話していて、中の良かった4人の中のカメの母親が私達の事を

「うちのと、ネコちゃんは奇人、ユキちゃんは変人、(チエさんでなく)チエちゃんだけがノーマル。」と言われたが、ユキちゃんは

「私も普通だと思ってたんだけど、あんた達二人は独特の自分の世界を持ってたわよ。おばさんは良く見てると思ったわ。」と大笑いしながら言ったが、自分ではちょっとずれてるとぐらいにしか思っていない。

書いている内に、彼らは自分の許容範囲を超える事は受け付けられないのだろうと気づいた。

やはり明るいのが一番!


悲しいもんだな

2012-09-17 15:07:21 | 日々のつぶやき

今回の京都行きは9月という事にすぐ決まった。2度の連休があるので、出切れば仕事に穴をあけずに済むのでこの15からの連休の方が私には都合が良かった。

しかし、ノワタリさんが17日にダンスのレッスンがあり、休みたくないと言う事で1週間伸ばした。

この2,3日台風の影響で大雨と強風、良くしたものだと思う。

高松の友人と話した後、昨晩ノワタリさんにお清めに必要な物の確認の為電話を入れると、

「何処かへ行きましたか?頭が割れそうに痛い!」と、電話の向こうで苦しそうに言われる。

「友達の更年期のお姉さんにエネルギーを流したけど、でもそんな感じなかったです。今さっき高松の友人と行く事を話したんだけど、こっちみたいですね。」と、言いながら私は左半身が重くなった。

私達が小学生の頃、予防接種の注射針は使い捨てでなく、3,4人で使いまわされた。それが原因で彼は何型かは知らないが、肝炎になり3年余りの闘病生活をした。諦めかけた頃、インターフェロンを通常の倍服用して1年半経った時に劇的に良くなった事を聞いた。

その事を、数日前チエさんに話すと、

「なんて不運な人!」と、言って驚いた。私はなんと気の毒にとしか思っていなかったので、改めてその言葉を聞いた時、何かあるだろうと言う気はしていた。

「その方も一緒に半日で良いから、行けれませんかね?海岸でその人を祓っている姿が見えるんです。」と、言われた。

すぐに連絡を取るが、仕事が忙しい事を理由に取り合ってはくれない。そりゃそうだろうとは分かっていたが、でもその人の生死に関わる事と言われれば、言うしかない。

多分、宗教の勧誘か何かと思われるだろうと覚悟はしていたが…。

ノワタリさんにダメであった事を伝えると、

「遠隔でしましょう。夜は良くないから明日の朝します。」と言われ、生年月日を確認する為又連絡を取り、ノワタリさんにfaxした。

今朝、ノワタリさんが遠隔した結果、海で亡くなった人や餓鬼、虐められて殺された白い犬など長年憑けていたそうであるが、犬がお稲荷さんの姿にも見えるそうである。

「此処までしか見せてくれなかったけど。3日間しますから、何か分かるでしょうね。」と言われた。

そして一人写っている写真で代用できるとも言われ、ただ、それだけでは完全で無いので30分でも会えないだろうかと言われた。

しかし、昨晩の事に嫌気が差したのか?何度連絡を取っても出ない。smsでメールを送っても届かない。家に電話しても誰も出てこない。仕方が無いのでもう一人の友人の自宅に連絡したが留守で、訳を話して連絡をもらうように言ったがこれも来ない。

私が宗教に嵌って勧誘しているとでも言われているのだろうか?学生時代本当にお世話になったから少しでも楽になればと思っているのが届かない…悲しいもんである。

「今回の引田はそれだったのかしら?」と、ノワタリさんにお尋ねすると、

「それではなく、海で亡くなった方の大々的な慰霊ですね。それと龍神様。此処は白で行かないといけませんね。」

「どうして其処の海なんでしょう?」

「後で分かりますよ。」と言われた。

それで大幅に持参するものは増えていき、龍神様用とは別に何時もの3点の他、榊、鈴、お結び5個と、菓子、お花などなど。

しかし、それ以来清めても私の背中は痛い!けりが着くまで何らかの痛みと重さは続くと言われた。

やはり、これも遣り残した事の後始末で納めであるらしい。


鳥なのかな?

2012-09-17 10:19:01 | 霊現象

先日、一緒に白鳥神社へ行った友人に会うことになり、慌てて写真を印刷してして渡した所、翌日興奮した声で電話が掛かった。

あの時 デジカメで撮ろうとしたら、バッテリー切れで使い物にならず、で撮った。しかし、機種を替えたばかりで余りよく分からず、おまけにちょっと度のキツイコンタクトを入れていた為、手元は見えず、写ったかどうかも分からないままだった。

彼女は目を閉じて集中すると、映像が浮かび上がる。

その時も、神社の中で拝殿でご挨拶していると、

「う~ん、白い鳥が後、後ろから大きな光が…、あ、もう見えない。」と言っていた。

人が来たり、物音がしたりして集中できなくなると、そこでもう終わってしまう。

「ね~、これって鳥じゃない?私の腕が何か鷹匠みたいで荷物を持っているのに不自然だよね。あの時、見えてきた鳥みたいなんだけど。」と、言う。

海のお清めの後、境内を歩いていると古事記の中のエピソードが描かれた絵が幾つも奉納してあった。その時、神武天皇とヤタガラスの描かれた物があった。

「あれとよく似ているけど、鳥は白だったわ。」と、彼女が言っていた。

 

この御神木の前で写した物だが、

顔を白く塗りつぶしたので見えづらいかもしれないが、木に当てた手の反対側の腕に水色に光る鳥のようなものが写っている。

実際の海の色、

お清めしてお花と榊を奉納した海、彼女は私が海に向かって神事をしている時、

「瑠璃色の海が見える…、綺麗な瑠璃色。」と言っていたので、この写真を見た時に私も驚いたが、彼女はとても喜び、

「あの時の色と一緒だわ。」と、興奮した。

空は薄曇りであったので反射ではないと思っている。